補給支援活動を支えた隊員たち

インド洋において補給支援活動に従事した隊員へのインタビューです。

補給艦「おうみ」艦長 1等海佐 後藤 大輔

後藤 大輔

補給を再開しての現場での各国の反応や評価はどうでしたか?

現地に着きまして最初に補給支援をしたのがパキスタンの艦艇だったのですが、メインマストにウェルカムの旗りゅう(国際信号旗)を揚げてくれまして、また、日本国旗、自衛艦旗も揚げてくれましたので非常に歓迎してくれているという印象を強く持ちました。その後も各国の艦艇に実施したわけですが、各国艦艇すべてに日本国旗が揚がっておりまして、日本がインド洋に帰ってきたことを歓迎してくれていると強く感じました。

実際に任務を終えてどのようなお気持ちですか?

出国する時に1人残らず元気に帰ります、任務を全うしてまいりますと約束をしてきましたので、大きな事故・不具合なく任務を全うして、乗員全員が無事に帰ってこれたのでほっとした気持ちが一つ、補給活動を引き継いだ艦艇の安全を祈っているというのがもう一つです。

今回の派遣で注意したことは?

非常に長期にわたって日本から遠く離れた、文化も違うところで乗員のモチベーションをいかに保っていくかに注意しました。幸いなことに本艦は非常に若い隊員が多いのですが、順応してくれたというか、自分自身を抑えてくれたというか、不具合もありませんでしたので、特に心配することもありませんでした。後は、暑さと湿気そして砂嵐が非常にすごいということで、健康面と暑さによる事故には注意しました。

現地の暑さはどれくらい過酷なんですか?

我々が行った時には向こうではまだいい季節だよといわれたんですが、常に30℃は超える状態で、百葉箱の中で測ると、最後の5月くらいは36℃というくらいの気温なんですが、甲板上を測ると実は90℃あったり、直接温度計を持って外で測ると私が自分で測った時でも49℃くらいを示しましたので、体感温度は非常に高い。それと、ちょっと外に出る時も水を常に持っていかないと脱水症状になってしまうという状態になります。あとは先ほども言った砂嵐ですね。熱風が直接吹いてくるという感じを受けましたので、健康面には非常に気をつけました。

補給した燃料の用途の確認はどのように行われているのですか?

海上自衛隊からもバーレーンに連絡官を派遣しておりまして、その連絡官が各国の連絡官と緊密に連携して、給油する艦艇が間違いなくテロ対策海上阻止活動に従事しているということを確認し、それを自衛艦隊のほうに報告し、自衛艦隊で精査した後、補給命令が下されて補給活動を行うという流れになっているので、間違いはありません。また、給油中には、相手の船と連絡を取るわけですが、その時も確認しております。

最後にインド洋での補給支援活動の意義についてどのようにお考えですが?

ご承知のとおり、日本の石油はほとんど中東方面から輸入しているという状況で、毎日約70~80隻のタンカーが日本からアラビア海へ、またアラビア海から日本に向けての間を行き来していますが、それだけ頼っている場所へ我々が行って、テロ対策海上阻止活動をしている艦艇に補給支援が出来ることは非常に意義深いことであり、また、国益に直接つながる任務だと思っています。

補給艦「おうみ」運用長 3等海佐 橋本 聖一

橋本 聖一

運用長の役割はなんですか?

私の部下に運用員、射撃員、魚雷員というものがいます。その部下を指揮して、運用作業、射撃、それらの整備作業に関する業務を所掌しています。それと洋上補給におきましては、甲板作業指揮官として現場の作業の指揮監督を実施しています。

実際に洋上補給を行うに際して、印象的なことはありますか?

インド洋に行って最初の補給活動を再開した艦艇はパキスタン海軍なんですが、今まで事前に訓練していたこと、事前に調整していたことを含めて、現場でのお互いの船の連携がうまくいくかなという思いで、前の日はなかなか寝付けませんでした。

実際はうまくいきました?

はい。うまくいきました。

補給の手順について教えてください。

受給する艦艇が後方から近づいてまいります。左舷なら左から近づいてまいります。そして35m前後の正横(せいおう:真横の意味)の距離に来たところで、本艦から索を渡して、最後にスパンワイヤーというワイヤーを渡して、そのスパンワイヤーに張力をかけたところで、蛇管というホースを向こうに送ります。受給艦がホースをつなぎ終わったところでお互いの準備、これを確認して、それから送油を開始します。

洋上補給の任務と国内での任務の違いはありますか?

まず、装備等については国内とインド洋はそんなに変わりはありません。ただ、隊員の服装、特注の作業服を着たり、救命胴衣を通気性のいいものに変えたりというような違いはあります。作業そのものの手順、これについては発射索を補給艦側から送るか、相手艦側から送られてくるか、そういった細かい違いはありますが、その他についてはほぼ同様です。

補給活動は何時間ぐらいかかるのですか?

補給量によって時間は変わってきます。従って長い時であれば3時間とか、4時間近くなることはあります。外国の艦艇の場合、作業が比較的のんびりしていますので、日本の艦艇と同じ量の油を送る場合でも、やっぱり時間が1時間ぐらい違ってきます。

平行して走る際のジャイロの調整はどのようにしているのですか?

ジャイロの調整は、お互いこれだけズレがあるよというのを頭にいれておいて操艦をしていきます。例えばこちらが0度だったらむこうは8度だというようなズレがあるという認識をして、操艦をしていきます。

ずっと相手との距離をみながらやるのですか?

基本的には補給艦の方はずっと基準の進路を保ちます。そして補給を受ける艦艇の方が距離の方を調整しますので、とりあえずまっすぐ走るということです。

今回の派遣を通じて得たものはありますか?

過去、平成13年、9.11のテロの後に、テロ対策特別措置法として護衛艦で一度インド洋に行きましたが、今回は補給艦の運用長ということで、全く違う立場で貴重な経験をさせてもらい、それがとても私自身心の支えというか、それを完遂してやるぞという気持ちでおりました。

派遣についての家族の反応は?

派遣については家族が留守を守ってくれるという安心感と、出港していても電話、メールでお互い励ましあって、帰国まで家族に支えられて無事帰国することが出来たということです。

補給艦「おうみ」先任伍長 海曹長 永井 茂

永井 茂

おうみにおける先任伍長の役割や留意したことは?

機会あるごとに艦内をまわり、ひとりひとりの乗員の顔を見て、声をかけて、話を聞いたり、話しをしたりして、コミュニケーションをとるのを大事にしていました。

長期の滞在だと隊員のストレスもだんだん溜まってくるでしょうね?

ストレスを溜めないように、DVDや読書など自分の趣味にあったことに没頭させるような時間を作るようにしました。

乗員のなかには女性隊員もいますが留意したことは?

男性女性関係なく勤務に就かせるのが基本ですので、勤務に対してはあまり気は使いませんでしたが、よく話しをしたりして気持ちを少しでも分かってあげられるように努力しました。

インド洋への派遣が決まった時の気持ちは?

これで任務を達成できるというやる気の気持ちと、長期出港のため家族に心配をかけるなという不安な気持ちがありました。

活動中印象に残ったことは?

補給支援活動再開の第1回目ということで、メディアの方が遠路はるばる現地まで出向いていただいて、我々の活動を国民の皆さんに知らせていただいたことが思い出に残っております。

甲板の過酷な暑さのなかでの任務にあたって心がけたことは?

まず、健康の管理に注意するとともに、緊張しすぎないように、また緊張がゆるまないように、一定の緊張感を持たせるように努力しました。

任務を終えて今どんな気持ちですか?

入港してみて出迎えにこられた皆様の顔を拝見したときに、微力ながら国際貢献の一翼を担ったなという実感がわきました。

実際、洋上でテロ根絶の活動に参加していると実感することは?

受給艦の乗員が、燃料搭載の作業中や搭載終了後、手を振ったり、笑顔で迎えてくれたり、 別れたり、みんな同じ目的に向かっているんだなということを実感することが出来ました。

補給艦「おうみ」運用員 1等海曹 新垣 隆司

新垣 隆司

どういう任務についていましたか?

補給艦で相手艦に蛇管ホースを送るとき、最初に相手艦との索のやりとりを行う任務についていました。索は相手艦と現場での通話に使用する電話線などのやりとりのために送ります。

実際に補給活動を行って何が一番大変でしたか?

一番大変なのは、他国との言葉の違い、相手艦との作業内容の違い、機器等の違いで相手艦との洋上補給のやりとりが出来ない場合のこちらの対応です。

現地の環境はどうでしたか?

まず一番に思うのが暑い、そして雨が降らないという環境でした。通常は37~38℃ですけど、鉄板の上は70~80℃位になっていると思っていました。

実際の補給を数時間見守っているのは大変じゃないですか?

暑い中で注意するのは健康管理、水分の補給です。 また、相手艦にどのような故障が起こるかわからないというのが心配でした。

訓練との違いはどのような時に感じましたか?

他の艦艇が近寄った際の相手艦の警戒要領を見た時、訓練とは違うなと感じました。

長期間の任務を支えているものはなんですか?

一般的ですが、家族、両親、国民の期待、あとは乗員のチームワークです。乗員のチームワークが一番みんなの支えだと私は思っています。

任務を終えて、今回の派遣で得たものは?

他国からの海上自衛隊への評価だと思います。 日ごろの訓練の成果、練度の高さなど自衛隊のすばらしさを相手艦からほめてもらいました。相手艦が離れる際に感謝の声を聞いたり、手や帽子などを振ってくれたり、そういうのを見ると自衛隊の評価は高いんだなと思います。

補給艦「おうみ」ガスタービン員 2等海曹 迎 功

迎 功

どのような任務に従事していますか?

私は機関科のガスタービン員として、機器の整備に当たっています。補給作業中は管制室で管制員として任務についています。

派遣が決まった時の気持ちは?

また支援活動に参加できるということで、嬉しく思いましたけど、期間が長いですから家族が心配でしたね。

国内での任務とインド洋での任務の違いは?

外国艦艇に補給する時は英語を使用するのですが、量の単位が違うものですから、間違えないように注意しました。

活動中印象に残ったことは?

毎回そうですけど、インド洋は暑いんです。もうとにかく暑い。それだけしか印象に残らないんです。

今回の派遣を通じて得たことはありますか?

また次回派遣されたとしても、任務を立派に遂行して、無事、事故なくやっていけるような自信がつきました。

派遣について家族の反応は?

最初の派遣の時には無事に帰ってこれるんだろうかということで心配をしていましたが、今回で3回目だったんですけど、家族はもう普通に朝送るような感じで、いってらっしゃいという感じで送られて、もうなんか悲しくないのかなという感じですね(笑)。ちょっと位心配して欲しいなと思いました。

テロ根絶に向けて活動しているという実感を持つのはどんな時ですか?

全部終わって日本に帰ると、やり遂げたという感じはありますね。

補給艦「おうみ」電測員 海士長 寺林 佳恵

寺林 佳恵

どういう任務についていましたか?

CIC(コンバット・インフォメーション・センター:戦闘指揮所)でレーダーを使って周囲の警戒監視を行い、艦が安全に航行できるよう補佐を行っています。

CICでのレーダー監視の任務について一番注意、気を配った点はなんですか?

外国なので知らない船、航空機がたくさんいるので早めに探知して報告することを心がけました。

突発的な緊急事態などはありましたか?

どこの国か分からない航空機が近くを飛んでいたりしたときに、ちょっと空気がぴりっとしたこともありました。

派遣が決まった時の気持ちは?

今まで一度も海外に行ったことがなかったので、単純に海外に行けるという期待感と、半年間日本を離れるという面での不安な気持ちとで半分半分でした。

派遣について家族の反応は?

半年間日本を離れるので体調面は心配をしていたんですが、全体的には応援してくれました。

補給支援活動に参加してどうでしたか?

日本を代表して国際的な平和協力活動に参加できたということは、とても誇らしいことだと思います。

女性として苦労されたことはありますか?

洋上での補給活動中は長時間外に出て活動することが多いので、日焼け対策にちょっと苦労しました(笑)

実際にはあまり焼けていないですね?うまくいったんですか?

頑張りました(笑)

洋上での過酷な環境での任務中の苦労を教えてください。

洋上補給中は測距という仕事についているんですが、そのとき使うのが測距儀という機器なんですけど、これで補給活動が始まる前から外国の艦艇との距離をずっと覗いて測っているんですが、汗でレンズが見えなくなったりして、拭いているとその途中で距離が分からなくなってあせったりということがありました。

テロ根絶に向けて取組んでいるんだという実感がわくことは?

私たちは後方部隊なんですけど、実際に活動している人たちに給油するというかたちで支援しているんだなという実感はわきました。洋上給油が終わった後に、最後に外国の艦艇が感謝の言葉をトランシーバーで英語で伝えてきたり、皆さんジェスチャーでそういう気持ちを伝えてくださったり、そういうものを見ると私たちも参加してるんだなという気持ちになりました。