明治初期に築地で創設した海軍操練所は、ほどなくして横須賀村に機関術の分校を設置します。明治14年には海軍機関学校と改称され、その後、横須賀町白浜(現在の横須賀市稲岡町)に移ります。そして大正12年の関東大震災により他所への移転を余儀なくされるまで、横須賀は機関科教育のメッカとして隆盛を誇りました。
機関学校の教育は、特に海という環境の微妙な変化を察知できる、「科学に基礎を置く五感を結集した教育」でありました。科学的思考力や深い洞察力をもった機関員を育成するため、カリキュラムについては機関術科をはじめ、数学、物理学、論理学等の教養教育も重視されました。
こうした機関学校の教育内容を紹介するため、このたび本校資料室が保有する同校の教科書並びに卒業アルバムの一部を電子データ化し、以下に掲載しました。
教科書には機関学校生徒の書き込みもあり、研さんの跡がうかがえます。ぜひご覧ください。
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