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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

3 ウクライナ侵略の経過と見通し

1 ロシアによる電撃戦の失敗とウクライナによる緒戦防衛

2022年2月24日、ロシアは、「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の住民保護を目的にウクライナを武装解除する「特別軍事作戦」を実施すると称し、同国に対する全面的な侵略を開始した。

ウクライナ国内を走行するロシア軍の装甲車【SPUTNIK/時事通信フォト】

ウクライナ国内を走行するロシア軍の装甲車
【SPUTNIK/時事通信フォト】

ロシアによる侵略に至るまでの背景としては、NATOの東方拡大に対する脅威認識をはじめとする政治的な要因が指摘されている。特に、ウクライナやジョージアが他の中・東欧諸国やバルト三国に続いて自らの意思でNATOに加盟すれば、ロシアは西部国境におけるNATOとの緩衝地帯をさらに喪失することや、ウクライナのNATO加盟の見通しが立たない状況でも、加盟の意思を持ってNATOとの協力を進展させることでウクライナ軍の能力及びNATOとの相互運用性が実質的に向上すること自体が、ロシアにとって自らの「勢力圏」としてのウクライナの位置づけが危ぶまれ、容認できなかったとの見方がある。

一方で、ロシアがウクライナ侵略を決断した直接の契機としては、より軍事的な要因も指摘されており、2014年のクリミア「併合」の成功体験を踏まえ、ウクライナの抵抗意思及びウクライナ軍の能力に関する楽観的な見積りを有していた可能性や、これまでのプーチン政権下で機構改革や近代化を進めてきたロシア軍の能力向上に対する自信を深めていたことなどの要因があると考えられる5

侵略開始当初、ロシア軍は、ウクライナ軍の防空システムや航空戦力を破壊する目的でミサイル攻撃を実施したが、ミサイル攻撃を徹底せず、航空優勢を確保しないまま、ウクライナ北部及び北東部国境から首都キーウへ、東部国境からハルキウへ、また、クリミア半島からヘルソン、ザポリッジャ及びアゾフ海沿岸へ向け、複数正面において同時に地上侵攻を開始した。ミサイル攻撃の不徹底の理由としては、ミサイル攻撃や同時複数正面からの地上軍の侵攻によりウクライナの抗戦意思を削ぎ、ウクライナ軍を無力化できるとの楽観的な見積りのほか、偵察衛星などのミサイル攻撃にあたっての標定(ターゲティング)能力の不足、ミサイル生産能力の制約に起因する補給能力への懸念などが指摘されている。

また、軍種間の統合運用の欠如による地上軍と航空宇宙軍の連携不足や一元的な指揮の欠如による各正面を担当する軍管区ごとの部隊指揮が、地上部隊に対する航空支援の不足や、侵攻する地上部隊の分散及び逐次投入を招き、ウクライナ軍、国境警備隊などによるロシア軍部隊の各個撃破をもたらした大きな要因になったとみられる。マリャル・ウクライナ国防次官は、ロシア軍の侵略開始からおよそ1日半の時点で、ロシア側の損害が人員2,800人、戦車最大80両、装甲戦闘車両516両に達したと発表しており、このようなロシア側の多大な損害は、米国をはじめとするNATO諸国が提供した対戦車ミサイルなどの装備をウクライナ軍などが有効に活用した結果との指摘もある。

ロシア軍は、ミサイル攻撃と同日の地上軍侵攻開始に加え、侵略開始当日から空挺部隊によるキーウ北西部のホストメリ飛行場の占拠を図るとともに、侵略開始翌日には軽武装の部隊によるキーウへの侵入を試みており、こうしたことも踏まえれば、首都キーウの早期掌握によるゼレンスキー政権の排除を企図していたものとみられる。しかし、ロシアによる侵略開始後、ゼレンスキー大統領が早くから一貫してキーウに残留する意向を明確にする中、ウクライナ軍などがキーウ郊外においてロシア軍の主力部隊の前進を阻止したことにより、ロシア軍による迅速なキーウ掌握の試みは成功せず、ベラルーシ及びロシア国境からキーウ方面に侵攻する主力地上部隊もウクライナ側の抵抗や兵站の問題などもあり、キーウ正面から後退することとなった。また、2022年2月27日、ロシア軍は、ウクライナ第二の都市であり、交通の要衝でもある東部ハルキウに対しても軽武装の部隊による侵入を試みたが、ウクライナ軍の反撃によりその迅速な掌握に失敗している。ロシア軍は、これら大都市の緒戦における掌握失敗後、多連装ロケットなどによる住宅地の砲撃など、非戦闘員に対する無差別攻撃をさらに強化した。また、キーウ郊外をはじめとして、ロシア軍の占領下に置かれた地域においては、民間人の虐殺など、ロシア軍などによる戦争犯罪が起こったものと考えられている。

一方で、ロシアが2014年に違法に「併合」したクリミア半島に隣接するウクライナ南部においては、兵站などの問題が比較的少なかったとみられること、同半島、ロシア本土及び黒海に展開した地対空ミサイルの射程圏内にあって航空支援が得やすいこと、比較的平坦な地形であることなどが影響し、ロシア軍は他の地域に比べ迅速に占領地を拡大したものと考えられる。しかし、ウクライナ軍は、ヘルソン付近において、UAV「バイラクタルTB2」によりロシア軍の兵站車列を攻撃したと発表しているほか、同UAVによる偵察及び射撃観測に火砲や多連装ロケットを組み合わせ、ロシア軍が占領し攻撃拠点としているチョルノバイウカ飛行場を断続的に攻撃していると発表しており、ロシア軍は侵略開始から2週間程度で掌握した範囲を保持しているものの、その後占領地を大幅に拡大してはいないものとみられる。

2 ロシアによる原発・核施設攻撃とNBC兵器をめぐる状況

ロシアは、ウクライナ侵略開始に先立つ2022年2月21日に開催されたプーチン大統領主宰の安全保障会議におけるショイグ国防相の発言にみられるように、実態に反して、ウクライナが核兵器を開発する可能性がある旨の主張を行ったが、実際に核物質や核施設をめぐる危険な行動をとったのはロシア側であった。ロシアは、同年2月24日にベラルーシ国境に近いチョルノービリ原発を占拠したほか、同年3月4日にはウクライナ南東部のザポリッジャ原発を攻撃し、占拠した。また、同月6日以降、実験用原子炉を有し、核物質を扱うハルキウ物理技術研究所を複数回にわたって攻撃した。

核兵器に関しては、同年2月27日、プーチン大統領が、ショイグ国防相及びゲラシモフ参謀総長に対し、核戦力を念頭に抑止力の運用部隊が特別な勤務態勢をとるよう命じたほか、同年3月22日、ペスコフ大統領報道官が、ロシアが存亡にかかわる脅威にさらされる場合、核兵器の使用はあり得るとの趣旨の発言をしている。また、同年4月20日、ロシア軍は、開発中の新型の大型ICBM「サルマト」の飛翔試験を初めて実施し、プーチン大統領が自国の核戦力を誇示する趣旨の発言をしている。

化学兵器や生物兵器についても、ロシアは、ウクライナがこれらを使用する可能性があるとの主張を繰り返しているが、米国や英国はロシアによるいわゆる「偽旗作戦」の準備との評価を明らかにしている6

3 ロシアによる作戦目標の下方修正と今後の見通しなど

首都キーウの早期制圧に事実上失敗したロシア軍は、キーウ方面の部隊をベラルーシ及びロシア領内に後退させるとともに、2022年3月25日、それまでの軍事活動は「作戦の第一段階」であったとして、今後はウクライナ東部のドネツク州及びルハンスク州の「解放」、すなわち両州における占領地拡大を作戦の主目標とする旨を発表した。これは、事実上戦争目的を下方修正するものであった。

同年4月9日、英国BBCは西側当局者の情報として、在シリア・ロシア軍編組部隊司令官の経験を有するドヴォルニコフ南部軍管区司令官が対ウクライナ作戦の総司令官に任命されたと報じた。作戦指揮の一元化を企図したものと見られているが、同作戦にはロシア軍のほか、国家親衛隊(旧国内軍)、連邦保安庁、カディロフ・チェチェン共和国首長に属する「カディロフツィ」と呼ばれる部隊などの準軍事組織も参加しており、それらの部隊も含めた一元的な指揮統制は困難とみられることから、今後もロシア軍は指揮統制をめぐる問題を抱えるものと予想されている。

ロシア軍は、キーウ方面から後退させた部隊をベラルーシ及びロシア領内で再編成し、同年4月中旬からウクライナ東部へ順次投入しているものとみられる。同年5月3日のウクライナ参謀本部発表によれば、ハルキウを含む同国東部の攻撃に当初から参加していたロシア地上軍西部軍管区第1戦車軍及び第20軍のほか、キーウへの攻撃に参加した同東部軍管区第29軍、第35軍及び第36軍並びに南樺太や北方領土所在部隊を管轄する第68軍団がウクライナ東部において攻勢作戦を実施している。また、アゾフ海沿岸におけるウクライナ側の最後の拠点であったドネツク州南部のマリウポリを包囲し、非戦闘員の被害を考慮せず、爆撃や砲撃により制圧を試みるとともに、ドニプロ川東岸のザポリッジャ、ドニプロのほか、ドニプロ川西岸において占領した主要都市であるヘルソンを拠点として、ミコライウ、オデーサなどのウクライナ東部及び南部の主要都市の占領を企図しているものとみられる。同年4月22日、ミンネカエフ・ロシア中央軍管区副司令官は、現在の作戦の目標について、ウクライナ東部のドネツク州及びルハンスク州に加え、ウクライナ南部の完全掌握を目指すと述べ、それによりロシア本土と2014年に違法に「併合」したクリミア半島との間に陸上回廊を確保するほか、ウクライナの海上貿易へのアクセスを遮断し、さらにはモルドバ東部のトランスニストリアのロシア系分離派勢力支配地域との連絡を図るとしており、ウクライナの分断を企図している可能性もある。ロシア軍は、同時に、ウクライナ西部を含む同国内各地へのミサイル攻撃を継続しており、ウクライナ軍の兵站を破壊するとともに、非戦闘員の犠牲を拡大することによるウクライナの抗戦意思の減殺を企図しているとみられる。

これに対し、ウクライナ軍は反撃を継続しており、ロシア軍が比較的大きな戦果を収めたとみられていたウクライナ南部においては、同年4月13日に国産地対艦ミサイル「ネプトゥーン」によりロシア黒海艦隊の旗艦であるスラヴァ級ミサイル巡洋艦「モスクワ」を撃沈したとされている。また、ウクライナ東部においても、同月30日にゲラシモフ・ロシア軍参謀総長が滞在していたとされるハルキウ州イジュームのロシア軍指揮所を砲撃したほか、同年5月12日にドネツ川を渡河中のロシア軍部隊を攻撃し、英国防省の評価によれば、この攻撃でロシア軍は少なくとも1個BTGを喪失したとされている。兵力や装備において優位なロシア軍が、作戦や戦術のみならず、士気や兵站に問題を抱えているとの指摘がある一方、ウクライナ軍は、強固な抗戦意思に加え、今後も各国の支援を得て反撃を継続するものと考えられる。この点、ウクライナ軍が奪還しつつある地域もみられることを踏まえれば、戦闘が長期化する可能性が指摘される一方で、ウクライナ側が徐々に反転攻勢を行っていく可能性もある。

侵略開始以前は、軍事力においてはるかに優位なロシアが、2015年以降のシリア作戦で誇示してきたような巡航ミサイルや戦略爆撃機といった長距離精密打撃能力を集中的に投入して航空優勢を獲得し、その後地上部隊を侵攻させ、ウクライナを数日で屈服に追い込むとの見方もあった。しかし実際には、ロシア軍のミサイル攻撃や航空攻撃は比較的低調で航空優勢を獲得できていないとされ、地上部隊も特定正面に集中させず複数正面において逐次投入した結果、甚大な損害7を出したとの指摘があるとおり、ロシア軍の大規模戦争遂行能力自体に疑問符が付くこととなった。また、ロシアによるサイバー攻撃や電子戦も事前に予想されていたほどの効果を発揮しなかったものとみられているほか、行為主体の特定を困難にし、自らの行為の正当化や情報のかく乱に重きを置いた「偽旗作戦」や「偽情報の流布」といった、いわゆる「ハイブリッド戦」の手法についても、行為主体が明白な大規模兵力による全面侵攻とは相反する性質を有することに加え、米国や英国の積極的なインテリジェンス情報の開示によってロシアの企図が周知されていたこともあり、奏功しなかったものと考えられる。一方、ウクライナは、フェドロフ副首相などの積極的な情報発信により官民を問わない外部の支援を獲得しているほか、有志参加者を募りロシアへのサイバー攻撃を任務とする「IT軍」を組織し、情報・メディア・サイバーなどの分野でロシアと比較して有利な立場を確保している。

今般の侵略を通じ、ロシアは大きな損害を被っているとみられ、軍事力の果たす役割を重視し、軍事力を背景として国際社会における自らの発言権を確保することを企図してきたロシアの今後の中長期的な国力の低下や周辺地域との軍事バランスの変化が生じる可能性がある8。特に、ロシアは、ベラルーシやカザフスタンといった集団安全保障条約機構(CSTO:Collective Security Treaty Organization)を構成する地域への影響力の維持・確保にさらに努めるとともに、米国への対抗などの安全保障面における共通性を持つとみられる中国との関係をさらに深化させる可能性がある。また、ウクライナ侵略によって生じた通常戦力の損耗が回復するまでの間、ロシアが抑止力としての核戦力を重視する姿勢をさらに強める可能性もあり、その場合、わが国周辺においては、戦略核戦力の一翼を担うロシア軍の戦略原子力潜水艦の活動海域であるオホーツク海周辺地域、すなわち、北方領土や千島列島周辺におけるロシア軍の活動のさらなる活発化をもたらす可能性がある。

参照3章5節3項1(核戦力)
3章5節4項(北方領土などにおけるロシア軍)

5 プーチン大統領をはじめとするロシア政治・軍事指導部がウクライナ侵略を決意した背景に関する説明の一例として、2022年3月8日、バーンズ米国中央情報局長官は、米国議会下院情報委員会公聴会において、プーチン大統領が、①ウクライナは弱く容易に威嚇できる、②欧州とりわけフランス及びドイツは、大統領選挙や政権交代によってウクライナ情勢から関心がそれる、③ロシア経済は制裁に耐えられる、④近代化された軍は最小限のコストで迅速かつ決定的に勝利できるとの前提に基づき、ウクライナに対する武力行使に適した状況であると判断したとの見解を示した。

6 2022年3月21日、バイデン大統領は、プーチン大統領がウクライナで生物・化学兵器の使用を検討している確かな兆しがあるとの趣旨の発言をしている。

7 ロシア軍の損害は、ウクライナ軍参謀本部発表(2022年5月1日)によれば戦死者2万3,500人、ロシア国防省発表(同年3月25日)によれば戦死者1,351人、戦傷者3,825人。なお、ウクライナ軍の損耗は、ゼレンスキー大統領発言(同年4月16日)によれば戦死者2,500~3,000人、戦傷者約1万人。

8 2022年4月25日、オースティン米国防長官は、ロシアはウクライナを完全に支配するという主目的の達成に失敗するとともに、ロシア軍の能力は劇的に低下したと言及している。また、同年5月2日、英国防省は、ロシアはウクライナ侵攻当初、全地上戦闘能力の約65%に相当する部隊を投入したが、うち4分の1以上が戦闘不能に陥っている可能性があるとともに、空挺部隊を含む精鋭部隊が最も損耗しており、これらの部隊の再建には何年もかかる見込みであるとの分析を公表した。