史料館見学について |
史料館の予約については、下記の電話番号までご連絡ください。 〜お問い合わせ先〜 東千歳駐屯地 司令職務室 0123−23−5131(内 4580) ※ 内線番号を確実に伝えるようお願いいたします。 |
試製第1号戦車 |
陸軍は、大正14年(1925年)6月から設計を開始し、僅か2年後の昭和2年(1927年)3月に第1号車を完成させた。この戦車は各国の戦車技術を模倣して完成されたものであるが、最初の国産戦車としては十分な性能を発揮した。しかしながら重量が設計時の15トンから増えて19トンになったせいもあり、目標速度25km/hは実現できずそのまま採用されることはなかった。 |
1927年(昭和 2年) | 試製第1号戦車 | ||
1929年(昭和 4年) | 試製第2号戦車 | 89式中戦車イ号(甲) | |
1932年(昭和 7年) | 92式重装甲車 | ||
1934年(昭和 9年) | 94式軽装甲車ホ号 | 89式中戦車イ号(乙) | |
1935年(昭和10年) | 95式重戦車 | 95式軽戦車ハ号 | |
1937年(昭和12年) | 97式軽装甲車 | 97式中戦車チハ | 試作中戦車チニ |
1939年(昭和14年) | 98式軽戦車ケニ | ||
1940年(昭和15年) | 試製超重戦車オイ | 97式中戦車チハ改 | |
1942年(昭和17年) | 1式中戦車チヘ | 2式軽戦車ケト | |
1943年(昭和18年) | 3式軽戦車ケリ | ||
1944年(昭和19年) | 3式中戦車チヌ | 4式中戦車チト | 4式軽戦車ケヌ |
1945年(昭和20年) | 5式中戦車チリ | ||
1961年(昭和36年) | 61式戦車 | ||
1974年(昭和49年) | 74式戦車 | ||
1990年(平成 2年) | 90式戦車 | ||
2010年(平成22年) | 10式戦車 |
10式戦車 | 90式戦車 | 74式戦車 | 61式戦車 | |
全 長 | 9.42m | 9.80m | 9.41m | 8.19m |
全 幅 | 3.24m | 3.40m | 3.18m | 2.95m |
全 高 | 2.3m | 2.3m | 2.25m | 2.49m |
重 量 | 約44t | 約50t | 約38t | 約35t |
主 砲 | 44口径120mm滑腔砲 ※90式戦車より高威力 |
44口径120mm滑腔砲 | 51口径105mm ライフル砲 |
51口径90mm ライフル砲 |
装 甲 | 複合装甲(正面要部) | 鋳造鋼(砲塔)圧延防弾鋼(車体) | ||
エンジン | 水冷4サイクルV型 8気筒ディーゼル |
水冷2サイクルV型 10気筒ディーゼル |
空冷2サイクルV型 10気筒ディーゼル |
空冷4サイクルV型 12気筒ディーゼル |
最大出力 | 1.200ps/2.300rpm | 1.500ps/2.400rpm | 720ps/2.200rpm | 570ps/2.100rpm |
最高速度 | 70Km/h | 53km/h | 45km/h | |
懸架方式 | 油気圧式(能動型) | トーションバー 油気圧ハイブリット式 |
油気圧式 | トーションバー式 |
乗員数 | 3名 | 4名 | ||
装填方式 | 自動 | 手動 | ||
C4I | ○ | △ | × | × |
89式中戦車イ号(甲)・(乙)
|
89式中戦車イ号(甲) 89式中戦車イ号(乙) |
陸軍は昭和3年(1928年)、10t程度の戦車を開発することを決定、前年に輸入していたヴィッカース製マークC戦車を参考に昭和4年(1929年)10月、我が国初の主力戦車89式中戦車(甲)が制式化された。なお89式の「89」とは、皇紀2589年の下2桁年号であり、「イ号」とは、開発の順番をいろは順に示しているもの。のちに戦車の開発系統は中戦車と軽戦車に分岐していくため、中戦車は「チ」を軽戦車は「ケ」を頭につけることとなる。 性能諸元は、重量 11.5t、乗員 4名、最高速度 25km/h、主武装 九○式57mm砲×1、副武装6.5mm機関銃×2、航空用水冷ガソリンエンジンで出力 140馬力であった。ガソリンエンジンは構造が簡単で大馬力を得やすい反面、常に火災の危険性もあることから、昭和10年(1935年)、世界に冠たる空冷ディーゼルエンジンを搭載した89式中戦車(乙)の生産を始めた。昭和14年(1939年)までに甲型が220両、乙型が184両以上が生産されている。
|
95式軽戦車ハ号 |
1930年代に入り軍の機械化が進むなか、低速な89式中戦車では自動車化歩兵について行けない事態が明らかとなり、89式中戦車の後継車両の必要性が高まって、装輪・装軌併用式の戦車の開発が検討された。重量7t以内で路上最大速度40km/hという要求仕様から、昭和8年(1933年)に設計が開始され、昭和9年(1934年)に試作第1号が完成した。 この試作第1号は路上最大速度40km/hという要求速度は達成したものの、重量は7.5tと要求をオーバーしてしまった。そこで軽量化を図った改修型試作車が製作され、昭和11年(1936年)11月に完成し、「95式軽戦車」として制式化された。 |
97式中戦車チハ |
97式中戦車チハ 97式中戦車チハ改 |
97式中戦車チハは、89式中戦車の後継中戦車として1930年代後半に開発・採用された太平洋戦争時における陸軍の主力戦車である。 |
98式軽戦車ケニ |
98式軽戦車ケニは、95式軽戦車の後継車両として開発され、火力、装甲、性能などより優れた軽快な戦車であることが要求された。開発は、昭和13年(1938年)から設計が開始されたが実際の試作車の完成は、昭和14年(1939年)にずれ込んだ。開発に当たっては、95式軽戦車の後に作られた97式中戦車の技術を取り入れたといわれるが、外見は、どちらかというと97式軽装甲車に近い。98式軽戦車は、95式軽戦車と比較して車体全高が低く抑えられ、また装甲板の接合に溶接を取り入れたことで、最大装甲厚が95式軽戦車の12mmから16mmへと強化されているにもかかわらず、重量も軽減された上に速度も向上した。被弾経始も考慮され、97式中戦車のように砲塔や車体上部が斜めの装甲板に囲まれていた。足回りは、開発時点でクリスティー式サスペンションを備え、被弾にも強くなっていた。 性能諸元は、重量 7.2t、乗員 3名、最大速度 50km/h 主武装 一〇〇式37mm戦車砲、副武装 九七式車載7.7mm重機関銃 エンジン 空冷V型6気筒ディーゼル 130馬力 |
1式中戦車チヘ |
1式中戦車チヘは、太平洋戦争中に開発された中戦車で、97式中戦車チハから多くのコンポーネントを流用していたため、1式中戦車と同じ砲塔を搭載する97式中戦車改と外見は良く似ていたが、細かく見ると各所に違いがあった。 |
2式軽戦車ケト |
2式軽戦車ケトは、昭和16年(1941年)に試作が開始された車両で、基本的には98式軽戦車ケニの改良型である。 |
3式軽戦車ケリ |
※試作のみの為画像はありません |
陸軍が開発した軽戦車としては、予想以上に成功を収めた95式軽戦車であったが、昭和16年(1941年)12月に開戦した太平洋戦争に投入してみると主砲の37mm戦車砲が火力不足であることが、前線から指摘された。このため、主砲を97式中戦車(チハ車)と同じ57mm戦車砲に換装して火力の強化が図られることになった。 |
3式中戦車チヌ |
97式中戦車チハの後継車両である1式中戦車チヘの量産は、昭和19年 (1944年)春から開始された。 |
4式中戦車チト |
昭和12年(1937年)に97式中戦車チハが制式化された後、陸軍技術本部は、数種類の後継中戦車の開発を推進し、昭和17年(1942年)9月完全な新規車両として陸軍兵器行政本部開発方針により47mm戦車砲を搭載する新中戦車(甲)を開発することが決定された。これが後の4式中戦車チトの原型である。 |
4式軽戦車ケヌ |
3式軽戦車ケリは、95式軽戦車の小さな砲塔に直接九七式57mm戦車砲を搭載したため、砲塔内に余裕が無く、操作性に問題があって実用的ではないことが判明した。そこで、95式軽戦車の砲塔を、(97式中戦車チハを97式中戦車改や自走砲へ改造することで余剰になっていた)97式中戦車の旧砲塔に丸ごと置き換えることでこの問題を解決した。火力強化を目的に、非力になった戦車の車体と不要となった砲塔を組み合わせ開発されたのである。95式軽戦車より全高は20cm、重量は1t増加している。試作車両が製作された他、本土決戦用に少数が配備されたのみで実戦には参加していない。 |
5式中戦車(チリ) |
5式中戦車チリは、戦局を逆転させるべく密かに開発された戦車で、本土決戦の準備が叫ばれている時期において、列強の戦車と比較して優るとの劣らない「決戦兵器」として開発されていた戦車である。 昭和17年(1942年)9月の兵器行政本部研究方針の中で57mm戦車砲搭載の新中戦車(乙)として構想されたものが原型であり、具体的な開発は、昭和18年(1943年)7月の「兵器行政本部研究方針」の変更により始まる。これは固定砲塔形式の駆逐戦車であったが、上記の方針の変更により75mm戦車砲搭載の35t級戦車に要求が引き上げられた。また、先に試作された超重戦車オイの経験からこれに代わるものとして計画された。ところが時代の発展と用兵思想の進歩や変化により、戦車も従来の歩兵支援用や重戦車にあるトーチカ破壊を主目的にした思想から脱皮し対戦車戦闘を主眼とした大口径・高初速砲を装備する方針に変化していった。 5式中戦車の大きな特徴は自動装填装置を採用していたことと、大馬力ディーゼルエンジンを開発する余裕がなかったことから航空機用のガソリンエンジンを転用しようとしていたことである。しかしながら戦局の悪化により航空機と燃料が競合するこの戦車の開発意図が薄れていたこともあり、ディーゼルエンジンを搭載するチリU型も開発が検討されていたと伝えられている。開発途上で終戦を迎えたこともあり、開発中の戦車砲が車体に搭載されることはなかった。 性能諸元は、重量 35.0t、乗員6名、最大速度 42km/h、主武装 五式75mm戦車砲、副武装 一式37mm戦車砲 九七式7.7mm車載重機関銃×2、エンジン 空冷V型12気筒ガソリン 550馬力 戦場 なし |
61式戦車 |
1953年(昭和28年)から研究が開始され、「米軍のM47を目標に、90mmガンを装備する30t前後の戦車」を目途に、1956年に第1次試作、1960年に第2次試作を完了し、1961年4月「61式戦車として制式化され、1975年までの間に560両が生産された。また、日本の地形に起伏が多く、平地が少ないという日本の国情に合わせて、待ち伏せを主戦法とする戦車駆遂軍的な思想が設計に取り入れられ、日本国産初の主力戦車としては歴史的・戦略的意義には大なるものがあった。主要諸元は、重量35t、乗員4名、主武装90mmG,570馬力空冷ディーゼルエンジン、最高速度45km/hであり、関連車種として67式戦車橋、70式戦車回収車がある。 |
74式戦車 |
61式戦車の90mmGは、その開発当初から早晩旧式化することが分かっていたが、諸般の事情からあえて制式化されたものであり、後継車種の開発が望まれいた。1965年(昭和40年)以来、エンジン、トランスミッション、射統装置、戦車砲等の部分試作が始まり、1968〜69年に第1次試作2両、第2次試作4両が製作され、1974年9月に74式戦車として制式化された。毎年50〜60両ペースで生産され、平成3年(1991年)3月879号車(量産型としては873両)をもって生産を終了した。また、74式戦車は61式戦車の後継として開発され、第2世代主力戦車に分類される戦車で部内での愛称は「ナナヨン」なお、関連車種として、78式戦車回収車、87式自走高射機関砲及び91式戦車橋などがある。主要緒元は、重量38t、乗員4名、主武装105mmG、720馬力空冷2サイクルディーゼルエンジン、最高速度53km/hで、油気圧式懸架装置による姿勢制御、潜水渡渉、及びレーザ測距・弾道計算機搭載による射撃統制装置に特徴がある。 |
90式戦車 |
「外国のどの戦車にもひけをとらず、全てにおいて新規開発の最先端技術を盛りこむ」という大方針のもと研究開発が進められ、1979年システム設計が開始され、1981年部分試作、1985年第1次試作、1987年第2次試作が完了し、1990年(平成2年)8月6日「90式戦車」として制式化された。なお、関連車種として90式戦車回収車がある。90式戦車は、その制式化時点において列国のどの戦車にも勝るとも劣らない最新の技術を駆使した傑作戦車であり、1993年度末の装備数は76両である。また、1990年(平成2年)度から2009年(平成21年)度までに61式戦車の全てと74式戦車の一部を更新するために341輌が調達された。主要諸元は、重量50t、乗員3名、主武装120mmSB(滑空砲)1500馬力水冷10気筒2サイクルディーゼルエンジン、最高速度70Km/hで、油気圧懸架とトーションバー併用のハイブリット懸架方式、水中排気方式による潜水渡渉、自動装填装置、各種センサー(風向・速、装薬温度、砲耳軸傾斜、砲歪み等)・デジタル計算機・捏線映像装置・照準具安定装置採用による夜間・走行間射撃の可能及び精度向上、及び複合装甲・レーザー検知装置・個人給気式CR防護装置等の採用による防護力の向上等が主要な特徴である。 |
10式戦車 |
陸上自衛隊の最新の国産主力戦車であり、国産の自衛隊装備品としては4代目である。自衛隊は第3世代の90式戦車を上回る、第4世代戦車と定義している。開発は防衛省技術研究本部、試作・生産は三菱重工業が担当した。戦闘力の総合化、火力・機動力・防護力の向上、小型・軽量化などを達成し、2009年(平成21年)12月に「10式」と命名された。主砲には日本製綱所の国産44口径120mm滑腔砲(軽量高腔圧砲身)を備え、新型の国産徹甲弾の使用により貫徹力を向上させている。また、90式戦車と同様に自動装填装置を採用し、乗員は車長・砲手・操縦手の3名である。小型・軽量化と応答性・敏捷性の向上のため、水冷4サイクルV型8気筒ディーゼル機関と油圧機械式無段階自動変速操向機(HMT)を組み合わせた動力装置(パワーパック)を搭載する。また、全国的な配備・運用のために車体を小型軽量化したことで重量は約44tに抑えられており、更に着脱が容易なモジュール型装甲を実装している。日本の戦車・戦闘車両としては初めてC4Iシステムを装備したことも特徴である。平成22年度(2010年)より調達が開始されており、平成23年度(2011年)より富士教導団戦車教導隊などから順次部隊配備される。平成24年(2012年)に量産第1号車が富士学校機甲科部に引き渡された。 平成29年3月、第7師団に配備が開始された。 |
史料館見学について |
史料館の予約については、下記の電話番号までご連絡ください。 〜お問い合わせ先〜 東千歳駐屯地 司令職務室 0123−23−5131(内 4580) ※ 内線番号を確実に伝えるようお願いいたします。 |
お問い合わせ
陸上自衛隊
第7師団司令部総務課広報・渉外班
〒066-8577
北海道千歳市祝梅1016
TEL 0123-23-5131(内線 2247)
e-mail address
[email protected]