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父基分の日常

令和6年11月28日(木)慰問講演会

 落語家の三遊亭律歌(りっか)さんが慰問講演会のため来隊されました。

 三遊亭律歌さんは、2013年からコロナ禍を除き毎年小笠原諸島を訪れ、落語会を開催されているそうです。今回は父島基地分遣隊にもお越しいただきました。

 隊員の半数以上は落語を聞くのは初めてで、落語といえば「笑点」というイメージが強かったのですが、笑いが主眼の噺(はなし)だけでなく、庶民の人情の機微を描き、ほろりとさせる噺もあるそうで、今回はその人情噺の代表作の一つである「子は鎹(かすがい)」という噺をしていただきました。

 酒に溺れ、花魁を連れ込み、妻と一人息子を追い出すようなどうしようもない男が、酒を断ち、心を入れ替え別れた妻と再会するクライマックスでは、子どもの無垢な笑顔が、夫婦の心をほぐしていくさまを情感豊かに描写するその語りは、まるでこの空間に情景がはっきりと浮かび上がってくるほど引き込まれる口演でした。
 中には涙を拭う隊員もいて、まさしく落語家三遊亭律歌さんの世界に魅了されたひと時でした。

 『26歳の決断、IT大手を辞めて落語家になる』三遊亭律歌 落語家(LIFE MEDIA「わたしの決断物語」URL:https://life-media.co.jp/short-story_sanyuteirikka/?p=2352)によれば、落語家は「親の死に目にも遭えない厳しい世界」で、落語家を志すきっかけにもなった日本初の女性真打、三遊亭歌る多(かるた)師匠からは、「落語家なんて、なるもんじゃないよ。」と諭されたそうです。

 それでも落語という世界に飛び込み、厳しい世界でも落語を続けてこられたのは、父との約束があったからだそうです。

 病床の父からの「絶対に真打になれよ。」という言葉を胸に歩み続けて2022年3月、ついに真打に昇進され、父の墓前で「お父さん、私、真打になったよ」と報告することができたそうです。

 扇子と手ぬぐいを使い身振り手振りだけでひとり何役も演じるその高度な話芸は、とても素晴らしく感動を呼ぶものでした。
 しっかりと覚悟を持って積み上げてこられた年月に裏付けされたその所作の一つ一つには、人情噺以上に心を揺さぶられるものがありました。
 三遊亭律歌さん、貴重な体験を本当にありがとうございました。

 それでは最後になぞかけをひとつ。
 落語とかけまして、小笠原に戻ってきた三遊亭律歌さんの心境とときます。その心は・・・
 「どちらもおちつき(オチつき・落ち着き)ます。」
 またのご来島を楽しみにしております。いってらっしゃい! 

令和6年7月13日(土)父島基地分遣隊看板リニューアル

 当隊の庁舎前には父島とボニンブルーに輝く海をモチーフにした看板があります。

 手書きで描かれた味のある看板でした。

 当隊で行われる訓練にはいつも立ち会ってきました。

 また、長年たくさんの隊員を片隅で出迎え、そして見送ってきました。

 しかし、そんな看板もこの父島の強い日差しと雨風にさらされ続け、色あせ、佇む姿はもうとっくに限界を超えているようでした。

 !!!

 濃く青くよみがえったボニンブルーの真ん中に生命力溢れる太陽と躍動感のあるクジラが描かれたこの作品は、ヘナアーティストの瀧千智(たきちさと)さんの手によるものです。瀧千智(たきちさと)さんが当隊隊員と顔見知りというだけで、描いていただきました。

 瀧千智(たきちさと)さんは、静岡県富士市出身で、2012年ヘナアートに魅了され、インドのデリーでゲストハウスを経営しながらヘナアートを学ばれたそうです。ヘナアートの持つ“幸運”をもたらす力や“縁起の良い”というエネルギーを、ご本人の持つ想像力と即興性を加え、生命力のある“幸せを呼ぶアート”を描いておられます。
 また、2016年8月東京日本橋人形町にヘナアートとインド雑貨とカフェの店【Chiinii】をオープンされたそうです。

 この先また何十年、この看板が数々の訓練に立会い、たくさんの出会いと旅立ちを見守ってくれることでしょう。
 瀧千智(たきちさと)さん、本当にありがとうございました。みなさまも父島に来島された際はぜひ見学にお越しください。お待ちしております。

令和6年6月22日(土)返還祭、28日(金)開隊記念行事

 小笠原諸島の日本復帰を記念した父島返還祭が行われました。

 戦後米軍の占領下に置かれた小笠原諸島は、昭和21年、欧米系の島民に限り帰島を許されましたが、他の大多数の島民は故郷への帰島は許されず、慣れない土地での苦しい生活を強いられました。
 昭和43年6月、小笠原諸島は日本に復帰し、島民の帰島がようやくかなうことになりました。返還までの空白期間は実に23年にもおよびます。

 返還から半世紀あまりが経過した返還祭でのステージイベントからは、返還の喜びと、この島を愛する心がとても伝わってきます。

 当隊からも隊長、先任伍長をはじめ、総勢5名の隊員が出演し大いに盛り上がりました。

 また、28日(金)には開隊記念行事を行いました。

 この父島基地分遣隊は小笠原諸島返還と同じ日に開隊し、以降島民のみなさまとともに歩んできました。

 私たちは先輩方の意思を受け継ぎ、我が国の防衛及び世界の平和と安定への思いを新たにし、使命達成にまい進することを固く誓います。

 当隊隊長の指導方針である「協調」「明朗」を旗印に、織り上げられた一枚の布のごとく、上下左右が互いに日々支えあい、相互の信頼と連帯感で結ばれた、強固な団結を誇る部隊を築いてまいります。

 今後も島民のみなさまの支えとなるよう、一体感をもって活動してまいります。これからも私たち父島基地分遣隊をよろしくお願いします。

令和6年6月3日(月)海ごみゼロウィーク

 海洋ごみ問題の周知啓発や海洋ごみの流出削減のため「海ごみゼロ」を合言葉に全国一斉清掃キャンペーンが開催されました。

 海に流出するごみの約8割は陸(街)由来とされ、一度海に流出したごみを回収することは困難となります。その中でもプラスチックごみは分解されずそのままの形で海に流れ着きマイクロプラスチックに変わります。そのマイクロプラスチックを間違って食べ、海洋生物が命を落とす状況にもつながっています。この活動は、海洋ごみ問題の周知啓発とともに、海洋ごみの流出を少しでも防ぐことを目的としています。

 当隊も甲板士官指揮の下、基地の眼前に広がる大村海岸の清掃活動を実施しました。

 自衛隊の十八番とも言えるローラー作戦を実施し清掃に当たります。

 どんな小さなごみも見逃しません。

 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けるんだよ。」

 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けなきゃ。」

 「隊長、100円落ちてないすかね?」「拾ったら届けないとな。」

 「分隊長、私100円落としたかもしれないです。」「諦めろ。」

 ひとりひとりの力は小さなものかもしれませんが、みんなで協調し、同じ目標に向かって取り組めば、それは大きな力になると信じています。
 これからも地域社会に貢献できるよう努めてまいります。

令和6年1月12日(金)プロフェッショナル 父基分の流儀 ~ピンチの中で見つけた思い~

 この父島基地分遣隊には全国各地から精鋭たちが集まっています。

 30名に満たない少数部隊ではありますが、比較的ベテランの隊員が多く、入隊時に振り分けられた職種に長年従事しており研鑽を積んでいます。特に給養員に関しては、海上自衛隊において食事はその味によって部隊の雰囲気が左右されるほど重要なものとなっており、卓越した技能が求められます。当隊には給養員が2名所属しており、どちらも申し分ない腕の持ち主です。

 そんな給養員が諸事情により数日不在になる事態が発生しました。すぐさま緊急対策会議が開かれ、不在の間食事をどうするか話し合われました。
 「毎日仕出し弁当か?」「缶飯じゃないか?」「ひょっとして、自分でなんとかしないといけないのか!?」
 隊員の間に不安が広がり部隊が混とんとします。

 そんな中立ち上がった一人の漢(おとこ)がいました。
 平成2年に入隊し2等海士から1等海尉まで登り詰めた当隊先任幹部である総務科長阿部1尉です。
 自衛隊生活30余年、数々の修羅場をくぐり抜け、補給員という職種でありながら、業務の合間を縫って調理作業に十数年従事し腕を磨いてきました。調理師、船舶料理士の資格も保有しています。

 弟子も引き連れています。

 その包丁さばきはまるで職人です。自分の職種ではないにも関わらず、これまで勤務した部隊の隊員に喜んでもらえるようにどれだけ真剣に取り組んできたかがわかります。その思いは隊員にも伝わっており、若い隊員がしみじみと「美味い・・・」と言葉を発していました。
 部隊の根幹すら揺るがしかねないこの一大事を乗り越えることができました。

 日々を過ごしていく中で、無駄なことや必要ないと思えることはたくさんあります。タイパ(タイムパフォーマンス)、コスパ(コストパフォーマンス)という価値観が重視されつつあるこの時代であればなおさらでしょう。
 しかし、今回のように一見無駄だと思われがちな自分の職種とは別の業務に取り組んだ経験がこの部隊のピンチを救ったことも事実です。そこには、間違いなく真剣に愚直に向き合ってきた年月と、みんなを喜ばせたいという思いがありました。
 そして、当たり前のことが当たり前ではないということに気づくこともできました。

 多忙な中、おいしい食事を作ってくれた総務科長と弟子の小山田3曹、ありがとうございました。
 最後に総務科長に聞いてみました。総務科長にとってプロフェッショナルとは?
 総務科長「成果を出すこと。24時間働けること。」
 弟子「さすが師匠、コメントもプロフェッショナルですな。では昼寝します。」
 弟子が師匠の偉大さに気付くのはもう少し先のようです。

令和5年12月7日(木)横須賀地方総監初度巡視

 令和5年8月29日に着任された横須賀地方総監、伊藤海将の巡視を受閲しました。

 こんにちは。お待ちしておりました、ようこそ父島へ。

 何事にも一所懸命なこの父島基地分遣隊の現状を隅々までご視察ください。

 この基地の先導は先任伍長にお任せください。基地内の整備は確実に実施しており、隊員の士気はこの上なく高いです。

 予定にはありませんでしたが、基地内の海軍父島航空隊壕跡の慰霊碑を目にされた総監は何か会話するように手を合わせておられました。

 初度巡視中、時間を設けて隊員との懇談も実施していただきました。

 訓示では、総員の顔がよりはっきりと見えるよう密集隊形となりました。

 私は勤務方針として「伝統の継承」、 そして「変化への挑戦」の2点を諸官に示します。「伝統の継承」は、良き伝統を継承し、より良い組織、つまり、より素晴らしい海上自衛隊を後進に繋ぐということです。「伝統の継承」というと、伝統にしがみつく、いわゆる「伝統墨守」と捉える人がいますが、現状に甘んじていてはより良い組織を構築することなど叶いません。変化を先取りし、我を適合させる、つまり「変化への挑戦」と「伝統の継承」を表裏一体の形で成し続けることが海上自衛隊をさらに大きく飛躍させる鍵となるのです。
 共に勤務する上司、先輩、同僚、部下、後輩一人ひとりを大事にし、「あいさつ」を横串、「敬礼」を縦串として、隊員諸官とともに日々額に汗していくことを誓いたい。そのように強く感じています。よろしく頼みます。

 総監、お任せください。この南の地の防衛は私たちが一所懸命努めさせていただきます。

 総監そして島民の皆さまがいつまでも笑顔でいれることをお約束します。

令和5年11月2日(木)~4日(土)大神山神社例大祭

 3日間にわたりこの島で最も大きなイベントである、大神山神社例大祭が行われました。

 令和元年以来4年ぶりの開催に気合が入ります。

 初日は奉納相撲が行われました。

 父基分からも先任伍長をはじめ、精鋭たちが参加しました。

 普段とは違う闘う表情にみんな熱くなります。

 休憩中は硫黄島からはるばるやってきた、硫黄島航空基地隊で編成された硫黄島ちどりが会場を盛り上げました。

 2日目は神輿巡業が行われました。天気は快晴、絶好の祭日和となりました。

 開始直後から熱気に包まれます。おそらく日本で一番暑い、熱い11月なのではないでしょうか。

 代わる代わる神輿を担ぎ、島内を練り歩きます。喜びが爆発します。

 日も暮れてきたころ、神輿の提灯に灯りがともされ神輿巡業はいよいよクライマックスを迎えます。

 大神山神社までの階段を登り、最後の宮入りを迎える直前急に大雨が降ってきました。ひょっとしたら、辛かったコロナ禍を乗り越え、島が一つになったこの瞬間を喜んでいる神様のうれし涙だったのかもしれません。

 三本締めのあと、みんなの笑顔と大きな拍手で神輿巡業は幕を閉じました。またいつかコロナ禍のような、目に見えない脅威に襲われることがあるかもしれません。しかし、みんなで担いだこの神輿を思い出せば、どんな困難なことであっても乗り越えていけそうな気がします。地道に自分のできることをコツコツ積み重ねていけばいつか必ず良かったと思えるときが訪れる、そう思わせてくれる瞬間でした。これからもこの島のため、一所懸命、為すべきことを為せるよう日々精進してまいります。

 演芸大会も最高だったよ!

令和4年9月20日(火)感謝状の贈呈(急患搬送1000回)

 小笠原村(父島、母島、硫黄島、南鳥島)で緊急患者が発生した場合、1968(昭和43)年の小笠原諸島返還から東京都知事の要請に基づき、海上自衛隊が航空機で緊急患者を内地に搬送しています。父島への公共交通機関は、週1便のおがさわら丸しかありません。

 急患搬送が1000回を超えたことから、その功績に対して、小笠原村村長、村議会議長から感謝状を頂きました。

 父島基地分遣隊の隊員は常に即時即応の態勢をとっています。急患が発生した時には、昼夜や天候を問わず迅速に急患搬送を実施します。

 夜間の急患搬送の飛行要務は視界が悪くてとても危険です。過去事例ではヘリが墜落して搭乗員が死亡するケースもありました。
 危険な任務ですが、離島という特殊な環境で国民の命が危険な状態だからこそ、私たちも決死の覚悟で任務を遂行しています。

 この場をお借りしまして、平素から父島基地分遣隊に対して温かいご理解とご支援を賜っております、小笠原村の島々の皆様、関係公共団体や各自衛隊関係者の皆様に対して改めて厚く御礼を申し上げます。 父島基地分遣隊はこれからも部隊の精強・即応の維持に務め、島々の皆様に信頼され頼りにされる存在であるべく、職務に精励して参ります。

令和4年8月29日(月)台風11号襲来

 8月の観測史上で最も強い暴風となった台風は父島で猛威を振るいました。

 最大瞬間風速48.4m/sを観測しました。
 40m/s:何かにつかまっていないと立っていられない状態。50m/s:電柱や街灯、住家自体が倒壊するものがある。

 折れた木の枝が大量に散らばっているため、一か所に集積します。

 今年の4月中旬にも台風被害が発生しましたが、被害はその時以上でした。
 木の枝が大きい物はトラックに積めないので、のこぎり等で適度な大きさにカットします。

 テニスコートの支柱は傾き、雨戸も風で飛ばされたり、折れ曲がっています。台風が近づいている時は屋内でもできるだけ窓から離れるようにしましょう。

 百葉箱が倒れました。お隣の気象庁は大丈夫だったんでしょうか?

 鉄製のドアも吹き飛ばされています。今回の台風の威力を物語っています。

 今回は幸いにも父島では大きな被害はありませんでした。私たちは昔から数多くの災害、自然の恐ろしさを体験してきました。しかし、時間とともに被災の記憶は薄れがちです。過去の教訓から学び、災害の記憶を風化させないために、災害の経験や教訓を伝えて未来へつないでいきましょう。

令和4年7月5日(火)~7月22日(金)酷暑訓練

 酷暑における体力の向上を図るとともに、基礎体力の練成を目的に水泳訓練を実施しました。

 我々、海上自衛官は船乗りである以上、泳ぐことは必然であり定期的に水泳能力測定もあります。
 父島基地分遣隊の目の前には偶然にもボニンブルーの海があるのでここで訓練を実施します。

 訓練中はカヤックに隊員が2名乗艇し、警戒及び救護に当たります。

 しっかり準備運動をおこない、2名以上のバディを組みます。リラックスしてますね、表情に余裕があります。

 いよいよ、訓練開始です。

 さあ、今日も泳ぐぞー!やる気十分です。

 自分のペースだけでは泳ぎません。バディに何かあった時にすぐに気づけるように隊列を組みお互いのことを気にしながら泳ぎます。

 時には、声を掛け合い、励まし合いながら泳ぎます。「おーい、大丈夫かー!」

 大丈夫みたいですね・・・。

 海上自衛隊の訓練の中で「遠泳」がありますが、最大約6~7時間泳ぎ続けます(昼食休憩等を含みます) 私は入隊前は水泳が苦手でしたが、日々の訓練で遠泳も泳げるようになりました。でも、ここまで泳げるようになったのは「仲間」がいたからだということに気づきました。ひとりではできないことも仲間と一緒なら、どんな困難も乗り越えられるということを訓練で学びました。 「一致団結」これからも力を合わせて乗り越えて行きましょう。

令和4年5月30日(月)横須賀地方隊総合訓練(防災)

 本日は、派遣部隊の編成及び災害派遣時に使用する器材の確認を行うとともに、同機材の操法等を演練し、父島基地分遣隊の災害対処能力の維持・向上を図る訓練を実施します。

 訓練内容の一部を紹介します。

 器材その1 レスキューキッチン(約100食分の米をわずか20分で炊き上げることができます。)
野外調理器による炊飯訓練を実施します。本日の隊員の食事分を炊きますが、失敗すれば食事はありません。隊員に緊張が走ります。

 火が出過ぎではないでしょうか・・・?(初期作動では火を多く出すため問題なし)。操作要領等を1つずつ確認しながら実施します。

 総員が繰り返し器材操法の演練を実施します。お米をセット完了し、約20分間待ちます。お米は問題なく炊くことが出来ました。

 器材その2 バルーン投光機(灯具(ランプ)、マスト、台車及び発電機で構成されており、発電機始動により灯具(ランプ)を点灯させることができます。)続いて、バルーン投光機です。警備科員による操法展示を見学し、作動法等を再確認します。

 バルーン投光機も総員が器材操法の演練を実施しました。

 災害用機器を習熟することにより、父島基地分遣隊としての災害派遣対応能力及び総合対処能力の向上を図ることができました。いざという時に不測の事態に即応できるように常日頃から準備し、備えておくことが大切です。今後も訓練を実施し練度を維持・向上していきます。

令和4年1月13日(木)~15日(土)すべり整備

 横須賀水中処分隊の支援を得て、「すべり整備」を実施しました。

 すべり整備とは?

 すべりとは(US-2(飛行艇)及びLCAC(ホーバークラフト型の輸送艇))が海面から陸上に揚陸する場所。付着物及び堆積物(砂、泥、鉱物、生物遺骸等が積み重なったもの)の除去、清掃を行うことを「すべり整備」といいます。

 海が荒れればこのような状態になり、任務に支障が生じます。

 父島基地分遣隊員で定期的にすべり整備を実施していますが、水中部分の付着物等の除去作業については、横須賀水中処分隊の潜水作業の協力を得て実施しています。除去作業には金づち等を使用します。

 この日は天候も悪く、水温も低い日でした。父島の海でも冬は寒い!

 「すべり整備」は表には見えにくい作業ですが、船が揚陸できるのも整備している方々のお陰なんですね。隊員一人一人が「為すべきことを為す」ことにより、事故なく安全に任務を遂行することができます。どんな些細な仕事でも重要な役割を担っているため気を抜くことはできません。

 寒い季節に天候の悪い状況の中、すべり整備作業のご協力ありがとうございました。父島でおいしい食事を食べて、おいしいお酒を飲んで父島を満喫していって下さい。そしてまたぜひ父島に来て下さい!※夏に来たら内地に帰りたくなくなりますのでご注意下さい

令和3年6月28日(月)、7月16日(金)、9月8日(水)、24日(金)学校訪問

 小笠原小、中、高校及び母島小、中学校をそれぞれ訪問しました。

 砕氷艦「しらせ」の機関長として、2度の南極地域観測協力を経験した当隊隊長が授業の一環で南極及び「しらせ」について講話を実施しました。

 この中に訪れたことがある人はおそらくいないであろう南極の話に興味津々です。

 授業が終わったあとも、目をキラキラさせながら隊長に直接質問している姿が印象的でした。

 もちろん「南極の氷」も持参しています。

 雪さえ見る機会のない小笠原諸島で体験した「南極の氷」は生徒たちにはどう映ったのでしょうか。

 小笠原中学校の校長先生はずっと「この氷でロックを~、ロックを~」と言われてました。
 大人になるということはいろんなことを経験していくのです。

 生徒のみなさん、当隊隊長が実施した講話の時間は、みなさんの人生においてはほんの一瞬に過ぎません。しかしこの一瞬でも世界は広く、壮大だということは十分伝わったのではないでしょうか。将来、みなさんがその世界に飛び立ち、可能性にチャレンジしていく姿を楽しみにしています。

 どれだけ時間がかかってもいいんです。あなたが成長し大人になってまた戻ってきたとき、チャレンジした世界の話を聞かせてください。そのときは一杯酌み交わしましょう。「最高の氷」を準備しておきます。
 もちろん、校長先生といっしょに。

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所在地 27-09N 142-19E