音楽隊の歴史

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音楽隊の歴史

3.各方面音楽隊の創設

 航空音楽隊が浜松から立川に移動した後、浜松北基地において昭和35年10月に「スカイ・ヤンガース」、翌36年には浜松市基地に基地音楽部が発足し、これらを母体に昭和41年5月、第1術科学校に浜松音楽隊が編成(18名)された。
 昭和37年2月、三沢基地では愛好者7名をもって北部航空方面隊隷下の基地業務部に音楽隊を設置し、要員は航空音楽隊で3か月の研修を行った。その後、昭和39年の東京オリンピック(23名)、昭和47年の札幌冬季オリンピック等に参加した。活動範囲は東北3県及び北海道にわたり、各種式典、慰問演奏、部外広報等を行い、地域文化の向上にも寄与した。

 北部航空方面隊音楽隊の第1回定期演奏会は、発足10周年を期に昭和48年3月31日三沢市民会館で行われた。 昭和38年3月、西部航空方面隊は隷下部隊から隊員を募り、司令部に17名で音楽隊を編成した。要員は航空音楽隊に臨時勤務し、9月に原隊復帰した。復帰後、すぐさま活動を開始し、儀式、広報演奏の他各サイト、基地等の慰問を行った。翌39年3月7日、春日基地隊員食堂において第1回の定期演奏会を開いた。東京オリンピックには、北空音楽隊と同じく西空音楽隊も参加した。
 これら3音楽隊は、昭和51年10月1日に北部、中部、西部航空音楽隊としてそれぞれ各方面隊司令官直轄部隊として編成された。 その後、立川分屯基地にあった航空音楽隊は、昭和57年4月6日に航空中央音楽隊と改称された。
 那覇基地に南西航空音楽隊が編成されたのは昭和60年1月29日のことであった。同隊は、昭和60年度中、部外での演奏を35回、式典演奏13回、計48回(週1回ペース)の演奏を行った。昭和60年5月11日、南西航空音楽隊は豊見城村立中央公民館大ホールで1,000名の聴衆を迎え、第1回定期演奏会を開催した。吹奏楽の他、歌手の弘田三枝子をゲストに招いてポップスも披露した。<その4へ続く>

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