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沿革

明治21年(1888)、東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、この地において、海軍兵学校生徒の教育が開始されました。
当初生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、明治26年(1893)に赤レンガの生徒館が完成しました。以後、海軍兵学校は逐次拡充整備され、昭和20年(1945)12月1日に閉校されるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場としての歴史と伝統を築き上げました。
終戦後は、11年間にわたり、米・英連邦軍等が進駐、施設を使用しましたが、昭和31年(1956)1月、海上自衛隊が施設を引き継ぎ、横須賀から術科学校が移転、昭和32年(1957)5月には海上自衛隊幹部候補生学校が独立開校し、翌33年4月には、海上自衛隊第1術科学校が発足しました。
また、自衛隊生徒は、昭和30年(1955)、舞鶴練習隊で「第1少年練習員」として教育が開始され、昭和31年術科学校が江田島に移転すると同時に生徒教育もここ江田島で開始されました。以後、年表に示すとおり、昭和58年(1983)から1術校生徒部として現在に至っております。

明治21年
(1888)
海軍兵学校が東京築地から江田島に移転
明治26年
(1893)
生徒館完成(通称赤レンガ
昭和20年
(1945)
海軍兵学校閉校(江田島に57年間)
終戦後:連合国軍(米・英連邦軍等)が駐留
昭和31年
(1956)
海上自衛隊術科学校が横須賀から移転
昭和32年
(1957)
幹部候補生学校が術科学校から独立開校
昭和33年
(1958)
海上自衛隊海上第1術科学校に変更
昭和35年
(1960)
生徒教育部新設
昭和45年
(1970)
少年術科学校創立
昭和58年
(1983)
少年術科学校廃止、1術校に併合(生徒部新設)
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