脊振山周辺の紹介

ホーム > 背振山分屯基地について > 背振山分屯基地とは

脊振山周辺の紹介

耳が真っ赤


         寒冷で育つ、つらら達
               
          
                              雪だるまになりきれなく、起き上がれなかった雪の子

  令和4年1月14日、全国各地を襲った寒波により脊振山にも雪が降りました。道は雪に覆われ、ここは本当に九州なのかと。 今年初の除雪車の出番となりました。車両だけでなく隊員たちも雪かき道具を持ち、雪かきを行いました。風も冷たく耳が痛いです。 終わってから雪だるまを作ろうとする隊員もいましたが、新雪のため奮闘むなしく転んだ雪だるまもどきしか作れませんでした。
 車両で山頂へ上がってこられる方もいらっしゃると思います。道路は凍結している箇所も多く、連日車両のスタックによる通行止めが発生 しています。ノーマルタイヤでは大変危険です。是非ともスタッドレスタイヤに履き替えてチェーン携行のうえでの上山をおすすめします。

脊振山からの夜景

脊振山も朝夕は氷点下の気温になるなど、冬本番を迎えました。冬の季節は空気が澄む日が多く、脊振山からの景色や星が とても綺麗に見えます。
               
                     アンテナ群から望む佐賀方面の夜景

          
 レーダーの上空に現れたオリオン座、後方は佐賀方面の夜景        レーダーの上空を飛行する飛行機  

脊振山近傍の紅葉

ホームページをご覧の皆様こんにちは。脊振山は12月に入り、雪もちらつく季節となりましたが、11月に基地近傍の紅葉が綺麗な 場所を巡って来たので紹介したいと思います。

  今年は例年に比べ、紅葉の満開時期が早い場所もあれば遅い所もあり、バラバラでなかなかタイミングが合いませんでしたが、来年は この綺麗な紅葉を見に出掛けてはいかがでしょうか。

私はどこにいるでしょう


  脊振山で忍者、ではなく、見事な擬態をしたナナフシ(ナナフシ目ナナフシ科)に遭遇しました。普段なかなか見ることができないナナフシを発見し、少し興奮してしまいました。 写真の中のどこに居るか見つけてみて下さい。

脊振山にも蛍!?


 令和3年7月、脊振山で蛍を発見しました。投稿者は脊振山で7年過ごして初めて蛍を見ました。なお、協力者(蛍) には写真撮影終了後、自然にお帰りいただきました。

春のお便り


 この冬、積雪が70㎝に達することもあった脊振山ですが、ようやく春の息吹を感じられるようになりました。ふきのとうの新芽も見られるようになりましたが、 最低気温は未だに0℃を下まわることも。脊振神社上宮に参られる方は、服装にご注意下さい。

秋の訪れを感じた竜胆とヤマアカガエル?


 もうすぐ冬眠ですか?私もこたつで冬眠したいです。

五ヶ山ダムと佐賀県指定天然記念物 小川内(おがわち)の杉


 五ヶ山ダムで水没した小川内地区に生えていた山祇(やまづみ)神社の御神木だそうです。

高志神社遺跡(たかしじんじゃいせき)


 佐賀県神埼市千代田町にある高志神社は、卑弥呼で有名な佐賀県の吉野ケ里遺跡同様、弥生時代の遺跡です。狭い範囲ながらも集落、墓地、貝塚が確認されており、 銅剣のような武器類も出土しています。また、高志部落で受け継がれてきた高志狂言は、明治時代に途絶えたとされる鷺流(さぎりゅう)の秘曲「半銭」 を伝える狂言史においても価値の高いもので、佐賀県の重要民俗文化財に指定されています。

基地に迷い込んだ子ウサギちゃん


雲海と夕日


脊振山に沈む夕日


こんな所にハート発見!


背振神社


 上宮の神殿は、石の祠となっており、弁財天とイチキシマヒメノミコトが御神体として祀られています。なお、冬季は積雪により参拝が困難なため、白蛇神社境内に下宮が建立されたといわれています。【参照:神埼市観光協会「脊振神社・弁財天」】

背振山役行者像


 脊振山頂に位置する航空自衛隊基地内に位置している修験道の祖師と伝えられる役行者像です。元禄13年(1700)に脊振山の天台衆中と本山派山伏中により建立されています。造立には砥川と西川の石工である冨永義兵衛と武冨幸右衛門があたっています。脊振山岳信仰・修験道の一端を伝える石造物です。【参照:神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI】

栄西記念像


 脊振山頂に向かう途中、木立の中に日本に最初にお茶を植えた、臨済宗の開祖栄西禅師の記念像が、訪れる人を静寂のなかでむかえてくれます。日本茶は、鎌倉時代に栄西禅師が宋の国からお茶の種を持ち帰って、脊振山に植えたのが始まりといわれおり、その後、茶の製法や効能を全国に広めました。この一帯は、8世紀の頃から、山岳仏教の聖地として栄え、修験道場としての様々な大伽藍が建ち並び、脊振千坊(セフリセンボウ)と称えられたところです。 【参照:神埼市観光協会「茶祖栄西記念像」】

ジャピー碑


 アンドレ・ジャピーは、フランスの冒険飛行家で、フランス政府によるパリ―東京間100時間飛行の懸賞競技に挑み、昭和11年(1936年)11月15日パリを飛び立ち、11月19日早朝、不安定な気象条件の中をジャピー機は東京へ向かって香港を出発。しかし、飛行は困難を極め、気流に巻き込まれ脊振山頂付近に墜落しました。遭難を知った地元の人々は、捜索隊を編成し、雑木林の中で動けなくなっていたジャピー氏を発見し、ジャピー氏は一命を取りとめました。当時この出来事は国境を越えた人間愛として大きな話題になり、小さな村に咲いたフランスと日本をつなぐ感動的な出来事として、今でも語り伝えられています。墜落した山中には石碑が建立されています。【参照:神埼市観光協会「アンドレ・ジャピー機遭難地」 】

藩境石


 江戸時代、鍋島藩(肥前)・黒田藩(筑前)の国境沿いの農民が境界争いを起こし、黒田藩側は「東門寺古証文」等に「筑前国背振山」と記されていることを根拠に山頂から南まで筑前国内と主張した。しかし、肥前側の国絵図に筑前国絵図に記載されていない脊振弁財天があること、藩主鍋島氏より社領が寄進されていることにより、幕府は鍋島藩の主張を認め尾根筋を両国の境と裁定した(元禄6年(1693年))。【参照:背振山の歴史と文化(福岡市博物館)】