部隊集合教育「レンジャー」帰還式
6月24日(月)、第17普通科連隊は、部隊集合教育「レンジャー」の帰還式を実施しました。レンジャー学生はすべての厳しい任務を完遂し、駐屯地の隊員やレンジャー学生の家族から盛大に迎えられ山口駐屯地に帰還しました。
レンジャーき章を授けられた学生は、レンジャー隊員として国防の任に従事します。

駐屯地隊員による出迎え

連隊長へ帰還報告

レンジャーき章の授与

厳しい訓練に耐えた苦労が報われた瞬間

所属部隊の隊員も学生を労う

新たなレンジャー隊員誕生
令和6年度自衛官候補生課程修了式
6月下旬、自衛官候補生たちは、約3ヶ月間の教育及び訓練を終え、修了式の日を迎えました。苦楽を共にした同期たちと別れ、それぞれの勤務地において職種に応じた教育を受けることになります。

米子駐屯地

米子駐屯地

海田市駐屯地

海田市駐屯地

山口駐屯地

山口駐屯地
令和6年度新隊員特技課程・一般陸曹候補生課程「後期」
自衛官として基本知識を学んだ新隊員は、部隊で勤務するために必要な特技(専門の技術)についての基本的な知識や技術を身につけるため、新隊員特技課程・一般陸曹候補生課程「後期」の学生として訓練等に励んでいきます。

戦闘訓練(第8普通科連隊)

教育開始式(第17普通科連隊)

機関銃教育(第46普通科連隊)

整備教育(第13後方支援隊)

教育開始式(第13施設隊)

教育開始式(第13通信隊)
陸曹候補生課程履修前教育
6月26日、第17普通科連隊は陸曹候補生課程の履修前教育として戦闘訓練を実施しました。隊員は、陸曹になるために必要な指揮能力・知識及び技術を習得するため、熱心に訓練に励みました。

素早く目標へ前進

隊員を指揮しつつ自らも射撃
令和6年度旅団統制演習場春季集中整備(日光演習場)
6月下旬から7月上旬にかけて、第8普通科連隊は日光演習場の整備を実施し、訓練基盤の維持・拡充に努めました。

主要道路の整備

道路の拡幅
有志による清掃活動「白砂青松アダプトプログラム」への参加
7月20日、米子駐屯地(鳥取県)は駐屯地の有志により米子市弓ヶ浜及び松林の清掃活動を実施しました。

浜辺のゴミを収集

参加者集合写真

歴史の「何か」
を感じよう
第46普通科連隊副連隊長
寺本 保敏 2佐
高校まで歴史を学んできたが、1930年以降の近現代史については時間切れ?となり教わった記憶がないという人も多いのではないか。それを言い訳にするつもりもないが、日本の歴史について私が知らなかった出来事を紹介したい。
2014年、訓練でインドネシアに行った際、泊まっていたホテルの新聞にJAPANと書かれた見出しを見つけた。それは、「最後の残留日本兵亡くなる」という記事だった。1945年日本の敗戦後、インドネシアは再植民地化を狙うオランダとの独立戦争を起こし、約1000名の日本兵が身を投じ、1949年の独立を勝ち取った。このことについて、まさかこの時まで生きていたことについて全く知らず、また残留日本兵についても詳しく知らなかった。
次に一昨年の12月、修親会の研修で大久野島を訪れた。現在はウサギの島として有名な観光地になっているが、旧軍の毒ガス工場があったことは全く知らなかった。毒ガス資料館を研修し、日本にもこのような過去があったことを改めて認識した。昔、福岡県小倉にある曾根訓練場に行った際、立入禁止地域があり、毒関連の施設と聞いたことがあったが、大久野島で製造されたものが曾根製造所で砲弾に詰められていた事は、この時初めて知った。
先日、大学生の息子が広島を訪れ、平和記念資料館、大久野島、大和ミュージアムを案内した。最後に周南市大津島にある回天記念館を訪れたが、息子が回天という言葉を聞いたことがなかったことを知り、私自身この地に回天の基地があったことを初めて知った。近現代史だけでなく、歴史を学ぶことは、今起こっている事象の原因を知ることであり、将来に役立てることでもある。歴史に興味を持つために、その場所に行くと何か感じるものがあり、それが興味につながる。この中国5県は、歴史を学ぶ場所がたくさんあり、その何かを感じるため、様々な地域を訪れてみてはどうだろうか。

第13偵察戦闘大隊
最先任上級曹長
椿 浩司 准尉
私は令和5年8月、日本原駐屯地第13戦車中隊から出雲駐屯地第13偵察隊に異動し、体制移行準備室編成幹部として勤務しており令和6年3月21日、部隊新編にともない第13偵察戦闘大隊初代最先任上級曹長に上番しました椿准尉です。
最先任上級曹長として与えられた地位・役割を十分理解し、大隊長に直轄的に運用される補佐者又、准曹士の最上位者として主体性と積極性をもって職務に専念する所存です。
そして隊員一人一人が軽率な考え、行動ではなくそれぞれの職務・職責において何をすべきか、いかに果たすかを自らよく考え行動する隊員又、考え行動していても失敗することもありますがその失敗を経験として、その経験が自らの糧となるよう各中隊先任上級曹長と連携を取りつつ、大隊長要望事項である「積極進取」を実践できる隊員育成に努めてまいります。
最後に私が心がけている事、5つを紹介します。
「強くあれ、しかし無礼であってはならない」
「優しくあれ、しかし弱くあってはならない」
「大胆であれ、しかし威張ってはならない」
「謙虚であれ、しかし臆病であってはならない」
「誇り高くあれ、しかし傲慢であってはならない」
以上5つを自分自身心がけ上番にあたり挨拶とさせていただきます。

「相手の目線・立場に立つ」
第13音楽隊
先任上級曹長
藤田 和佳 准尉
令和6年3月11日付で第13音楽隊の先任上級曹長に上番しました藤田准尉です。よろしくお願いいたします。
「相手の目線・立場に立った指導」平成22年、第4陸曹教育隊陸曹上級課程に入校中、当時の区隊長が何度も仰られており、とても心に残るとともに共感でき、以来常に意識して実践する様心がけてきました。
相手の目線・立場に立って考えることのメリットは人間関係の良好化だと思います。自分中心に考えがちな思考を変えて、相手の目線・立場に立って考えることで視野が広がったり、多面的に物事を捉えられるようになったり等様々なメリットがあると思います。また「自分が言われたらどうか?」「自分がされたらどうか?」と自分に置きかえて考えることでハラスメント等の抑止にも繋がると思います。
しかしながら、自分本位に思考を巡らせてしまうのが人間です。意識しないと相手の目線・立場に立って考えることは難しいです。
まずは様々な文献等をあたり、相手の目線・立場に立って考えることができる人の真似をしてみました。真似して演じ、実践していくことで自分自身の思考や行動が変わっていくことを実感することができました。
理想の自分像をしっかり描き、それに向かって自分を変え、日々成長していくことがとても大切だと思います。これからも相手の目線・立場に立つことを忘れず日常の生活や勤務、服務指導等に活かして、風通しの良い家庭や職場環境を作り、家族や音楽隊員と共に日々成長していきたいです。

第13施設隊
橋本 路良士長
橋本士長は令和5年4月に一般曹候補生として入隊し、新隊員前期を松山駐屯地、後期を海田市駐屯地で過ごした後、第13施設隊に着隊、現在は架橋手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?
ニュースで災害派遣で活躍する自衛官を見て、人命救助が国を守る姿に憧れて自分も役に立ちたいと思ったからです。
Q2 なぜ施設科を希望しましたか?
前期の区隊長に憧れて施設科を希望しました。
Q3 学生時代の部活動は何ですか?
中学ではソフトテニス部、高校ではバドミントン部でした。
Q4 あなたの自慢(長所)を教えてください。
誰にでも優しく接することができる所です。
Q5 休日は何を過ごしていますか?
実家に帰省して家族と外出したり、飼っているウサギの世話をしています。
Q6 自衛隊での一番の思い出は何ですか?
初めての射撃訓練です。とても緊張して的に当てるだけでも難しかったのですが、当たった時の達成感は凄かったです。
Q7 今の部隊に入って苦労したことは何ですか?
検閲や小隊訓練です。自分が今やるべきことや、一つ先を考えて行動し、作業や道具の使い方を覚えることに苦労しています。
Q8 今後の目標は何ですか?
仕事を早く覚えて部隊の戦力になるよう頑張ることです。
Q9 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
体力練成や運動はしっかりしておきましょう。

第13通信隊
三宅 里穂 士長
三宅士長は令和4年3月に自衛官候補生として入隊し、自衛官候補生課程を大津駐屯地、新隊員特技課程を伊丹駐屯地で過ごした後、第13通信隊に着隊、現在はネットワーク手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?
西日本豪雨で被災した時、親戚に助けてもらいました。そこで、次は私が被災した方々を助けたいと思い入隊を決心しました。
Q2 なぜ通信科を希望しましたか?
特にしていなかったのですが、毎日新しいことを学ぶことができ楽しいです。
Q3 学生時代の部活動は何ですか?
中学校から高校までの6年間バスケットボール部に所属していました。
Q4 あなたの自慢(長所)を教えてください。
周りを見て行動することが出来ることです。
Q5 休日は何を過ごしていますか?
同期と食事に行ったり、営内でゆっくり休んだりと、充実した休日を過ごしています。
Q6 自衛隊での一番の思い出は何ですか?
新隊員前期教育に班付として携わったことです。学生から学ぶこともあり、とても良い経験になりました。
Q7 今の部隊に入って苦労したことは何ですか?
体を使う前期教育とは違い、頭を使うことが多いことです。毎日頭をフル回転させて頑張っています。
Q8 今後の目標は何ですか?
新隊員前期教育に班長として携わることです。
Q9 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
自衛隊と聞くと、ただ苦しくて怖いイメージがある人もいるかと思います。しかし、日々の訓練で自衛官としての能力はもちろん、人間性も磨くことができます。また、民間企業では経験できないようなことばかりで、毎日が勉強の連続で大変なこともありますが、やりがいがあり楽しい仕事なので興味のある方は是非入隊してください。

「特攻艦隊八十回忌の開催」
防府支部事務局
中森 奎二
山口県防府市の南東周防灘に面した江泊山中腹に「特攻艦隊留魂碑」が建立されています。その前方には人間魚雷「回天」の訓練基地の大津島が見渡せます。昭和20年4月6日戦艦「大和」以下十隻がこの沖合に集結、沖縄方面へ出撃、翌4月7日奄美大島近海で五百余機の米戦闘機と激戦の末3,728名の将兵が戦死されました。4月7日特攻艦隊80回忌にあたる慰霊・顕彰の儀式の開催を隊友会々員が儀式の支援を行うこととなりました。会式の辞・「国歌」斉唱の後隊友会久樂防府支部長・島田山口県議会副議長・池田防府市長・安村市議会議員の挨拶の後「海ゆかば」の曲の流れるなか黙祷・献花がなされ閉式の辞は世話人代表の上村正氏から挨拶があり慰霊の儀式は粛々と執り行われました。この碑の建立は地元有志十名の方々が平成4年4月3日に50回忌に併せて建立除幕されました。碑の名称については戦艦「大和」以下十隻を「特攻艦隊」として頭につけ「自分の主張する正義を貫くからには命をもかける覚悟を持っていた戦没者の方々の魂を忘れぬよう留めて欲しいと言う願いを込めた」ことから「留魂碑」とされたそうです。
平成22年から隊友会防府支部会員有志による慰霊清掃活動を継承を続けております。

本人:前列中央
「定年退官(退職)後は隊友会へ」
広島県隊友会瀬野川支部
中野第一分会長
吉尾 光悦
私は、隊友会に入会以来21年を過ぎました。今振り返れば34年間国防の任につき、お世話になった恩返しとまでは考えてなかったと思うが、当時は大半の人が当然のように入会していたと記憶している。
ご存知のように隊友会は「国民と自衛隊の架け橋」として退職後の現役隊員との絆や帰属意識、任務遂行する上で隊友会による部隊への協力、援助は不可欠である。
昭和35年12月に社団法人隊友会として発足後、平成23年4月1日公益社団法人隊友会への移行に伴い、平成14年度の14万人をピークに減少の一途をたどっているのが現状です。
私が平成14年3月入会した当時は広島県隊友会安芸支部(7個分会)海田、矢野、坂、船越、畑賀、中野、瀬野のうち、私の所属先である中野分会だけにおいても会員46名であったのが平成16年4月、海田、矢野・坂、瀬野川の3個支部に分割され、現在瀬野川支部(畑賀、中野、瀬野)としてスタートした昨今、高齢化に伴う逝去及び中途退会、入会者の減少等により現在42名と深刻な状態が続いています。
減少の要因にはいろいろあると思います。勿論世相もあるでしょうが、何よりも隊友会に入会しなくても、自衛隊には恩恵を持ち続け地域社会にはなんらかな形で貢献している方もおられると思いますが、一方在隊間良い思い出がない、もう階級組織とは縁を切りたい、今やっている仕事(やろうとしている仕事)が忙しい、疲れた、と思いは人それぞれだと思いますが、共に国防の仕事に携わり、志を一つにして職務に精励された皆さんには冒頭で記した「国民と自衛隊の架け橋」の意義を理解して戴き「いつか来る現役隊員」を応援し、地域社会の安心・安全に寄与する活動に加わってほしいと願うばかりです。
最後に、人生百年時代と言われる昨今、第一線で活躍してきた責任感や緊張感から解放され第二の現役世代として、より自由な立場を活かして健康で生き甲斐のある人生を会員相互の交流を通して支部のモットーである「無理をせず、できることを、楽しく」やりませんか。待っています。










