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 米海大ナウ!

 026  「31ノット・バーク」アーレイ・バーク提督

(026 2015/11/09)

米海軍大学   客員教授
本校戦略研究会(SSG)
1等海佐    下平   拓哉

   1901年10月19日は、海上自衛隊の創設に貢献したアーレイ・バーク(Arleigh Albert Burke)の誕生日です。

  米海大とアーレイ・バークの繋がりと言えば、やはり1956
年に国際指揮課程(NCC)を作り、国際学生を受け入れたこと
でしょう。戦前の米海大の教育において、日本やドイツ、
イタリアといった国々と共に学ばなかったことを反省して、
同課程の設置を推進したのです。日本からの初めての学生は、
後に自衛艦隊司令官を務める北村謙一であり、初代学生長に
任ぜられています。日本はそれ以降も継続して学生を派遣し
ている数少ない国の1つです。これまで134ヵ国・約4500名の
学生が修業しています。
【NCC士官室に掲げられている肖像画】

   アーレイ・バークは、コロラド州ボルダ―市の農家に生まれました。父は、スウェーデン系の移民で、両親とも教育熱心だったと言われています。父は、地元で小学校創立に尽力し、また母は、アーレイ・バークが子供時代、最低週2冊の本を読むように躾けられていたようです。
   1923年に米海軍兵学校卒業。412人中70番。その後、戦艦「アリゾナ」にも乗り組み、ミシガン大で工学修士号を得ています。太平洋戦争中は、「リトル・ビーバーズ」として知られる第23駆逐隊司令として、ブーゲンビル島上陸作戦やセント・ジョージ岬沖海戦等に参加し、南太平洋戦域を高速で暴れ回ったことにより、「31ノット・バーク」と呼ばれています。米海軍史上ただ一人、米海軍のトップである海軍作戦部長を、1955年から1961年、3期6年間にわたって務めています。
   アーレイ・バークは、日本による真珠湾攻撃によって5年間も勤務した戦艦「アリゾナ」が撃沈されたことにより、当初は日本嫌いでした。しかし終戦後、GHQから「オールド・ジェントルマン」と呼ばれたかつての宿敵・草鹿任一中将との出会いから親日となり、海上自衛隊の創設にも尽力され、1961年には勲一等旭日大綬章を授与されています。

【国際交流学部に掲示】



   米海大には、アーレイ・バークの次のような言葉が掲げられています。
   「人間にとって、国家にとって、そして海軍にとって最も重要なのは、友である。」

   さて、これからの厳しい将来を控え、真の友を築くためには何が重要なのでしょうか。米海大でリーダーシップを教授する戦略作戦統率部学部長で元在日米海軍司令官のケリー(James Kelly)氏は、「重要なことは人間関係。一緒に仕事をするためには、お互いを好きになり、信頼関係がなくてはならない。」と語っています。米海大は、共に学ぶことにより、人間関係と国際感覚を鍛錬する場でもあるのです。