第13旅団について トップ画像

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第13旅団の任務

第13旅団は、中国5県の防衛・警備を担任するほか、国際平和協力活動及び災害派遣等、多様な役割に迅速に対応することができるよう、一人一人がプロフェッショナルとしての自覚と誇りを持ち、訓練に励み、そしてその力を結集して地域の方々に信頼される部隊を錬成しています。

第13旅団の部隊章

第13旅団の部隊章は、中国地方を統一した毛利元就の「三矢の訓」と数字の「13」をモチーフにしたものです。

「三矢の訓」:元就が、死の床に三人の息子を呼び寄せ、一本の矢を取って折ってみせ、続いて三本の矢を束ねて折ろうとするが、折ることができなかった。一本ではもろい矢も束になれば頑丈になることで兄弟の結束を強く訴えたという逸話。

百万一心

百万一心の碑写真

第13旅団は、団結して任務を遂行する「百万一心」の訓えを伝承しています。

「百万一心」:毛利元就が郡山城の築城の際に、人柱に代えて鎮めた大石に刻まれたものと言われています。

百:【一日】日を同じうし
万:【一力】力を同じうし
一心【一心】心を同じうして事にあたる

一日一日を、一人一人が力を合わせて、心を一つに協同一致して事を行うことを教えたもの。

第13旅団の沿革

広島の地は、戦前は軍都として栄えました。明治4年日本が近代陸軍をスタートした際、広島に鎮西鎮台の第1分営が設置され、歴史がスタートしました。その後、鎮台制の廃止により概ね中国、四国地方を担当する陸軍第5師団が誕生します。日清戦争においては広島に明治天皇が玉座を移され戦争指導を行うこととなったため、大本営、帝国議会等の首都機能が広島に移った時期がありました。第5師団は、改編を繰り返しつつ、シベリア出兵、シナ事変等に出動します。そして、昭和14年に現在の位置に陸軍被服廠物資集積所が開設され、現在の海田市駐屯地の基礎となっております。その後、大東亜戦争においてはマレー作戦等において活躍しましたが、昭和20年、東部ニューギニア方面で終戦を迎えました。終戦後、米軍・英連邦(オーストラリア)軍が駐留しました。

海田市駐屯地・第13旅団の沿革(明治~昭和)

英連邦軍の撤収後、警察予備隊、保安隊の管区隊が置かれ、海田市駐屯地がスタートし、昭和37年管区隊が改変され、中部方面隊となり、それに合わせ中国・四国地方を担当とする第13師団が編成されました。昭和56年四国に第2混成団が編成され、第13師団は中国地区のみの防衛警備を担任することとなり、平成11年には陸上自衛隊で初の旅団化改編となりました。更には、平成20年、平成26年の改編を重ね現在に至っています。

海田市駐屯地・第13旅団の沿革(昭和~令和)