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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

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第7節 気候変動が安全保障環境や軍に与える影響

2021年8月に公表された報告書において、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がなく、大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が表れていると評価した。

気候変動の影響は、地域的に一様ではなく、また気象や環境の分野にとどまらず、社会や経済を含む多岐にわたる分野に及ぶものと考えられている。近年、前例のない熱波、大雨、干ばつ、熱帯低気圧のような極端な気象現象を経験してきた世界は、気候変動が安全保障に与える様々な影響を認識するようになっている。

例えば、気候変動による複合的な影響に起因する水、食料、土地などの不足は、限られた土地や資源を巡る争いを誘発・悪化させるほか、大規模な住民移動を招き、社会的・政治的な緊張や紛争を誘発するおそれがあると考えられている。

また、広範にわたる気候変動の影響は、国家の対応能力にさらなる負荷をかけ、特に、既に政治・経済上の問題を抱えているぜい弱な国家の安定性を揺るがしかねない旨指摘されている。そして、こうして不安定化した国家に対し、軍の活動を含む国際的な支援の必要性が高まるものと見込まれている。

このほか、温室効果ガスの排出量の規制やジオエンジニアリング(気候工学)の活用をめぐり、国家間における緊張が高まる可能性も指摘されている。

さらに、北極海では、海氷の融解により航路として使用可能となる機会が増大するとともに、海底資源へのアクセスが容易になるとみられることなどから、沿岸国が海洋権益の確保に向けて大陸棚の延長を主張するための海底調査に着手しているほか、北極海域における軍事態勢を強化する動きもみられる。

参照5節3項(北極海をめぐる動向)

雪氷の融解に関しては、黄河、長江、メコン川、インダス川、プラマプトラ川など、アジアにおける多くの大河の源流であるチベット高原において氷河の融解が及ぼす影響についても注目を要する旨が指摘されている。

気候変動による各国の軍に対する直接的な影響として、異常気象の増大は大規模災害の増加や感染症の拡大をもたらすと考えられており、災害救援活動、人道復興支援活動、治安維持活動、医療支援などの任務に、各国の軍隊が出動する機会が増大するとともに、過酷な環境下で活動する軍の要員の身体に悪影響を与え得るとされる。また、気温の上昇や異常気象、海面水位の上昇などは、軍の装備や基地、訓練施設などに対する負荷を増大させると考えられている。さらに、軍事作戦への影響も指摘されている。NATOは2021年4月、気候変動及び異常気象は、NATOにとって、戦術、作戦及び軍事戦略の各レベルで重大な影響があるとした。例えば、海上作戦では海流パターンの変化が海上警戒監視及び対潜水艦作戦に影響を与え、陸上作戦では、洪水、氷雪または嵐による供給路の遮断などが兵站にとって重大な課題になるとしている。

加えて、軍に対しても、温室効果ガスの排出削減を含む、より一層の環境対策を要求する声が高まる可能性が指摘されている。

各国は、気候変動が安全保障環境や軍に与えるこのような影響について検証し、これに対応していく考えを政策文書などで示すとともに、対応に取り組んでいる。

世界規模で活動し、国家水準の温室効果ガスを排出するとの指摘もある米軍を擁する米国は、気候危機を対外政策及び国家安全保障の中心に位置づけ、気候変動への対応を加速させている。

2021年5月、ヒックス米国防副長官は気候変動の影響と闘うために重要な事項として、①国防省の資源配分及び作戦上の意思決定の過程における気候に関する考慮、②気候への耐性が確保された部隊の訓練・試験・装備、③米軍の所要を支えるサプライチェーンの確保、④米軍施設の抗たん性の確保を指摘しており、国防省と米軍による取組が進められている。

2021年10月、米国防省は、気候変動の戦略的リスクに焦点を当てた国防省初の報告書となる気候リスク分析を公表した。これは、国防省が、戦略、計画、予算その他の主要な文書、及び、同盟国やパートナーとの関わりに対して、どのように気候変動への考慮を組み入れるかを説明するものとされ、考慮を盛り込むべき文書として、国家防衛戦略(NDS:National Defense Strategy)などをあげている。

また、米軍は2021年3月に、東アフリカを舞台とした初の気候・環境安全保障に関する机上演習を実施した。演習は、将来の気候、経済、人口予測に基づき、気候変動が徐々に自然システムを破壊し、地域国家を弱体化させ、気候に起因する異常現象のリスクを増大させたと想定している。このシナリオでは、高性能の通常戦闘能力はほとんど役に立たなかったとする一方、気候変動と安全保障の関連性を理解するための演習の価値も強調されている。

2050年の実質排出ゼロの実現に向けて、米国防省では持続可能性計画を策定しており、サプライチェーンにおける持続可能な調達の強化のための道筋をつける予定とされる。特に、リチウムイオン電池については、中国がサプライチェーンを支配している一方で、軍事システムに加え、指向性エネルギー兵器やハイブリッド電気戦術車などの将来の能力に不可欠であるとし、健全なサプライチェーンを確保するために企業を含めた検討が行われている。

さらに、米国防省は、国内外における米軍の施設や活動を対象として気候変動に対する脆弱性の評価を継続している。2021年4月には、国内外における国防省施設の気候変動による影響に関する報告書1を公表した。国防気候評価ツール2を使用し、米国内外にある1391の国防省の施設について、気候変動災害に対する暴露を評価するとともに、陸海空の各部門の評価も実施している。

加えて、米国防省は、2022年度の国防省予算要求において、施設の抗たん性強化や、装備品や施設のエネルギー効率の向上、科学技術への投資など、気候危機対策のため、6.17億ドルを計上した。今後も気候変動の緩和や、これへの適応に向けた様々な取組を遂行・実現させるための財源確保を行っていくものとみられる。

2021年10月から11月に国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)の議長国を務めた英国も、積極的な姿勢を強めている。同年3月に国防省が公表した政策文書3では、2021年以降、英国政府は気候変動と生物多様性の損失への取組を国際的な優先事項の第一にするとし、「国防省の戦略的野心2050」として適応と回復力、持続可能性とネット・ゼロ、グローバル・リーダーシップという3つの連動する目標を設定した。これらを達成するために、2050年までの取組を3つの段階に分け、初段階である2021年から25年までは、基礎の構築に取り組むこととしており、サプライチェーンでの排出量を削減する方法の特定や、次段階以降に取り組むテーマについての詳細な計画の決定を可能にする包括的な基準とデータベースの構築などを行うものとし、数々の具体的な初期段階の計画を紹介している。

また、国を超えた協力も進められている。

2021年4月には、米国主催の気候サミットの中で気候安全保障セッションが開催された。同セッションは、オースティン米国防長官が司会を務め、岸防衛大臣をはじめ、米国家情報長官、米国国連大使、北大西洋条約機構(NATO)事務総長、イラク・ケニア・スペイン・英国の国防相及びフィリピンの財務相が参加して、気候変動がもたらす世界的な安全保障上の課題とこれに対する取組について議論が交わされた。この中で各国国防相は、国防省が災害対応を求められる機会が増えており、災害への備えと対応の強化の必要性が高まっていることに言及するとともに、気候変動リスクを共有する各国国防省の協力が利益になると説明している。

米国主催の気候サミットの様子【NATO】

米国主催の気候サミットの様子【NATO】

NATOは、使用するエネルギーの変更を通じてNATOをより運用上効果的にすることを目指すとともに、使用する資源の削減や持続可能性の向上といった環境面での目標も達成するべく、「グリーン・ディフェンス」を掲げてきた。2021年6月に開催した首脳会合のコミュニケでは、気候変動の安全保障における影響の理解と適応の観点で、NATOが主導的な国際組織となることを目標とするとした。また、同会合では、気候変動と安全保障に関するNATOのアジェンダを実現するための枠組みを定めた行動計画が採択された。この中では、行動計画の一環として、①認識の向上とそのための影響評価の実施、②気候変動への適応、③気候変動の緩和、④パートナー国やEU、国連などを含む国際・地域機関との交流の強化に取り組むとし、2022年の首脳会合において「気候変動と安全保障に関する進捗報告書」を提出するとしている。

世界各地で進行し、脅威の乗数とも表現される気候変動に対し、国際社会が一体となり取り組むことが強く求められている。今後の気候変動に対する取組を、重大な関心を持って注視していく必要がある。

1 米国防省「DoD Installation Exposure to Climate Change at Home and Abroad」

2 過去の異常気象や予見可能な気候変動の影響に関する研究、分析、意思決定を支援する、ウェブベースの科学的気候データの集積資料。一貫した暴露評価を行い、気候変動の追加調査を行う地域や施設を特定できるようにすることを目的としており、気候リスク分析の作成にも活用されている。

3 英国防省「Climate Change and Sustainability Strategic Approach」