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私は、第1輸送航空隊で飛行場勤務隊隊長として勤務しています。操縦者としての初度配置部隊が第1輸送航空隊で、C-130Hの操縦者として今に至ります。
約30年の飛行経験でヒヤリとしたこともありましたが、管制官の的確な指示、助言等によって幾度となく救われてきました。平素から多大なる飛行支援により安全運航を支えてくださる航空保安管制群の方々に厚く御礼申し上げます。
今回は、国外運航で経験した「言葉の壁」について述べたいと思います。日本国内の飛行では、管制用語は日本語又は英語を、無線では原則英語を使用するとされていますが、国外運航では英語となります。
1998年、ホンジュラス共和国のハリケーン被害援助のため、C-130Hが6機派遣され、私も3番機副操縦士として参加しました。現地に到着後、先行した1番機副操縦士から、管制官との意思疎通が円滑にいかず交信を繰り返していると、たまたま同周波数にいた日航機の操縦者が間に入り、スペイン語(ホンジュラスの公用語)を交えつつ交信を援助してもらったと聞き、そのおかげで後続機はスムーズに交信ができたのだと理解しました。
また、エジプト・アラブ共和国のカイロ国際空港に着陸の際には、管制官の「キャララーン」の意味が理解できず一瞬戸惑っていると、左席機長から「Cleared to land」と教えられたのですが、着陸許可が発出させるタイミングでそれを予測できなかったのは経験不足や緊張もあったのだろうと思います。
日本人にも日本語なまりの英語があるように、各国又は各地域によってもそれぞれ特有の癖やなまりがあります。操縦者としては、分かったふりをせず分かるまで「SAY AGAIN」を繰り返すことが大事ですが、一番大事なことは日々英会話能力を培うことだと感じています。

この度、管制群HP「航空管制」への投稿機会をいただきありがとうございます。私は、宮城県松島基地に所在する第4航空団飛行群第21飛行隊で勤務するF-2の教官操縦士です。
F-2戦闘機は、航空自衛隊が保有する戦闘機の一機種で、平素から領空侵犯に対する措置や、地震偵察などの任務を行っています。しかしながら、ここ第4航空団のF-2戦闘機はそういった任務を行っておりません。
第21飛行隊は、将来、日本全国のF-2部隊で各種任務を行う若年操縦者を養成することを任務とし、戦闘機操縦(F-2)課程という課程を受け持っています。本課程には、航空学生や防衛大学校等を卒業後、操縦要員として各操縦課程を経て、F-2操縦者として将来、日本全国の部隊に配置される操縦者がやって参ります。
課程期間は約10カ月で、基本的なF-2の操縦(この課程で初めて戦闘機を操縦する。)はもとより、これまた初めての対戦闘機戦闘(いわゆる空中格闘戦)や要撃戦闘(インターセプト)といった戦技に関する課目を履修します。
松島基地における航空管制上の特徴として、F-2の基本的な操縦を主に履修するため、特に難しい着陸操作をより多く演練する必要があることから、有視界飛行方式で連続離着陸訓練を複数機で行います。また、単発機であるF-2は、SFOといった模擬不時着パターンの訓練を複数回行います。これは、高高度から滑空しながら滑走路へ進入する方法で、場周経路を飛行する通常の着陸機とパターンや速度が大きく異なります。
そのため、松島管制隊の管制官には非常に多くの苦労をお掛けしているとは思いますが、より多くの着陸訓練等が実施できるよう効率よくトラフィックをコントロールし、操縦者の要求に適切に応えてくれています。
また、F-2に不慣れな課程学生操縦者が操縦(もちろん教官操縦士の監督下ですが。)しますので管制塔とのやり取りなどで、聞き逃しや、聞き間違え、聞き取りが出来ないケースが多発します。その際は、ゆっくり、丁寧に発唱してくれるケースもあります。
第21飛行隊は、高頻度で松島管制隊と相互に部隊交流、研修を行い、お互いの任務や環境の理解に努めています。そういった成果が、より密度の濃い学生訓練に繋がっており、F-2操縦学生の育成は、第21飛行隊教官操縦士だけでなく松島管制隊の管制官の皆様のご理解とご協力があってこそと、強く感じます。
操縦教育といった特殊な任務の特性上、松島基地以外では一部の基地にしか参りませんので、本記事をご覧になる殆どの方は接する機会はないかもしれませんが、松島基地での勤務や、第4航空団のF-2が課程教育の一環で飛来し、管制する機会がありましたら、ご協力のほど、どうぞよろしくお願い申しあげます。
