駐屯地紹介
沿革

昭和35年当時の駐屯地
大正時代、海軍がこの地に霞ヶ浦海軍航空隊を創隊して以来、霞ヶ浦は東洋一の大海軍基地となりました。昭和16年10月には、現在の駐屯地の母体である第一海軍航空廠を設立し、第二次世界大戦では、零戦などの航空機の補給・修理・製作などを大規模に行い、大陸へ、また南方へと航空機を送り続けたのです。終戦後、警察予備隊から保安隊、保安隊から自衛隊へと国防の体制が推移していく中、第一海軍航空廠跡地に、東京立川から陸上自衛隊武器補給処が移駐(昭和28年2月)したことで、霞ヶ浦駐屯地が開設されました。

平成30年の駐屯地
現在、霞ヶ浦駐屯地には、陸上自衛隊の後方支援を任務とする関東補給処及び東部方面後方支援隊隷下部隊並びにヘリコプターの整備員を養成する航空学校霞ヶ浦校、首都圏の防空を担任とする航空自衛隊第1高射群第3高射隊と、それらを支援する諸部隊が配置され、約1800名の隊員が勤務しております。敷地は、約110万m2、県道203号の北側に位置する本部地区と南側に位置する飛行場地区及び朝日分屯地からなり、北に筑波山、西に筑波研究学園都市、東に日本第2位の面積を誇る湖、霞ヶ浦を望む風光明媚な土地に所在しています。
大正 | 10年 | 海軍航空技術講習所開設 |
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11年 | 霞ヶ浦海軍航空隊創隊 | |
昭和 | 4年 | ドイツ飛行船ツェッペリン伯号着陸 |
15年 | 土浦海軍航空隊創隊 | |
16年 | 第1海軍航空廠創立 | |
20年 | 第1海軍航空廠を米軍が接収 | |
28年 | 霞ヶ浦駐屯地開設 | |
武器補給廠立川から移駐 | ||
29年 | 武器補給処改編 | |
34年 | 航空学校霞ヶ浦分校明野から移駐 | |
35年 | 霞ヶ浦駐屯地業務隊新編 | |
39年 | 空自第1高射群第3高射隊新編 | |
平成 | 10年 | 関東補給処新編 |
14年 | 航空学校霞ヶ浦校改編 | |
第101全般支援隊新編 | ||
20年 | 第127地区警務隊霞ケ浦派遣隊新編 | |
27年 | 第341会計隊霞ケ浦派遣隊新編 | |
29年 | 第302弾薬中隊新編 | |
30年 | 第103補給大隊新編 | |
令和 | 3年 | 第413会計隊改編 |

昭和4年ツェッペリン伯号が寄航しました。写真右に見えるのが筑波山。