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父基分の日常

令和7年2月20日(木)父島基地分遣隊について

 二見港から徒歩で8分、メインストリートを一直線に西に進んだところに当隊はあります。

 ここ父島基地分遣隊は素晴らしい部隊です。

 透き通るような青空と眼前に広がるボニンブルーの光り輝く海を見ながら日々を送ることができます。

 時にはアオウミガメがやってきて、基地でくつろいでいきます。

 ダイビングや戦跡ツアーなど見どころ満載でプライベートも充実しています。

 しかし、ひとたび訓練になると雰囲気が変わります。

 普段の姿からは想像もできないほど真剣に訓練に取り組むには理由があります。

 私たちは、病院のないこの島で、急患輸送を支援する任務を担っています。 まさしく命綱となるこの任務を継続して達成していくために、総員が同じ目的を持ち、自分の持ち場を守っています。

 ある著名人の方が陸上自衛隊高等工科学校の1日学校長を務められた際、隊員に対し次の言葉を贈られました。
 「みなさんが1滴汗を流すと、誰かが流す涙が1滴減ると思います。
 みなさんがたくさん汗を流してくださるので、我々は涙を流さずに済んでおります。
 我々の未来から悲しみを取り除いてくださって、本当にありがとうございます。感謝しています。頑張ってください。」
 (沸騰ワード10より引用)

 ありがとうございます。そのお心遣いに感謝し、期待にお応えできるようより一層真剣に訓練に臨みます。
 私たちはこれからも、こつこつと努力を重ね、ひとつひとつ苦難を乗り越え、この島の「和」を築けるよう精進していきます。

 他人に対して深い思いやりを持ち、この島の自然、島民、文化、歴史すべてを愛おしく感じ、小笠原諸島全ての島を愛していきます。

 「協調」と「明朗」を常に意識し、 織り上げられた一枚の布のごとく、 上下左右が互いに日々支えあい、相互の信頼と連帯感で結ばれた、強固な団結を誇る部隊を築きあげていきます。

 そして島を離れるその時に、「人生最高の、一瞬だった。」と胸を張って旅立ちます。

 感動は終わらず、いつまでも続くことでしょう。
 父島基地分遣隊はとても素晴らしい部隊です。皆さんのご来隊をお待ちしております。

令和6年11月28日(木)慰問講演会

 落語家の三遊亭律歌(りっか)さんが慰問講演会のため来隊されました。

 三遊亭律歌さんは、2013年からコロナ禍を除き毎年小笠原諸島を訪れ、落語会を開催されているそうです。今回は父島基地分遣隊にもお越しいただきました。

 隊員の半数以上は落語を聞くのは初めてで、落語といえば「笑点」というイメージが強かったのですが、笑いが主眼の噺(はなし)だけでなく、庶民の人情の機微を描き、ほろりとさせる噺もあるそうで、今回はその人情噺の代表作の一つである「子は鎹(かすがい)」という噺をしていただきました。

 酒に溺れ、花魁を連れ込み、妻と一人息子を追い出すようなどうしようもない男が、酒を断ち、心を入れ替え別れた妻と再会するクライマックスでは、子どもの無垢な笑顔が、夫婦の心をほぐしていくさまを情感豊かに描写するその語りは、まるでこの空間に情景がはっきりと浮かび上がってくるほど引き込まれる口演でした。
 中には涙を拭う隊員もいて、まさしく落語家三遊亭律歌さんの世界に魅了されたひと時でした。

 『26歳の決断、IT大手を辞めて落語家になる』三遊亭律歌 落語家(LIFE MEDIA「わたしの決断物語」URL:https://life-media.co.jp/short-story_sanyuteirikka/?p=2352)によれば、落語家は「親の死に目にも遭えない厳しい世界」で、落語家を志すきっかけにもなった日本初の女性真打、三遊亭歌る多(かるた)師匠からは、「落語家なんて、なるもんじゃないよ。」と諭されたそうです。

 それでも落語という世界に飛び込み、厳しい世界でも落語を続けてこられたのは、父との約束があったからだそうです。

 病床の父からの「絶対に真打になれよ。」という言葉を胸に歩み続けて2022年3月、ついに真打に昇進され、父の墓前で「お父さん、私、真打になったよ」と報告することができたそうです。

 扇子と手ぬぐいを使い身振り手振りだけでひとり何役も演じるその高度な話芸は、とても素晴らしく感動を呼ぶものでした。
 しっかりと覚悟を持って積み上げてこられた年月に裏付けされたその所作の一つ一つには、人情噺以上に心を揺さぶられるものがありました。
 三遊亭律歌さん、貴重な体験を本当にありがとうございました。

 それでは最後になぞかけをひとつ。
 落語とかけまして、小笠原に戻ってきた三遊亭律歌さんの心境とときます。その心は・・・
 「どちらもおちつき(オチつき・落ち着き)ます。」
 またのご来島を楽しみにしております。いってらっしゃい! 

令和6年7月13日(土)父島基地分遣隊看板リニューアル

 当隊の庁舎前には父島とボニンブルーに輝く海をモチーフにした看板があります。

 手書きで描かれた味のある看板でした。

 当隊で行われる訓練にはいつも立ち会ってきました。

 また、長年たくさんの隊員を片隅で出迎え、そして見送ってきました。

 しかし、そんな看板もこの父島の強い日差しと雨風にさらされ続け、色あせ、佇む姿はもうとっくに限界を超えているようでした。

 !!!

 濃く青くよみがえったボニンブルーの真ん中に生命力溢れる太陽と躍動感のあるクジラが描かれたこの作品は、ヘナアーティストの瀧千智(たきちさと)さんの手によるものです。瀧千智(たきちさと)さんが当隊隊員と顔見知りというだけで、描いていただきました。

 瀧千智(たきちさと)さんは、静岡県富士市出身で、2012年ヘナアートに魅了され、インドのデリーでゲストハウスを経営しながらヘナアートを学ばれたそうです。ヘナアートの持つ“幸運”をもたらす力や“縁起の良い”というエネルギーを、ご本人の持つ想像力と即興性を加え、生命力のある“幸せを呼ぶアート”を描いておられます。
 また、2016年8月東京日本橋人形町にヘナアートとインド雑貨とカフェの店【Chiinii】をオープンされたそうです。

 この先また何十年、この看板が数々の訓練に立会い、たくさんの出会いと旅立ちを見守ってくれることでしょう。
 瀧千智(たきちさと)さん、本当にありがとうございました。みなさまも父島に来島された際はぜひ見学にお越しください。お待ちしております。

令和6年6月22日(土)返還祭、28日(金)開隊記念行事

 小笠原諸島の日本復帰を記念した父島返還祭が行われました。

 戦後米軍の占領下に置かれた小笠原諸島は、昭和21年、欧米系の島民に限り帰島を許されましたが、他の大多数の島民は故郷への帰島は許されず、慣れない土地での苦しい生活を強いられました。
 昭和43年6月、小笠原諸島は日本に復帰し、島民の帰島がようやくかなうことになりました。返還までの空白期間は実に23年にもおよびます。

 返還から半世紀あまりが経過した返還祭でのステージイベントからは、返還の喜びと、この島を愛する心がとても伝わってきます。

 当隊からも隊長、先任伍長をはじめ、総勢5名の隊員が出演し大いに盛り上がりました。

 また、28日(金)には開隊記念行事を行いました。

 この父島基地分遣隊は小笠原諸島返還と同じ日に開隊し、以降島民のみなさまとともに歩んできました。

 私たちは先輩方の意思を受け継ぎ、我が国の防衛及び世界の平和と安定への思いを新たにし、使命達成にまい進することを固く誓います。

 当隊隊長の指導方針である「協調」「明朗」を旗印に、織り上げられた一枚の布のごとく、上下左右が互いに日々支えあい、相互の信頼と連帯感で結ばれた、強固な団結を誇る部隊を築いてまいります。

 今後も島民のみなさまの支えとなるよう、一体感をもって活動してまいります。これからも私たち父島基地分遣隊をよろしくお願いします。

令和6年6月3日(月)海ごみゼロウィーク

 海洋ごみ問題の周知啓発や海洋ごみの流出削減のため「海ごみゼロ」を合言葉に全国一斉清掃キャンペーンが開催されました。

 海に流出するごみの約8割は陸(街)由来とされ、一度海に流出したごみを回収することは困難となります。その中でもプラスチックごみは分解されずそのままの形で海に流れ着きマイクロプラスチックに変わります。そのマイクロプラスチックを間違って食べ、海洋生物が命を落とす状況にもつながっています。この活動は、海洋ごみ問題の周知啓発とともに、海洋ごみの流出を少しでも防ぐことを目的としています。

 当隊も甲板士官指揮の下、基地の眼前に広がる大村海岸の清掃活動を実施しました。

 自衛隊の十八番とも言えるローラー作戦を実施し清掃に当たります。

 どんな小さなごみも見逃しません。

 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けるんだよ。」

 「あ、100円見っけ。」「ちゃんと届けなきゃ。」

 「隊長、100円落ちてないすかね?」「拾ったら届けないとな。」

 「分隊長、私100円落としたかもしれないです。」「諦めろ。」

 ひとりひとりの力は小さなものかもしれませんが、みんなで協調し、同じ目標に向かって取り組めば、それは大きな力になると信じています。
 これからも地域社会に貢献できるよう努めてまいります。

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