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古鷹山

古鷹山の紹介

 
【左:本校から見た古鷹山、右:クマン岳から見た古鷹山】                

 「古鷹山(ふるたかやま)」【標高394m】は、江田島市のシンボル的山であり、本校の背後に屏風絵のように聳えている秀峰です。名前の由来は、その昔一葉の小舟が荒れ狂う暴風雨のため難破寸前にせまった時、どこからか一羽の大鷹が現れ、波静かな入り江 (江田島湾)に導いて、小舟を助けた後、この山中に姿を消したことから、いつの頃から「古鷹山」と呼ばれるようになりました。

 明治21年の旧海軍兵学校江田島開校以後は、心身鍛錬のために兵学校生徒が登りはじめ、小説「坂の上の雲」の登場人物で有名な広瀬中佐も兵学校在学中に100回以上登ったという逸話もあります。現在でも、多くの海上自衛隊員が登っています。

 昭和17年10月12日にサボ島沖海戦にて戦没した「巡洋艦古鷹」は、この山から命名されました。

 頂上からの眺めは、素晴らしく眼下に広がる江田島湾をはじめ、大小様々な島々が浮かぶ瀬戸内海の多島美が、登山時の疲れを癒してくれます。天候に恵まれると、遠くは四国連山まで遠望することができる絶好のロケーションに位置する山です。約50分で頂上に立つことができます。登るときは、ご安全に。
【平成23年1月に山頂付近を覆っていた樹木が伐採され360度のパノラマビューは必見です。】



【山頂の様子1(左下は、本校)】


【山頂の様子2(左後方の島は、大黒神島)】


【山頂直下に設置された登頂記念スタンプ】

江田島町(古鷹山)林野火災について

・出火日時:昭和53年6月1日16:00頃 (鎮火日時:昭和53年6月3日 12:45)
・出火場所:広島県安芸郡江田島町宮ノ原付近


【燃え上がる古鷹山】〈提供:江田島市消防本部〉

 昭和53年6月1日に発生した、江田島町(古鷹山)林野火災の際について紹介します。
昭和53年6月1日から3日にかけて発生した当該火災は、まる2昼夜44時間余にわたって燃え続け、その焼失面積は約1,000ヘクタール(東京ドーム約210個分相当)に達し、同町の森林面積の約8割が焼失する広島県の林野火災史上最大の火災となりました。

 県知事の災害派遣要請を受け本校からも延べ1,343名の隊員及び各種機材の提供をし関係機関と一丸となって各種消火活動に従事しました。

【迫り来る火勢】

 原因は、数年来といわれた異常小雨に加え、出火時には異常乾燥注意報(湿度26%)が発令中かつ、地形が険しく山中に消防水利として使用できる河川、溜池等が皆無であったこと、加えて火勢が予想以上に強かった等の悪条件が重なったことがあげられました。

 頂上付近の僅かを残し灰じんに帰しましたが、大勢のボランティアによる植林により現在は随分回復しました。なお、未だに頂上付近の登山道脇には黒く焦げた切株が残っていることから当時を窺い知ることができます。皆様くれぐれも、火気の取り扱いにはご注意下さい。

【頂上付近に残る焦げた切株】

出   典:江田島町林野火災の状況 (広島県総務部消防防災課)
写真提供:江田島市消防本部

古鷹写真館


幹部候補生学校庁舎越しに見る古鷹山


山頂から、薄明期の江田島湾を俯瞰 


山頂からの夜景 


山頂に設置されている方位盤


山頂から見た中国山地に沈む夕日(手前は、宮島)  


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