潜水艦見聞録

~第1回補足~


     

潜水艦建造の立役者とその実際

風刺画

 前回潜水艦の起源をお話しした中で、潜水艦建造の功労者として小栗大将と井出大将の名前を挙げました。福田氏の著作『潜水艇史話』の中には、彼ら二人の他にも初期潜水艦建造に携わった人たちの名前が複数出てきます。
 官側としては上記の2名、民側としては川崎重工業の松方幸次郎氏、そして外国の方としてはフランク・ケーブル氏の名が挙げられています。
皆さんは、フランク・ケーブル氏のことをご存知でしょうか。米海軍に造詣が深い方は、もしかしたらご存知かもしれません。そう、米海軍艦艇には、「フランク・ケーブル」の名を冠する船が存在するのです。
 それでは『潜水艇史話』の著述と他の資料から、潜水艦建造の立役者の実際を見ていくことにしましょう。



1 ケピテン・ケーブル

ケピテン・ケーブル

 「ケピテン・ケーブル 潜水艇の完成間近になって、アメリカの会社からフランク・ケーブルという人がやって来た。」という書き出しで、福田氏はフランク・ケーブル氏の紹介を始めています。
「この男はホーランド氏と特別の関係があり、多大の信頼を受けてその片腕となって彼の事業を助けたことは前に述べたが、潜水艇の操縦にも経験が深かったので、外国注文の潜水艇の引渡しにはいつも立合い、運用法を伝えて歩きまわったのである。」と、フランク・ケーブル氏が日本に潜水艦の操法を伝授した重要な人物であると説明しています。
他にも、「潜航のとき、ケーブルのダイブ、ライズという緊張した号令が、今もなお耳底に残っているようで当時を思い起すのである。」とあり、かつて福田氏は、フランク・ケーブル氏と共に潜水艇で潜入浮上訓練を行っていたのでした。
       



2 History of 1st Submarines

初度潜水艦資料

 このように、フランク・ケーブル氏は日本の潜水艦の歴史に深く関わった人物でした。

 さて、一方当隊では、他にもこのような資料を保管しています。
『Embassy of Japan (History of 1st Submarines)』
『日本大使館(最初の潜水艦の歴史)』と表紙に書かれたこの資料は、2003年10月、在米大使館に勤務する2佐より寄贈された物です。残念ながら寄贈の詳細な経緯は不明ですが、この資料には新聞や雑誌の記事、手紙などが計109ページ分綴じられています。
 表紙の最下段に「FROM ARTHUR V. DU BUSC」と手書きの文字があるので、おそらくはArthur V(Victor). Du Busc氏が在米大使館に渡し、それが当隊に送られてきた物だと推察されます。
     



3 Arthur Victor Du Busc

ホランド艇

 手作りされたこの資料には、日本初の潜水艦である第1から第5潜水艇は、実はVictor氏の曽祖父であるArthur L(Leopold).Du Busc氏がもたらしたものであるという証拠がたくさん集められています。
 潜水艦黎明期を生きた福田氏は、フランク・ケーブル氏が日本の潜水艦導入の立役者であると認識し書き残していますが、Victor氏は自分の曽祖父こそが日本に最初の潜水艦をもたらした立役者なのだと述べているのです。
この資料に綴られている多くは、Victor氏が米海軍やエレクトリックボート社に宛てた手紙のコピーです。その手紙に付随して、彼の曽祖父が潜水艦普及の立役者である根拠となる新聞記事や雑誌記事、そして1906年や1909年当時、実際に日本から彼の曽祖父に宛てて送られた潜水艦導入の貢献を称えるお礼の手紙のコピーなどが添付されています。
     



4 Commander, JMSDF 

手紙

 資料の中には、在米大使館に駐在する海上自衛官がVictor氏に宛てて返信した手紙のコピーもあります。
そこには1999年6月の日付が記されており、内容を簡単に要約すると、
「あなたが送ってくれた記事は大変興味深かった。我が国の初度潜水艦導入に関わることで、横須賀に詳細を調べるよう依頼したが、返ってきた回答は関連する情報は見つけられなかったというものであった。大変残念だが、あなたが欲している情報を提供することは出来ない」
といったものでした。
察するにVictor氏は彼の曽祖父に関する信頼に足る情報を懸命に探し集め、それらを根拠として彼の曽祖父の功績の認知を訴えていたようでした。

     



5 『NAVAL HISTORY Magazin/OCTOBER 1998』

雑誌記事

 1998年10月に刊行された『NAVAL HISTORY Magazin』の中に、「Who Built Those Subs?(誰が潜水艦を建造した?)」と題するProfesser Richard Knowles Morrisの記事が掲載されています。そこには、Victor氏の曽祖父が日本で潜水艇を再組立てをしたという記述があります。

「Busch reassembled the five submarines at the Yokosuka Arsenal in less than 12months.He prepared them for the arrival of Frank T. Cable, who followed to train the Japanese crews.Incredibly, Cable, in his lengthy account of his experiences in Japan, fails to acknowledge the work of Busch. He implies, and others took the implication literally, that he ーnot Busch- had reassembled the boat at Yokosuka.」

 しかしLeopold氏の功績は、ケーブル氏のimplication(=ほのめかし=ケーブル氏の自伝著書『The Birth and Development of the Modern Submarine』の内容)により、ケーブル氏の手柄であると周囲が信じてしまったとなっています。
 そして数年後、2002年にVictor氏がアメリカ海軍に宛てた手紙の中では、彼の曽祖父の名誉をケーブル氏に奪われてしまったというような勢いにまで心情が昂っている様が見てとれるようになります。
 
 福田氏は、操艦訓練をしてくれたケーブル氏と多く接していたことから、彼の名を『潜水艇史話』に記したのでしょうが、マサチューセッツから横須賀工廠まで潜水艇を運び、12か月に満たない期間で再組立てを成し遂げたLeopold氏の功績もまた、揺るぎない事実なのです。しかしLeopold氏の功績は、ケーブル氏の功績に包含されてしまい、どうやらその存在が目立って後世に伝えられていなかったようなのです。



6 Arthur Leopold Du Busc

1905年写真

 潜水艦に関する歴史を、全て知ることは出来ません。
遺された史料から、当時の様子のほんの一部分だけを垣間見るのみです。
このVictor氏の資料は、普段は当隊所蔵庫にひっそりと眠っており、展示室に飾られることもなく、誰かの目に触れることも一切ありません。
日露戦争の最中、ロシアに秘して日本に潜水艇を無事運搬したLeopold氏の功績は、いつの間にかフランク・ケーブル氏の功績とすり替わり、称えられるべき彼の存在は、歴史の大河の中に埋没してしまいつつありました。Victor氏の働きかけにより、現在では米海軍や英米の潜水艦博物館でもLeopold氏の名誉はきちんと称えられています。
 当事国である日本の中でも、曽祖父を誇りに思うVictor氏の想いを埋没させてしまわぬよう、Arthur L.Du Busc氏のことを、この見聞録に記しておくこととします。(本文:藤江)



資料一覧


1 『潜水艇史話』:昭和45年12月8日、第1潜水隊群発行。
2 『History of 1st Submarines』:平成15年10月、在米大使館駐在の自衛官より寄贈。
3 ホランド艇とArthur L.Du Busc氏:『The Klaxon-Summer 1992』の記事。
4 Victor氏宛て手紙:1999年6月22日付。日本大使館よりの返信。
5 第一潜水艇隊の写真が載る記事:『NAVAL HISTORY Magazin』1998年10月号掲載。
 日本滞在時のBusc氏:『NAVAL HISTORY Magazin』1998年10月号掲載。1905年、東京にて撮影の写真。