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あの時、自衛隊はこう動いた。

レジェンドエピソード

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自衛隊の国際貢献を切り拓いた湾岸の夜明け作戦

EPISODE.02

自衛隊の
国際貢献を切り拓いた

湾岸の夜明け作戦

 自衛隊が初めて海外で安全保障に関わる実任務を行ったのは、1991年の海上自衛隊「湾岸の夜明け作戦」だった。PKO/国際平和維持活動ではなく、湾岸戦争でペルシャ湾に敷設された約1200個の機雷を取り除く危険な任務。当時、輸入原油の7割を中東に依存していた日本にとっては避けられない問題であり、海外で掃海作業を行ったことのない隊員たちにとっても、歴史的な任務だった。

 部隊の指揮を執ったのは、落合畯(たおさ)1等海佐(当時)。艦艇6隻と隊員511人が派遣された。日本を含む9カ国、40隻の掃海艦艇が一致協力し、50度にもなる暑さと戦争で火が放たれた油井から上がる煤煙、砂漠から吹きつける砂塵の中、作業にあたった。初の任務に果敢に挑み、188日間に及んだ派遣で任務を完遂した隊員を、後に落合は「逞しい強者達」と表現している。ある隊員は、心配をかけまいとペルシャ湾に行くことを家族に告げずに出発した。ある若い隊員は、結婚式を延期して海を渡った。妻の出産に立ち会えなかった隊員もいた。それでも皆、不平を言わず、懸命に働いた。

 派遣された当初、湾岸諸国では復興に貢献してくれた国への感謝として、各国の国旗が描かれたTシャツが売られていた。その数は約30カ国に上ったが、日本の国旗はなかった。130億ドル(約1兆5千億円)の支援を行っていたにもかかわらず。現地の人々にはまったく感謝される存在ではなかったのである。しかし、掃海作業を始め、現地で報道された6月になると、そのTシャツに各国の国旗と並んで日の丸が入れられるようになった。資金のみの協力と、現地で汗をかく協力との差は歴然だった。

 「湾岸の夜明け作戦」は、まさに自衛隊の「国際貢献活動の夜明け」とも言える大きな一歩だった。

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