防衛省・自衛隊東京地方協力本部 隊員コラム
趣味を聞かれるとつい「読書です」と答えてしまうのですが、「勉強熱心ですね」
と反応されると実は哀しくなります。そうじゃないんだって。
ビジネス書や自己啓発などの健全な読書ではなく、私は文学、詩、
思想などの勉強とは無関係な読書を好むからです。
私の読書は昇給や出世には一切役に立ちません。
恋人から変人扱いされて去られたことならあります。
それどころか、世界の不条理に直面し、おのれの薄っぺらな価値観を踏みにじられ、
人生に後ろめたさを覚え、平穏な日常を侵食されます。
なぜそんな思いをしてまで本を読むのでしょうか?
作家の保坂和志の言葉を引いて考えてみましょう。
「小説は読んでいる時間の中にしかない。音楽は音であり、
絵は色と線の集合であって、どちらも言葉とははっきり別の物質だから、
みんな音楽や絵を言葉で伝えられないことを了解しているけれど、
小説もまた読みながら感覚が運動する現前性なのだから言葉で伝えることができない。」
保坂は読書を音楽や絵画鑑賞になぞらえます。
印字された文字という物質が作用するのではなく、
読み手の感覚の運動により、作者の意図を超えた世界を広げることすらあるとまでいいます。
特異な小説を書き続けた保坂らしい読書観ですが、
読むことの能動的且つ創造的な一面するどく捉えているように感じます。
私たちは安定を求めつつも、
自分の枠の外へと飛び出したいと願う、アンビバレントな存在だと思います。
その欲望のエンジンを駆動しているのが文芸のもつ魔力なのではないでしょうか。
皆さんも感染するのはコロナではなく、ぜひ「読書」という”病”に。