潜水艦史料室

史料室見聞録 ~第1回~

元海軍少将 福田一郎を通して見る潜水艦の黎明

福田一郎氏

 当史料室入ってすぐ、一番手前のショーケースに上記の写真が展示されています。
こちらは、昭和51年5月に白寿を迎えられた際の福田一郎氏の姿です。
 皆さんは、この方のことをご存知でしょうか。
当隊には、福田氏から寄せられた資料や手紙が複数保管されています。どれもこれも貴重な物ばかりですが、残念なことにその存在はあまり知られていません。
 潜水艦の創設から深く関わってきた福田氏が遺して下さった資料と共に、潜水艦発展の歴史の端緒を見ていくことにしましょう。
 


     

1 福田ノート

    ノート

 さてここに、古びたノートが数冊あります。
表紙に目をやると、「昭和10年」の記載が見てとれます。写真ではわかりにくいですが、8冊のノートが束になって綴じられています。
これは、福田氏自筆のノートたちです。
大正9年から昭和10年にかけての世界各国の潜水艦に関する詳細なデータが、びっしりとしたためられています。その中の多くは、日本の潜水艦に関する事柄で占められています。
 そう、福田氏はこれらのデータを基に専門家として初の潜水艦に関する著作を出版した人物だったのです。
では何故そのように仔細に潜水艦のデータを知り得たのでしょうか。そもそも潜水艦の起源とは、いつのことでしょうか。その答えは、明治38年にアメリカのエレクトリック・ボート社から購入したホーランド型潜水艇五隻によって編成された、第一潜水艇隊であると言えます。福田氏は海兵第26期出身、第一潜水艇隊所属第四潜水艇初代艇長を務めた人物だったのです。(後に第1、2潜水艇艇長を歴任。大正2年11月第一潜水艇隊司令)


     

2 『潜水艦の話』

潜水艦の話

 前述の、専門家による潜水艦に関する初の出版本は、1928年(昭和3年)に『潜水艦の話』(福田一郎著)と題されて刊行されました。
 福田氏は同書緒言において、「本書の資料は悉く正確で最も権威ある諸記録から蒐集したので、先づ大した誤謬のなきことを信じて、聊か自ら慰むる次第である。」と述べているように、現役の軍人であるからこそ詳細に記すことが出来たのでした。
 本書は全国の図書館でも複数所蔵されており、身近に見て頂くことが可能だと思います。
昭和19年に発行された『正伝佐久間艇長』(法本義弘 著)の中では、『潜水艦の話』について以下のような記載があります。
「本書は潜水艦の何たるかを平易に叙述したもので、著者は(中略)幾多の経験と研究とを有する一方の権威者であって、叙述詳細。名著といふべきものである。」
    



3 潜水艦の先覚者

小栗孝三郎大将

 この『潜水艦の話』の中には、小栗孝三郎大将と井出謙治大将のエピソードが出てきます。
 この2人について福田氏は、「小栗、井出両大将は実に我海軍における潜水艦の先覚者であって、共に率先してこれが採用を主張せられ、その議容れらるるや奮って自らこれが任に当たり、小栗大将は主として我潜水艦に関する諸制度設備等を立案してこれが実行に任じ、井出大将は幾多の困難と闘って遂に内地建造の基礎を定められたのである。而して今日我潜水艦が列国に伍して更に遜色なきを得るまでに発達したのも、畢竟両大将がその創設の肇において、明晰なる頭脳と敏活なる手腕とを以て事に当たられ、苦心惨憺施設経営その宜しきを得たる賜物であって、その功や真に没すべからざるものがあるのである。」と述べています。
 この小栗大将は、第一潜水艇隊司令兼第一潜水艇艇長を務め、井出大将は、第二潜水艇隊司令兼第六潜水艇艇長を務めました。
彼ら2人の奮闘により、わが国の潜水艦建造は進んでいったのでした。
上記の写真は、小栗孝三郎大将です。


 

4 両大将への思い

井出謙治大将

 『潜水艦の話』の中には、両大将の写真が掲載されています。
当史料室に展示してある両大将の写真は、昭和49年4月に福田氏より寄贈して頂いたものです。写真と共に同封されていた手紙の中で福田氏は、「両大将の容姿に接した方は殆ど居られないと思いますので、小生所有の写真を送ります」というようなことを述べられていました。
 潜水艇生みの両親であるお二方について、戦後30年もすればその姿を知らない人が多くいるのだということを憂えていたのでしょうか。共に過酷な時代を戦い抜いてきた福田氏は、今も続く潜水艦の歴史の創始者とも言える二人のことを、世間に忘れてほしくなかったのでしょうか。
 思いの込められた福田氏からの手紙は別途保管してありますが、託された両大将の写真については、責任を持って当史料室にて展示し続けています。
 上は、井出謙治大将の写真です。
 




5 第一潜水艇隊竣工記念写真

第一潜水艇隊竣工記念写真

 上は、件の第一潜水艇隊編成時(明治38年)に撮影された写真です。この写真は、福田氏より昭和44年に寄贈されました。
 前から2列目の大多数及び最前列にいる第4、第5潜水艇艇長のみは、名前の記載が残っています。
当時を窺い知る、大変貴重な資料となっています。


           

6 福田氏の著作物

潜水艦

 福田氏は、昭和3年に『潜水艦の話』を出版した後、昭和4年に『潜水艦戦』、その他雑誌等にたくさん寄稿され、昭和17年には『潜水艦 正』、翌昭和18年に『潜水艦 贖』を出版しています。
 これらの著作は内容が重なる部分も多いですが、世間に潜水艦というものを周知させるには大変わかりやすいものとなっていました。
 この中に、第六潜水艇の話も記されています。第六潜水艇に関しては、次回の見聞録にて取り上げますので今回は割愛致しますが、このエピソードは大変有名です。福田氏も、その著作物にはこの話を幾度となく記していました。


  

7 第一潜水艇隊編成記録

第一潜水艇隊編成記録

 戦後、海上自衛隊は昭和37年8月に第1潜水隊を発足させました。
旧第1潜水艇隊創設以来の潜水艦関係者生き残りの最年長者として、福田氏はこの事を「欣快の至りに堪へさる」と表現し、同年『第一潜水艇隊編成記録』(全30枚)を記しています。上記の写真がそれです。
 戦災によって様々な記録が亡失した中、その記憶と記録を残すべしという思いから、福田氏はをこれを遺してくれたのです。
 当資料には、第1潜水艇隊編成の経緯が明治37年6月より記載されています。その他、乗員名簿や諸令達、艇体構造に始まり、艤装員時代の思い出や隊勤務の思い出が詳細に記されています。
 この中のユニークなものとしては、「二十日鼠の供給」という一篇があります。これは、有毒ガス検知の為に二十日鼠が配布された所、世話が手間なのと臭いがきついのとで、いつしか廃止になったというエピソードです。
「伝書鳩なら話は判るが、需品として二十日鼠の供給とはちょっと思いも寄らぬことである。」と締めくくられています。


        

8 『潜水艇史話』

潜水艇史話

 第一潜水艇隊編成記録を記した後、昭和44年、福田氏は当隊と同敷地内にある第1潜水隊群という部隊宛てに「潜水艇史話稿」なるものを寄贈して下さいました。それをまとめて発行したものが、『潜水艇史話』(全242頁)です。
昭和45年、福田氏93才の頃です。
 これは昭和33年から35年に『海と空』で連載された「どん亀話」と「続どん亀話」を書き改め、第一次世界大戦までの分を整理して新たに資料を追加し、潜水艇と呼ばれた初期潜水艇の全貌を述べる形になっています。
 中に記されている「艇長の重荷」は、前述の第一潜水艇隊編成記録と同一のものであり、この艇長の重責というものは是非とも語り残しておきたかったのだと思われます。この『潜水艇史話』は『潜水艦の話』よりも文章が平易で読みやすいので、多くの方に読んでもらいたいのですが、奥付を見ると「非売品」と書かれているので、残念ながら一般流通はしていないようです。
 この『潜水艇史話』の冒頭の章は、福田氏101歳の時に発行された『日本海軍潜水艦史』(非売品)の中に再掲されています。


     

9 遺された図面

図面

 多くの記録を残し、後世に伝えようとしてくれた福田氏。彼が艇長として重責を担って操艦した第1潜水艇隊所属の各潜水艇。今となっては、昔の写真が幾ばくか残っているのみです。
 しかしここに、4枚の図面が残されています。
そう、第一から第五潜水艇の図面です。当隊が保有する約1500枚の潜水艦図面のうち、最も古いものたちです。今を遡ること117年、日本のためにと奔走した諸先輩方の努力の結晶は、今もなおこの潜水艦教育訓練隊の史料室で生き続けているのです。
 我が国の潜水艦の歴史の始まりであるこれら5隻の潜水艇たち。大正10年4月30日に除籍となり、残されたのはこの図面だけです。
現在24隻もの潜水艦を保有する海上自衛隊の、その礎となるこれら5隻の存在を、どれだけの方がご存知でしょうか。
脈々と続く潜水艦の歴史と伝統の出発点がここ潜訓に未だに存在しており、その初心を受け継ぎながら100年以上前と変わらず、母国を守るために日々海に潜航している海自潜水艦乗員のことも、もっと知って頂けたらと思います。
 福田氏もきっとそのような思いで、これ程多くの記録を、潜水艦乗りの魂を残してくれていたのではないでしょうか。



資料一覧


0 福田氏の写真昭和51年5月、福田氏より白寿の記念として旧稿の寄贈を頂きました。その際、当隊司令よりお礼状を送ったのですが、その中で展示用の福田氏近影を所望した所、ご本人のご厚意により送付して頂いたものです。当時やりとりをした書簡が残っています。
1 福田ノート福田氏ご本人より寄贈。大正9年、昭和3年、5年、6年、7年、9年、10年の計8冊。詳細な寄贈年月日や経緯は不明。
2 『潜水艦の話』:昭和3年11月23日海軍研究社発行。展示は、昭和4年2月20日第2版のもの。
3 小栗孝三郎大将写真:昭和49年4月、福田氏より寄贈。
4 井出謙治大将写真:昭和49年4月、福田氏より寄贈。
5 第一潜水艇隊竣工記念写真:昭和44年、福田氏より第1潜水隊群宛てに寄贈。
 『潜水艦』:昭和17年10月20日河出書房発行。展示は、昭和18年1月30日第3版のもの。
7 第一潜水艇隊編成記録昭和37年7月3日作成の記録。元海軍技術少佐福井静夫氏より寄贈。
 『潜水艇史話』:昭和45年12月8日、第1潜水隊群発行。
9 第1~第5潜水艇図面福田氏ご本人より寄贈。詳細な寄贈年月日や経緯は不明。