中国地区殉職隊員追悼式
11月9日(土)、海田市駐屯地(広島県)において中国地区殉職隊員追悼式を行いました。
国防という崇高な任務遂行中に殉じられた93柱の御霊に追悼の誠を表すとともに、引き続き任務を遂行する決意を新たにしました。

拝礼・黙祷

弔銃

旅団長弔辞

遺族代表挨拶
旅団訓練検閲
11月上旬、あいば野演習場(滋賀県)において旅団訓練検閲を実施し、第46普通科連隊、第13後方支援隊、第13飛行隊及び第13通信隊が受閲しました。各部隊は積み重ねた訓練成果を十分に発揮すべく検閲に臨み、与えられた任務を完遂しました。

目的地へ前進(第46普通科連隊)

指揮所活動(第46普通科連隊)

攻撃前進(第46普通科連隊)

狙撃班(第46普通科連隊)

野外入浴支援(第13後方支援隊)

レッカー車による故障車回収(第13後方支援隊)

燃料の補給(第13後方支援隊)

衛生隊による負傷者救護(第13後方支援隊)

航空機(UH-1J)運用(第13飛行隊)

航空機への給油(第13飛行隊)

有線の構成(第13通信隊)

通信系の構成(第13通信隊)
第45回定期演奏会
12月14日(土)、広島文化学園HBGホールにおいて第45回定期演奏会を実施しました。
第13音楽隊による演奏を通じて自衛隊に対する理解及び親近感と信頼感の醸成に努めました。

開演前のプレコンサート

統制された演奏で観衆を魅了

バストロンボーンの独奏

地域学生の皆さんを招いての共演

映像に合わせての演奏

ご鑑賞ありがとうございました!

「SNS時代の映像写真の力」
第13通信隊長
古場 雄博 2佐
「SNSは使ってますか?」、、情報管理にかかる質問でしょうか。いいえ、ビジネスにせよプライベートにせよ、このような質問を様々な場面で目にするようになりました。私自身も比較的若い陸士、陸曹の方々と話した際に何度か聞かれたことがあります。おそらく「ご趣味は?」や「余暇の時間は何をなさっていますか?」よりも相手のことを知りうる可能性のある質問となっているのでしょう。実際に、お互いがSNSへの投稿、フォローが活発で相互にフォローし合っている場合などは大変有効なのだと思います。
みなさんはSNSを「何のために」やっていますか?
防衛省自衛隊、統幕、陸上自衛隊、中部方面隊、13旅団など様々な主格でSNSの公式アカウントが運営されていますが、主格の特性に応じた情報発信による戦略的コミュニケーション、募集、広報が主要な目的となっています。
話は変わり、僕は物を考える際にはよく「因数分解」を活用しています。SNSを発信する側面から「因数分解」するとどうなるでしょうか。テーマ、ターゲット、企画力、実行力(資金力)、更新頻度・時期、料金(サブスクの場合)等々あると思いますが、視聴者がなんとなーく見ていて一番情報量を持つものは、映像・画像そのものだと思います。
個人的なSNS発信に何を求めるかは様々ですが、発信したからには良い反応を期待したいところですよね。「映える」が示すように、いい映像、画像がひと際大きな影響をもっていることは間違いありません。
話を戻し、13旅団、13通信隊もSNSの公式アカウントを持っています。目的はもちろん募集・広報となっています。
13通信隊には、映像写真業務の任務を有する写真班が編成されています。私自身の過去の職務経験からは、映像写真業務は映写中、ヘリ映伝、FFの地上映像伝送ほどしか接点がなかったことから、旅団の写真班がこんなにも多数の映像・写真を撮影しかつこれを何本も並行的に編集してコンテンツに作り替えていた(着隊時は5名で)ことに驚くとともに、その映像を拝見頂いた方々からのありがたい反応に、映像写真業務の重要性を再認識しました。
全国的にも少子高齢化等の影響による募集難のこの時代に、映像写真を用いた募集への寄与に引き続き取り組んでいきたいと思います。最後に13旅団、13通信隊のSNS公式アカウントを掲載して終わりとさせていただきます。



「時間管理術」
第13特殊武器防護隊長
宅島 宏幸 3佐
日々を過ごす中で仕事、家庭、趣味などやること・やりたいことはたくさんありますが、睡眠時間などを削っていくと自分が自由にできる時間はそんなに残らないと思ったことがある人もいると思います。
私もそう思っていた二十代半ば、先輩から紹介してもらった時間管理術について実践することで、少しは時間管理が改善したと記憶していますので、ご存じの方もいるかと思いますが、紹介させていただきます。(この時間管理術は、スティーブン・R・コヴィー著、『7つの習慣』を基にしています。)方法としては、まず、『重要性』と『緊急性』を軸に4つの領域(右図)に分け、その中にタスクを並べていきます。

第Ⅰ領域(重要かつ緊急)は、「期日のある仕事。怪我等で病院に行くことなど、必須となるもの」、第Ⅱ領域(重要で緊急でない)は、「運動、家族との時間、人材育成など」、第Ⅲ領域(重要でないが緊急)は、「定期的な会議など、習慣や惰性で継続してしまうもの」、第Ⅳ領域(重要でも緊急でもない)は、「過度な休憩など集中力の維持するための息抜きや気分転換が過ぎてしまうもの」になります。
当時、先輩から「4つの領域で一番大事な領域はどれになると思うか。」と質問を受け、私は列挙したタスクを見て第Ⅰ領域と答えましたが、正解は第Ⅱ領域でした。
第Ⅱ領域が大事である理由は、この領域が「長期的・継続的に結果が得られる領域」であり、将来的に影響を及ぼし、すぐには取り返しがきかないものだからです。健康維持やストレス解消等は長期的に病気を予防し、人事育成は、今は人がいるから割り振ってできる仕事も、人材育成がなければ気づいた時には、仕事を割り振る人がいなくなってしまいます。
第Ⅰ・Ⅱ領域は、重要性がある大事な領域ですが、この時間管理術では特に人生を有意義にするためには、第Ⅱ領域を計画的に時間の確保できるかにあると説明しています。その方法として、①タスクをいきなり止めようとせず、まずはタスクを洗い出す、②第Ⅲ・Ⅳ領域の活動を減らす、③第Ⅱ領域の活動を増やし、第Ⅰ領域の時間を減らす(計画的に行う)といった手順が紹介されています。
そのようなことを改めて思いつつ、私も日々環境が変わる中や今後の子供や妻による現状変更へ備えて、自身の時間管理を意識しております。
皆様も人生を豊かなものにするため、折を見て振り返ってみてはいかがでしょうか。

「一所懸命」
第17普通科連隊
第1中隊先任上級曹長
山本 淳 曹長
令和6年11月に第17普通科連隊第1中隊先任上級曹長に上番しました。この機会に私の座右の銘、「一所懸命」についてお話したいと思います。
この言葉は広く知られ日常的に会話に出る言葉ですが、その意味は鎌倉時代の武士に由来する言葉です。武士が賜った1ヵ所の領地を命懸けで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来し、物事を命懸けでやるという意味です。両親に入隊を反対されながらもそれを押し切って入隊した経緯もあり、この言葉のように自分で決めた自衛官という人生、生き方を苦しくとも逃げずに生きていこうと決意し、今に至ります。苦しいとき、弱音を吐きたい時にこの言葉と決意を思い出して乗り切ってきました。私にとって「一所懸命」の「一所」はその時その瞬間の乗り越えるべき苦難、壁という意味でした。そしてこの「一所懸命」は、私が陸曹教育隊の助教時代に学生に伝えていた言葉でもあります。
学生たちには、自分の理想の陸曹像を持て、それに向かって最大限の努力をして自分に自信を持てるようになりなさい。その自信が陸曹として生きていく糧になる。「一所懸命」の「一所」は今この場所であり、今を懸命に頑張って自信を身に付けなさいと伝えていました。助教を下番し十数年経ち、時々、演習場等で当時の学生を見かけることがあります。皆、陸曹として逞しくなっていて、それぞれの部隊という「一所」で頑張っているのがわかり、とても嬉しくなります。同時に、彼らに負けない、恥じないように自分自身も今、与えられている地位、職責に相応しい自衛官になるために頑張らないといけないと感化されます。現在、中隊の先任上級曹長に上番し、年齢も50代に突入しましたが、いつまでも「一所懸命」の言葉を体現する努力を惜しまず、中隊という「一所」の場で懸命に自分の役目を果たしていく所存です。

「守破離」
第46普通科連隊
第2中隊先任上級曹長
岩切 健太 曹長
令和5年3月13日付をもって第2中隊先任上級曹長の職を拝命しました岩切曹長です。拝命から1年半、中隊の精強化と健全性の保持を重点に訓練、服務等に励んでいます。この度は旅団広報誌への投稿の機会を頂いたということでお話しさせていただきます。
私が今回お話しさせていただくのは、私が銃剣道訓練隊で学んだ「守破離」についてです。聞きなれない言葉だと思いますが、茶道の訓「規矩(きく)作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用した言葉で武道などの師弟関係のあり方の一つです。
まず、修行に際して師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修行が始まる。師匠の教えに従って修行・鍛錬を積み、その型を身につけた者は師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分を照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことが出来るようになる。さらに鍛錬・修行を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通し、その上に立脚した者は自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく言わば型から「離れ」て自在となることが出来る。このようにして新たな流派が生まれてくる。
「本を忘るるな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」です。
では、この「守破離」を我々の部隊に当てはめるとすると皆さんはどう捉えることが出来ますか?最先任上級曹長が言われている「基本基礎」は「守る」こと、連隊長要望事項の「実力をつけよ」は、我々が「破る」、「離れる」ことにつながるのではないかと私は思っています。隊員が部隊の中核となって各種訓練に励んだり、後輩隊員の育成のために必要なことが「基本基礎」、「実力」だと思います。部隊の中核、伝統の継承者として第46普通科連隊の隊員が「守破離」の教えを理解・深化して「型破り」な隊員となれるように私を含め日々精進していきましょう。

第13音楽隊
恩田 亜弓 1士
恩田1士は令和6年4月に一般曹候補生として入隊し、新隊員前期を大津駐屯地、後期を朝霞駐屯地で過ごした後、第13音楽隊に着隊、現在は音楽手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?
音楽を続けていくために、収入の安定している演奏団体のため入隊に興味をもちました。
Q2 音楽科を希望した理由は何ですか?
音楽を続けるために自衛隊へ入ったからです。
Q3 学生時代の部活動は何ですか?
吹奏楽部とオーケストラ部です。
Q4 あなたの自慢(長所)を教えてください。
オーボエという楽器が吹けます。ギネスブックに世界一難しい楽器として登録されています。
Q5 休日は何を過ごしていますか?
最近はおいしいお好み焼き屋を探してウロウロしています。
Q6 自衛隊での一番の思い出は何ですか?
前の総合夜営で斥候をしたとき、開始3分で自分以外の班員が全員捕まり、班長ともはぐれ絶望したことです。最終的に捕まらず、班長は別の班の仲間と合流できたのも良い思いでです。
Q7 今後の目標は何ですか?
部隊に慣れて、自分が納得できる演奏を積み重ねて、その先で聞いていただける方に喜んでもらいたいです。
Q8 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
運動が苦手な人でも入れます。入ってからナントカなります。
第8普通科連隊 第2中隊

陸士長 谷口 徹太

1等陸士 太田 颯
【隊員紹介】
谷口士長と太田1士は、第2中隊で通信手及びラッパ手として活躍する隊員であり谷口士長は小銃小隊、太田1士は迫撃砲小隊で日々訓練に励んでいます。 二名の隊員は陸曹候補生を目指しており、それぞれの小隊で活躍し、後輩隊員の模範となるような存在です。また、駐屯地広報室の臨時勤務において訓練・行事等の撮影、職場体験の支援などさまざまな分野で活躍する今最も注目の隊員です。
【広報室臨時勤務の様子】

中学生職場体験

撮影の様子

作成した速報板

「べき」こと
山口県隊友会宇部支部
向上 貴弘
大学進学に失敗し行き先が無かった昭和五七年、思い切って自衛隊の門を潜りました。高校卒業当時は自衛隊の「じ」の字も知らない無知な若者で、しかも同年代の若者に比べて体力が格段に劣っていたため、二十歳代前半までは様々な方面で苦労しましたが、このような私でも数度の失敗ののち部内幹部候補生に指定され、平成六年より幹部自衛官の生活がスタートしました。初級幹部時代は失敗の連続でしたが、ここでも先輩幹部自衛官の薫陶を受けつつ、同僚や部下隊員に助けられ大過なく自衛官の任務を全うすることができ、現在は某損害保険会社で勤務しています。
自衛隊での勤務は基本的にチームで仕事をします。幹部自衛官は人数の多少はあるものの、数名から数十名の部下を持ちます。複数の隊員が同じ仕事をするため、軋轢や衝突も幾度となく発生しました。ある隊員が他の隊員を揶揄することや、不平不満を延々と述べる隊員もいました。
その時、私は部下に対し、「やるべき人が、やるべき事を、やるべき時(やるべき時まで)に実行すれば、誰も文句を言わないし、不平不満も出ない」と指導しました。これは自分の自衛官人生を送っていく中の経験値から産まれたもので、当時の上司から指導された内容ではありません。現実問題として、大半の衝突は「べき」ことを実行していれば、回避又は局限できると思っています。自身の人生訓は再就職先でも活かされ、「何時までに?何を?するべきか?」と常に自問自答しながら業務に当たっています。
自衛隊の業務も期限があり、時機を逸した業務は意味が無いばかりか、同僚隊員の生死に関わる事や災害派遣先の被支援者が困惑する事態も想定されます。「いつ、誰が、何を実行するべきかを常に考え、従来以上に「行動して評価され国民から信頼される自衛隊」を構築できるよう祈念いたします。

「11月になると思うこと」
岡山県隊友会
藤木 隆志
岡山県隊友会の藤木と申します。先ずもって、平成4年から平成5年にかけて第13旅団(当時の第13師団第13特科連隊)に勤務中は、各部隊及び関係各位に大変お世話になったことに御礼申し上げます。この原稿を書いているのが11月ですので、いつも11月になると思い出すことを書いてみたいと思います。
平成10年(1998年)当時、陸上幕僚監部装備部後方計画班に勤務しており、当該年度は国際活動の待機要員に指定されておりました。11月初旬、ハリケーンの被害が甚大なホンデュラスに部隊が派遣され、それに伴い陸幕連絡班が同行するとの噂が囁かれておりました。
平成4年(1992年)に改正された国際緊急援助法で自衛隊の派遣が可能になったのですが、派遣される地域的な範囲は「アジア大洋州」であるとの国会答弁が為されておりましたので、「自衛隊が初めて行う国際緊急援助隊として派遣されることは無いだろう」と考えておりました。当時小学校1年生の娘とは、1週間後にディズニーランドに行く約束までしておりました。
噂から2日後には、色々な予防接種を受け、5日後の11月14日には機上の人となりマイアミ空港に向けて出国、約2週間余にわたり現地で活動することとなりました。現地では個人的な準備は不十分なままでしたが、陸幕装備部の要員として、派遣部隊と空自との物資補給等にかかる調整、現地のホンデュラス空軍及び米空軍との撤収等に関する調整などの業務を何とか行うことができました。当時所属しておりました陸幕後方計画班の諸先輩方が24時間体制でフォローしていただく等、関係各位のご協力により、何とか無事に任務を終えることができたと考えております。
「派遣が噂された際にもっと色々と準備しておけば」との思いは派遣当初から思っておりました。今でも毎年11月になると、あらゆる行動に際して、心の準備が極めて大切であるとの思いを強くしております。
余談になりますが、成田空港に見送りに来た娘が、NHKの昼のニュースで泣いているところが全国放映されましたが、後で聞いたところ「ディズニーランドに行けなくなったので泣いていた。」とのことです。










