慰霊碑・記念碑

御霊の慰霊と美保基地在職中に殉じた隊員及び、今後起こしてはならない事故を忘れないため建立。
慰霊碑のデザイン
・空から見た形 MIHO
・上部のうねり 山陰の山、海
・柔らかい色(御影石を使用)で優しさを感じさせる
・慰霊碑(事故)が壁にならないよう向こう側が見える
旧美保海軍航空隊第一航空隊にあった軍艦旗掲揚塔を保存するため移設。
《当時、第一航空隊は、現美保基地の南1㎞にあり、現在のJR境線和田浜駅付近服島運輸の敷地となっており、その場所から本掲揚塔を移転させた。》
平成元年3月16日航空自衛隊の組織大改編により輸送航空団はその編合を解かれた。解団に伴い輸送航空団の輝かしい歴史とその培われた伝統を後世に語るため建立。
《ここに輸送航空団は34年の永きにわたる歴史に幕を閉じ『輸空団』という呼び慣れ、親しまれた名称も消え去ることになった。しかし、その名は消えても輸送航空団の輝かしい歴史とその培われた伝統は、永遠に不滅であり、航空支援集団となっても、『粘りと根性』『独立独歩』の輸空団魂は脈々と生き続けるであろう。》文献より
予科練第13期を終了し、第40期飛行練習生(昭和19年7月~20年2月)として第2美保海軍航空隊に在籍した美保空会(予科練として在籍されていた方の会)の方(会員70名)が此のゆかりの地に記念碑として建立。
昭和54年11月3日当時の美保海軍航空隊を偲び美保空会(予科練として在籍されていた方の会)により建立。
当時の輸送航空団飛行群隷下には第401飛行隊と飛行教育隊があったが、部隊改編に伴い第401飛行隊は小牧基地へ移動しその記念に建立。
美保海軍航空隊開隊30周年に当たり、美保空会(予科練として在籍されていた方の会)により建立。
《戦没者の顕彰と悠久の平和の願いを込めたる予科練の碑建立を提案(元美保空司令高橋俊策氏)した》
美保空だより増刊号(S59.1.25)より
昭和32年3月4日、中海においてC-46(110号機)の事故のため殉職した隊員等17名の遺徳を後生に顕彰し将来の安全を祈念するため建立。