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本部長の小部屋

#9舟形町

若あゆ温泉 鮎オブジェ舟形は良いところです。
昨冬、雪がしんしんと降る中、舟形若あゆ温泉を訪れました。ここは高台にありますのでとても眺めがよく、露天風呂からは真っ白な雪原と針葉樹のおりなすモノクロの世界が広がっていました。この若あゆ温泉の敷地内には立派な鮎のオブジェがあります。鮎の頭は天を向いて縦方向に立っていますので、ちょっと塩焼きの鮎っぽく見えてしまいます。大きさもなかなかなものですから、直線距離で3kmほど離れた舟形駅付近からも確認することが可能です。

舟形舟形町と言うと小国川沿いの集落だけに目が行きがちですが、大石田町と大蔵村に挟まれた山あいの地域も私の好きなところです。県道36号新庄次年子村山線を松橋川に沿って山を分け入っていきますと、山が両脇に迫った松橋集落にたどり着きます。この集落からは尾根を越えて東隣の大石田町側へと下りていくのですが、ここの道は舗装されているものの道幅は軽自動車サイズでしかなく、私の車(シルバーアロー号)は両側面を草木に撫でられながらの運行となりました。まさか熊さん出てこないよね?まさか対向車来ないよね?とドキドキしながらサミットを抜けましたが、幸運にも(いつも?)熊さんも車も現れませんでした。県道の数字は若いのに、意外になかなかな険道でありました。ちなみに冬期は通行止めとなるようです。

舟形マッシュルームそして、やはり、舟形町を語るにあたってマッシュルームを避けて通る訳にはいかないでしょう。私はもともとマッシュルームが大好きなのですが、関東のスーパーで売っているのは小さなものが4つ入って198円というシロモノばかりです。もちろん物の値段には輸送賃等々が含まれておりますから、それが不当な価格だとは思わないものの、なにぶんお高目なので高級食材という位置づけになっておりました。よって、農場脇に設けられた直売所「舟形マッシュルームスタンド」は天国のようなところでありまして、近くを通るたびにセルフサービスで紙袋に詰め詰めしております(100g100円+税)。私のお気に入りメニューは、フライパンにオリーブオイルをひいて、そこにマッシュルームを裏返して並べて焼くシンプルなもの。傘の裏側に水分が出てきましたら、そこに岩塩を振ります。味付けはそれだけなのですが、新鮮なこともありそれはそれは美味しいのです。お酒のお供にもよく合いますので、ぜひ皆さまもお試しください。

自転車乗りの目線で言うと・・・
長沢駅小国川に沿って東西に延びる県道56号新庄舟形線は、私が所有する財団法人日本地図センターが平成元年に発行した「建設省国土地理院の全国20万分の1地図」によれば、長沢から舟形町中心部にかけては国道47号線と表記されており、最上町から新庄市へ抜けるバイパス部分は予定線となっています。つまり、バイパス開通によって国道の指定箇所が振り替えられる前の舟形町は、重要な交通結節点であったわけです。建設省国土地理院の全国20万分の1地図そんな往時の賑わいを想像しながらペダルを漕ぐのですが、今では東長沢、長沢と小さな集落が並ぶのみです。その昔、旅行貯金をしていた私の嗅覚が「長沢には郵便局があるぞ」と知らせてくれます。その感覚に導かれ、わき道に入っていくと・・・郵便局が道路わきに現れたので大いに愛でてまいりました。

もうひとつ、県民ゴルフ場脇を抜ける「最上東部広域農道」を紹介いたします。農林水産省が所管している広域農道は、平地だと気にならないものの、丘陵部に入ると「等高線を無視して機械力を発揮して作った道」との印象を受けます。自転車乗りの愚痴になってしまいますが、広域農道は一般的な昔から存在する道に比べて勾配がきついのです。もちろん、ポジティヴに考えれば「脚を鍛えられる良い道」なのですが、この県民ゴルフ場脇の広域農道を北側から南側に向けて走りますと、天にまで届くのではないか?と思える坂道がまっすぐと延びており、やる気を粉々にしてくれます。私も、もう少し鍛錬しなければなりません。

鉄道好きの目線で言うと・・・
舟形駅に亜炭鉱山があったということを知ったのは、新庄駅「ゆめりあ」内の鉄道ギャラリーにあるレイアウトを見た時でした。空中写真を確認すると、駅の西側の引き込み線跡が道路になっているのが見て取れます。我が山形地本のN君によれば、昔はトロッコの線路も残っていて、そこで遊んでいたとのこと。鉱山鉄道に興味津々な私からすれば、なんとも羨ましい話です。じ後、「舟形町史」及び「舟形町歴史民俗資料館」にて詳細について勉強することといたします。

「伸びるつばさが最上を拓く」山形新幹線「つばさ」が山形駅まで開業したのは1992年。遅れること7年、1999年12月に新庄まで延伸されました。舟形駅東側の倉庫様の建物には新庄延伸を求める誘致看板が今も残っています。そこに書かれているのは「伸びるつばさが最上を拓く」。開業から20年以上が経って看板は煤けておりますが、当時の熱気が伝わってまいります。

もうひとつ。
交通校舎の時刻表昭和42年10月号(復刻版)これまた私の手元にある「交通公社の時刻表昭和42年10月号(復刻版)」を確認いたしますと、上り下り1本ずつ、舟形駅に急行列車が停車していたことが伺い知れますが、特筆すべきは秋田発上野行きの上り客車急行「たざわ」号です。この列車、1等車はもちろん、食堂車をも連結した立派な優等列車でありまして、秋田を10:15に出発し、舟形には13:34に停車。その後、山形県内では楯岡、天童、山形、上ノ山、赤湯、米沢に停車し、終着上野駅には21:20に到着します。時間はかかるけれども、舟形駅から乗り換えなしで東京の北の玄関口上野駅まで直結しているのか!と、この発見に心が躍ったのですが、疑問に思ったので下りのダイヤを見ると、ちょうど同じ時間帯に上野発秋田行きの特急「第1つばさ」が舟形付近を走っておりますので、より優等列車たる特急列車を退避するために止むを得ず停車していたようです。今の感覚ですと「運転停車(=行き違いのために止まるだけで客扱いをしない。よってドアは開けない。)」という形をとると思うのですが、意外と当時の国鉄は臨機に乗客へのサービスをしていたのだなあと思いました。ただ、この急行「たざわ」号の場合、使っていた車両はどれも乗客が自分の手でドアを開けて乗るタイプですから、運転停車で止まったとしても乗ることは可能だったのだろうと想像できます。なお、時刻表の復刻版には実用性がまったく無いのではないかというご指摘もあろうかと思いますが、その議論についてはまた別の機会に譲りたいと思います。

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#10遊佐町

鳥海山
遊佐は良いところです。
アイヌ語で「我々の住むところ」という意の「チ・オカイ」が語源とも言われる鳥海山。町役場脇から見上げますと、標高日本一の「ゆうめいなやま」よりも雄々しく美しい。標高は2,236m。「夫婦で見ろ」の語呂合わせで覚えられます(酒田のGさん、ご教示ありがとうございます!)。県内ではいちばん高い山であるうえに、蔵王、飯豊、朝日の山々とは違って単独峰であり、かつ、日本海から一気に山頂まで立ち上がる山ですので、より一層、ずずんとプレゼンスを示しています。なお、東北地方の中では二番目の高さに甘んじておりますが、一番高い福島県の燧ケ岳は南側の足元が群馬県にかかっていますので、鳥海山こそが東北地方ナンバーワンと言ってもイイでしょう。ちょっと贔屓が過ぎますかね。

丸池神社遊佐の見どころとしては、丸池様も上げておきたいと思います。写真でもその美しさはおわかりになるかと思いますが、実際に見てみますと、鳥海山麓から湧き出る湧水を湛え、ブルーからグリーンに変化する様はまさに神秘の泉。なんといっても丸池様は丸池神社のご神体そのものなのですから。インスタ映えする観光地として認知度は高まっておりますが、眺めていると、心穏やかな気分になり時が経つのを忘れてしまいます。近くにお越しの際にはぜひお立ち寄りください。

他にも、年貢米を舟で運ぶために作られた運河と言われている西通川、北海道の鰊漁で財を成した青山留吉が建てた旧青山本邸、遊佐にはまだまだ見ておかねばならぬところがたくさんありますが・・・近いうちに訪れたいと思います。

自転車乗りの目線で言うと・・・
せっかく山形に赴任したのですから、やはり鳥海山を征服しなければなりません。昨年のゴールデンウィークの某日、ほぼ標高ゼロの吹浦を起点として、標高1,000mの大平山荘まで上ってまいりました。前半からペースを上げると後半にバテますので脚も心肺も労わりつつ、シッティングでボチボチ進みたいのですが、あまりのスピードの遅さにアブと思われる虫にまとわりつかれ、結局はその虫たちから逃げるためにそれなりに脚を回さねばなりませんでした。庄内平野を一望周りの樹々や道端に顔を出しているふきのとうを眺めながら進みますと、標高を稼ぐためのヘアピンカーブが現れます。その際、急こう配のヘアピン部分のみをダンシングで乗り切り、ペダリングに使う筋肉を分散させます。おおよそ2時間をかけて、ひたすらペダルを回し、ようやく大平山荘に到着です。雲の無い日でしたので庄内平野を一望することができ、この素晴らしい眺めに疲れもどこかへ吹き飛びます。ただ、5月ですので標高1,000mでぼけーっと休憩をしていますと汗が冷えていきます。よって、せっかくの大眺望を味わうのもそこそこに下ることとしました。もちろん、アウターウェア、グローブ、ネックウォーマーをしっかりと装備してから下山します。あれだけせっせと登ってきたばかりの道を、それこそあっという間に駆け降ります。下りはスピードも出るため危険ではありますが、登ってきた者のみが許されるこの爽快感。あんなにつらい思いをしたのに、もう一度チャレンジしてみようと思ってしまうのは坂バカだからでしょうか。

鉄道好きの目線で言うと・・・
ダイヤ東北地方には秋田県の「男鹿(おが)」や宮城県の「牡鹿(おじか)」とオスの鹿さんの地名はありますが、それらに比べれば女鹿という地名は牝鹿っぽい・・・せっかく山形に赴任したのですから(あれ、さっきも言ったセリフ・・・)、やはり女鹿駅をこの目で確認せねばなりません。羽越本線の秋田方、山形県内最北端に所在する女鹿駅を意識したのはもう30年以上前の学生の頃でしょうか、夏の暑い日に通過した記憶がはっきりと残っています。いかにも信号場から昇格しましたよ!と主張する簡素なホームと駅舎。いつかここで途中下車してみたいと思っておりましたが、この駅の最大の特徴は停まる列車が極端に少ないこと。秋田方面に向かう下り列車は午後に4本、酒田方面に向かう上り列車は朝に2本が止まるのみです。そのダイヤを見るに、女鹿駅周辺に住んでいる高校生が遊佐もしくは酒田の高校に通学するためだけに列車を停車させているのだなと類推されます。つまり、この女鹿駅で乗り降りをするというのは、なかなか難易度の高い勇気のいる行動と言えましょう。
女鹿駅1月下旬、酒田に宿を取った私は、酒田発秋田行の始発列車に乗り吹浦駅で下車いたしました。県外に出ることを自主規制している私としては、女鹿駅のひとつ先の小佐川駅(秋田県にかほ市)から列車で戻るという選択肢はありません。よって、ひとつ手前の吹浦駅から約4kmを歩いて向かうことといたします。国道7号線は山沿いに吹浦バイパスとして整備されているものの車の通行量が多いと思われますので、私が歩くのは海沿いの国道345号線です。こちら、バイパス開通前の国道7号線ですので歩道も整備されており、夜明け前の時間帯でも歩くことは容易です。途中、道に寄り添う羽越本線を上り一番電車が豪快に駆けていきましたが、乗客の姿は確認できませんでした。ということは、私がターゲットとしている2番電車には高校生が乗るはず!と期待に胸を膨らませペースを早め、先を急ぎます。40分ほど歩き、女鹿駅入口の小さな看板から細道に入ると、そこにひっそりと女鹿駅の駅舎が現れました。女鹿ホームに上がり、あちこちを見聞しているうちに時間が過ぎ、酒田行き列車が到着する時刻が迫ります。あれ?高校生乗らないのかな?と不安になりましたが、列車到着1分前のギリギリになって、送迎の自家用車から二人の高校生が現れました。やはり女鹿駅を使う生徒さんは存在するのだと確認したことで今回の私の任務は無事完遂。あとは7:07発酒田行きの本日の終電(!!!)に乗るだけです。ただ気になるのは、この子たちが高校を卒業した後、女鹿駅の利用者が新たに現れるのかということ。北海道では駅を利用する高校生が卒業するのを待って、その駅自体を廃止する事例が見受けられますので、女鹿地区に中学生、小学生がどのくらい居るのか、さらなる問いが頭に浮かびました。

なお、この女鹿駅は、大分県の「宇佐駅」、神奈川県の「社家駅」と並ぶ、ローマ字にするとファンキーでグルーヴィーな駅名であることも魅力と言えましょう。私のように隣の駅から歩いて乗りに行く行動を「MEGA CHALLENGE」と書くだけで、何かとてもカッコよく感じることができます。

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#11高畠町

置賜盆地高畠は良いところです。
置賜盆地の端に位置することから、ちょっと高いところに上がれば抜群の眺望を得ることができます。私のお気に入りは広域農道「ぶどうまつたけライン」の北端部分にある時沢地区。盆地の奥まったところから眼下に広がる置賜盆地を見渡せばどこまでも農地が広がります。平地部分は水田、傾斜地にはぶどう。豊かな土地だなあと感心させられることしきりなのですが、町内の他の地区ではたばこの葉も栽培されていました。確か、ちょっと前まではビールの原料となるホップも作っていたのじゃないかしら。山形と言えばお米と果物というイメージになりがちですが、多種多様な作物を育てる農家さんのパワフルさに感銘を受けます。ごみごみとした街での暮らしが長い私からすれば、こういう豊かなところにはとても足を向けて寝られないなと思うのですが、山形県内のどこでも豊かな土地が広がっているので、山形に居る限り、私は立って寝るしかありません。

高畠ではあちこちぷらぷらとドライヴするだけでなく、「日本のアンデルセン」とも呼ばれる童話作家浜田広介の記念館も訪れました。「ないた赤鬼」といえば一度はその名を聞いたことのある童話だと思いますが、記念館の中にあるシアターで作品を見ますと、50歳を過ぎた私にはハンカチ必携であることを認識しました。私の古い友人からも「号泣した」との報告がありましたので、年を重ねるということはこれまでに様々な経験をし、それらを資として感受性が豊かになるのかなとしみじみ思いました。

瓜割石庭公園高畠と言えば石についてもひとこと。二井宿にある「瓜割石庭公園」を激しくお勧めいたします。現地の案内ボランティアの方曰く、その昔、人々が手で掘って割って切り出していて、1日にひとつ切り出すのが精いっぱいだったとのこと。 いちおう写真を載せておきますが、ここはやはり実際に見ていただいて、ぜひともその迫力を味わってほしいものです。

自転車乗りの目線で言うと・・・
上山市の金山峠でアナグマの襲撃を受けた後(#6)、気を取り直してパスハントを再開し、まずは国道113号線の二井宿峠を目指しました。道路地図を見る限り、高規格な新道はどうにも自転車で登るには向いていないようです。よって、ここは旧道を攻めることにしたのですが・・・狭小なくねくねとした道を進んで行くと、あえなく「車両通行止」の看板が現れました。うーむ、看板が斜めにずれて置かれているということは、誰か横をすり抜けているのかな?とも考えましたが法令順守を最優先で考えますと、車両たる自転車で突き進むことはできません。次回、自転車を置いて、てくてくと徒歩にてチャレンジするしかないですね・・・。

さらに続けて国道399号線の鳩峰峠に向かいます。
この日は猛暑日であったため体調管理に留意しつつ挑みましたが、結果としては惨敗でありました。敗因は水とスポーツドリンクの補給のタイミングを誤っったこと。なんと峠の中ほどで二つのボトルが空となる大失態。根性だけでなんとか征服しようと思いましたが、さすがにそれは無謀であると判断し、道半ばでの転進を決断いたしました。この道、通行量も少ないので、森の中を整斉と登れるスタミナがあればかなり楽しめそうなのですが、また今度、気候の良いときにリトライしてみたいと思います。

鉄道好きの目線で言うと・・・
旧高畠駅今のJR高畠駅は1991年の山形新幹線開業までは糠野目駅を名乗っておりました。私の感覚ですと「高畠駅」といえば山形交通高畠線の旧高畠駅です。1974年に廃止されましたが、石造り(そうです、地元高畠の石が積まれています)の駅舎は今も往時のままにその姿を残していますし、駅舎だけでなく、ホーム跡には保存車両もあり、公園としてとても綺麗に整備されていますので、鉄分の濃い方はもちろん、そうでない方にも好ましく感じられると思います。まほろばの緑道さらにこの駅舎を挟むように高畠線の廃線跡が「まほろばの緑道」という自転車道として整備されていますので、レンタサイクルを借りれば手軽に当時の車窓を疑似体験することができます。なお、この道の両脇には桜の木が植えられており、4月になれば東北中央自動車道や奥羽本線の車窓からもその存在を確認することができます。今年も桜の開花は早くなりそうな予報が出ておりますので、そろそろ心の準備をしておきたいと思います。

「ここは山形新幹線が通過する踏切です」との案内表示鉄道の話をもうひとつ。JR高畠駅近くの奥羽本線の踏切脇に「ここは山形新幹線が通過する踏切です」との案内表示がありますが、この表示の意図するところがどうしてもわかりません。速い電車が走ってくるから気をつけてくださいよ~という意味なのでしょうか。列車通過時には警報機が鳴り、遮断機も下りていますから、特段、注意を喚起する必要もないと思うのですが、日本初であるミニ新幹線開業時の「何が起こるかわからないから、なんでも対策しておこう!」という空気を感じてしまいます。

つづく…

#1真室川町#2大江町#3山形市#4最上町#5白鷹町
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#11高畠町

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