あの時、自衛隊はこう動いた。
レジェンドエピソード
EPISODE.01
72時間が生死の分かれ目
東日本大震災で
多くの命を救った
幕僚長の決断
2011年3月11日、東日本大震災が発生した際、当時陸上幕僚長の職にあった火箱は東京・市ヶ谷の防衛事務次官室において防衛省幹部と会議を行っていた。強い揺れとマグニチュード8.4の地震が発生したことを報道で知った火箱は、会議を行っていた11階から陸上幕僚長執務室のある4階まで階段で駆け降りる間、部隊を迅速に被災者の救助に向かわせなければとの思いから、そのために必要な手順を猛スピードで巡らせていた。
執務室に戻った火箱は、まず当時東北方面総監の君塚栄治陸将に連絡。次いで各方面隊、師旅団に出動を下命した。防衛大臣や各県知事からの災害派遣要請はまだなく、火箱の行動は独断であり文民統制(いわゆる、シビリアンコントロール)から逸脱する可能性があった。
しかし、阪神淡路大震災ではこうした災派要請のルールを厳守したため、結果として自衛隊の被災地への到着は遅れ、助かるかも知れなかった命を救えなかったという痛恨の記憶があった。地震の発生は午後3時前。3月だと、すぐに暗くなってしまう。それに、いったん隊員が帰宅してしまうと、再び召集するにはさらに時間がかかる。この決断は批判も浴びたが、同日午後3時半の対策会議で追認され、この瞬時の判断が多くの被災者の命を救った。その事実は、後の災害派遣にも多くの教訓を残した。