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みつや表紙

オープンキャンプ

旅団は7月24日(日)、海田市駐屯地において、募集対象者とご家族等の参加を得て、第1回オープンキャンプを開催し、自衛隊の仕事や職種を紹介しました。

職種紹介(普通科)

職種紹介(普通科)

職種紹介(機甲科)

職種紹介(機甲科)

職種紹介(特科)

職種紹介(特科)

職種紹介(高射特科)

職種紹介(高射特科)

職種紹介(航空科)

職種紹介(航空科)

職種紹介(施設科)

職種紹介(施設科)

職種紹介(化学科)

職種紹介(化学科)

職種紹介(情報科)

職種紹介(情報科)

職種紹介(輸送科)

職種紹介(輸送科)

職種紹介(武器科)

職種紹介(武器科)

職種紹介(衛生科)

職種紹介(衛生科)

職種紹介(需品科)

職種紹介(需品科)

職種紹介(通信科)

職種紹介(通信科)

職種紹介(警務科)

職種紹介(警務科)

職種紹介(会計科)

職種紹介(会計科)

職種紹介(音楽科)

職種紹介(音楽科)

鳥取陸軍墓地清掃

第8普通科連隊第2中隊は7月26日(火)、鳥取陸軍墓地の清掃活動を行い、国の平和と繁栄の礎となった戦没者に対し、哀悼と感謝の祈りをささげました。

戦没者に対し黙祷

戦没者に対し黙祷

関係者と清掃活動

関係者と清掃活動

艦艇広報に伴う装備品展示

出雲駐屯地は8月6(土)・7日(日)、出雲市河下港において行われた海上自衛隊掃海艇「やくしま」の艦艇広報の際、軽装甲機動車と偵察用オートバイを展示しました。

オートバイにまたがり記念撮影

オートバイにまたがり記念撮影

軽装甲機動車の操縦席も見学

軽装甲機動車の操縦席も見学

山口駐屯地夏祭り

山口駐屯地は8月8日(月)、駐屯地を一般開放して夏祭りを開催し、駐屯地音楽部による演奏、打ち上げ花火等を行いました。

夜空を彩る大小様々な打ち上げ花火

夜空を彩る大小様々な打ち上げ花火

山口駐屯地音楽部による演奏

山口駐屯地音楽部による演奏

第13後方支援隊長 着任

8月1日(月)、海田市駐屯地において第13後方支援隊長の着任式が行われ、山下公一(やました こういち)1佐が着任しました。

巡 閲

巡 閲

着任した山下1佐

着任した山下1佐

米子がいな祭り参加

米子駐屯地は8月20(土)・21日(日)、米子市内で行われた米子がいな祭りに参加及び給水支援を行いました。
20日のパレードにおいて第8普通科連隊が堂々の行進を披露するとともに、大雨の影響で短時間となりましが、連隊の隊員により万灯が高々と掲げられました。

大通りを堂々と行進

大通りを堂々と行進

雨の中でも高々と掲げられた万灯

雨の中でも高々と掲げられた万灯

富士登山駅伝出場 第8普通科連隊

米子駐屯地は8月7日(日)、富士登山駅伝に参加しました。自衛隊の部で26チーム中19位でした。師団時代には優勝の経験もある8連隊。今後の成長に期待!

急な下り坂を駆け下りタスキを繋ぐ

急な下り坂を駆け下りタスキを繋ぐ

転倒し顔まで土をかぶるも大健闘

転倒し顔まで土をかぶるも大健闘

百万一心

隊長写真

「指揮官と指揮者の二足の草鞋」
第13音楽隊長
よね 陽  はるのり2尉

歴史と伝統ある第13音楽隊の隊長として着任し、数か月が経ちました。
着任前、中央音楽隊長から「13音は中方管内で素晴らしい演奏をする部隊である」と聞いてきました。
その意味は、着任後直ぐの演奏会で理解でき、更に、新たな課題を見出す本番になった事は記憶に新しいところです。
13音楽隊に来て一番驚いている事、それは募集に関わる演奏が非常に多い事です。地方協力本部との良好な関係、旅団の募集に関する音楽隊の運用、全国どこの音楽隊を探しても、ここまで学生に対する演奏指導・芸術鑑賞会を実施させてくれる部隊はありません。少子化が更に進む今、直接国民と触れることができるのは音楽隊のみであり、我々の演奏活動が募集広報に直結するのは言うまでもありません。自衛隊音楽隊を知らない人、初めて聴いたという若者たちのためにも、我々が制服を身に纏い、生の音楽を届けることが重要な任務であると言えます。引き続き、地方協力本部、旅団広報室との連携を図り、音楽隊として募集広報に力を入れてまいります。
私が音楽隊長として今一番難しいと感じていること、それは「指揮官と指揮者の両立」であります。

指揮官とは:軍隊や警察において部隊の指揮をとる人、指示や命令を発する人
指揮者とは:指揮をする人、指図をする人、合奏や合唱で指揮をする人

指揮者の役目は、奏者に充分な表現をしてもらうことです。知識と経験を持つプロフェショナルの奏者(隊員)に対して、個人(隊長)の表現を押し付けたところで生まれるのは反発と諦めとなってしまいます。事前の勉強による解釈に基づいて表現を提示し、指揮者(隊長)個人が持つ全ての技術と人格をもってして奏者(隊員)の同意が得られた時に、指揮者(隊長)の表現が音楽となって表れてきます。
よって指揮者として隊員の前に立つためには、普段から音楽に対して真摯に向き合うと同時に、音楽の研究と感性、コミュニケーション能力は非常に重要であると感じています。
指揮官としてだけになってしまうのか、指揮者としてだけになってしまうのか、そのどちらかではなく、二足の草鞋をしっかり履けている音楽隊長であるためにも今後も努力は惜しみません。
13旅団唯一の音楽専門部隊として、聴衆に癒しと笑顔をお届けできるよう、これからも隊員とともにより良い音楽を追求してまいります。
終わりに、第13音楽隊長としてやるべきこと、それは派遣演奏の種類や演奏会の大小に関わらず、聴衆の前で「隊員に恥ずかしい演奏をさせない」この一言に尽きます。

 

三矢の訓え

先任写真

「徳川家康の遺訓」
第13特科隊第1中隊
先任上級曹長
 太  たいち 曹長

私が人生のバイブルとしている言葉を紹介します。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて負くること知らざれば害その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」です。これは戦国時代の世を終わらせ二六〇年も続く江戸幕府の礎を築いた徳川家康公の遺訓です。徳川家康公は耐え忍ぶ経験を基にこの遺訓を残したと思います。
この中で「不自由を常と思えば不足なし」とあります。コロナ禍でいろいろなことが制限されていますが、今の状況が当たり前、今できることは何か、を考えることが大切だと思います。また「己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」の一文は、自分の行動について反省し、人の責任を責めてはいけない、驕り高ぶって何もしないより、未熟でも努力し悪戦苦闘している方が良いと言われている気がしてなりません。歴史と古典から正しい価値観を学ぶと共に、先人の遺した教訓を活かすことのできる先任上級曹長として、そして指揮官の直接的補佐者として、何より隊員の育成者として努力していきたいと思います。

自反 第13旅団

今月は、自衛隊が始めて参加したカンボジア国際平和維持活動(PKO)について紹介します。

1 経 緯
カンボジアでは、1970(昭和45)年のクーデターによるロン・ノル政権(クメール共和国)発足以降、ポル・ポト派による国民の大量虐殺、ベトナムによるカンボジア侵攻など20余年にわたり戦乱と国内混乱が続きましたが、1991(平成3)年10月、国連主導の下に紛争当事者間においてパリ和平協定が結ばれると 、翌年2月の安保理決議に基づいて、軍事部門、文民警察部門、選挙部門、行政部門、人権部門、難民帰還部門及び復旧部門の7部門からなるUNTACが設立されました。
このうち、我が国に対し、国際連合から停戦監視分野、文民警察分野、選挙分野及び道路、橋等の修理等の後方支援分野への要員・部隊の派遣について要請があり、1992(平成4)年9月8日の閣議決定をもって、カンボジア国際平和協力隊が設置されました。
2 概 要
陸上自衛隊は、派遣施設大隊を2次にわたり編成、派遣しました。派遣施設大隊の主要業務は、長期間にわたる内戦等で荒廃した国道2号線及び3号線の道路や橋の修理等であり、その他の業務として、UNTAC構成部門等に対する給水、給油、給食、医療、宿泊施設の提供の業務や物資等の輸送、保管の業務等も行いました。
施設部隊にとっては、与えられた業務そのものは十分対応可能でしたが、昼間は40度を越える厳しい環境もあり日本国内での作業と比較して困難の多いものでした。さらに、作業地域は、付近に不発弾等がある危険性もあり、安全に十分留意しつつ活動を進める必要がありました。また、憲法制定議会選挙が近づくにつれ、治安状況の悪化が憂慮されたことから、隊員の一層の安全を確保するため、従来から必要に応じて実施していた武器の携行、防弾チョッキ及び鉄帽の着用のほか、宿営地における土のう積み等の所要の措置を講じた上で活動を行いました。
1993(平成5)年5月の選挙の成功により、UNTACによる活動がカンボジア和平の基礎をつくることに寄与しましたが、我が国としても、我が国の要員・部隊の派遣による人的な面も含めて貢献をなしえたことは、カンボジアの官民を含め国際的に高い評価を得ることができました。
国際平和協力法の下における初めての本格的な活動であったことから、その準備から実施において、試行錯誤を繰り返しつつ獲得した多くの教訓等は、その後の活動において反映されていくこととなりました。

道路補修及び警備

道路補修及び警備

河川への橋梁架設

河川への橋梁架設

カンボジアの子供たちとの交流

カンボジアの子供たちとの交流

3 第13師団隊員も参加(師団広報紙「みつや」第294号(平成4年9月30日)より一部抜粋)
カンボジア派遣隊の第1次派遣隊第2次先遣隊が9月17日午前9時、海上自衛隊呉基地Fバースから出航し、一路カンボジアに向け出発ました。
先遣隊は14日、大久保駐屯地から白色に塗装された真新しい車両が陸路先遣隊の隊員によって呉港に輸送されました。海田市駐屯地を通過する際には、幕僚長をはじめ司令部各部課長らが激励の声援を送りました。翌15日には輸送艦への積み込みが行われ、出発準備を完了した後、宿泊地となっている海田市駐屯地で休養をとりました。出発前の16日夕には、陸上幕僚長をはじめ方面総監・各師団長及び派遣隊員とその家族らが参加して方面総監主催の激励会が行われ、最後の夜をにぎやかに過ごしました。
明けて17日、出発を祝うかのような雲一つない日本晴れの朝、海田市駐屯地に師団長をはじめ駐屯地全隊員が路上に整列するなか、盛大な拍手を受け大型バスに乗り込んだ隊員たちはその顔も緊張気味だったがそれぞれ声援に応えていました。正門の外では、隊友会安芸支部のほか、駐屯地近傍の一般の方々約五百名が見送り、日の丸の小旗をうち振り声援を送りました。
呉港に到着した隊員たちは8時半からの式典に参加しました。式典では、防衛政務次官が防衛庁長官の訓示を代読、その中で「勤務環境、任務の特殊性等、処遇面において今後とも万全の態勢で臨む。また、諸君が最も心配しているであろう留守家族の皆様のことにつきましでは、あらゆる配慮を尽くしていくつもりでります。全員無事帰国することを祈念します。」と訓示されました。
式は海上幕僚長の挨拶の後、第二次先遣隊及び海上自衛隊の補給艦「とわだ」、輸送艦「みうら」「おじか」の代表者に花束が贈呈されました。定刻の午前9時、音楽隊の演奏する軍艦マーチの流れるなか、隊員の乗船が始まり、見送る人たちから一段と多い歓声が沸き上がりました。
艦艇が静かに岸壁を離れ出すと見送りの人たちは、それぞれに手を振ったり万歳を叫んだりして見送りました。艦橋に整列した隊員たちは家族を見つけると緊張したなかにも帽子を振るなどしで別れを惜しみました。 第13師団の隊員は9月17日呉港から10名、9月24日小牧基地から2名、10月1日同じく11名、10月13日同じく19名が日本を出発しました。

防衛庁長官から大隊旗を授与

防衛庁長官から大隊旗を授与

海田市駐屯地前を移動する車両

海田市駐屯地前を移動する車両

海田市駐屯地で行われた激励会

海田市駐屯地で行われた激励会

見送りに応える派遣隊員

見送りに応える派遣隊員

出航を見送る陸上幕僚長等

出航を見送る陸上幕僚長等

報道からの質問に答える派遣隊員

報道からの質問に答える派遣隊員

自反 第13高射特科中隊

第13高射特科中隊は、那岐山の麓、緑あふれる岡山県北部にある日本原駐屯地に所在する歴史と伝統ある部隊です。
中隊は、昭和37(1962)年M15とM16を装備する第13特科連隊第6大隊として日本原駐屯地に発足しました。平成3(1991)年には、師団直轄となる第13高射特科大隊として、また平成11(1999)年3月には、師団から旅団への改編に伴い第13高射特科中隊として、現在の編成となりました。

M15A1自走砲

M15A1自走砲

M16自走砲車

M16自走砲車

昭和49(1974)年、35㎜二連装高射機関砲(通称:L-90)が導入、その後装備品の近代化に伴い、平成元(1989)年には、81式短距離地対空誘導弾(通称:短SAM)、また平成11(1999)年には、93式近距離地対空誘導弾(通称:近SAM)が導入され、対空戦闘能力が格段に向上しました。毎年、北海道にある静内対空射撃場において射撃訓練を行っており、一撃必墜の精神で日々訓練に励んでいます。

35mm二連装高射機関砲(L-90)

35mm二連装高射機関砲(L-90)

93式近距離地対空誘導弾(近SAM)

93式近距離地対空誘導弾(近SAM)

81式短距離地対空誘導弾(短SAM)

81式短距離地対空誘導弾(短SAM)

空を監視するレーダ装備として昭和58(1983)年から79式対空レーダ装置(通称:P9)が逐次導入され、平成27(2015)年、P9の後継装置として低空レーダ装置(通称:P18)が導入されました。その他のレーダ装置として、平成10(1998)年から遠方が監視可能な対空レーダ装置(通称:P14)も装備しています。

79式対空レーダ装置(P9)

79式対空レーダ装置(P9)

低空レーダ装置(P18)

低空レーダ装置(P18)

spotlight

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第13特科隊第2中隊
ないとう 介  かい  士長

内藤士長は令和3年3月に一般陸曹候補生として入隊しました。新隊員前期教育を松山駐屯地、後期教育を日本原駐屯地において受けた後、第13特科隊第2中隊に配属されました。現在は砲手として、また第13特科隊銃剣道訓練隊の要員として活躍しています。

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?

小学生のとき銃剣道と出会い、その魅力に感銘を受け、ずっと続けていきたいと思ったからです。

Q2 なぜ特科を希望しましたか?

生れ育った津山市から近い、日本原駐屯地で勤務したいと思いました。その中で銃剣道が盛んな特科を希望しました。

Q3 学生時代の部活動は?

尽誠学園(香川県)で銃剣道をやっていました。

Q4 趣味は何ですか?

古着やストリート系の服や靴を集めることです。

Q5 休日の過ごし方は?

実家や営内でゴロゴロしています。

Q6 自衛隊での一番の思い出を教えてください。

今年開催された全日本銃剣道優勝大会において選手として出場したことです。特に決勝までは緊張で納得のいく剣が出せなかったけど、決勝では吹っ切れ自分の番で優勝を決めれたことです。

Q7 今後の目標は?

陸曹になって砲班長をやりたいです。また、銃剣道でも国体や選手権に出場して、今まで以上に活躍したいです。

ベテランズコーナー

spotlight写真

写真右から2人目が筆者

「第8回玉島ハーバーフェスティバル」
岡山県隊友会倉敷中央支部長
 崇  たかし

令和4年5月28(土)・29日(日)、倉敷市玉島港において玉島商工会議所が主催する第8回玉島ハーバーフェスティバルが開催されました。
フェスティバルに先立ち、掃海艇「なおしま」の入港歓迎行事が行われ、岡山県知事をはじめ多くの来賓が祝辞を述べられました。その際、隊友会、家族会及び防衛協会倉敷支部から入港のお祝い品を贈らせていただきました。その後、なおしま艇長・平城1尉から艇内の案内をしていただきました。見学者は、初めて見る掃海艇の機関砲や機雷を処理する水中ロボットに驚嘆し、その説明に大きくうなずいていました。
フェスティバルでは、陸上自衛隊の車両展示、海上自衛隊の掃海艇の艇内公開、航空自衛隊のF―2戦闘機の展示飛行及び音楽隊による演奏が行われました。そのほかに、警察、消防の車両展示、海上保安庁の船も公開され、加えて地元の数多くのお店が出店していました。新型コロナウイルス感染防止のため5年ぶりの開催となった本フェスティバルは、天候にも恵まれ、数多くの家族連れで予想以上の賑わいでした。特に、航空自衛隊が行った航空機の飛行展示は県内ではめずらしく、上空を通過するたびに大歓声が上がり、展示終了後には、SNSに数多くの動画が配信されていました。