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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 海洋をめぐる動向

わが国は、四方を海に囲まれた海洋国家であり、エネルギー資源の輸入を海上輸送に依存していることから、海上交通の安全確保は国家存立のために死活的に重要な課題である。また、国際社会にとっても、国際的な物流を支える基盤としての海洋の安定的な利用の確保は、重要な課題であると認識されている。

一方、海洋においては、既存の国際秩序とは相容れない独自の主張に基づいて自国の権利を一方的に主張し、または行動する事例がみられ、「公海自由の原則」が不当に侵害される状況が生じている。また、中東地域における船舶を対象とした攻撃事案などや、各地で発生している海賊行為は、海上交通に対する脅威となっている。さらに、近年では、北極圏における軍事活動の活発化や、バルト海や台湾周辺海域における海底ケーブルの損傷事案の発生など、海洋をめぐる新たな課題が生じている。

1 「公海自由の原則」などをめぐる動向

国連海洋法条約1(UNCLOS:United Nations Convention on the Law of the Sea)は、公海における航行の自由や上空飛行の自由の原則を定めている。しかし、わが国周辺、特に東シナ海や南シナ海をはじめとする海空域などにおいては、中国が既存の国際秩序とは相容れない主張に基づき、自国の権利を一方的に主張し、または行動する事例が多くみられるようになっており、これらの原則が不当に侵害されるような状況が生じている。また、北朝鮮による、日本海や太平洋への度重なる弾道ミサイル発射や、衛星打ち上げを目的とする弾道ミサイル技術を使用した発射は、関連する国連安保理決議に違反することはもとより、航空機や船舶の安全確保の観点からも問題となりうるなど、わが国や地域、国際社会の平和と安全を脅かすものである。

参照3章2節2項6(海空域における活動)3章4節1項3(大量破壊兵器・ミサイル戦力)

こうした海洋や空の安定的利用の確保に対するリスクとなるような行動事例が多数みられる一方で、近年、海洋や空における不測の事態を回避・防止するための取組も進展している。

多国間の取組として、西太平洋海軍シンポジウム(WPNS:Western Pacific Naval Symposium)参加国海軍間における、各国海軍の艦艇や航空機が予期せず遭遇した際の行動基準(安全のための手順や通信方法など)を定めた「洋上で不慮の遭遇をした場合の行動基準2(CUES:Code for Unplanned Encounters at Sea)」について一致しているほか、ASEANと中国との間では、「南シナ海に関する行動規範(COC:Code of the Conduct of Parties in the South China Sea)」の策定に向けた公式協議が継続している。

こうした、海洋や空における不測の事態を回避・防止するための取組が、既存の国際秩序を補完し、今後、中国を含む関係各国は緊張を高める一方的な行動を慎み、法の支配の原則に基づき行動することが強く期待されている。

参照III部3章1節2項14(中国)

2 海洋安全保障をめぐる各国の取組
(1)中東地域における海洋安全保障

2019年5月以降、中東の海域では、民間船舶の航行の安全に影響を及ぼす事象が散発的に発生している。

こうしたなか、各国は地域における海洋の安全を守るための取組を継続している。例えば、米国は2019年7月、海洋安全保障イニシアティブを提唱した後、国際海洋安全保障構成体(IMSC:International Maritime Security Construct)を設立した。IMSCには、米国を含む12か国が参加している(2026年3月現在)。

2023年10月にイスラエルとパレスチナ武装勢力の衝突が始まった後、ホーシー派はガザの人々との連帯を主張し、同年11月以降、紅海やアデン湾において、民間船舶への攻撃などを行った。同月19日には、わが国関係船舶が拿捕される事案も発生している。なお、同船舶の乗組員は2025年1月に解放されている。

こうしたことを受け、2023年12月、米国は、紅海からアデン湾にかけての海洋安全保障と能力構築のための活動を任務とする第153連合任務群の傘下に多国籍安全保障作戦である「繁栄の守護者作戦(OPG:Operation Prosperity Guardian)」を立ち上げ、紅海、アデン湾における巡回任務などを行うと発表したほか、EUも2024年2月、攻撃対象となった船舶を保護する防御的な海洋安全保障作戦である「アスピデス作戦」を開始した。

2025年10月のイスラエルとハマス間の停戦以降、ホーシー派による船舶への攻撃は確認されていないものの、わが国としては、中東地域情勢をめぐる動向を引き続き注視していく必要がある。

参照3章10節(中東・アフリカ)

(2)海賊

各地で発生している海賊行為は、海上交通に対する脅威となっている。近年の全世界の海賊・海上武装強盗事案(以下「海賊事案」という。)発生件数3は、2010年の445件をピークに減少傾向にある(2025年は137件)。

これはソマリア沖・アデン湾の海賊事案発生件数の減少に大きく依拠している。ソマリア沖・アデン湾における海賊事案発生件数については2008年から急増し、2011年には237件と全世界の発生件数の半数以上を占め、船舶航行の安全に対する脅威として大きな国際的関心を集めた。近年は、わが国を含む国際社会の様々な取組の結果、ソマリア沖・アデン湾における海賊事案の発生件数はピーク時に比べ低い水準で推移しているものの、国際商業会議所(ICC:International Chamber of Commerce)国際海事局(IMB:International Maritime Bureau)によれば、2023年12月には、2017年以来となる商船の乗っ取り事案が発生した。その後も、2024年に3件、2025年にも3件の乗っ取り事案が引き続き発生しており、依然予断を許さない状況となっている。ソマリア国内の不安定な治安や貧困といった海賊を生み出す根本的な原因はいまだ解決しておらず、海賊による脅威は引き続き存在している。かかる現状を踏まえれば、国際社会による継続した取組をより一層強化しなければ、海賊行為がさらに活発化するおそれがある。

参照III部1章1節2項7(シーレーンの安定的利用を確保するための取組)

ソマリア沖・アデン湾における国際的な海賊対処の取組としては、まず、バーレーンに本部を置く米軍主導の連合海上部隊4が設置した多国籍部隊である、第151連合任務群による海賊対処活動があげられ、ゾーンディフェンスなどによる海賊対処活動を実施している。また、EUは、2008年12月から海賊対処活動「アタランタ作戦」を行っている。この作戦は、各国から派遣された艦艇や航空機が船舶の護衛やソマリア沖における監視などを行うもので、2027年2月末まで実施することが決定されている。

またアフリカでは、ギニア湾において海賊事案が発生(2025年は24件)しており、国際社会はアフリカにおける海賊などの問題への取組を継続している。

東南アジア海域における2025年の海賊事案発生件数は95件であった。特に、2019年以降はシンガポール海峡における事案が増加しており、2025年は、2024年の43件から増加し80件発生した。備品の窃盗といった軽微な事案が多いものの、世界で報告された海賊事案件数の約6割を占めるに至っている。

3 北極海・北極圏をめぐる動向

北極海では、近年、海氷の減少にともない、北極海航路の利活用や資源開発などに向けた動きが活発化している。カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国の8か国からなる北極圏国は1996年、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題についての協力などの促進を目的とし、北極評議会を設立した5

安全保障の観点からは、北極海は従来、戦略核戦力の展開または通過海域であったが、近年の海氷の減少により、艦艇の航行が可能な期間や海域が拡大しており、将来的には、海上戦力の展開や、軍の海上輸送力などを用いた軍事力の機動展開に使用されることが考えられる。こうしたなか、軍事力の新たな配置などを進める動きもみられる。

ロシアは、2022年7月に発表した海洋ドクトリンでは、北極海を死活的に重要な海域に位置づけるなど、北極圏における国益擁護のための体制の構築を推進しており、各種政策文書において、北極圏におけるロシアの権益やロシア軍の役割を明文化している。また、北極圏沿岸部にレーダー監視網の整備を進めているほか、飛行場の再建や地対空・地対艦ミサイルの配備が進められている。なお、ロシアは、保有する砕氷船の数においても、世界で最も多い国であり、唯一、原子力砕氷船を運用する国でもある。活動面では、北洋艦隊が訓練の一環として北極遠征を2012年から毎年実施している6

参照3章5節3項5(ロシア軍の動向(全般))

米国は、アラスカ州に軍事基地を有するほか、グリーンランドにピツフィク宇宙軍基地(2023年4月、トゥーレ空軍基地から改名)を有している。2024年7月に公表した「北極圏戦略2024」において、米国は同盟国やパートナーと協力し、北極圏を安定した地域として維持し、米国本土の安全と重要な国益を守るとの最終目標を追求するとしている。また、トランプ大統領は北極圏における安全保障などを理由としてデンマークの自治領であるグリーンランドを、米国が保有すべきとの認識を示した。活動面では、2024年3月に、北極圏における潜水艦運用に関する演習「オペレーション・アイスキャンプ2024」(旧演習名「アイスエックス」)を実施し、カナダ海・空軍、フランス海軍、英国海軍、豪海軍が参加している。また、カナダ、フィンランドと協力し、砕氷船を新造する計画を発表している。

北極圏国以外では、日本、中国、韓国、英国、ドイツ、フランスなどを含む13か国が北極評議会のオブザーバー資格を有している。中国は、北極海に対して積極的に関与する姿勢を示しており、科学調査活動7や商業活動を足がかりにして、北極海において軍事活動を含むプレゼンスを拡大させる可能性も指摘されている8

また、北極海における中国とロシアの連携は増加している。中露は2024年5月の首脳会談における共同声明において、北極海航路に関する協力強化を表明した。その後、同年7月には中露の爆撃機4機がチュコト海、ベーリング海、太平洋北部で共同飛行を実施した。また同年9月から10月には、中国海警局とロシア連邦保安庁国境局の船舶が日本海から北極海にかけて共同航行を実施した。加えて、2025年11月に両国が第30回中露定期首相会談において署名した共同声明においては、極地船および技術の創出、北極海航路の船舶運用にかかる人材育成および北極海航路の貨物輸送量の増加にかかるコミットメントを確認しており、特に北極海航路における協力を進めている。米国防省公表「北極圏戦略2024」の中では、中国はロシアとの協力を推進することで北極圏でのプレゼンスを拡大させる可能性も指摘されているほか、中露間には依然として大きな意見の相違が存在しているものの、この地域における両国の連携強化は懸念事項とし、北極圏での共同演習を含む中露軍事協力は増加の一途をたどっていると指摘されている。

一方、北極圏の欧州諸国でも独自の取組が開始されている。自治領であるグリーンランドを抱えるデンマークは、激しさが増している安全保障情勢に対応するためとして、2025年、監視能力強化のため長距離ドローンや新たな哨戒艇の調達、プレゼンスの強化といった北極圏および北大西洋の防衛強化策を発表した。活動面においては、同年9月、デンマーク軍がグリーンランドおよびその周辺にて、演習「アークティック・ライト2025」を実施し、フランス、ドイツ、スウェーデンおよびノルウェーも参加し重要インフラの防護や極地環境下でのドローン運用などを訓練している。2026年1月には、北極圏における軍事プレゼンスを示すことを目的とし、デンマーク軍が主導する活動「アークティック・エンデュランス演習」が開始された。NATO加盟国からはフランス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、オランダ、アイスランド、ベルギーが参加し、2026年を通して実施される旨が発表された。また、同年2月、NATOは北極圏の安全保障を強化するため、新たな多領域活動「アークティック・セントリー」の計画を発表した。

参照3章1節(米国)

4 海底インフラをめぐる動向

近年、バルト海や台湾周辺海域において海底ケーブルが損傷する事案などが発生しており、海洋をめぐる新たな課題となっている。それらの事案をめぐっては、意図的な破壊によってハイブリッド戦の一要素になりうる可能性も指摘されている。

例えば2023年2月には、台湾本島と馬祖島との間の海底ケーブルが切断される事案が発生し、台湾当局は、中国籍漁船や貨物船による切断であったとみられる旨を発表した。2025年1月には、台湾北部海域において、国際通信用の海底ケーブルが損傷する事案が発生したほか、同年2月には台湾本島と澎湖諸島を結ぶ海底ケーブルが切断された旨が発表されている。こうした状況を受け、台湾では同年、法執行や警戒監視が強化されたほか、故意の損傷に対する罰則強化などの法整備が進められた。一方、バルト海においても、特に2024年11月以降、重要海底ケーブルの損傷が相次いでいる。NATOは海上のプレゼンスと監視を強化するため、2025年1月、バルト海NATO加盟国首脳会合において、新たな軍事活動「バルティック・セントリー」の開始を発表した。また、EUは同年2月、海底ケーブルの強靭性を確保するための取組を示した「海底ケーブルの安全保障に関する行動計画」を発表している。

海底ケーブルは、国民生活や経済活動に欠くことのできないインフラであり、わが国として、海底ケーブル損傷に関する事案については、重大な関心をもって注視する必要がある。

参照3章2節2項6(海空域における活動)

1 「国連海洋法条約(UNCLOS)」(正式名称「海洋法に関する国際連合条約」)は、海洋法秩序に関する包括的な条約として1982年に採択され、1994年に発効した(わが国は1996年に締結)。

2 本行動基準は法的拘束力を有さず、国際民間航空条約の附属書や国際条約などに優越しない。

3 本文における海賊事案発生件数は、国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)のレポートによる。件数は未遂事案も含む。

4 米中央軍の隷下で海洋における安全、安定と繁栄を促進することを目的として活動する多国籍部隊。47か国(2026年3月現在)の部隊が参加しており、連合海上部隊司令官は米第5艦隊司令官が兼任している。インド洋とオマーン湾における海洋安全保障のための活動を任務とする第150連合任務群、海賊対処を任務とする第151連合任務群、ペルシャ湾における海洋安全保障のための活動を任務とする第152連合任務群、紅海からアデン湾にかけての海洋安全保障と能力構築のための活動を任務とする第153連合任務群、海上安全保障のための教育訓練を任務とする第154連合任務群(2023年5月発足)の5つの連合任務群で構成されており、第151連合任務群には自衛隊の部隊も参加している。

5 北極評議会の議長国は、2021年5月から2年間、ロシアが務めることとなっていたが、ロシア以外の北極圏国7か国は2022年3月、ロシアによるウクライナ侵略を受け、ロシアが議長国を務める北極評議会の全ての会合への参加を一時的に停止した。2023年5月にノルウェーが議長国に就任し、活動が再開した。2025年5月、デンマークが議長国に就任した。

6 米国防省公表「北極圏戦略2024」では、ロシアは北極圏の国で、最も発達した軍事的プレゼンスを誇っていると指摘しているほか、ロシアは北極圏を通じて米国本土に接近する明確な手段を有しており、北極圏を拠点とする能力を利用して、欧州とインド太平洋地域の両方への米国の戦力投射能力を脅かし、危機への対応能力を制約する可能性があると指摘している。

7 近年の動向としては、2025年9月、中国は北極海においては中国初となる有人潜水艇による調査を成功させた旨を発表している。

8 米国防省「中華人民共和国の軍事および安全保障の進展に関する年次報告」(2019年)による。また、デンマーク国防情報局(DDIS)は、2025年12月に公表した「インテリジェンス展望2025」の中で、中国は、5年から10年以内に北極海域で水上艦艇と潜水艦の両方を運用する独自能力の開発を目指していると指摘している。