記念碑紹介

悠久之碑

建立:昭和43年6月

日本防衛のため海上航空再興を期して、昭和28年8月、この地に海上自衛隊館山基地が開設されて以来、当基地勤務中、惜しくもその職に殉じた尊い御霊を慰め、永久にその功績を顕彰するために建立された。
隊員一同その意志を継承し、ますます任務第一の精神を高揚せんことを誓う。

海軍航空写真分隊記念之碑

建立:昭和60年8月

海軍における航空写真術科は、およそ四半世紀に亘る歴史をもち、霞ヶ浦、横須賀両航空隊においてその教育を実施したが、昭和18年6月に開隊された洲崎海軍航空隊へと移行された。
折しも大量教育の時期にあり、多くの若き練習生や予備学生たちは、不抜の士気向上に燃え、日夜練成に励んだ。やがて教程を終え内外各地の任務に就いたが、この地で学んだ人達にとっては忘れ得ない心の拠り所であった。

海上航空再興之地

建立:昭和38年9月

昭和28年8月、この地にベル型ヘリコプターが配備されて操縦訓練を開始し、同年9月館山航空隊が開設され、戦後8年間にわたる空白から脱して海上航空再興の第一歩を印した。開隊10周年を記念して、この碑が建立された。

海軍中攻隊之碑

建立:昭和45年6月

日本海軍航空戦史に不滅の光彩を放つ96式陸上攻撃機は、当初9試中攻と称され、昭和 10年館山航空隊に配備され、心血を注いだ研究開と部隊訓練が昼夜を分たず行われたが、それは当時世界の最高水準をいくものであった。往年の指揮所跡た る基地にその顕彰碑があったが、館山海友会と海上自衛隊を中心とする後輩有志が再び建立したものである。

海軍落下傘部隊発祥の地

建立:昭和45年6月

第2次大戦の海軍落下傘部隊は、館山航空部隊で落下傘降下訓練を行い、昭和16年11 月に戦闘に参加した。第1特別陸戦隊は南国セレベス島のメナード、第3特別陸戦隊はチモール島のクーパンへ実戦降下し、多くの戦死者が出た。後世の人々にこれを残し、再び戦争を繰り返すことのないよう平和を願い、戦死された隊員遺族の有志が記念碑等を建立した。