ホーム > 航空救難団の活動 >任務実績>令和7年度任務実績
  3月6日(金)午前7時16分、第2航空団を通じ、患者(心筋梗塞の疑い)の情報を入手しました。北海道知事は、航空機による速やかな医療機関への搬送が必要であると判断し、第2航空団司令に災害派遣を要請しました。同時刻、第2航空団司令は、災害派遣要請を受理するとともに、航空救難団司令へ災害派遣の協力を依頼しました。航空救難団は、災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  千歳救難隊のUH-60Jが千歳飛行場を離陸し、利尻ヘリポートで患者を収容(医師、付添い搭乗)後、丘珠空港に着陸して待機していた救急車へ移管し、午前10時36分に災害派遣を終了しました。
  2月9日(月)午前0時45分、海上自衛隊第1航空群を通じ、患者(急性大動脈解離の疑い)の情報を入手しました。鹿児島県知事は、航空機による速やかな医療機関への搬送が必要であると判断し、第1航空群に災害派遣を要請、同時刻、第1航空群を含む他機関が対応できなかったこともあり、航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、種子島空港で医師を搭乗させたのちに、馬毛島で患者を収容し、種子島空港に着陸して待機していた救急車へ移管し、午前4時5分に災害派遣を終了しました。
  12月27日(土)午後9時00分、海上自衛隊第22航空群を通じ、患者(急性腎梗塞)の情報を入手しました。長崎県知事は、速やかな医療機関への搬送が必要であると判断し、第22航空群に災害派遣を要請、同時刻、第22航空群から航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、大村航空基地(医師搭乗)を経由して上五島空港で患者を収容(付添同乗)後、大村航空基地に着陸して待機していた救急車へ移管し、12月28日(日)午前1時24分に災害派遣を終了しました。
  12月23日(火)午後1時10分、海上自衛隊第22航空群を通じ、患者(被殻出血)の情報を入手しました。長崎県知事は、速やかな医療機関への搬送が必要であると判断し、第22航空群に災害派遣を要請、同時刻、第22航空群から航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、対馬空港で患者を収容(医師同乗)後、福岡空港に着陸して待機していた救急車へ移管し、午後4時40分に災害派遣を終了しました。
  12月20日(土)午後3時30分、海上自衛隊第1航空群(鹿屋)を通じ、患者(冠動脈狭窄)の情報を入手しました。鹿児島県知事は、速やかな医療機関への搬送が必要であると判断し、第1航空群に災害派遣を要請、同時刻、第1航空群から航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、屋久島空港で患者を収容(医師同乗)後、マリンポートかごしまに着陸して待機していた救急車へ移管し、午後7時05分に災害派遣を終了しました。
  12月8日(月)午後11時15分頃に発生した、青森東方沖を震源とする最大震度6強の地震及びこれに伴う津波警報の発令を受け、航空救難団は、航空機による被害情報資料の収集のための災害派遣を実施しました。
  千歳救難隊のUH-60J、秋田救難隊及び松島救難隊のU-125A、三沢ヘリコプター空輸隊のCH-47Jにより、北海道から東北北部の太平洋沿岸を主対象とした飛行を実施し、令和7年12月9日(火)午前4時5分に災害派遣を終了しました。
  11月25日(火)午後12時40分、第十一管区海上保安本部長から南西航空方面隊司令官を通じ、沖縄本島南東から約320海里洋上のタンカーで速やかに医療機関への空輸が必要な傷病者が発生したという情報を入手しました。第十一管区海上保安本部長から南西航空方面隊司令官に災害派遣要請がなされ、同時刻、南西航空方面司令官から航空救難団司令への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
  那覇救難隊のUH-60J(陸上自衛隊の医師搭乗)が那覇飛行場を離陸し、タンカーに向かいました。併せて同部隊のU-125Aが那覇飛行場を離陸し、UH-60Jにタンカーの正確な位置を送るための捜索活動などを行いました。UH-60Jがタンカーから傷病者を収容後、両機は南大東空港に向かいました。南大東空港に先行したU-125Aが、UH-60Jから傷病者を引き継ぎ、那覇飛行場に着陸後、待機していた救急車に移管し午後7時24分に災害派遣を終了しました。
   11月7日(金)午後8時20分、海上自衛隊第22航空群を通じ、患者(硬膜下血腫)の情報を入手しました。長崎県知事は航空機による速やかな空輸が必要であると判断し、第22航空群司令に災害派遣を要請しました。同時刻、第22航空群司令は災害派遣要請を受理するとともに、航空救難団司令へ協力を依頼、航空救難団司令は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、大村基地で医師搭乗後、上五島空港へ向かいました。上五島空港で患者を収容後、大村基地まで患者を空輸して待機していた救急車へ移管し、 11月8日(土)午前0時35分に災害派遣を終了しました。
   9月29日(月)午後7時30分、第十一管区海上保安本部長から南西航空方面隊司令官を通じ、沖縄本島から東南東約400海里を航行中の貨物船において発生した、速やかに医療機関への空輸が必要な傷病者の情報を入手しました。第十一管区海上保安本部長から南西航空方面隊司令官に災害派遣要請がなされ、同時刻、南西航空方面司令官から航空救難団司令への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
那覇救難隊のUH-60Jが、医師と看護師を搭乗させた後に那覇飛行場を離陸し、貨物船に向かいました。併せて同部隊のU-125Aが、那覇飛行場を離陸し、UH-60Jに貨物船の正確な位置を送るための捜索活動、救助活動に必要な明りを確保するための活動などを行いました。UH-60Jは、貨物船から傷病者を収容し、南大東空港に着陸して海上保安庁の固定翼機に傷病者を移管しました。
   9月17日(水)午後9時10分、海上自衛隊第1航空群(鹿屋)を通じ、患者(頭部外傷等)の情報を入手しました。速やかな医療機関への空輸の必要性があったため鹿児島県知事から第1航空群に災害派遣要請が、同時刻、第1航空群から航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、中之島ヘリポートで患者を収容(医師、付添同乗)後、マリンポートかごしまに着陸して待機していた救急車へ移管し、9月18日(木)午前0時51分に災害派遣を終了しました。
   9月5日(金)午前3時10分、海上自衛隊第1航空群(鹿屋)を通じ、患者(急性心筋梗塞)の情報を入手しました。速やかな医療機関への空輸の必要性があったため鹿児島県知事から第1航空群に災害派遣要請が、同時刻、第1航空群から航空救難団への災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、マリンポートかごしまで医師搭乗後、馬毛島へ向かいました。患者を馬毛島で収容(付添同乗)後、マリンポートかごしまで待機していた救急車へ移管し、午前6時32分に災害派遣を終了しました。
  8月31日(日)午前3時00分、海上自衛隊第22航空群を通じ、患者(出血性ショック等)の情報を入手しました。長崎県知事は航空機による速やかな空輸が必要であると判断し、第22航空群司令に災害派遣を要請しました。同時刻、第22航空群司令は災害派遣要請を受理するとともに、航空救難団司令へ協力を依頼、航空救難団司令は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を⾏いました。
芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、大村基地で医師搭乗後、上五島空港へ向かいました。上五島空港で患者を収容後、大村基地まで患者を空輸して待機していた救急車へ移管し、午前6時41分に災害派遣を終了しました。
   8月11日(月)午前9時30分、海上自衛隊第22航空群を通じ、患者(新生児呼吸障害)の情報を入手しました。長崎県知事は航空機による速やかな空輸が必要であると判断し、第22航空群司令に災害派遣を要請しました。同時刻、第22航空群司令は災害派遣要請を受理するとともに、航空救難団司令へ協力を依頼、航空救難団司令は災害派遣協力依頼に基づき、災害派遣を行いました。芦屋救難隊のUH-60J(医師搭乗)が芦屋飛行場を離陸し、壱岐空港で患者を収容(付添同乗)後、芦屋飛行場に着陸して救急車に移管し、午前11時46分に災害派遣を終了しました。
    8月10日(日)午後5時00分、新潟県知事から緊急患者空輸(脳梗塞)の情報を入手しました。新潟県知事は速やかな医療機関への空輸の必要性があると判断し、航空救難団司令に対し災害派遣を要請しました。航空救難団司令は、同時刻本要請を受理し、災害派遣を行いました。新潟救難隊のUH-60J(医師搭乗)が新潟空港を離陸し、佐渡空港で患者を収容(付添同乗)後、新潟空港に着陸して救急車に移管し、午後6時45分に災害派遣を終了しました。
    8月7日(木)午前2時25分、海上自衛隊第一航空群(鹿屋)を通じ、傷病者(脳出血)の情報を入手しました。速やかな医療機関への空輸の必要性があったため鹿児島県知事から第一航空群に災害派遣要請が、同時刻、航空救難団へ災害派遣協力依頼がありました。航空救難団は災害派遣協⼒依頼に基づき、災害派遣を行いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、屋久島空港で患者を収容(医師1名及び付添1名同乗)後、種子島空港に着陸及び救急車に移管し、午前5時37分に災害派遣を終了しました。
   7月28日(月)17時00分、台風8号通過に伴う大雨の影響により、北大東島及び南大東島において家屋内浸水及び道路冠水の被害が発生しました。 同日12時10分、沖縄県知事が陸上自衛隊第15旅団長に対して排水ポンプ及び要員の輸送に係る災害派遣を要請し、同時刻、第15旅団長は受理しました。 8月1日14時10分、第15旅団長は航空機による物資空輸能力の強化が必要と判断し、航空救難団司令に対し物資空輸に関する協力を要請。同時刻、航空救難団は災害派遣を⾏いました。那覇ヘリコプター空輸隊のCH-47Jが那覇空港を離陸し、北大東島空港まで物資空輸を実施しました。その後、18時32分、那覇空港に着陸し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   7月20日(日)14時06分、第十一管区海上保安本部長から南西航空方面隊司令官を通じ、沖縄本島南東約310海里の洋上の漁船「としま丸」の乗組員1名が肺気腫の疑いとの情報を入手した。速やかな医療機関への空輸の必要性があると判断から災害派遣要請がなされた。同時刻、災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。那覇救難隊のUH-60J(医師1名同乗)及びU-125Aが那覇飛行場を離陸し、UH-60Jが漁船上空で患者を収容後、那覇飛行場に着陸及び救急車に移管し、災害派遣を終了しました。
   6月21日(土)00時50分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、医師を搭乗させるためマリンポートかごしまを経由して口之島ヘリポートへ到着。患者を収容後(医師、付添人同乗)、マリンポートかごしままで患者を空輸しました。その後、4時32分に新田原飛行場に帰投し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   6月9日(月)15時40分、長崎県知事から海上自衛隊第22航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第22航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、殿崎ヘリポートに着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、奈多ヘリポートまで患者を空輸しました。その後、18時3分に芦屋飛行場に帰投し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   鹿児島県屋久島から鹿児島市内まで患者を空輸するため、5月29日(木)13時40分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、屋久島空港に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、マリンポートかごしまヘリポートまで患者を空輸しました。その後、16時45分に新田原飛行場に帰投し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   対馬空港を出発したヘリコプターが壱岐島沖で通信途絶となったことから、4月6日(日)15時42分東京RCC(東京国際空港)から西部航空方面隊司令官に対し災害派遣を要請、同時刻受理し芦屋救難隊のUH-60J1機及びU-125A1機を出動させました。UH-60Jが要救助者3名を救助し、福岡市の奈多ヘリポートで待機中の救急車に引き渡した後、芦屋基地に帰投、19時42分災害派遣を終了しました。