防衛省自衛隊
福井地方協力本部

第35代本部長の紹介

1等海佐

野間 俊英(のま としひで)

本部長統率方針

誠心誠意

略歴

平成8年3月に防衛大学校卒業及び
海上自衛隊へ入隊

・海上幕僚監部防衛部防衛課

・第1掃海隊司令(呉)

・外務事務官
(在英日本大使館防衛駐在官)

・統合幕僚監部 日米共同室長を経て令和3年12月より現職

プロフィール

昭和49年3月12日生

神奈川県出身

防衛大学校卒(第40期)

映画「トップガン マーベリック」を観て:あれは海軍です!!


 トム・クルーズ主演の映画「トップガン マーベリック」が先月公開となり、ヒットをしています。前作(1986年公開)のヒットを知っているオジサン世代の一人としては、今回の続編を大変楽しみにしておりまして、妻を連れて2回も観に行ってしまいました。今回の続編は前作同様、米海軍の全面協力を得て撮影が行われ、飛行シーンは最新技術を駆使し迫力のある素晴らしい映画でした。
 この映画は、戦闘機パイロットの姿を描いた映画です。日本で「戦闘機」というと航空自衛隊を想像されると思いますが、映画「トップガン」で描かれている戦闘機パイロットは、空軍ではなく海軍の戦闘機パイロットを描いています。
 海上自衛隊は戦闘機や航空母艦を保有していませんが、旧日本海軍は世界に先駆けて戦闘機等の航空機を運用する空母機動部隊を編成し屈指の海軍航空戦力を有していました。その日本海軍との戦いを含めた経験を積み重ねて、米海軍は現在の空母打撃群の形を作り、今なお進化を続けています(ちなみに今年は米海軍の航空母艦運用開始100周年の年です。)。
 そのような歴史を踏まえると、旧日本海軍が現在の米海軍に大きく影響を及ぼしたとも言えます。例えば、私が教官として勤務していた米海軍兵学校では、必須科目の「海軍戦術」において、日本海軍との戦いであるミッドウェー海戦が最終課題とされていました。戦争は決して賛美されるものではありません。しかし、現在の米軍が自衛隊に対して示してくれる高い敬意は、そうした先人の方々の犠牲の上にあるのではないかと、この映画を観て思いました。

福井出身の総理大臣


 先日、市内をジョギングしていて、JR福井駅の東口に、銅像があるのに気が付きました。近づいて、確認してみると、この銅像は、岡田啓介海軍大将の銅像でした。岡田啓介(1868~1952)は、旭小学校、旧制福井中学(現藤島高校)を卒業後、海軍兵学校に入校。海軍では、日清・日露戦争に従軍し数々の要職を務め、海軍大将まで昇進。海軍退役後は総理大臣を務めた人です。一貫して英米との協調を唱え、対米戦争中は東条内閣打倒及び終戦工作に尽力した人物です。偉大な海軍の先輩が育った福井で勤務できることを誇らしく思います。

岡田啓介銅像(福井駅東口:銘板筆は吉田茂による)
岡田啓介銅像(福井駅東口:銘板筆は吉田茂による)
銅像の説明版
銅像の説明版
岡田啓介像横にある松尾伝蔵胸像(二・二六事件時に岡田の身代わりになった元陸軍大佐)
岡田啓介像横にある松尾伝蔵胸像(二・二六事件時に岡田の身代わりになった元陸軍大佐)
岡田啓介生誕の地(福井市日の出3丁目)
岡田啓介生誕の地(福井市日の出3丁目)
旭小学校(岡田啓介の母校)
旭小学校(岡田啓介の母校)
藤島高校(旧制福井中学)(岡田啓介の母校)
藤島高校(旧制福井中学)(岡田啓介の母校)

特務艦「関東」遭難の碑(南越前町)を訪れて


 南越前町にある「特務艦関東遭難の碑」を訪れました。この碑は、1924年12月12日に、京都府舞鶴基地に向かっていた旧海軍の特務艦「関東」が、悪天候の中、越前海岸で座礁した事故で犠牲になった97名の将兵の慰霊をするために建てられたものです(南越前町HPはコチラからどうぞ)。多くの将兵が犠牲になる中でも、南条郡河野村(現南越前町)の方々の献身的な救助活動で命を取り留めた将兵もいたそうです。出稼ぎで男手が少ない中、救助活動にあたった多くの方々は、老人や女性であったようです。
越前の方々から受けた恩は、旧海軍の末裔たる海上自衛官として語り継いでいかなければならないと思っています。

大日本帝国海軍特務艦「関東」(「特務艦関東の遭難」(上坂冬夫著)より)
大日本帝国海軍特務艦「関東」(「特務艦関東の遭難」(上坂冬夫著)より)
特務艦関東遭難慰霊碑公園(南越前町)
特務艦関東遭難慰霊碑公園(南越前町)
「特務艦関東遭難之地」(この碑の沖で関東が座礁した)
「特務艦関東遭難之地」(この碑の沖で関東が座礁した)

米軍から表彰されました


 先日、在日米軍司令官ラップ中将より、前配置(統合幕僚監部日米共同室長:市ヶ谷)における功績を評価され、Defense Meritorious Service Medal(防衛功労章)を授与されました。個人名で授与されていますが、これはあくまで職責に対する表彰であると考えています。当時の上司・同僚・部下、カウンター・パートである在日米軍司令部及び米インド太平洋軍司令部のスタッフなど多くの方々の支えがあって、何とか職責を全うできたというのが、私自身の正直な感想です。そう考えると、私個人の功績というより、緊密で強固な自衛隊と米軍のチーム・ワークが認められたものと言えます。この場を借りて、関係者の方々に深く感謝を申し上げます。
I was honoured and privileged to be awarded Defense Meritorious Service Medal by Lieutenant General Ricky N.Rupp, USAF, Commander, United States Forces, Japan. This award is for my previous appointment as Chief Staff Officer, Bilateral Operation Office, Joint Staff. Although this DMSM was given to my individual name, I am fully aware that the award was given to my duty in Joint Staff. To be honest, I could not accomplish my mission without great help and support from my bosses, colleagues and staff in the JJS and from staff in the USFJ and the USINDOPACOM. In this sense, I strongly believe that this award is not only for me, but also for our Japan-US team. I would like to offer my sincere appreciation to all who kindly worked together with my team. I am very proud of having been able to be a part of Japan-US team with you all.

Defense Meritorious Service Medal(防衛功労章)
Defense Meritorious Service Medal(防衛功労章)

入隊式に行ってきました


 満開の桜の中、大津駐屯地(滋賀県)と金沢駐屯地(石川県)で行われた入隊式に参列してきました。福井っ子たちの凛々しい制服姿はとても頼もしく、そんな彼らの姿に私自身も活力を頂き、心を新たにしました。先日のコラムでも紹介した佐久間艇長をはじめとして、旧陸海軍や自衛隊には、福井出身の偉大な先輩が大勢おられます。そんな大先輩たちと共に、私も福井から応援しています!「頑張んね!福井っ子!」

大津駐屯地入隊式1
大津駐屯地入隊式1
大津駐屯地入隊式2
大津駐屯地入隊式2
大津駐屯地入隊式3
大津駐屯地入隊式3
大津駐屯地入隊式4
大津駐屯地入隊式4
大津駐屯地入隊式5
大津駐屯地入隊式5
大津駐屯地入隊式6
大津駐屯地入隊式6
大津駐屯地入隊式7
大津駐屯地入隊式7
金沢駐屯地入隊式1
金沢駐屯地入隊式1
金沢駐屯地入隊式2
金沢駐屯地入隊式2

佐久間記念交流会館訪問


 先日、若狭町にある佐久間記念交流会館を訪れました。旧海軍潜水艦開発草創期において、殉職された佐久間勉大尉(第六潜水艇長)が示した高い責任感と暖かい人間性に思いを馳せ、先人たちの高いプロフェッショナリズムを自衛隊のDNAにも受け継いでいかなければならないと思いました。改めて、佐久間勉大尉という偉大な大先輩を育んだ福井の地で勤務できることを誇りに感じています。当日は、桜が満開でとてもきれいでした。

佐久間艇長(佐久間記念交流会館パンフレットより))
佐久間艇長(佐久間記念交流会館パンフレットより)
佐久間大尉生誕地の碑
佐久間大尉生誕地の碑
佐久間記念交流会館
佐久間記念交流会館
六号神社の桜
六号神社の桜
沈着勇断の碑
沈着勇断の碑
沈着勇断の碑と桜
沈着勇断の碑と桜

軍人のパラリンピック


 先週まで北京で行われたパラリンピックで、日本選手の大活躍をした姿には、私だけでなく皆さんも力づけられたのではないでしょうか。今回は、軍人の「パラリンピック」を紹介したいと思います。
 パラリンピックの起源は、第2次世界大戦後のイギリスで、傷痍軍人(戦場等で負傷し障害を負った軍人)によって行われたストーク・マンディビル・ゲームス(Stoke Mandeville Games)が起源とされています。この大会では16人の傷痍軍人たちが車椅子アーチェリーを行いました。この大会を発案したのは、傷痍軍人のリハビリの一環としてスポーツを導入していたガットマン医師でした(1)。ガットマンは神経学医でしたが、スポーツが、傷痍軍人の肉体的・精神的回復にも役立つということに、いち早く気が付いた偉大な医師です。後に、彼はその功績が高く評価され、王室から大英帝国勲章(OBE:Order of British Empire)を授与されました。
 現在のパラリンピックは軍人に限らず、広く障害を持つ方が参加し、平和の祭典として行われています。しかし、残念ながら現実問題として、世界中では戦争・紛争が絶えず起こっており、多くの兵士たちが戦闘で命を落とし、傷ついています。そして、医療が発達した現代では、戦傷者が助かる確率が上がった一方で、その社会復帰が大きな問題となります。特に2000年代に入ってからは、アフガニスタンの軍事作戦に参加した国々で、負傷した帰還兵士が除隊後、社会から取り残される事例が多発し、大きな社会問題になりました。
 その問題の解決策の一つとして再びスポーツが注目されます。まず、2010年にアメリカで、傷痍軍人のリハビリ促進と社会の理解促進のために、ウォリアー・ゲーム(Warrior Games:「戦士の大会」)という傷痍軍人のスポーツ競技会が始まりました(2)。 その後、この大会を見た英国のハリー王子(サセックス卿)が、その精神に感動し、傷痍軍人のための国際スポーツ競技大会の開催を提案します。このハリー王子の呼びかけに、祖母であるエリザベス女王、各国の政治家、軍人のみならず、ビジネス界の要人たちが賛同し、傷痍軍人のための国際スポーツ競技会である第1回インビクタス・ゲーム(Invictus Games:不屈の者たちの大会)が2014年にロンドンで行われました。(3)
 ハリー王子は、陸軍士官としてアフガニスタンの作戦に従事した経験を持っており、そこで多くの戦傷者を目にして心を痛めていました。その時から「戦傷者のために自分が役立てないか」と考えていたようです。彼は、「王子」という自分の立場を駆使して各界の著名人たちに働きかけ、インビクタス・ゲームを成功に導きました。ハリー王子の傷痍軍人たちへの想いは、英国では美談となっています。(4)
 インビクタス・ゲームスは、日本からの参加がないため、我が国では、あまり注目されていませんが、その精神はパラリンピックと全く同じで、「スポーツの力」の偉大さを感じさせてくれます。ここ2年間は新型コロナ感染症の拡大で中止されていましたが、このコラムを書いている2022年3月11日現在では、4月16日からオランダのハーグで第5回大会が行われる予定です。皆さんも是非、注目してみて下さい。

関連HP
(1)International Paralympic Committee/Paralympic Games All Editions (パラリンピックのリンク)
(2)Warrior Gameのリンク
(3)Invictus Games のリンク
(4)ハリー王子は、英国王室から離脱をされましたが、今後もインビクタス・ゲームの後援者(Patron)としての立場を維持する意思を表明されています。

100年の時を超え繋がる想い


 前回のコラムでは、「防人にして外交官」と題して、自衛官の国際的な一面を紹介しました。その経験の中でのハート・ウォーミング・ストーリーを紹介します。
 第1次大戦終結100周年であった2018年のある日、鶴岡駐英日本大使(当時)あてにイングランド南部のポートランドに住む若者から一通のメールが送られてきました。そのメールには「近くの海軍墓地にHaradaという名前の刻まれた日本海軍軍人の墓がある。来年2019年は彼が埋葬されてからちょうど100年になる。Harada海軍兵曹のお墓は100年たった今も大切にされていることをご遺族にも伝えたい。ついては、Harada海軍兵曹のご遺族を探してくれないか。」と書かれていました。
 当時、防衛駐在官として、ロンドンの日本大使館に勤務していた私は、鶴岡大使の命を受けこのメールに書かれているHarada海軍兵曹のご遺族を探すことになりました。しかし、Harada海軍兵曹が埋葬されたのは、100年も前のことで、旧海軍の記録も残っているかどうかわかりません。そこで、藁をもつかむ思いで東京の市ヶ谷にある防衛研究所戦史研究センターの石丸安蔵先生に問い合わせました。すると、石丸先生は、同研究所が保管している旧帝国海軍の資料を調べ、当該海軍兵曹は、原田浅吉2等海軍兵曹であること、そして、当時のご家族の住所は長崎県であったことがわかりました。しかし、それ以上のことは防衛研究所ではわかりませんでした。そこで、海自OBを通じ紹介していただいた長崎地方協力本部副本部長(当時)玉川裕一さんに原田2等海軍兵曹の、ご家族の住所に足を運んでいただき、ついに原田海軍兵曹のお孫様がご存命であることが判明しました。
 その後、原田海軍兵曹のご遺族が見つかった話に感動した英国海軍参謀本部の日本担当士官が海軍墓地のある地元ポートランドの退役軍人会の方々にも声をかけ、原田2等海軍兵曹の100年目の命日である2019年2月15日に慰霊行事を行なわれました。この時の模様は、英海軍のHPをはじめとして、日本の新聞や防衛研究所のHPでも紹介されました(※)。慰霊祭当日の様子は、玉川さんから、原田海軍兵曹のお孫様にも、報告していただいたところ、大変喜んでいただいたそうです。
 自衛官は我が国の平和と独立を守るという使命を持っています。これは、諸外国の軍人達も同じです。であるがゆえに、100年前に、遠い異国の地で心ならずも命を落とした我々の大先輩に対して、敬意を表してくれたのだと思いました。この英国での私の経験は、国を守るという各国の軍人たちと同じ使命を持つ自衛官だからこそ、国を超えて、時を超えて繋げる想いがあるということを教えてくれたと思っています。

詳しくは、下記リンクの記事等に掲載されています。
※1 英海軍ホームページのリンク
 2 産経新聞の記事のリンク
 3 防衛研究所HPのリンク

原田2等海軍兵曹の墓石(ポーランド英国海軍基地)
原田2等海軍兵曹の墓石(ポートランド英国海軍基地)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)
慰霊祭の様子(写真提供 英国海軍)

自衛隊あれこれ ~防人にして外交官~


 本部長の部屋にようこそ!これから「本部長の部屋」では、自衛隊の様々なことを、私の経験を通じて紹介しようと思います。第1回目は「防人にして外交官」です。
 自衛隊と聞いて何を想像しますか?おそらく最初に思い浮かぶのは、イージス艦、戦闘機や戦車などかもしれません。でも、海や空で船や飛行機に乗ったり、演習場で訓練をすることばかりが自衛隊の仕事ではありません。国の平和のためには、時には海外に出て、諸外国の軍隊と共同訓練や任務を通して絆を深め、相互に理解し合うことで、世界の平和と安定に貢献することも重要な役割です。
 こうした活動の具体的なものは、同盟国であるアメリカ軍との緊密な連携強化、日本を訪問する各国軍隊と共同訓練等です。また、いつでもどこでも活動できる自衛隊の能力を使って、海外で災害が発生した場合に派遣され援助活動を行うこともあります。最近では、トンガ王国における海底火山噴火後の援助活動のために、陸海空自衛隊が派遣されています。
 英国海軍では“ act as a guardian and a diplomat”というキャッチフレーズがよく使われます。日本語に訳せば「防人(さきもり)にして外交官としてふるまう」となるでしょう。自衛隊の役割も、まさに「防人にして外交官」として表現できると思っています。
 私自身は、防衛大学校での海外の軍士官学校からの留学生との交流、海上自衛隊での遠洋航海や米国への派遣訓練、米国海軍兵学校での連絡官勤務、英国の日本大使館における防衛駐在官勤務など、諸外国の軍人達と勤務する貴重な機会を数多くいただきました。
 そうした勤務を通じて、諸外国の軍人たちと友情を深めていく中では、共通の友人を通して「友達の輪」が広がっていくこともよくあります。そんな時は決まって“It’s a small world!”などと笑い合っています。言葉や文化が異なっても「国を守る」という共通の任務を持つ各国の軍人との勤務はとても楽しくやりがいのあるものです。その意味では、自衛官という職業は、外交官にも負けない国際的な仕事だと思います。

タイ陸軍士官学校短期留学(防衛大3学年時)
タイ陸軍士官学校短期留学(防衛大3学年時)
遠洋練習航海(チリ海軍士官とパナマ運河にて)
遠洋練習航海(チリ海軍士官とパナマ運河にて)
米海軍兵学校連絡官勤務(米海軍士官候補生達と日本大使館にて)
米海軍兵学校連絡官勤務(米海軍士官候補生達と日本大使館にて)
在英国防衛駐在官勤務(女王誕生記念パレード時)
在英国防衛駐在官勤務(女王誕生記念パレード時)
在英国防衛駐在官勤務(米国およびカナダ海軍武官夫妻と)
在英国防衛駐在官勤務(米国およびカナダ海軍武官夫妻と)

「1か月が過ぎました。」


 昨年12月に着任し、早1か月が過ぎました。これまで、多くの方々に着任の御挨拶をさせていただきましたが、杉本県知事を始めとした皆様から暖かい激励の御言葉をかけていただきました。誠にありがとうございました。着任当初の年末の降雪(私にとっては人生最大の「大雪」(!?)でした。)には驚きましたが、今では雪にも慣れ、滑って転ぶこともなくなりました(笑)。
 この1か月、勤務している福井市内をブラブラと歩いて、福井の豊かな歴史を実感しました。例えば、先日はジョギング中に、橋本左内の生家跡に偶然辿り着きました。歴史の授業で習った安政の大獄や、昨年の大河ドラマを想い起こし感慨深くなりました。橋本佐内の主である福井藩主であった松平春嶽も四賢候として名高く、幕末・明治維新という日本の歴史のターニングポイントで大きな影響力があった人物たちを育んだのがここ福井であったのだと実感しました。このことは、今の福井の高い教育水準にも繋がっているのかなとも考えたりしています。そのような素晴らしい福井で、私は福井県の皆様と自衛隊の懸け橋となれるよう誠心誠意、勤務していきます。コロナ禍での制約はありますが様々な機会を通して皆様とお会いできるのを楽しみにしております。
 この「本部長の部屋」では、自衛隊福井地方協力本部の活動だけでなく、私自身の今までの自衛官としての経験などを紹介させていただき、皆様の自衛隊に対する御理解の一助となればと考えています。引き続き、皆様のご協力とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

2021年12月24日 着任挨拶


自衛隊福井地方協力本部のホームページにアクセスしていただき、大変ありがとうございます。年の瀬の慌ただしいなか、12月24日付で福井地方協力本部長に着任しました野間です。福井での勤務は初めてで、海上自衛官が福井県内で勤務できる機会が非常に限られていることもあり、ここ福井で勤務できるご縁をありがたく感じております。
勤務に際しては、県民の皆様と防衛省・自衛隊の窓口となり、県民の皆様のご期待に沿えるよう尽力してまいりたいと考えておりますので、皆様のご協力とご支援を賜りたく、宜しくお願いいたします。