災害派遣のあゆみ

東日本大震災の教訓

統合運用態勢の強化

2015年、自衛隊の運用を一元化すべく運用企画局を廃止するとともに、統幕の機能強化を図りました。また、2018年には、陸自部隊の一体的運用を可能とする陸上総隊を新編しました。

関係機関などとの連携

防衛省・自衛隊では、官邸の緊急参集チームに参加し、政府一丸となった意思決定に寄与しています。また、被災地の現地対策本部や関係会社の対策本部などに対して連絡要員を派遣し、現地ニーズの把握に努めています。

一元的な物資輸送

防衛省は、被災地への救援物資を迅速に輸送するため、政府緊急災害対策本部において自治体のニーズを把握し、輸送の優先順位を決定するなど、一元的な管理を行うべきとの提言を行いました。現在は、内閣府防災の緊急物資調達・輸送システムにより、各省庁の救援物資の調達から輸送に係る管理・調整が一元的に実施されており、防衛省も積極的に参画しています。

各国からの支援受け

東日本大震災では、米国のトモダチ作戦のほか、多数の国からの支援を受け入れました。防衛省・自衛隊では、平素より人道支援・災害救援分野における各国との信頼・協力関係を構築しています。

予備自衛官の招集

東日本大震災では、訓練以外で初めて予備自衛官、即応予備自衛官を招集しました。防衛省・自衛隊では、平素より災害時の予備自衛官の運用などについて具体化し、実際的な訓練などに努めています。

メンタルヘルスケア

防衛省・自衛隊では、隊員の惨事ストレスについて、心理幹部などによる部隊指揮官に対する教育を充実するとともに、派遣終了直後から継続的なメンタルヘルスチェックなどに努めています。

東日本大震災の教訓 Jヴィレッジにおける全体ミーティング
感謝のメッセージ

災害派遣の終了に伴い、多くの感謝の声をいただきました。
中には、自らも被災者である中、活動した隊員に対するものもありました。

感謝のメッセージ

東日本大震災から10年

2013 平成25年台風第26号に対する災害派遣(伊豆大島) 統合任務部隊による活動

平成25年台風第26号に対する災害派遣(伊豆大島)

2013年10月、防衛省・自衛隊は、伊豆大島における災害派遣活動を行うにあたり、離島における効果的な活動の観点から、海自、空自が保有する輸送力を最大限活用し、陸自の組織力を活かした一元的な運用を可能とする東部方面総監を統合任務部隊指揮官とする伊豆大島災統合任務部隊を組織しました。

御嶽山災害派遣

2014年9月、長野県御嶽山の噴火に伴い、 御嶽山災害派遣人命救助のための災害派遣を実施しました。

2014 御嶽山災害派遣 山頂における捜索
2016 熊本地震災害派遣 高遊原分屯地(熊本県上益城郡)にて

熊本地震災害派遣

2016年4月、熊本県において震度7を記録する大きな地震が相次いで発生し、西部方面総監を統合任務部隊指揮官とする統合任務部隊を組織し対応にあたりました。この際、2015年に策定した新日米防衛協力のための指針(日米ガイドライン)に基づき、日米共同による災害救援活動を実施しました。

平成30年7月豪雨(西日本)

2018年、陸自は、災害時を含め、部隊の一体的運用を可能とする陸上総隊を新編しました。平成30年7月豪雨においても、陸上総隊は、全国に所在する部隊をPFI船舶による輸送等により、被災地に迅速に派遣し、迅速に運用して各種救難任務等を遂行しました。 御嶽山災害派遣人命救助のための災害派遣を実施しました。

2018 平成30年7月豪雨(西日本) 道路啓開
2021 現在 令和2年台風第10号に係る住民避難支援

現在

近年の気候変動等の影響により、大規模化、激甚化する災害への対応に加え、新型コロナウイルス感染症が蔓延する環境下において災害派遣活動に従事しています。

自衛官の使命感

長崎県知事として、1991年6月の雲仙・普賢岳の噴火における災害派遣や被災地の復興に尽力された高田勇さんは、自衛官の使命感について次のような言葉を残されています。

『当初、市民は、一瞬にして平和な生活を奪われ、何ら施すすべもなく右往左往しておりました。まさに地獄絵図のような状態でした。市民はあの時、一番何を求めたでしょうか。“ヤマ”の脅威、恐怖からの安心、我がまちの安全であります。自衛隊は、“ヤマ”の猛威に真正面から立ち向かって下さいました。忘れもいたしません。第1回目の予想もしなかった巨大な火砕流のあった平成3年6月3日、貴い43人の方の命が一瞬にして“ヤマ”に奪われました。いちるの望みを抱く遺族の願いを叶えるべく、自衛隊はその翌日から連続して3日間、たった今火砕流が流れて来ても全く不思議でないあの火砕流の現場の真っただ中に入られたのであります。あれくらい、不安におののいていた市民にとって、力強い思いをしたことはなかったでしょう。

生命は、地球より重いといわれるこの現代の風潮の中で、その地球より重い命よりももっと重い使命感があったということをまざまざと見て、熱いものがこみあげて参りました。自衛隊は、いざという時、死を賭してくれるものだということを、市民はしっかり見届けたのであります。自衛隊の真骨頂を見る思いでした。』

-1995年12月16日、島原市安徳海岸埋立地(現在、災害記念館敷地)における陸上自衛隊撤収式において-

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