「名寄の地の第一歩」 | |
昭和27年12月 5日 | 保安隊先遣隊名寄入り。 |
昭和28年 3月 9日 | 保安隊名寄駐屯部隊の主力部隊(第一陣)名寄駅に降り立つ。 |
昭和28年 5月24日 | 名寄駐屯地開庁落成式挙行。駐屯地としてスタートした。 |
「駐屯地開庁の背景」 警察予備隊(現在の自衛隊)の誘致は戦後の名寄の最大の事業だった。 市政施工への人口要件のクリア(人口3万人以上)に併せ、経済活性化への悲願を込めた町を挙げての誘致運動があった。 |
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駅前に商工会議所から大テントの臨時休憩所、町内婦人団体から茶菓・しるこ、商店街から各隊員に記念品、鈴木秀吉町長の歓迎の言葉、ブラスバンドを先頭にした街頭行進、日の丸各個掲揚と、町を挙げての温かい歓迎を受けた。 「エピソード」 「昭和28年3月9日、長い旅路の末、名寄駅頭に降り立つ、出迎えの人々の頭越しに見える街の軒並、そして人々の服装等、想像以上なのに先ず度肝を抜かれた。人々の服装は『ケット』をずっぽりかぶり目だけ出し太い大根脚なので、なる程『アイヌ』が多いわい位に思い、自分なりに納得したつもりであったが、後日街の人に聞いたところ『アイヌ』ではなく、また脚の太いのは、メリヤスの上にソックスをはいているからだ。とのこと、その話を皆に云って大笑いしたものである。」 「また軒並は、平屋がほとんどで、見るからに貧弱で今にもつぶれそう。内地の大きな家で生まれ育った私には、雪が多く木材等も豊富なのに、どうしてこんな家ばかりなのだろうかと不思議に思った。尚、当時の主要交通機関は馬車(橇)。したがって路上は馬糞に覆われ、まるで馬糞の道であった。」「また、娯楽施設としては、パチンコ屋2〜3軒、飲屋も少く、酒屋の店頭で、毛ガニをしゃぶりながら、コップ酒をグビリグビリ飲み干しながら気えんをあげ、寂しさを忘れようと努力したものである。」 ー(駐屯地記念誌「22年のあゆみ」より)− |
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昭和27年10月15日 | 警察予備隊から保安隊へ |
昭和27年12月 5日 | 駐屯地管理隊(現名寄駐屯地業務隊)美幌から移駐 |
昭和27年12月19日 | 第30駐屯地会計隊(現・第342会計隊)遠軽から移駐 |
昭和27年12月20日 | 第3連隊(現・第3即応機動連隊)先遣隊移駐 |
昭和28年 5月25日 | 北部方面通信所名寄支所発足(現・第301基地通信中隊名寄派遣隊) |
昭和29年 5月12日 | 第2偵察中隊(現・第2偵察隊)旭川から移駐 |
昭和29年 6月10日 | 第400警務大隊第2中隊名寄警務分遣隊編成完結(現・第119地区警務隊名寄派遣隊) |
「エピソード」 2代目駐屯地司令の水沢廣吉1佐は、「土方連隊長」と呼ばれた。 駐屯地開設間もない時期だけに、整備に力を入れた。主なものは道路、飛行場滑走路、営内射場、基本射場などで現在の駐屯地の基盤がその時代に整えられている。作業は、隊員が銃の感触を忘れるほど。 毎朝、訓練係から作業区分が伝えられ、作業にかかるのだが、当時を振り返った隊員の手記に「まるでニコヨンのような嫌な気分がしたものである。 とにかく不慣れな作業のため何をやっても、困難の連続。(中略)陣頭指揮に立って作業をする司令の姿を、だれがいうとなく土方連隊長というようになった。」とある。 |
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▲58年ぶりの市中パレード。 |
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「エピソード」 駐屯地全隊員が整列して、正門付近で出迎えたのだが、その時ぐらい力強く頼もしく感じたことはない。 とにかく移駐からその時点までは降雪があってから雪どけまで、人力での道路の除雪の連続に、いい加減誰しもがそのように感じたに相違ない。 当時の道路状況は、隊内については現在と大差はなかったが、街までの道路は、舗装もされず巾も狭く特に九線からは地盤も悪く、現在とは比較にならなかった。 このような道路を市街まで、各部隊毎に除雪区間を割り当てられ、人力によるスコップ作業によって、冬季間の輸送、交通の確保にあたったものである。この作業は、特に融雪期が大変で、少しの雪にも車輪が埋まり車が立ち往生する。 とにかく融け次第除雪を継続、4月下旬に地面をみて始めて終するのである。この部隊の開設当初は、特に除雪を知らない我々にとっては、スコップの使用もままならず、手に豆を作って苦労した割合に成果があがらず、がっかりしたものであったが、年毎にスコップの使用方法や、除雪の知識も身につき成果があがったように記憶しているが、手足がつめたく大変だった。 このような当時を回想するにつけ、機械力の偉大さ、そして施設部隊の存在をつくづく頼もしく思っている。 ー(駐屯地記念誌「22年のあゆみ」より)− |
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昭和31年10月25日 | 稚内分屯地開庁。 (稚内分屯地は全国でも珍しい陸・海・空の3自衛隊が同居する分屯地です。) |
昭和32年12月12日 | 第301地区施設隊、旭川から移駐 |
昭和34年 6月 7日 | 名寄父兄会発足 |
昭和35年 3月 9日 | 名寄地方自衛隊協力会発会式 |
昭和37年 3月 4日 | 隊友会名寄支部発足 |
昭和38年11月 4日 | 天塩町自衛隊協力会発足 |
昭和38年11月25日 | 幌延町自衛隊協力会発足 |
昭和41年 4月 6日 | 中頓別町自衛隊協力会発足 |
昭和41年 9月25日 | 枝幸町自衛隊協力会発足 |
昭和41年11月10日 | 歌登町自衛隊協力会発足 (平成18年、枝幸町自衛隊協力会に統合) |
昭和41年11月22日 | 浜頓別町自衛隊協力会発足 |
昭和42年 3月19日 | 稚内市自衛隊協力会発足 |
昭和42年 7月11日 | 猿払村自衛隊協力会発足 |
昭和56年 4月25日 | 名寄自衛隊協力婦人会発足 |
昭和56年 8月 1日 | 美深町自衛隊父兄会発足 |
昭和56年11月 1日 | 中川町自衛隊父兄会発足 |
昭和57年10月 1日 | 礼文町自衛隊父兄会発足 |
昭和57年11月 1日 | 利尻町自衛隊父兄会発足 |
昭和61年 3月29日 | 名寄市自衛隊後援会発足 |
昭和61年 9月29日 | 風連町自衛隊協力会発足 (平成18年、名寄地方自衛隊協力会に統合) |
昭和63年 6月21日 | 美深町自衛隊後援会発足 |
平成 4年 5月29日 | 士別市自衛隊後援会発足 |
平成 4年 6月 9日 | 豊富町自衛隊協力会発足 |
平成15年 8月30日 | 浜頓別町自衛隊協力会発足 |
平成24年 8月28日 | 中川町自衛隊後援会発足 |
平成29年 9月 8日 | 利尻町自衛隊協力会発足 |
平成29年11月25日 | 利尻富士町自衛隊協力会発足 |
令和 4年 3月17日 | 第3普通科連隊が第3即応機動連隊に改編 |
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