百里基地の歴史

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百里基地の歴史

百里基地発足まで


 昭和33年ころの百里基地建設工事中の様子

 百里基地及び基地周辺西側には、1938年に発足した旧海軍百里ヶ原航空隊が所在していました。敗戦後、海軍跡地は農地として開放されましたが、 1955年に地元から基地誘致運動が起こり、1958年に航空自衛隊百里分屯基地が発足しました。その後、5期にわたり滑走路工事が行われ、 1965年には飛行場が完成。百里管制隊、百里気象隊、百里救難隊、百里警務隊、そして、第206飛行隊(F-104)及び207飛行隊(F-104)が新編され、 1966年7月に、百里基地として正式に発足しました。


第7航空団移駐、F-104からF-4/RF-4を運用する基地へ


 301、305、501SQによる、F-4/RF-4編隊飛行

 1967年、第7航空団が入間基地から移駐し、対領空侵犯措置任務を開始しました。1972年には、空自で初めてF-4を受け入れ、第207飛行隊(F-104)は那覇へ移動、 翌年、第301飛行隊(F-4)が新編されました。1974年には、RF-4が導入され、翌年、偵察航空隊が入間基地から移駐。1978年には、第206飛行隊(F-104)を整理し、 第305飛行隊(F-4)が新編され、3つのF-4飛行隊が揃う基地となりました。


F-4からF-15へ、そして再びF-4を運用する基地へ


 霞ヶ浦大橋付近を飛行するF-15

 1985年には、第204飛行隊(F-15)が編成され、第301飛行隊(F-4)は新田原基地へ、1993年には第305飛行隊がF-15に機種更新し、F-15の2個飛行隊体制となりました。 しかしながら、2009年には、第204飛行隊(F-15)が那覇基地へ、第302飛行隊(F-4)が那覇基地から移動し、2016年には、第305飛行隊(F-15)が新田原基地へ、 第301飛行隊(F-4)が新田原基地から移動し、再びF-4飛行隊が揃う基地になりました。
 新たな基地所在部隊としては、1987年に第3作業隊が、2003年には移動管制隊が、2011年には基地警備教導隊が新編されました。また、2010年には、 百里飛行場が共用化され、茨城空港ターミナルビルが竣工されました。


F-4/RF-4からF-2を運用する基地へ


         筑波山とF-2

 2019年、第302飛行隊(F-4)が三沢基地へ移動し、F-35Aに機種更新しました。2020年3月には、偵察航空隊が廃止され、また、 第3飛行隊(F-2)が三沢基地から百里基地に移動しました。
 2020年12月、第301飛行隊(F-4)が三沢基地に移動し、F-35Aに機種更新したことにより、百里基地におけるF-4の運用は終了し、F-2がその任務を引き継ぐこととなりました。