脊振山周辺の紹介

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脊振山周辺の紹介

五ヶ山ダムと佐賀県指定天然記念物 小川内(おがわち)の杉


 五ヶ山ダムで水没した小川内地区に生えていた山祇(やまづみ)神社の御神木だそうです。

高志神社遺跡(たかしじんじゃいせき)


 佐賀県神埼市千代田町にある高志神社は、卑弥呼で有名な佐賀県の吉野ケ里遺跡同様、弥生時代の遺跡です。狭い範囲ながらも集落、墓地、貝塚が確認されており、 銅剣のような武器類も出土しています。また、高志部落で受け継がれてきた高志狂言は、明治時代に途絶えたとされる鷺流(さぎりゅう)の秘曲「半銭」 を伝える狂言史においても価値の高いもので、佐賀県の重要民俗文化財に指定されています。

基地に迷い込んだ子ウサギちゃん


雲海と夕日


脊振山に沈む夕日


こんな所にハート発見!


背振神社


 上宮の神殿は、石の祠となっており、弁財天とイチキシマヒメノミコトが御神体として祀られています。なお、冬季は積雪により参拝が困難なため、白蛇神社境内に下宮が建立されたといわれています。【参照:神埼市観光協会「脊振神社・弁財天」】

背振山役行者像


 脊振山頂に位置する航空自衛隊基地内に位置している修験道の祖師と伝えられる役行者像です。元禄13年(1700)に脊振山の天台衆中と本山派山伏中により建立されています。造立には砥川と西川の石工である冨永義兵衛と武冨幸右衛門があたっています。脊振山岳信仰・修験道の一端を伝える石造物です。【参照:神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI】

栄西記念像


 脊振山頂に向かう途中、木立の中に日本に最初にお茶を植えた、臨済宗の開祖栄西禅師の記念像が、訪れる人を静寂のなかでむかえてくれます。日本茶は、鎌倉時代に栄西禅師が宋の国からお茶の種を持ち帰って、脊振山に植えたのが始まりといわれおり、その後、茶の製法や効能を全国に広めました。この一帯は、8世紀の頃から、山岳仏教の聖地として栄え、修験道場としての様々な大伽藍が建ち並び、脊振千坊(セフリセンボウ)と称えられたところです。 【参照:神埼市観光協会「茶祖栄西記念像」】

ジャピー碑


 アンドレ・ジャピーは、フランスの冒険飛行家で、フランス政府によるパリ―東京間100時間飛行の懸賞競技に挑み、昭和11年(1936年)11月15日パリを飛び立ち、11月19日早朝、不安定な気象条件の中をジャピー機は東京へ向かって香港を出発。しかし、飛行は困難を極め、気流に巻き込まれ脊振山頂付近に墜落しました。遭難を知った地元の人々は、捜索隊を編成し、雑木林の中で動けなくなっていたジャピー氏を発見し、ジャピー氏は一命を取りとめました。当時この出来事は国境を越えた人間愛として大きな話題になり、小さな村に咲いたフランスと日本をつなぐ感動的な出来事として、今でも語り伝えられています。墜落した山中には石碑が建立されています。【参照:神埼市観光協会「アンドレ・ジャピー機遭難地」 】

藩境石


 江戸時代、鍋島藩(肥前)・黒田藩(筑前)の国境沿いの農民が境界争いを起こし、黒田藩側は「東門寺古証文」等に「筑前国背振山」と記されていることを根拠に山頂から南まで筑前国内と主張した。しかし、肥前側の国絵図に筑前国絵図に記載されていない脊振弁財天があること、藩主鍋島氏より社領が寄進されていることにより、幕府は鍋島藩の主張を認め尾根筋を両国の境と裁定した(元禄6年(1693年))。【参照:背振山の歴史と文化(福岡市博物館)】