ホーム > 航空救難団の活動 >任務実績>令和6年度任務実績
   令和7年3月23日に発生した愛媛県今治市の林野火災において、3月25日2236、統合作戦司令官は航空総隊司令官に対し林野火災における陸上総隊への支援の命令により、3月26日1600、航空救難団は災害派遣を実施しました。那覇基地からCH-47Jを春日基地に展開させ現場に投入し、春日ヘリコプター空輸隊は空中消火活動を実施しました。31日1100火災の鎮圧宣言が発表され、同日1200、災害派遣の撤収命命令により、CH-47Jは那覇基地に帰投しました。
   利尻島で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、3月17日(月)20時42分北海道知事から第2航空団司令に対し、利尻空港から丘珠空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は第2航空団司令からの協力依頼により災害派遣を実施しました。千歳救難隊のU-125Aが千歳空港を離陸し、利尻空港に着陸。患者を収容後(医師及び付添人同乗)、丘珠空港まで空輸及び救急車へ患者を移管し千歳飛行場へ帰投、23時51分災害派遣を終了しました。
   奄美大島で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、3月15日(土)17時51分鹿児島県知事から第1航空群司令対し、奄美空港からマリンポートかごしままでの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は第1航空群司令からの協力依頼により災害派遣を実施しました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原基地を離陸し、奄美空港に着陸。患者を収容後(医師2名及び付添人1名同乗)、マリンポートかごしままで空輸及び救急車へ患者を移管し、鹿屋飛行場で燃料補給を実施した後、新田原飛行場へ帰投、00時32分災害派遣を終了しました。
   令和7年2月26日から延焼していた岩手県大船渡市の林野火災は、3月9日1700、大船渡市長から林野火災の鎮圧宣言が発表され、それに伴い、同日1700、救難団司令は東北方面総監部から協力依頼の終了を受け、これを受理しました。3機のCH-47Jを投入し、合計305回の放水(約1525t)を実施しました。
   岩手県大船渡市の林野火災において、救難団から3機のCH-47Jを投入し、3月4日1330現在まで合計258回の放水(約1290t)を実施してます。まだ鎮火に至っていませんが、安全に留意し空中消火を継続します。
   岩手県大船渡市において林野火災が発生し、2月19日(水)18時35分岩手県知事から陸自東北方面特価連隊長に対し災害派遣を要請した。23日(日)夕刻時点でも林野火災の延焼は続いており、陸自東北方面総監は空中消火能力の強化が必要と判断し、航空救難団司令に対し、24日(月)07時23分、CH-47Jによる空中消火の協力を依頼した。入間ヘリコプター空輸隊のCH-47Jが入間基地を07時23分に離陸、現場で計16回(約80t)の放水を行い入間基地に帰投。18時23分災害派遣を終了しました。
   佐渡ヶ島で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、2月17日(月)15時39分新潟県知事から新潟救難隊を通じ、佐渡空港から新潟空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は災害派遣を実施しました。新潟救難隊のUH-60Jが新潟空港を離陸し、佐渡空港に着陸。患者を収容後(医師2名及び看護師1名同乗)、新潟空港まで空輸するとともに救急車へ患者を移管し、17時33分災害派遣を終了しました。
   北海道稚内で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、2月16日(日)12時07分北海道知事から第2航空団司令に対し、稚内空港から旭川空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は第2航空団司令からの協力依頼により災害派遣を実施しました。千歳救難隊のU-125Aが千歳空港を離陸し、稚内空港に着陸。患者を収容後(医師及び付添人同乗)、旭川空港まで空輸及び救急車へ患者を移管し千歳飛行場へ帰投、15時22分災害派遣を終了しました。
   鹿児島県奄美大島で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、2月6日(木)17時36分鹿児島県知事から海上自衛第1航空群司令に対し、奄美空港から鹿児島空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は海上自衛第1航空群司令からの協力依頼により災害派遣を実施しました。那覇救難隊のU-125Aが那覇空港を離陸し、奄美空港に着陸。患者を収容後(医師同乗)、鹿児島空港まで空輸及び救急車へ患者を移管し新田原飛行場へ帰投、22時27分災害派遣を終了しました。
   馬毛島で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、2月4日(木)11時46分 鹿児島県知事から海上自衛第1航空群司令に対し、馬毛島から種子島空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は第1航空群司令からの協力依頼により災害派遣を実施しました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原基地を離陸し、馬毛島に着陸。患者を収容後(医師同乗)、種子島空港まで空輸。救急車へ患者を移管し新田原基地へ帰投、15時01分災害派遣を終了しました。
   新潟県佐渡市で急病患者が発生し緊急搬送が必要となったことから、1月30日(木)14時45分 新潟県知事から航空救難団司令に対し、佐渡空港から新潟空港までの緊急患者空輸の災害派遣要請がなされ、航空救難団は災害派遣を実施しました。新潟救難隊のUH-60Jが新潟空港を離陸し、佐渡空港に着陸。患者を収容後(医師、看護師、付き添い者同乗)、新潟空港まで空輸。16時30分に救急車へ患者を移管し災害派遣を終了しました。
   山梨県市笛吹市で発生した林野火災に際し、航空救難団は災害派遣を⾏いました。入間ヘリコプター空輸隊のCH-47Jが現場へ出動。計22回の空中消火により約110tの放水を実施しました。
   1月9日(木)新潟県知事からの災害派遣要請に基づき、航空救難団は災害派遣(緊急患者空輸)を行いました。新潟救難隊のUH-60Jが新潟空港を離陸し、佐渡空港で患者を収容後、新潟空港に着陸して救急車両に引き渡しました。
   12月26日(木)第十一管区海上保安本部長から南西空司令官へ災害派遣要請がなされ、災害派遣要請依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。那覇救難隊のUH-60Jが那覇飛行場を離陸し、慶良間諸島黒島付近のダイビング船から乗員乗客を収容後、那覇飛行場まで搬送しました。
   12月17日(火)第三管区海上保安本部長から南西空司令官へ災害派遣要請がなされ、災害派遣要請依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。那覇救難隊のUH-60Jが那覇飛行場を離陸し、沖縄本島南東約760km沖貨物船から患者を収容後、南大東島に着陸して患者を海上保安庁の航空機に引き渡しました。
   11月25日(月)鹿児島県知事から第1航空群へ災害派遣要請がなされ、第1航空群からの災害派遣要請依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、悪石島で患者を収容後、マリンポートかごしまに着陸して患者を救急車両へ引き渡しました。
   貨物船から那覇飛行場まで患者を空輸するため、11月11日(月)14時54分、第十一管区海上保安本部長から南西空司令官へ災害派遣要請がなされ、同時刻、南西空司令官からの災害派遣協力依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。那覇救難隊のUH-60J(医師同乗)が那覇飛行場を離陸し、貨物船上空に到着後、患者を収容し那覇飛行場に着陸して患者を救急車両へ引き渡しました。
   貨物船から那覇飛行場まで患者を空輸するため、10月3日(木)4時55分、第十一管区海上保安本部長から南西空司令官へ災害派遣要請がなされ、同時刻、南西空司令官からの災害派遣協力依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。那覇救難隊のU-125A及びUH-60J(医師同乗)が那覇飛行場を離陸し、貨物船上空に到着。UH-60Jが患者を収容し(U-125Aは、患者収容等を確認した後、那覇飛行場へ帰投)、那覇飛行場に着陸して患者を救急車両へ引き渡しました。7時4分、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   宮城県沖海上で操業中の漁船乗組員に急病者が発生し速やかな医療機関への搬送が必要との判断により、第2管区海上保安本部長から第4空団(松島基地)へ緊急搬送に関する災害派遣要請がなされました。航空救難団は、第4空団からの災害派遣協力依頼に基づき災害派遣を行い、9月30日(月)20時31分、松島救難隊のUH-60Jが松島飛行場を離陸し、漁船から海上保安庁巡視船に移乗していた救急患者を引き受け、23時59分松島飛行場に着陸、救急車両へ引き渡しました。
   山口県山口市で発生した林野火災に際し、山口県知事から第13旅団長へ災害派遣要請がなされ、航空救難団は、陸上総隊からの災害派遣協力依頼に基づき、災害派遣を行いました。9月21日(土)8時41分、春日ヘリコプター空輸隊のCH-47Jが福岡空港を離陸し、防府北基地を経由地として現場へ出動。計7回の空中消火により約35tの放水を実施しました。22日(日)14時30分、鎮火が確認され撤収要請により、災害派遣を終了しました。
   山口県見島から萩市内まで患者を空輸するため、8月22日(木)2時42分、山口県知事から第3術科学校長へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第3術科学校長からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。芦屋救難隊のUH-60Jが芦屋飛行場を離陸し、見島ヘリポートに着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、河添河川公園まで空輸しました。5時40分、芦屋飛行場にUH-60Jが着陸し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   令和6年8月8日(木)16時43分頃、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震発生に伴い、航空救難団は、新田原救難隊U-125Aにより、地震発生地域周辺の被害情報収集を行いました。
   山形県に大雨特別警報が発表され、7月25日(木)15時33分、山形県知事から陸上自衛隊第6師団長へ災害派遣要請がなされ、7月26日(金)6時50分、第6師団長からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。秋田救難隊及び新潟救難隊のUH-60Jが航空機による情報収集を実施。新潟救難隊のUH-60Jが孤立住民を救助し、旧内郷小学校グラウンドまで搬送しました。
   鹿児島県種子島空港から鹿児島市内まで患者を空輸するため、7月15日(月)21時15分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、種子島空港に着陸。患者を収容後(医師同乗)、マリンポートかごしまヘリポートまで空輸しました。7月16日(火)0時00分、新田原飛行場にUH-60Jが着陸し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   鹿児島県種子島空港から鹿児島市内まで患者を空輸するため、7月11日(木)3時15分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、種子島空港に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、マリンポートかごしまヘリポートまで空輸しました。5時55分、新田原飛行場にUH-60Jが着陸し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   新潟県佐渡空港から新潟空港まで患者を空輸するため、7月10日(水)11時57分、新潟県知事から航空救難団司令への災害派遣要請に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新潟救難隊のUH-60Jが新潟空港を離陸し(医師、看護師同乗)、佐渡空港に着陸。患者を収容後、新潟空港まで空輸し、13時45分、災害派遣を終了しました。
   長崎県対馬空港から福岡県福岡空港まで患者を空輸するため、7月5日(金)17時30分、長崎県知事から海上自衛隊第22航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第22航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。芦屋救難隊のU-125Aが芦屋飛行場を離陸し、対馬空港に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、福岡空港まで患者を空輸しました。20時49分、芦屋飛行場にU-125Aが着陸し、同時刻、災害派遣を終了しました。
   北海道置戸町幌加山において山林火災が発生したことから、北海道知事から陸上自衛隊第5旅団長へ災害派遣要請がなされ、7月4日(木)、第5旅団長からの災害派遣協力依頼に基づき航空救難団は、三沢ヘリコプター空輸隊CH-47Jにより、空中消火活動を行いました。
   鹿児島県屋久島空港から鹿児島市内まで患者を空輸するため、6月26日(水)0時27分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協力依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、屋久島空港に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、マリンポートかごしまヘリポートにおいて患者を移管しました。3時27分に新田原飛行場に着陸し、同時刻、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   令和6年6月3日(月)6時31分頃に発生した石川県能登地方を震源とする最大震度5強の地震に伴い、航空救難団は、小松救難隊UH-60Jにより地震発生地域周辺への災害派遣(情報収集)を行いました。
   鹿児島県黒島から鹿児島市内まで患者を空輸するため、6月3日(月)3時22分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、黒島(片泊ヘリポート)に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、マリンポートかごしまヘリポートにおいて患者を移管しました。6時01分に新田原飛行場に着陸し、同時刻、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   宮城県沖を航行中の貨物船から松島飛行場まで患者を空輸するため、5月29日(水)13時00分、第二管区海上保安本部長から第4航空団司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第4航空団司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。松島救難隊のU-125A及びUH-60J(医師及び看護師同乗)が松島飛行場を離陸し、貨物船上空に到着。UH-60Jが患者を収容し(U-125Aは、患者収容等を確認した後、松島飛行場へ帰投)、松島飛行場に着陸して患者を移管しました。17時57分、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   鹿児島県屋久島空港から鹿児島市内まで患者を空輸するため、5月24日(金)20時58分、鹿児島県知事から海上自衛隊第1航空群司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第1航空群司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。新田原救難隊のUH-60Jが新田原飛行場を離陸し、屋久島空港に着陸。患者を収容後(医師、付添人同乗)、屋久島空港を離陸しマリンポートかごしまヘリポートにおいて患者を移管しました。23時56分に新田原飛行場に着陸し、同時刻、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   北海道利尻空港から丘珠空港まで患者を空輸するため、5月16日(木)22時58分、北海道知事から第2航空団司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第2航空団司令からの災害派遣協力依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。千歳救難隊のU-125Aが千歳飛行場を離陸し、利尻空港に着陸。患者を収容後(医師同乗)利尻空港を離陸し、丘珠空港において患者を移管しました。5月17日(金)2時20分に千歳飛行場に着陸し、同時刻、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   海底ケーブル敷設船から海上保安庁巡視船「くりこま」に移乗されていた患者を百里飛行場まで空輸するため、第二管区海上保安本部長から第7航空団司令へ災害派遣要請がなされ、5月10日(金)8時00分、第7航空団司令からの災害派遣協力依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を行いました。百里救難隊のU-125A及びUH-60J(医師同乗)が百里飛行場を離陸し、巡視船上空に到着。UH-60Jが患者を収容し(U-125Aは、患者収容等を確認した後、百里飛行場へ帰投)、百里飛行場に着陸して患者を移管しました。12時45分、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   北海道奥尻空港から函館空港まで患者を空輸するため、4月18日(木)4時36分、北海道知事から第2航空団司令へ災害派遣要請がなされ、同時刻、第2航空団司令からの災害派遣協⼒依頼に基づき、航空救難団は災害派遣を⾏いました。千歳救難隊のU-125Aが千歳飛行場を離陸し、奥尻空港に着陸。患者を収容(医師、付添人同乗)し、奥尻空港を離陸。函館空港に着陸して患者を移管しました。8時30分に千歳飛行場に着陸し、同時刻、撤収要請により災害派遣を終了しました。
   令和6年4月17日(水)23時14分頃、豊後水道を震源とする最大震度6弱の地震発生に伴い、航空救難団は、新田原救難隊U-125Aにより、地震発生地域周辺への災害派遣(情報収集)を行いました。
   令和6年4月3日(水)8時58分頃、台湾付近で発生したM7.7の地震により、9時01分、沖縄本島地方、宮古島・八重山地方に津波警報が発令されたことに伴い、航空救難団は、那覇救難隊U-125A及びUH-60Jにより、津波警報発令地域の災害派遣(情報収集)を行いました。