第16代旅団長 今村 武 陸将補 着任
8月2日(金)、灼熱の太陽が照りつける中、第16代旅団長として今村陸将補が着任しました。
着任式において、統率方針として「部隊を強く、隊員を幸せに」を、要望事項として「励もう」「健全・安全」を掲げ、着任の辞としました。
儀仗を受ける今村旅団長
慰霊碑参拝
着任記者会見
着任式
着任式
令和6年度新隊員特技課程・一般陸曹候補生課程「後期」
自衛官として基本知識を学んだ新隊員は、部隊で勤務するために必要な特技(専門の技術)についての基本的な知識や技術を身につけるため、新隊員特技課程・一般陸曹候補生課程「後期」の学生として訓練等に励んでいます。
89式小銃射撃(第8普通科連隊)
89式小銃射撃(第8普通科連隊)
戦闘訓練(第17普通科連隊)
戦闘訓練(第17普通科連隊)
砲手訓練(第46普通科連隊)
砲手訓練(第46普通科連隊)
海田市駐屯地令和6年度第1回オープンキャンプ
7月24日(水)、海田市駐屯地は、募集対象者等に対してオープンキャンプ(職種説明、体験喫食、施設見学、隊員との懇談、訓練展示、装備品展示)を実施し、自衛隊への理解及び防衛基盤の拡充を図りました。
行事全般説明
音楽隊の演奏
重レッカ展示
装備品展示
出雲駐屯地サマー・フレンドシップキャンペーン
7月29日(月)、出雲駐屯地は、募集対象者等に対して募集イベント(職種説明、体験喫食、施設見学、隊員との懇談、訓練展示、装備品展示)を実施し、自衛隊への理解及び防衛基盤の拡充を図りました。
訓練展示
装備品展示
各駐屯地の夏祭り行事
8月に各駐屯地では夏祭り行事を開催しました。各種イベント・催し物・屋台等を準備し、行事の最後には夜空を彩る打ち上げ花火により、ご来場いただいた方々を魅了しました。
米子駐屯地 サマーフェスタ 8月6日(火)
米子駐屯地 サマーフェスタ 8月6日(火)
海田市駐屯地 夏祭り 8月7日(水)
海田市駐屯地 夏祭り 8月7日(水)
山口駐屯地 音楽と花火の夕べ 8月8日(木)
山口駐屯地 音楽と花火の夕べ 8月8日(木)
「オリンピックに思う」
第13偵察戦闘大隊長
宗像 秀樹 2佐
皆さん、「愛国心」と聞くと、どんなことを考えますか?
折しも今(令和6年8月)はオリンピックシーズン真っ最中であり、連日連夜パリでの熱戦の状況が伝えられています。深夜に及ぶ応援疲れから、日中寝不足になっている人もいるのではないでしょうか。オリンピックになるとよく言われるのが、「俄かファン」の発生です。普段特段興味を持っていないスポーツでも、日本代表として戦う選手の方々の結果に一喜一憂し、日本の勝利を喜ぶ―――単純に日本が勝つと嬉しい、誇らしいといった気持ちだと推測しますが、これもまたひとつの愛国心の発露と言えるのではないでしょうか。
新隊員後期教育における訓示や若い隊員と話す際、私はよく次のことを質問します。それは「地元はどこか」「君の地元には何があるのか」など、各隊員の地元に関することです。これを聞く理由は2つあります。
理由① 単純に「羨ましい」から
私は父親が転勤族であり、生まれも育ちも〇〇ということは当然ありません。幸いにも中学・高校と同じ地域にいることが出来たので、そこを出身地としていますが、故郷という感じもあまりありません。そんな私から見ると、小さな頃から同じ場所で育つ、自分の地元・故郷はここだと言える、それだけでも非常に羨ましく感じています。
理由② 自分の地元をもっと知ってほしい
前述のとおり、私に長年育った故郷はありませんし、出身地としている場所も、言い方は失礼ですがただのベッドタウンであり、方言や名物など、これといった特色もない街です。思うに、生まれ育った場所というのは、個人の人格形成やアイデンティティの確立に重要な役割を果たしています。全国異動は自衛官の常ですが、生まれ育った場所を離れると、言葉のイントネーションや文化・風習の違いに気付くことがあると思います。この時、どういう気持ちになるでしょうか。おそらくですが、そんな自分の地元を少し誇らしく感じたり、少し好きになったりするのではないでしょうか。中には自分の地元が嫌だという人もいることでしょう。それでも多くの人にとって、地元を知るということは、これを好きになる気持ちに繋がっていくように思います。
翻って、自衛隊の精神徳目に「愛国心」があります。冒頭の質問に戻りますが、「愛国心」と聞いて、皆さんどんなことを考えますか?改めて何かと考えると、話が大きすぎて少し仰々しいような気もします。そんな時は、自分の地元のことを考えてください。友達、家族、風景など、なんでもいいと思います。国家の安全を守るのが我々自衛隊の使命ですが、その根底に流れるものは、隊員皆さんの、地元を守りたいという「郷土愛」です。
皆さんの地元には何がありますか?地元が好きという気持ちを、是非大事にして下さい。
「笑顔」のスキル
第13旅団司令部付隊長
野呂 将治 3佐
生まれながらにして持つ能力を天賦(てんぷ)の才、天稟(てんぴん)とか天性、ギフテッド(gifted)などと表現するのに対して、努力して伸ばす能力がスキル(skill)と認識しています。笑顔が良い人はギフテッドは無論、更にプレッシャーのかかるような場面でもこのスキルを発揮し、あらゆる分野で良い結果を残していると思っています。
自分の笑顔を自己評価するとします。Ⅰ:笑顔を全く意識していないⅡ:笑顔を意識している Ⅲ:ぎこちないが笑顔を作れる Ⅳ:人から笑顔を褒められる Ⅴ:人から笑顔を褒められいつのまにか人が集まってくる 皆さんはどのレベルでしょうか。
例えば、オリンピックなどの国際的な大会で結果を残している日本人の共通点は笑顔の良い女性が多いと思いませんか。(個人では渋野日向子、北口榛花、阿部詩、高橋尚子、野口みずき、上野由岐子などなど、団体では女子サッカー、バレーなどなど)笑顔の効果はアスリートの世界でも注目されていて、笑顔になることで脳にポジティブなシグナルを送り、幸福感や満足感を生み出すエンドルフィンの放出を促進しプレッシャーがかかる状況でも心身を落ち着かせることができることからパフォーマンスが上がると考えられています。最近では高校野球でも笑顔を作れる選手が目立つようになったと思いますよね。自らのパフォーマンス向上のほか、相手にプレッシャーをかける。観客を自然と味方につける効果もあるようです。
更に「笑う」ということでお話しすると心身の健康に効果的だということが医学的にも実証されつつあり、病気の予防や治療においても①免疫力アップ(酸素を取り入れ血行促進)②ストレス解消効果(自律神経を整える)③脳の働きを活発にする(記憶力、思考力アップ)④筋力アップ⑤血糖値上昇を抑制などに注目を集めているようです。これらは個人の充実からみても隊員にとって有益なものとなるでしょう。
さて「笑い」「笑う」「笑顔」に係る調べ物をすると「笑う門には福来る」「笑う門に矢立たず」等の故事成語や「人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になればしめたものである」といった宇野千代(小説家(岩国市出身))の言葉、元SMAPの稲垣五郎だけではありませんが「笑顔の力」という題材の数多くの著書が出版されており、人生をより豊かにする上で参考になること多数です。一度検索してみても良いかと思います。
では、組織だって行動して能力を発揮する自衛隊(部隊)内での生活勤務環境ではどうでしょうか やはり「笑顔」を心がけて過ごしていればその周りにいる隊員も自然と笑顔となり良い雰囲気で仕事ができ、結果、職場は活気に溢れ良い成果を引き寄せることになるでしょう。「笑顔」には人と人との間に良好なコミュニケーションを引き寄せる効果もあるようです。
先日あるTV番組を視ていると北斗昌(元女子プロレスラー)さんが「私が、家で太陽のように笑顔でいれるのは、旦那が笑顔でいれるような環境を作ってくれているからだ。」と言っていました。おっしゃる通りだなと感心するとともに私自身への戒めとも感じたしだいです。
「笑顔」「笑い」は、「健康」「パフォーマンス」「コミュニケーション」アップにつながるようです。日々健全な生活・勤務を整える一助として「笑顔」のスキル向上のため鏡を見て口角を上げることから初めていきませんか。
「凡事徹底」
(ぼんじてってい)
第13施設隊
先任上級曹長
的場 帥弥 曹長
私は、令和6年3月18日付で先任上級曹長に上番いたしました。宜しくお願い致します。先任上級曹長交代式の際、曹士隊員に対し「育成」と「意識改革」を念頭に置き、「上位下達・下位上達」風通しの良い部隊を目指そうと話をするとともに、上番から約4か月がたちましたが、日々自分が何をするべきか考え、自問自答しながら過ごしています。先任上級曹長として自分の信念を持ち、自分らしく先任上級曹長の職を全うしていこうと決意しました。
今回、みつや投稿の機会をいただきましたので、私の座右の銘「凡事徹底」についてお話させていただきます。
「凡事徹底」とは、特別なことではなく、当たり前のことを当たり前に徹底してやり抜くという意味です。
私は、准曹士朝礼時に、「当たり前のことを当たり前に徹底してやり抜くこと」とは?について、次の話をしました。自衛官として、社会人として、「挨拶ひとつとっても相手の顔を見て、気持ちの良い挨拶をする」「戦闘服も毎日アイロンのかかった戦闘服を端正に着用する」「駐屯地内、町内に落ちているゴミを誰に言われることなく、進んで拾う」などです。
私は、「武運」という言葉があるように、戦い・自衛官には「運」が必要だと思っております。大谷翔平選手の開運術では、「ゴミは人が落とした運であり、ゴミを拾い続けている」と言われています。ゴミ(運)を拾うことができない隊員に「運」は付かない、もちろん戦いにおいても勝利を掴めない、掴む資格はないと思うものの、当たり前のことをし続けることは容易ではありません。しかし、それをやることで運が付き、幸福を得ることができるのだと隊員の前で話をしました。幸福とは上司、同期及び部下からの信頼・信用を得ることであり、また「凡事徹底」をすることで、隊員の「育成」と「意識改革」にもつながり、風通しの良い部隊=意見が言いやすい、良好な人間関係=私生活が充実し、近年の自衛隊の問題でもあるハラスメント、早期離職の減少につながると信じて当たり前のことを当たり前に徹底してやり抜いていこうと思います。
最後に、基本中の基本を徹底する「習慣」は、後々生きてくるものです。「努力」という言葉は非常に抽象的であり、努力に対する概念は経験の度合い、難易度によって個人差があります。つまり、ほかの人の努力を単純に比較しても意味がなく、本当に努力したなら、間違いなく自分自身の中に、「努力の証」が刻み込まれます。たとえそれが小さなものであったとしても、小さな証がたくさん集まれば、より努力しようと前向きになれるのです。目先の結果や周りにとらわれず、凡事と向き合って丁寧に取り組むことで何か少しでも成長できると思いますので、皆さんも「凡事徹底」してみてはいかがですか。
「3つの坂」
第13特殊武器防護隊
先任上級曹長
麓 和広 曹長
令和6年3月18日付で、第13特殊武器防護隊の第6代先任上級曹長に上番した麓曹長です。よろしくお願いします。
今回は昔の上司に教えて頂いた言葉「3つの坂」について話したいと思います。
人生には大きく3つの坂があると言われています。その坂を自衛官の立場として読み解いて話したいと思います。
まず1つ目の坂は「上り坂」です。例えるのならば訓練検閲に向けた訓練最盛期、そして検閲を迎え、きつい坂を上り切った状態と言ったところでしょうか。
次に来るのが「下り坂」です。検閲も無事終了し、良い評価も頂いて部隊に帰隊し、代休等を取得してゆっくりと休養しながら安堵な時間を過ごしている時でしょうか。
最後の坂が「まさか」です。駄洒落に感じるかも知れませんが、この「まさか」が一番厄介で危険な坂だと思います。何故ならこの坂はあらゆる場面で訪れるからです。例えば検閲の最中に普段は実施されている安全管理事項等を怠り事故や怪我をしてしまったり、検閲が終了して休暇中に楽天的になりすぎて飲酒や暴力事案等に絡む服務事故等を起こしたり・・・・これが「まさか」なのです。
あらゆる場面で起こりうる非常に厄介な坂なのです。曹士を育成して行く上で、より一層の基本基礎の徹底及び隊員に寄り添った服務指導が必要だと思います。
近年、自衛隊でもパワハラ・セクハラ等事案がよく耳に入る時代になってきました。減少傾向にはあるかもしれませんが無くなることはありません。今ではZ世代や最近ではα世代と言った隊員も見受けられるようになってきました。私も昭和の人間なので古い考え方を捨てて若い考え方に近づけるよう日々努力していきたいと思っています。
最後になりますが、いかなる場面でも「まさか」を忘れず、また不幸な隊員を一人でも出さぬよう風通しの良い勤務環境及び親身になった服務指導に心がけて行こうと思います。
第13特殊武器防護隊
坂上 悟之 士長
坂上士長は令和5年4月に一般曹候補生として入隊し、新隊員前期を松山駐屯地、後期を千僧駐屯地で過ごした後、第13特殊武器防護隊に着隊、現在は化学手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?
人を助ける仕事に就きたいと思い、災害派遣で活躍している自衛官を見て私も同じようになりたいと思いました。
Q2 なぜ化学科を希望しましたか?
唯一実戦経験のある部隊と聞いたからです。
Q3 学生時代の部活動は何ですか?
サッカー部です。ポジションはボランチです。
Q4 あなたの自慢(長所)を教えてください。
笑顔です。
Q5 休日は何を過ごしていますか?
古着屋巡りをしています。
Q6 自衛隊での一番の思い出は何ですか?
行軍後、班長と班員でコーラを飲んで感動を覚えたことです。
Q7 今の部隊に入って苦労したことは何ですか?
真夏に化学防護衣を着て活動したときの暑さです。
Q8 今後の目標は何ですか?
後輩が初めてできるので、その後輩の模範となるような先輩になることです。
Q9 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
忙しい時も大変な時もしんどい時も同期や仲間と一緒に助け合って一生の良い思い出になるので頑張って下さい!
第13高射特科中隊
村上 剣翔 士長
村上士長は、令和4年4月に一般曹候補生として入隊し、新隊員前期を松山駐屯地、後期を姫路駐屯地で過ごした後、第13高射特科中隊に着隊、現在は、情報小隊発電機手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?
人の役に立つ仕事がしたいと思ったので入隊しました。
Q2 なぜ高射特科を希望しましたか?
高射の器材に携わりたいと思ったからです。
Q3 学生時代の部活動は何ですか?
中学・高校ともに剣道部です。
Q4 あなたの自慢(長所)を教えてください。
元気だけは負けません。
Q5 自衛隊での一番の思い出は何ですか?
新隊員前期で、まだ右も左も分からないとき、同期たちと切磋琢磨して一つ一つ乗り越えていけたことです。
Q6 今の部隊に入って苦労したことは何ですか?
一つの器材に対し学ぶことが多く、学んでいても実際に訓練でできるか不安でした。
Q7 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
初めは大変なことが多いですが、仲間たちと協力し合い一つ一つ達成していく楽しさがあります。
「陸自で過ごした青春時代」
鳥取県隊友会会員
柳楽 文昭
私は両親と3人家族でした。終戦から2年目に小学校に入学、9年間学びました。その後、16歳の時に父が、17歳の時に母が、それぞれ病に勝てず他界。17歳で一人ぼっちになりまして、私の人生はどん底でした。
18歳になると即、陸上自衛隊に入隊。そこからプラス思考に改め、帰るところもないので歯を食いしばり訓練に耐えました。任務以外に余暇を利用して勉強もできました。一般教養、体育などの授業もありました。特に昇進試験は上司が懇切丁寧に指導してくれました。消灯後はベッドの中で明かりが漏れないように懐中電灯で勉強しました。私は学科試験が合格すれば本望でした。車両整備の資格も取れました。私の任務は部隊の車両整備員でした。もちろん数々の災害派遣にも出動しました。与えられた任務は全うしました。
青春時代はまるで学校のようでした。
(日本海新聞 2022.11.11掲載)
「忠魂碑を巡る」
鳥取県隊友会会員
中藤 琢雄
私十年前に定年退官して以来、郷里の岡山で暮らしておりますが、地域在住の先輩や職場の同僚、さらには近隣の方々との交流を通じて、岡山の旧陸軍建造物や記念碑、歴史や経緯に興味を持つようになりました。
このような中、数年前からは県内にある慰霊碑、忠魂碑を巡るウォーキングに参加するようになり、これまでに県内を10回程歩いてきました。1回あたりの行程は概ね20km程度で、各回4から6基程度の碑を巡ります。岡山県偕行会のホームページよると、岡山県下に存在する「戦没者の忠魂碑等」は現在485基が確認されており、これらは明治以降市町村毎に設置されたものだそうです。碑の名前は、忠魂碑、慰霊碑、英霊之碑等種々あり、中には忠霊塔、慰霊塔、平和の塔など規模の大きなものも見られます。
設置場所は、社寺の境内、小学校や役場の敷地内、公園内であることが多く、また、碑には日清日露戦役、支那事変、太平洋戦争毎にその地域の戦没者の氏名が刻まれていますが、その数について注目すると、支那事変以降太平洋戦争までは日清日露戦役よりも概して大きく増えています。中には支那事変以降だけで200人もの名前が刻まれた碑もあって、当時の町や村の規模は現在とは異なっていたとは思いますが、十年弱の期間に働き盛りの男性がこれほどの数亡くなったという事実から、当時の戦局の悲壮な状況を伺い知ることができます。
健康のために始めたウォーキングでしたが、忠魂碑を巡ってみて、郷土の人々が命をかけて国を守ろうとしたこと、さらに、国に殉じた人を永遠に忘れないようにと碑に名前を刻んだことを考えると、今を生きる我々もこれを引き継いで慰霊顕彰していく必要を考えるようになりました。