父基分の日常 令和6年11月28日(木)慰問講演会 落語家の三遊亭律歌(りっか)さんが慰問講演会のため来隊されました。 三遊亭律歌さんは、2013年からコロナ禍を除き毎年小笠原諸島を訪れ、落語会を開催されているそうです。今回は父島基地分遣隊にもお越しいただきました。 隊員の半数以上は落語を聞くのは初めてで、落語といえば「笑点」というイメージが強かったのですが、笑いが主眼の噺(はなし)だけでなく、庶民の人情の機微を描き、ほろりとさせる噺もあるそうで、今回はその人情噺の代表作の一つである「子は鎹(かすがい)」という噺をしていただきました。 酒に溺れ、花魁を連れ込み、妻と一人息子を追い出すようなどうしようもない男が、酒を断ち、心を入れ替え別れた妻と再会するクライマックスでは、子どもの無垢な笑顔が、夫婦の心をほぐしていくさまを情感豊かに描写するその語りは、まるでこの空間に情景がはっきりと浮かび上がってくるほど引き込まれる口演でした。 中には涙を拭う隊員もいて、まさしく落語家三遊亭律歌さんの世界に魅了されたひと時でした。 『26歳の決断、IT大手を辞めて落語家になる』三遊亭律歌 落語家(LIFE MEDIA「わたしの決断物語」URL:https://life-media.co.jp/short-story_sanyuteirikka/?p=2352)によれば、落語家は「親の死に目にも遭えない厳しい世界」で、落語家を志すきっかけにもなった日本初の女性真打、三遊亭歌る多(かるた)師匠からは、「落語家なんて、なるもんじゃないよ。」と諭されたそうです。 それでも落語という世界に飛び込み、厳しい世界でも落語を続けてこられたのは、父との約束があったからだそうです。 病床の父からの「絶対に真打になれよ。」という言葉を胸に歩み続けて2022年3月、ついに真打に昇進され、父の墓前で「お父さん、私、真打になったよ」と報告することができたそうです。 扇子と手ぬぐいを使い身振り手振りだけでひとり何役も演じるその高度な話芸は、とても素晴らしく感動を呼ぶものでした。 しっかりと覚悟を持って積み上げてこられた年月に裏付けされたその所作の一つ一つには、人情噺以上に心を揺さぶられるものがありました。 三遊亭律歌さん、貴重な体験を本当にありがとうございました。 それでは最後になぞかけをひとつ。 落語とかけまして、小笠原に戻ってきた三遊亭律歌さんの心境とときます。その心は・・・ 「どちらもおちつき(オチつき・落ち着き)ます。」 またのご来島を楽しみにしております。いってらっしゃい! 令和6年7月17日(水)、18日(木)訓練検閲 横須賀地方総監 伊藤海将による訓練検閲を受閲しました。今回は多用途支援艦「えんしゅう」で来島されました。 ボニンブルーの海から颯爽と笑顔で登場された姿が映えます。 隊長指導方針「協調・明朗」のもと、リニューアルされた看板のように、生き生きとした父島基地分遣隊です。 「気をつけ!」一瞬にして集中力がぐっと高まります。 それぞれの持ち場でやっていることは違いますが、見据えている到達点は同じです。 私たちは指揮官のもと、常に前を向き、気を緩めることなく最善を尽くすよう日々訓練を重ねております。 指先まで意識を集中し、何が起きても対処できるようにしておくことが私たちの役目です。 訓練検閲ありがとうございました。これからもこの南の地の防衛は私たちにお任せください。 皆さまが日々生活していくうえで安心につながれば幸いです。 「ご安心くださいね~。」by先任伍長 令和6年7月13日(土)父島基地分遣隊看板リニューアル 当隊の庁舎前には父島とボニンブルーに輝く海をモチーフにした看板があります。 手書きで描かれた味のある看板でした。 当隊で行われる訓練にはいつも立ち会ってきました。 また、長年たくさんの隊員を片隅で出迎え、そして見送ってきました。 しかし、そんな看板もこの父島の強い日差しと雨風にさらされ続け、色あせ、佇む姿はもうとっくに限界を超えているようでした。 !!! 濃く青くよみがえったボニンブルーの真ん中に生命力溢れる太陽と躍動感のあるクジラが描かれたこの作品は、ヘナアーティストの瀧千智(たきちさと)さんの手によるものです。瀧千智(たきちさと)さんが当隊隊員と顔見知りというだけで、描いていただきました。 瀧千智(たきちさと)さんは、静岡県富士市出身で、2012年ヘナアートに魅了され、インドのデリーでゲストハウスを経営しながらヘナアートを学ばれたそうです。ヘナアートの持つ“幸運”をもたらす力や“縁起の良い”というエネルギーを、ご本人の持つ想像力と即興性を加え、生命力のある“幸せを呼ぶアート”を描いておられます。 また、2016年8月東京日本橋人形町にヘナアートとインド雑貨とカフェの店【Chiinii】をオープンされたそうです。 この先また何十年、この看板が数々の訓練に立会い、たくさんの出会いと旅立ちを見守ってくれることでしょう。 瀧千智(たきちさと)さん、本当にありがとうございました。みなさまも父島に来島された際はぜひ見学にお越しください。お待ちしております。 令和6年6月22日(土)返還祭、28日(金)開隊記念行事 小笠原諸島の日本復帰を記念した父島返還祭が行われました。 戦後米軍の占領下に置かれた小笠原諸島は、昭和21年、欧米系の島民に限り帰島を許されましたが、他の大多数の島民は故郷への帰島は許されず、慣れない土地での苦しい生活を強いられました。 昭和43年6月、小笠原諸島は日本に復帰し、島民の帰島がようやくかなうことになりました。返還までの空白期間は実に23年にもおよびます。 返還から半世紀あまりが経過した返還祭でのステージイベントからは、返還の喜びと、この島を愛する心がとても伝わってきます。 当隊からも隊長、先任伍長をはじめ、総勢5名の隊員が出演し大いに盛り上がりました。 また、28日(金)には開隊記念行事を行いました。 この父島基地分遣隊は小笠原諸島返還と同じ日に開隊し、以降島民のみなさまとともに歩んできました。 私たちは先輩方の意思を受け継ぎ、我が国の防衛及び世界の平和と安定への思いを新たにし、使命達成にまい進することを固く誓います。 当隊隊長の指導方針である「協調」「明朗」を旗印に、織り上げられた一枚の布のごとく、上下左右が互いに日々支えあい、相互の信頼と連帯感で結ばれた、強固な団結を誇る部隊を築いてまいります。 今後も島民のみなさまの支えとなるよう、一体感をもって活動してまいります。これからも私たち父島基地分遣隊をよろしくお願いします。 令和6年6月10日(月)三機関連携水難事故対応訓練 溺者救助能力の向上を目的として、小笠原海上保安署、小笠原警察署及び海上自衛隊父島基地分遣隊の三機関合同で訓練を実施しました。 ぱっと見た感じ悪魔のような集団ですが、通称「ジャスティス会」です。 小笠原海上保安署長が所用により不在のため、次長を訓練指揮として説明を受けます。 訓練実施にあたり、悪魔たちは小笠原の海で体を清めます。 海保特殊救難隊出身の方から救命浮環の使用についてレクチャーを受けます。 救命浮環がない場合でも、クーラーボックスや防水バッグなどがあれば代用可能です。 しっかりと密封することで、十分な浮力を保持することができます。 無事です。 何も道具がない場合でも、気道を確保し肩で固定することにより救助可能です。 首の締めすぎに注意してください。 「ジャスティス会」が活躍することがないに越したことはありません。しかし私たちはいつ何が起きてもいいように常に連携、協調し備えていきます。正義の集団をこれからもよろしくお願いします。 令和6年6月3日(月)海ごみゼロウィーク 海洋ごみ問題の周知啓発や海洋ごみの流出削減のため「海ごみゼロ」を合言葉に全国一斉清掃キャンペーンが開催されました。 海に流出するごみの約8割は陸(街)由来とされ、一度海に流出したごみを回収することは困難となります。その中でもプラスチックごみは分解されずそのままの形で海に流れ着きマイクロプラスチックに変わります。そのマイクロプラスチックを間違って食べ、海洋生物が命を落とす状況にもつながっています。この活動は、海洋ごみ問題の周知啓発とともに、海洋ごみの流出を少しでも防ぐことを目的としています。 当隊も甲板士官指揮の下、基地の眼前に広がる大村海岸の清掃活動を実施しました。 自衛隊の十八番とも言えるローラー作戦を実施し清掃に当たります。 どんな小さなごみも見逃しません。 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けるんだよ。」 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けなきゃ。」 「隊長、100円落ちてないすかね?」「拾ったら届けないとな。」 「分隊長、私100円落としたかもしれないです。」「諦めろ。」 ひとりひとりの力は小さなものかもしれませんが、みんなで協調し、同じ目標に向かって取り組めば、それは大きな力になると信じています。 これからも地域社会に貢献できるよう努めてまいります。 令和6年5月27日(月)基地見学について みなさんこんにちは。当基地では年間を通して基地見学を実施しております。 見学時間は以下のとおりです。 平 日 12時15分から12時55分まで及び17時30分から日没15分前まで 土日休日 8時30分から日没15分前まで 見学を希望される方は当直室までお越しください。 基地内は見どころ満載です。 戦跡もあります。 秘密の通路もあります。 生き物や植物も豊富です。 なんと今なら記念品をお渡ししております。 リピーターとしてよく訪れる方もいます。 いつも来隊いただきありがとうございます。気をつけてお帰りください。 旅行等で訪れた際はぜひ立ち寄ってみてください。隊員一同心からお待ちしております。 令和6年4月27日(土)令和6年度こどもまつり支援 小笠原村役場が主催するこどもまつりに対し、父島基地分遣隊が支援を行いました。 この支援を通じ、地域社会との交流を図るとともに、海上自衛隊の理解を深めてもらうよう広報活動を実施します。 数日前は雨予報でしたが、当日は事前の予報が嘘のような快晴に恵まれました。 ボニンブルーと白い制服のコントラストが映えます。 当隊隊長が晴れ男の本領を発揮したようです。 一人ひとりが広報官としてこどもたちに接します。 この島ではあまり目にすることのない勤務服と呼ばれる第2種夏服も着用し笑顔で迎えます。 喜んでもらえて嬉しいです。 こどもたちに少しでも楽しんでもらい、自衛隊の理解を深めてもらおうと臨んだこどもまつりですが、どうやらこちらが癒しをもらったようです。 こどもたちがいつまでも笑顔でいることができるよう、これからも努めてまいります。 令和6年1月12日(金)プロフェッショナル 父基分の流儀 ~ピンチの中で見つけた思い~ この父島基地分遣隊には全国各地から精鋭たちが集まっています。 30名に満たない少数部隊ではありますが、比較的ベテランの隊員が多く、入隊時に振り分けられた職種に長年従事しており研鑽を積んでいます。特に給養員に関しては、海上自衛隊において食事はその味によって部隊の雰囲気が左右されるほど重要なものとなっており、卓越した技能が求められます。当隊には給養員が2名所属しており、どちらも申し分ない腕の持ち主です。 そんな給養員が諸事情により数日不在になる事態が発生しました。すぐさま緊急対策会議が開かれ、不在の間食事をどうするか話し合われました。 「毎日仕出し弁当か?」「缶飯じゃないか?」「ひょっとして、自分でなんとかしないといけないのか!?」 隊員の間に不安が広がり部隊が混とんとします。 そんな中立ち上がった一人の漢(おとこ)がいました。 平成2年に入隊し2等海士から1等海尉まで登り詰めた当隊先任幹部である総務科長阿部1尉です。 自衛隊生活30余年、数々の修羅場をくぐり抜け、補給員という職種でありながら、業務の合間を縫って調理作業に十数年従事し腕を磨いてきました。調理師、船舶料理士の資格も保有しています。 弟子も引き連れています。 その包丁さばきはまるで職人です。自分の職種ではないにも関わらず、これまで勤務した部隊の隊員に喜んでもらえるようにどれだけ真剣に取り組んできたかがわかります。その思いは隊員にも伝わっており、若い隊員がしみじみと「美味い・・・」と言葉を発していました。 部隊の根幹すら揺るがしかねないこの一大事を乗り越えることができました。 日々を過ごしていく中で、無駄なことや必要ないと思えることはたくさんあります。タイパ(タイムパフォーマンス)、コスパ(コストパフォーマンス)という価値観が重視されつつあるこの時代であればなおさらでしょう。 しかし、今回のように一見無駄だと思われがちな自分の職種とは別の業務に取り組んだ経験がこの部隊のピンチを救ったことも事実です。そこには、間違いなく真剣に愚直に向き合ってきた年月と、みんなを喜ばせたいという思いがありました。 そして、当たり前のことが当たり前ではないということに気づくこともできました。 多忙な中、おいしい食事を作ってくれた総務科長と弟子の小山田3曹、ありがとうございました。 最後に総務科長に聞いてみました。総務科長にとってプロフェッショナルとは? 総務科長「成果を出すこと。24時間働けること。」 弟子「さすが師匠、コメントもプロフェッショナルですな。では昼寝します。」 弟子が師匠の偉大さに気付くのはもう少し先のようです。 令和5年12月28日(木)一年を振り返って 2023年も残すところあとわずかとなりました。 まだ年が明けたころは半数以上はマスク姿だったことが思い出されます。 時には真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような気持ちになることもあったでしょう。 気持ちを奮い立たせ、闘いを挑まなければならないこともあったかもしれません。 それでも、日々手探りではありましたが、数々のイベントが復活を果たしました。 みんなで手を取り合い、しっかりとゴールを見据えて一つの目標に向かう、その素晴らしさを実感しました。 「戮力協心(りくりょくきょうしん)」 明るい未来を信じ、お互いに心を一つにして協力しあい、突き進んできた一年でした。見えないものと闘い乗り越えてきた私たちの底力を少しはお見せできたでしょうか。 まもなく新年を迎えます。龍のごとく天高く昇っていけるような一年にしたいと思います。 2023年は大変お世話になりました。2024年も父島基地分遣隊をよろしくお願いします。 令和5年12月7日(木)横須賀地方総監初度巡視 令和5年8月29日に着任された横須賀地方総監、伊藤海将の巡視を受閲しました。 こんにちは。お待ちしておりました、ようこそ父島へ。 何事にも一所懸命なこの父島基地分遣隊の現状を隅々までご視察ください。 この基地の先導は先任伍長にお任せください。基地内の整備は確実に実施しており、隊員の士気はこの上なく高いです。 予定にはありませんでしたが、基地内の海軍父島航空隊壕跡の慰霊碑を目にされた総監は何か会話するように手を合わせておられました。 初度巡視中、時間を設けて隊員との懇談も実施していただきました。 訓示では、総員の顔がよりはっきりと見えるよう密集隊形となりました。 私は勤務方針として「伝統の継承」、 そして「変化への挑戦」の2点を諸官に示します。「伝統の継承」は、良き伝統を継承し、より良い組織、つまり、より素晴らしい海上自衛隊を後進に繋ぐということです。「伝統の継承」というと、伝統にしがみつく、いわゆる「伝統墨守」と捉える人がいますが、現状に甘んじていてはより良い組織を構築することなど叶いません。変化を先取りし、我を適合させる、つまり「変化への挑戦」と「伝統の継承」を表裏一体の形で成し続けることが海上自衛隊をさらに大きく飛躍させる鍵となるのです。 共に勤務する上司、先輩、同僚、部下、後輩一人ひとりを大事にし、「あいさつ」を横串、「敬礼」を縦串として、隊員諸官とともに日々額に汗していくことを誓いたい。そのように強く感じています。よろしく頼みます。 総監、お任せください。この南の地の防衛は私たちが一所懸命努めさせていただきます。 総監そして島民の皆さまがいつまでも笑顔でいれることをお約束します。 令和5年11月2日(木)~4日(土)大神山神社例大祭 3日間にわたりこの島で最も大きなイベントである、大神山神社例大祭が行われました。 令和元年以来4年ぶりの開催に気合が入ります。 初日は奉納相撲が行われました。 父基分からも先任伍長をはじめ、精鋭たちが参加しました。 普段とは違う闘う表情にみんな熱くなります。 休憩中は硫黄島からはるばるやってきた、硫黄島航空基地隊で編成された硫黄島ちどりが会場を盛り上げました。 2日目は神輿巡業が行われました。天気は快晴、絶好の祭日和となりました。 開始直後から熱気に包まれます。おそらく日本で一番暑い、熱い11月なのではないでしょうか。 代わる代わる神輿を担ぎ、島内を練り歩きます。喜びが爆発します。 日も暮れてきたころ、神輿の提灯に灯りがともされ神輿巡業はいよいよクライマックスを迎えます。 大神山神社までの階段を登り、最後の宮入りを迎える直前急に大雨が降ってきました。ひょっとしたら、辛かったコロナ禍を乗り越え、島が一つになったこの瞬間を喜んでいる神様のうれし涙だったのかもしれません。 三本締めのあと、みんなの笑顔と大きな拍手で神輿巡業は幕を閉じました。またいつかコロナ禍のような、目に見えない脅威に襲われることがあるかもしれません。しかし、みんなで担いだこの神輿を思い出せば、どんな困難なことであっても乗り越えていけそうな気がします。地道に自分のできることをコツコツ積み重ねていけばいつか必ず良かったと思えるときが訪れる、そう思わせてくれる瞬間でした。これからもこの島のため、一所懸命、為すべきことを為せるよう日々精進してまいります。 演芸大会も最高だったよ! 令和5年9月13日(水)先任伍長交代式 晴天の中、先任伍長交代式を実施しました。 檜山曹長(向かって左)から澤畑曹長(向かって右)に交代します。 檜山曹長は令和3年4月14日(水)先任伍長に指定され、この日までその職を全うされました。コロナ禍という難しい時期ではありましたが、数々の難題に真剣に取り組み、誰にでも優しく、隊員と真摯に向き合い、より良い方向に進むよう導いていただきました。大変お世話になりました。感謝してもしきれません。 そんな檜山曹長から先任伍長を引き継ぎました澤畑曹長です。前先任伍長から引き続き「友愛、愛島」を先任伍長指導方針とします。 「友愛」とは、友人に対する親愛の情、他人に対して深い思いやりを持つことです。また、「愛島」とは、この島の自然、島民、文化、歴史すべてを愛おしく感じ、小笠原諸島全ての島を愛していきたいと考えます。全員が楽しく過ごせるよう心掛けていきます。なんでも話してきてください。 先任伍長に指定された澤畑曹長、そしてこれからも父島基地分遣隊をどうぞよろしくお願いいたします。 「お世話になりました。定年したら観光でまた来ますね!」by父基分の沢村〇樹 令和5年9月1日(金)令和5年度小笠原村防災訓練 小笠原村が計画する南海トラフ地震発生時における津波襲来時の初動対処及び応急活動の訓練に参加しました。 関係機関等との連携要領を確認するとともに、当隊の災害対処態勢の維持向上を図ります。 小笠原村の総力を結集し、災害対策会議で最良の対策を議論します。 また、小笠原小学校及び中学校では防災器材の展示を行いました。 展示を行う私たちも操作要領を熟知するため、前日には防災器材マスターによる教育を実施しました。 この炎のように私たちの心も熱く燃えています。 備えあれば憂いなし。いかなる状況でも即応できるよう努めてまいります。 令和5年7月9日(日)遠泳大会支援 小笠原小学校及び中学校が実施する遠泳大会に対し、支援を実施しました。 小学生は約400m、中学生は約1kmを1時間かけて泳ぎます。 昨年は悪天候でしたが、今年は絶好の遠泳日和となりました。 海とともに暮らす子どもたちは抜群の泳力を誇ります。 小学生もしっかりと泳ぎ、ゴールを目指します。 全員無事完泳することができ、ほっとひと安心です。 「遠泳大会支援終了異状なし!来年もがんばるぞ!」 令和5年5月26日(金)小笠原小学校教職員救急救命講習研修会支援 当隊衛生員長が小笠原小学校教職員の救急救命に関する知識と技術の向上を目的とした心肺蘇生法及びAEDを使用した講習を実施しました。 一流ホテルのようなおもてなしです。なにか呼び出されるようなことをしたわけではありません。 早速講習開始です。先生方にわかりやすく、確実に伝えるために、実技を交えて実施します。 先生方も真剣に聞き入ります。決して怒られて立たされているわけではありません。 衛生員長指導の下、先生方が実施します。 では、最初に私がやります。いえ私がやります。いいえ、私が。じゃ、どうぞどうぞ。 「電気ショックが必要です。患者から離れてください。」 講習が終了し、ほっと一息の衛生員長です。皆さまが安心して過ごせるようこれからも努めてまいります。 令和5年4月29日(土)令和5年度こどもまつり支援 小笠原村役場が主催するこどもまつりが開催され、父島基地分遣隊が支援を行いました。 コロナ禍以前から4年ぶりとなり、待ちに待ったこどもまつりです。 前日の会場設営から支援を行いました。 当日は記念撮影ブースを設置し、こどもたちの来場に備えます。 他団体ブースの支援も行いました。 こどもたちがおびえないように細心の注意を払い、満面の笑みで迎えます。 こどもたちも楽しんでくれているようです。 これからも地域社会との交流を図るとともに、海上自衛隊への理解を深めてまいります。 令和5年4月11日(火)自隊警備訓練「ガンハンドリング」 隊員個人の銃操法の向上を図り、併せて父基分の警備能力向上を目的とし、自隊警備訓練「ガンハンドリング」を実施しました。 教官の話に耳を傾けます。 いつもながら訓練になると皆真剣です。 普段からは想像もつかないほど集中しています。 別に普段がふざけているわけではないんです。 「一所懸命」これが父基分です。教官の本気がみんなに伝わり、実りある訓練を実施することができました。 令和4年12月28日(水)もちつき 隊員相互の融和団結を深めるため、もちつきを実施しました。 杵と臼は小笠原村地域福祉センターで借用しました。 もちつきは、年末と新年に行う場合では目的が違います。年末に行う場合は「鏡餅」を作り神様へお供え物をすること、新年では食することを目的とします。作った「鏡餅」を神様へお供えをして、感謝をしながら頂くことで新しい命や力を授かると考えられているそうです。 また、昔のお年玉は「お餅」だったそうです。現代の子供達へお年玉として、お小遣いではなく「お餅」をあげると正月早々大変なことになりそうです。 別室ではついたお餅を丸めていきます。また、調理員の方には豚汁も作っていただきました。 お餅(あん、黄粉、海苔)と豚汁の完成です。美味しそうですね!コロナ禍がなければ島民の方とも一緒に実施したかったです。 新年、あけましておめでとうございます。昨年は多くのお力添えいただき誠にありがとうございました。父基分一同、これからも全力で励んで参ります。今年も宜しくお願い致します。 令和4年11月30日(水)横須賀地方総監初度巡視 令和4年3月30日に着任された横須賀地方総監、乾海将の巡視を受閲しました。 硫黄島からヘリで来隊されました。ようこそ父島へ。 来隊して早々、分隊点検が始まりました。 続いて構内点検です。基地内にはごみひとつ見当たりません。 総監訓示 「諸君らには、自らが担う任務の重要性に思いを致し、引き続き、その職責を全うすることを切に希望する。増加している業務に、迅速・適切に対応していくことを求められる厳しい状況ではあるが、一致団結し、ワンチームとして任務に取り組んでもらいたい。」 父島に来てゆっくりする時間もなかったと思いますが、小笠原村長、副村長及び村議会議長との会食を実施しました。 父島基地分遣隊は、小笠原に暮らす人々の生活基盤を維持し、安心・安全を確保するための重要な任務を担っています。これからも期待に応えられるように、明るく前向きに職務にまい進していきます。 令和4年11月8日(火)、15日(火)71空南方生地訓練支援 山口県岩国市にある、第71航空隊所属航空機、救難飛行艇US-2が実施する南方生地訓練に対し、支援を行いました。 これが海上自衛隊が世界に誇るUS-2です。 海面に着水できる特性を活かし、ヘリコプターでは届かず、かつ、船では時間がかかるような遥か洋上での捜索救助を任務としています。 「訓練で泣き、実働で笑おう」をモットーに、国民の負託に応えるべく日々訓練に精進しております。 また、今回は両日とも訓練の合間に広報を実施していただきました。 見学に参加された方々の顔を見ると、おそらく、その心意気は伝わっているのではないでしょうか。 「伝わってると嬉しいですねぇ。」by機長 「もちろん伝わってますよぉ。」by隊長 これからも、皆さまが笑顔で安心して過ごせるよう努めてまいります。 令和4年10月27日(木)保健行軍 隊員の体力練成を図るため、保健行軍を実施しました。 当隊から父島の長崎展望台を目指します。 保健行軍は、心身を鍛える(主に体力増進)ことを目的に実施しますが、本訓練は父島に所在する史跡と自然を研修し、歴史及び自然環境への理解を深めることも兼ねています。 また、山中における無線機の電波到達状況についても検証しました。途中で健康チェックや休憩をはさみながら進んでいきます。 折り返し地点の山頂まであと少しです。 長崎展望台(山頂)に到着しました。山頂からの景色はすばらしい絶景です! 天候は涼しく歩きやすかったのですが、山頂付近は強風でした。記念撮影を実施後、下山しました。人員及び器材、異状なし!皆さん、お疲れさまでした。 令和4年9月20日(火)感謝状の贈呈(急患搬送1000回) 小笠原村(父島、母島、硫黄島、南鳥島)で緊急患者が発生した場合、1968(昭和43)年の小笠原諸島返還から東京都知事の要請に基づき、海上自衛隊が航空機で緊急患者を内地に搬送しています。父島への公共交通機関は、週1便のおがさわら丸しかありません。 急患搬送が1000回を超えたことから、その功績に対して、小笠原村村長、村議会議長から感謝状を頂きました。 父島基地分遣隊の隊員は常に即時即応の態勢をとっています。急患が発生した時には、昼夜や天候を問わず迅速に急患搬送を実施します。 夜間の急患搬送の飛行要務は視界が悪くてとても危険です。過去事例ではヘリが墜落して搭乗員が死亡するケースもありました。 危険な任務ですが、離島という特殊な環境で国民の命が危険な状態だからこそ、私たちも決死の覚悟で任務を遂行しています。 この場をお借りしまして、平素から父島基地分遣隊に対して温かいご理解とご支援を賜っております、小笠原村の島々の皆様、関係公共団体や各自衛隊関係者の皆様に対して改めて厚く御礼を申し上げます。 父島基地分遣隊はこれからも部隊の精強・即応の維持に務め、島々の皆様に信頼され頼りにされる存在であるべく、職務に精励して参ります。 令和4年8月29日(月)台風11号襲来 8月の観測史上で最も強い暴風となった台風は父島で猛威を振るいました。 最大瞬間風速48.4m/sを観測しました。 40m/s:何かにつかまっていないと立っていられない状態。50m/s:電柱や街灯、住家自体が倒壊するものがある。 折れた木の枝が大量に散らばっているため、一か所に集積します。 今年の4月中旬にも台風被害が発生しましたが、被害はその時以上でした。 木の枝が大きい物はトラックに積めないので、のこぎり等で適度な大きさにカットします。 テニスコートの支柱は傾き、雨戸も風で飛ばされたり、折れ曲がっています。台風が近づいている時は屋内でもできるだけ窓から離れるようにしましょう。 百葉箱が倒れました。お隣の気象庁は大丈夫だったんでしょうか? 鉄製のドアも吹き飛ばされています。今回の台風の威力を物語っています。 今回は幸いにも父島では大きな被害はありませんでした。私たちは昔から数多くの災害、自然の恐ろしさを体験してきました。しかし、時間とともに被災の記憶は薄れがちです。過去の教訓から学び、災害の記憶を風化させないために、災害の経験や教訓を伝えて未来へつないでいきましょう。 令和4年7月5日(火)~7月22日(金)酷暑訓練 酷暑における体力の向上を図るとともに、基礎体力の練成を目的に水泳訓練を実施しました。 我々、海上自衛官は船乗りである以上、泳ぐことは必然であり定期的に水泳能力測定もあります。 父島基地分遣隊の目の前には偶然にもボニンブルーの海があるのでここで訓練を実施します。 訓練中はカヤックに隊員が2名乗艇し、警戒及び救護に当たります。 しっかり準備運動をおこない、2名以上のバディを組みます。リラックスしてますね、表情に余裕があります。 いよいよ、訓練開始です。 さあ、今日も泳ぐぞー!やる気十分です。 自分のペースだけでは泳ぎません。バディに何かあった時にすぐに気づけるように隊列を組みお互いのことを気にしながら泳ぎます。 時には、声を掛け合い、励まし合いながら泳ぎます。「おーい、大丈夫かー!」 大丈夫みたいですね・・・。 海上自衛隊の訓練の中で「遠泳」がありますが、最大約6~7時間泳ぎ続けます(昼食休憩等を含みます) 私は入隊前は水泳が苦手でしたが、日々の訓練で遠泳も泳げるようになりました。でも、ここまで泳げるようになったのは「仲間」がいたからだということに気づきました。ひとりではできないことも仲間と一緒なら、どんな困難も乗り越えられるということを訓練で学びました。 「一致団結」これからも力を合わせて乗り越えて行きましょう。 令和4年5月30日(月)横須賀地方隊総合訓練(防災) 本日は、派遣部隊の編成及び災害派遣時に使用する器材の確認を行うとともに、同機材の操法等を演練し、父島基地分遣隊の災害対処能力の維持・向上を図る訓練を実施します。 訓練内容の一部を紹介します。 器材その1 レスキューキッチン(約100食分の米をわずか20分で炊き上げることができます。) 野外調理器による炊飯訓練を実施します。本日の隊員の食事分を炊きますが、失敗すれば食事はありません。隊員に緊張が走ります。 火が出過ぎではないでしょうか・・・?(初期作動では火を多く出すため問題なし)。操作要領等を1つずつ確認しながら実施します。 総員が繰り返し器材操法の演練を実施します。お米をセット完了し、約20分間待ちます。お米は問題なく炊くことが出来ました。 器材その2 バルーン投光機(灯具(ランプ)、マスト、台車及び発電機で構成されており、発電機始動により灯具(ランプ)を点灯させることができます。)続いて、バルーン投光機です。警備科員による操法展示を見学し、作動法等を再確認します。 バルーン投光機も総員が器材操法の演練を実施しました。 災害用機器を習熟することにより、父島基地分遣隊としての災害派遣対応能力及び総合対処能力の向上を図ることができました。いざという時に不測の事態に即応できるように常日頃から準備し、備えておくことが大切です。今後も訓練を実施し練度を維持・向上していきます。 令和4年2月26日(土)、27日(日)第3回新型コロナワクチン接種 当隊の体育館において、父島住民を対象に第3回新型コロナワクチン接種が行われました。 0800時から受付開始します。 父島の医師と内地からの応援の医師が対処します。朝から大忙しです。 3回目となるとワクチン接種はかなりスムーズです。4回目はもうないことを祈りながら実施していきます。 コロナのない世の中に早く戻ってほしいですね。 この2日間、ワクチン接種は2030時まで実施しました。医師の方、村役場役員の方々の関係者 夜遅くまでありがとうございました。ワクチン接種結果 2月26日(土)470名 27日(日)345名 ちゃっかり海上自衛隊の広報も実施しました。 コロナ渦で学生の思い出のひとつである修学旅行がなくなったり、イベント・行事等がなくなったりと暗いニュースばかりですが、耐えましょう。ワクチン接種・手洗い・顔洗い・うがい・マスクの習慣と不要不急の外出の自粛等“今”私達ができることを最善を尽くしてやりましょう。また、みんなが住みやすい平和な世の中に戻ることを信じて・・・。 令和4年1月13日(木)~15日(土)すべり整備 横須賀水中処分隊の支援を得て、「すべり整備」を実施しました。 すべり整備とは? すべりとは(US-2(飛行艇)及びLCAC(ホーバークラフト型の輸送艇))が海面から陸上に揚陸する場所。付着物及び堆積物(砂、泥、鉱物、生物遺骸等が積み重なったもの)の除去、清掃を行うことを「すべり整備」といいます。 海が荒れればこのような状態になり、任務に支障が生じます。 父島基地分遣隊員で定期的にすべり整備を実施していますが、水中部分の付着物等の除去作業については、横須賀水中処分隊の潜水作業の協力を得て実施しています。除去作業には金づち等を使用します。 この日は天候も悪く、水温も低い日でした。父島の海でも冬は寒い! 「すべり整備」は表には見えにくい作業ですが、船が揚陸できるのも整備している方々のお陰なんですね。隊員一人一人が「為すべきことを為す」ことにより、事故なく安全に任務を遂行することができます。どんな些細な仕事でも重要な役割を担っているため気を抜くことはできません。 寒い季節に天候の悪い状況の中、すべり整備作業のご協力ありがとうございました。父島でおいしい食事を食べて、おいしいお酒を飲んで父島を満喫していって下さい。そしてまたぜひ父島に来て下さい!※夏に来たら内地に帰りたくなくなりますのでご注意下さい 令和3年12月6日(月)、8日(水)小笠原中学校職場体験支援 小笠原中学校生徒に対し、職場体験支援を行いました。 よく来てくれました。人生とはどういうものか教えてあげましょう。覚悟しておくように。 最初に伝えておきますが、これからみなさんが歩んでいく人生にはいろいろなことが待ち受けています。常に順風満帆とはいきません。 時にはこんがらがってわけがわからなくなってしまうかもしれません。 壁にぶつかったり、周りが見えなくなることもあるでしょう。 どうしても自分の殻に閉じこもってしまいがちになることもあります。 そんなときこそここでの体験を思い出してください。みなさんには素晴らしい仲間がいます。 ひとりじゃできないことも、力を合わせれば必ず乗り越えることができます。 さあ、殻を打ち破るんだ!君たちならやれる! みなさんには、どんなことも成し遂げることのできる無限大の可能性が広がっています。 いよいよ人生という大海原へ出港です。 みなさんが、困難を乗り越え、成長していく姿を楽しみに見守っています。明るい未来へ、いってらっしゃい! 令和3年10月26日(火)車両点検 当隊で保有している車両点検を年2回実施しています。 管理科先任海曹が先導し、隊長が点検します。 まずはトラック3/4t 4×4(バン型)及び業務車3号(ワゴン車)です。バン型は最大9名乗車でき、荷物も多く運ぶことができるので使用頻度は高いです。 次に水槽付消防ポンプ自動車です。この島では、当隊のほかに小笠原村消防団が2台保有しています。 続いてトラック3/4t 4×2(キャブオーバ)とトラック1/4t 4×4(バン型)です。 キャブオーバは主に人員及び物品の輸送で使用しており、入隊前は100人乗っても大丈夫だと思っていましたが、定員は17名です。 最後にフォークリフト2t(ディーゼル式)です。2本の爪でだいたいのものは持ち上げます。カメも救出可能です。 車両の維持管理を担当している管理科は、管理科長を含むすべての隊員が大型免許を保有しており、常日頃から運転技術練度維持向上に取り組んでいます。 (A)当たり前のことを(B)馬鹿にせず(C)ちゃんとやる。ABCを基本徹底し、継続していくことが大切です。 結果、どんな車両でもプロ級の腕前です。 令和3年10月20日(水)防災器材について 当隊では、毎月防災器材の整備・作動確認及び点検を実施しています。 保有する防災器材の一部を紹介します。 始めに「消防ポンプ」です。本体にホースを2本接続し、1本目は水源から水を汲み取り、2本目のホースから放水します。主に火災発生時に使用します。 次に「バルーン投光機」です。灯具(ランプ)、マスト、台車及び発電機で構成されており、発電機始動により灯具(ランプ)を点灯させることができます。まるで太陽です。 ※ 全光速=115000lm(ルーメン)、12畳の部屋を照らすのに約5000lm(ルーメン)必要 最後に「レスキューキッチン」です。約100食分の米をわずか20分で炊き上げることができます。ちなみに近藤3曹(写真右)は米よりパン派です。 災害は起こらないことを願うばかりですが、もし起きたときのために日頃から整備・作動確認及び点検を実施し、迅速に対処できるよう基本を徹底し、即応の維持に努めていきます。備えあれば患いなし! 令和3年10月1日(金)父島基地分遣隊長の離任式及び着任式 奥村2佐の離任式、訓示 在隊期間中はコロナ禍の影響で行事もほとんど参加することができず、島民との交流を深めることができなかったのが心残りでした。 清水2佐の着任式・出迎え 清水2佐訓示、指導方針「一所懸命」 部隊の精強・即応の維持、地元自治体・住民からの海上自衛隊への信頼の維持、隊員一人一人が「為すべきことを為す」。 奥村2佐見送り 奥村2佐の持ち前のパワフルな性格と明るく気さくな雰囲気で普段の勤務、日常生活を楽しく過ごすことができました。 奥村2佐なんだか寂しそうです。約1年2か月の間お疲れさまでした。 奥村2佐(剣道有段者)が父島に帰ってきた際には、総員「かかり稽古」で 出迎えたいと思います。いってらっしゃい! 令和3年6月28日(月)、7月16日(金)、9月8日(水)、24日(金)学校訪問 小笠原小、中、高校及び母島小、中学校をそれぞれ訪問しました。 砕氷艦「しらせ」の機関長として、2度の南極地域観測協力を経験した当隊隊長が授業の一環で南極及び「しらせ」について講話を実施しました。 この中に訪れたことがある人はおそらくいないであろう南極の話に興味津々です。 授業が終わったあとも、目をキラキラさせながら隊長に直接質問している姿が印象的でした。 もちろん「南極の氷」も持参しています。 雪さえ見る機会のない小笠原諸島で体験した「南極の氷」は生徒たちにはどう映ったのでしょうか。 小笠原中学校の校長先生はずっと「この氷でロックを~、ロックを~」と言われてました。 大人になるということはいろんなことを経験していくのです。 生徒のみなさん、当隊隊長が実施した講話の時間は、みなさんの人生においてはほんの一瞬に過ぎません。しかしこの一瞬でも世界は広く、壮大だということは十分伝わったのではないでしょうか。将来、みなさんがその世界に飛び立ち、可能性にチャレンジしていく姿を楽しみにしています。 どれだけ時間がかかってもいいんです。あなたが成長し大人になってまた戻ってきたとき、チャレンジした世界の話を聞かせてください。そのときは一杯酌み交わしましょう。「最高の氷」を準備しておきます。 もちろん、校長先生といっしょに。 令和3年8月29日(日)赤ちゃんガメ大救出 いつもと変わらないのどかな週末の父基分でそれは起きました。 5月から8月の間、地形を変えてしまうほど基地前の海岸でウミガメが穴を掘りまくり、数多くの卵を産み落としていきました。 ここに卵が埋まってます。 小笠原海洋センター(通称:カメセンター)の職員の方々が生み落とされた卵をひとつ残らず回収し、孵化させ、数年育てて海に放流しています。 おやおや、これは一大事です。 基地前の海岸で孵化した赤ちゃんガメが、基地内の工事現場に迷い込んでしまったようです。 カメセンターの職員の方々が駆け付け、無事赤ちゃんガメを救出することができました。 ひょっとしたらこちらの方のご家族かもしれません。 「父島基地分遣隊」前海岸で生まれた赤ちゃんガメたちの数十年後の里帰り出産を隊員一同楽しみにしております。 令和3年7月19日(金)~21日(水)企業研修支援 小笠原中学校教諭1名に対し企業研修支援を実施しました。 中堅教諭等としての職務を遂行する上で必要とされる資質の向上を図るべく、また自衛隊の理解を深めてもらえるようビシバシやります。 あいさつ代わりにモールス送受信に挑戦です。 この広大な敷地の環境整備(草刈り)も実施します。 基本動作である「気をつけ」や「敬礼」も容赦しません。 「休め」で休めると思ったら大間違いです。 この地獄の3日間をよくぞ耐え抜きました。精悍な、素晴らしい隊員が養成されました。 先生、お礼を言うのはこちらかもしれません。 来られた時よりもその背中が大きく、たくましく見えたのは私だけでしょうか。 (それとも、この3日間なにか暴飲暴食でもされたのでしょうか。) 先生の今後のさらなるご活躍を祈念いたします。いってらっしゃい! 令和3年7月16日(金)戦没者追悼式 当隊にある旧海軍父島航空隊壕跡にて、戦没者追悼式を実施しました。 昭和19年8月31日、爆撃弾により陸海軍の将兵52名の尊い命が失われました。この狭い壕の中でそれだけ大人数が・・・、と考えると当時の壮絶さが図り知れません。 御霊に対し1分間の黙とうを行います。 隊長以下父基分隊員による献花を行います。 それぞれが鎮魂の想いを込めてお参りをします。 今を生きる私たちは、「和」をもって日々できることをひとつひとつこなしていきます。 どんな時代も、毎日が平和で、みんなが笑顔で過ごせるようこれからも努めていきます。 令和3年6月21日(月)迷い亀救助 早朝から当直士官が基地内を見回りしていると、めずらしく仰向けで寝ている亀を発見しました。夜のうちに海に戻るはずが、寝過ごしてしまったようです。 ベンチプレス130kgを誇る武石1曹と、父島勤務を20年希望してきた芝上1曹が2人がかりで優しく起こしてあげます。 てこの原理も使ってみます。 ようやく目が覚めたようで、大急ぎで海に戻っていきます。 たまに休憩します。 無事海に入れたことを確認し、ひと安心です。 ここ父基分では時折基地敷地内で寝坊してしまう亀がいて、≪ここは寝床じゃないよ≫と、起こしてあげます。なお、ネボスケ亀のご家族についてご存知の方はご連絡お待ちしております。 令和3年6月22日(火)、23日(水)第1回新型コロナワクチン接種 当隊体育館において、父島住民12歳以上64歳以下を対象に、第1回新型コロナワクチン接種が行われました。 小笠原村から使用申請がありました。 この島で空調設備が整っている大型施設は当隊の体育館だけです。 コロナ禍以前は、バレーボール、バトミントン、フットサル、剣道などを実施しており、島民との交流の場でもありました。 もちろん筋トレも。 どんな状況であってもコロナに負けず、これからの形を模索しつつ、今後も積極的に小笠原村のために協力していきます。 「駐車場の車」とかけまして、「ワクチン接種後」とときます。その心は・・・ どちらも「これから動き出すでしょう。」 みなさま、一歩一歩進んでいきましょう。 令和3年6月6日(日)無事故連続6666日達成 海上自衛隊父島基地分遣隊は無事故日数連続6666日を達成しました。 奇しくも6月6日に6666日を達成、約18年間です。 主な任務として、急患輸送支援や近傍災害派遣を実施しております。 時には迷い亀も救助します。 東京から約1000km離れたこの地で、皆さんが安心して暮らせるよう「最後の砦」となるべく今後も継続していきます。 ここはまだまだ通過点、用意周到、足元固めてさあ次の1日へ。 令和3年5月11日(火)密着!ぞうべ理髪店 今回は、基地内にいる散髪屋さんに密着してみました。 口は悪いが腕は確かと評判のぞうべ店長です。道具の手入れはいつも念入りです。 本日のお客様は当隊隊長です。 ぞうべ「いらっしゃい。刈上げでええですかいの?」 隊 長「いつもの感じで頼むよ。」 ぞうべ「わしは仕事はていねいにやりますけん、安心して座っときんさい。」 隊 長「頼りにしてるよ。」 ぞうべ「お、切りすぎてしもうた・・・なんちゃって」 隊 長「え!びっくりさせないでくれよ(笑)」 ぞうべ「仕上がりはこんなもんです。モデルがええけんバッチリできました。」 隊 長「いつもありがとさん!さすが散髪屋の息子だ。」 ぞうべ「今日もええ仕事したわー。わしゃこれで食っとるけんのう」 以上、基地内にいる散髪屋さんの密着取材でした。 ※ 雜部(ぞうべ)3曹はコテコテの広島人の警備科員で、5月末に敷設艦「むろと」に転勤となります。なお、散髪屋で生計は立てておりません。 令和3年4月14日(水)先任伍長交代式 晴天の中、先任伍長交代式を実施しました。 北畠曹長から檜山曹長に交代します。 北畠曹長から先任伍長識別章を返納します。 檜山曹長へ先任伍長識別章が付与されます。その重みを感じながら受け取ります。 この先任伍長識別章は、次のようなコンセプトでデザインされています。 周囲を囲む左巻きの終端のない索 指揮官の意を体して和を持って部隊等において団結の強化を図る。 波状模様 海上自衛隊の主たる活動の場である「七つの海」を表している。 絡み錨 錨泊中にあってはならないことで、船乗りの戒めとして用いている。 これを先任伍長が着用することで、表面に刻みこんだ識別章の意味するところを識別章の裏側、すなわち「真心」を持って尽くすという信念を持ちます。 この瞬間から当隊先任伍長は檜山曹長となりました。皆さま檜山曹長をよろしくお願いします。 役目を終えた旧先任伍長は元の“バタケさん”となり、まもなく北の地へ旅立っていきます。北畠曹長、本当にお疲れさまでした。 令和3年4月13日(火)横須賀地方総監初度巡視 令和2年12月に着任された横須賀地方総監 酒井海将の巡視を受閲しました。 硫黄島からヘリで父基分に来隊されました。 構内点検中、ちょうど「おがさわら丸」が出港し、父島ならではのシーンが見られました。 点検の様子を見かけた島民の方もおられたようですが、これは登山でも遠足でもありません。 総監指導方針のひとつである「持続」を達成していくために、私たちは、各自が与えられた役割を確実にこなし、また、その役割をいつでも交代できる人材を育成していくため、時には失敗を重ねても、それは成功のための通過点として許容、受容できる部隊の雰囲気を醸成していきます。 「今度はゆっくり来たいなぁ。」by総監(から漏れてた心の声) 「ですよね。」by隊長(満面の笑み) 令和3年3月18日(木)巡視船「みかづき」初度入港 令和3年3月24日(水)就役披露式 小笠原諸島周辺で相次ぐ外国漁船による違法操業の取締まり強化に向け、巡視船「みかづき」が父島に配備されました。 父基分も「WELCOME」で迎えます。 就役したばかりということもあり、真っ白です。日焼け前のわたしたちと同じです。 総トン数200トン、長さ43m、ジェットフォイル推進(※)で、命名の由来はここ父島にある「三日月山」にちなんで付けられたそうです。 ※ジェットフォイル推進(ウォータージェット推進) 後方に高圧の水流を噴出することで推進力を得る方式 就役披露式にもおじゃましました。巡視船「みかづき」精鋭の皆様です。 この海を守るため、お互いに力を合わせていきます。決して裏でバチバチということはありません。 (初度入港及び就役披露式の模様は写真集にも載せております。ぜひご覧ください。) 令和3年3月19日(金) とある出港日の風景 この島では毎週1便おがさわら丸がやってきて、数泊して出港していきます。 島で生活していると、見慣れてしまう風景ですが、今日は少し雰囲気が違いました。 この島で育った高校生が一番多く旅立つ日です。 仲間たちがその門出を見送ります。 親はもちろん親のように見守ってきた島の方々が見送ります。 「いってらっしゃい、身体に気をつけて。」 「いってらっしゃい、元気でね。」「いってらっしゃい、また会う日まで。」 まるで島全体で見送っているようです。 「父島発 東京行」 片道切符を握りしめ、たくさんの希望と、少しの不安を胸に旅立ちます。 人生の門出に掲げられた紅と白の2本の旗は、今から二十数年前、当時の高校生の手によって作られたそうです。 そしてその高校生が親となり、同じ歳になった子どもの旅立ちを祝福するようにはためいています。 「いってらっしゃい、わたしたちの宝もの」 子どもたちは、こうして送り出すことのできた親たちを一人前にしてくれました。 さあ、これからはあなたたちの時代です。 「いってらっしゃい!夢に向かって!未来を切り拓こう!」 令和3年3月11日(木) 東日本大震災から10年 東日本大震災10年となるこの日に、哀悼の意を表するため、半旗を掲揚しました。 全国から集まっているこの父基分の隊員の中には被災しながらも、災害派遣任務に従事した者もいます。 この穏やかな海が豹変する姿を思うと、なんとも言えない気持ちになることもあります。 14時46分に隊員総員黙とう、おがさわら丸も汽笛を吹鳴し、弔意を表しました。 私たちはいかなる事態にも対処していけるよう父島基地分遣隊長のもと、一丸となっていきます。 私たちの「和」はここにあります。 おとなりの気象庁も心はひとつです。 令和3年3月9日(火) 4/四半期自隊警備訓練 銃操法訓練 隊員個人の銃操法の向上を図り、併せて父基分の警備能力向上を目的とし、訓練を実施しました。 実際に小銃を使用して訓練を行います。 ひとつひとつの動作を集中して行います。 いつもなごやかな父基分ですが、訓練になると真剣です。。 教官の厳しい目が光ります。 この目ににらまれただけで震え上がります。 基地を、島を、そして家族を守るため、これからも取り組んでいきます。 令和3年2月20日(土) 島内一周マラソン 島民の方の企画で、島内一周マラソンが実施されました。 日ごろから趣味で走っている方々の輪に入れていただきました。 総員十数名のうち、6名が父基分の隊員でした。 天候もよく絶好のマラソン日和です。 自然と笑顔がこぼれます。 ロケーションも最高です。 先導車も大活躍です。 明日からの活力を得ることができました。これからもがんばるぞ! 令和3年2月3日(水) くにさき艦艇見学(海上からの見学) 四半期に一度の常続補給のため、父島に入港した「くにさき」の艦艇見学を実施しました。コロナ禍でもなにか広報はできないかということで、乗員と接しない形で交通船による艦艇周回を実施しました。 コロナ対策のため、マスク着用、消毒及び検温を実施し、「くにさき」を目指します。 洋上から見るとその大きさが際立ちます。 なんと、スタンゲ―ト(後部門扉)を開放し、艦長をはじめ、乗員及びLCACクルーのみなさんが出迎えてくれました。 マスク越しではありますが、そのおもてなしに喜んでいる笑顔がよくわかります。 他にもサンドレッド投てきの展示、発光信号による「ようこそ」、旗流信号による「WELCOME」そして手旗信号による「いらっしゃいませ」のメッセージも送ってくれました。 父島基地分遣隊としてコロナ感染防止に十分配慮しながら少しでもできることを追求し、「和」を築いていきたいと考えております。 令和2年12月31日(木) 祝成人!千葉壮太郎1士来隊 父島から海上自衛隊に入隊(護衛艦あさぎり所属)し、成人式のため帰島した千葉1士が来隊してくれました。 見るからに好青年です。 隊長、八戸准尉、先任伍長と懇談しました。 終始和やかな感じでしたが、常にピンと伸びた姿勢が印象的でした。(奥で品定めする見守る先任伍長) 隊長から記念品を渡します。 まさかのお土産返しです。 父島の海のようにきれいな心の後輩と対面し、自衛隊の将来も安泰だと感じております。成人おめでとうございます! 千葉壮太郎1士は令和3年1月1日に士長に昇任です。合わせておめでとうございます! 令和2年12月27日(日) 門松制作 今年も残すところあとわずか、年の瀬が押し迫ってきました。新年を迎えるにあたり、警備科八戸准尉の手により門松の制作が行われました。 前日から心をこめて制作した門松の最終的な飾りつけを行います。 ハイクオリティな門松に仕上がってます。 通常は竹を使用しますが、今回はなんと「鉄パイプ」を使用しております。当隊の精強さの一端が感じ取れます。 となりのソテツも飾りつけ。 本年も大変お世話になりました。来年も皆さまにとってよりよい一年でありますように。 令和2年12月24日(木) 一部不在時防火訓練 不測事態対処能力の向上を図るため、当直員を対象に一部不在時防火訓練を実施しました。 激しく燃えています。 火災発生場所等を連呼報告します。 最小の被害に抑えるため、初期消火を実施します。 基地内に火災の状況を示達します。 迅速かつ的確な消火活動により、無事火勢を制圧することができました。 強点、弱点を洗い出すため、しっかりとデブリーフィングを実施し今後に生かします。 皆さまも火の元には十分注意しましょう。メリークリスマス! 令和2年12月18日(金) 令和2年度小笠原管内排出油等防除訓練 海上保安庁小笠原海上保安署主催により、二見港桟橋着岸中の船舶から排出油事故を想定し、排出油による汚染拡大を防止するための訓練が実施されました。 参加機関は、海上自衛隊のほかに、海上保安庁、小笠原支庁、警視庁、小笠原総合事務所(国機関)、小笠原村総務課、環境省、東京電力パワーグリッド(株)、小笠原島漁業協同組合及び小笠原海運(株)と多岐にわたっています。 海上保安庁職員の方から説明を受けます。 オイルフェンスを展張します。 海保「さざんくろす」と当隊ゴムボートも協力します。 各機関が力を合わせて作業を実施します。 決して合同運動会の綱引きではありません。 このきれいな海は私たちの手で守っていきます。 令和2年12月17日(木) 津波対処部署訓練 地震及び津波の発生に備え、津波対処部署訓練を実施しました。 指揮所を設置し、態勢を整えます。 施設保護を実施します。 救難器材等の搬出を行います。 車両の移動を行います。 車両?の移動を行います。 総員の力を結集し、速やかに作業を行い、高台に避難し完了です。 もしもの時に備えて訓練を実施しますが、いつまでも穏やかな海であることを願っています。 令和2年12月14日(月) 常続補給、くにさき艦艇見学 父島基地分遣隊では、四半期に一回輸送艦による常続補給が実施されます。 LCACによって物品が運ばれてきます。 いつものように黙々と働きます。 今回も事故なく終了することができました。(くにさきに戻っていくLCAC) また、夕方から募集対象者に対する艦艇見学を実施しました。 テンションが上がります。(テンションMAXなのは引率の先生かもしれません。) くにさき艦長、先任伍長をはじめ、みなさんとても優しくしてくれます。 入隊希望者はぜひご連絡ください。(広報の模様は写真集をご覧ください。) 令和2年12月11日(金) 交通船下架作業 台風シーズンを迎える前に上架していた交通船の下架作業を行いました。 総員で交通船の移動を行います。 それぞれが与えられた役割を淡々とこなしていきます。 無事に入水完了しました。 みんな安堵の表情を浮かべます。 しかし、異状なしを隊長に報告するその瞬間まで、絶対に気を抜くことはありません。 「無事に終わってよかったね。」「うんそうだね。」(入隊同期の2人) 令和2年12月9日(水) 運動能力測定(11月18、19日にも実施) 海上自衛隊では年に1回運動能力測定を実施することになっています。実施種目は、腕立て伏せ、腹筋(ともに2分間)、懸垂、ソフトボール投げ、走り幅跳び及び3000m走です。 父島基地分遣隊には精鋭が揃ってます。 日ごろから鍛えている私たちにとっては朝めし前です。 朝めし前です・・・ 何はともあれ丈夫な体作りは任務を達成するためには欠かせません。 令和2年11月30日(月) 小笠原中学校職場体験支援 小笠原中学校生徒2名に対し、職場体験支援を行いました。話を聞く姿、いろんなことにチャレンジしているときの真剣な眼差しが印象的でした。 真剣に話を聞く生徒の2人 一生懸命な姿が素敵でした。 敬礼も隊員と遜色なくできるようになりました。 生徒のことが心配だったのか、先生も駆けつけてこられました。でも、消防車の体験搭乗を一番楽しんでいたのは先生かもしれません。 令和2年10月22日(木) 濱江丸今昔物語(操船訓練) 操船訓練を利用して、境浦に座礁している濱江丸の今昔比較写真を撮影しました。今では船体のほとんどが見えなくなっています。 撮影のため境浦へ上陸 濱江丸の昔の状況(返還当時と推定、船体ははっきりと見えている。) 濱江丸の現在の状況(船体はほとんど見えなくなっている。) ※中央は当隊隊長、昔の写真と今の写真に写っている一番右の方は同一人物ではありません。 << 前のページに戻る