YSー85(ヤマザクラ)
旅団は、令和5年12月にYSー85(ヤマザクラ)に参加しました。この訓練は例年行われている日米豪共同指揮所演習で、第13旅団は海田市駐屯地の体育館に指揮所を立ち上げリモートで参加しました。
<作戦会議>
<調整>
副旅団長兼ねて海田市駐屯地司令 村上1佐 着隊
12月1日、副旅団長兼ねて海田市駐屯地司令として村上1佐が着隊しました。村上1佐は要望事項に『絆』とし、「地域との絆」「部隊・隊員間の絆」「家族との絆」を掲げました。
<慰霊碑献花>
<着隊挨拶>
広報隊区における行進訓練【第8普通科連隊】
12月中旬、第8普通科連隊は広報隊区において行進訓練をしました。鳥取県隊友会、鳥取県自衛隊家族会の声援を受け、隊員は年の瀬の鳥取県内を行進しました。
<激励を受ける隊員>
<鳥取県三朝町>
「ライジング・サンダー23を通じて」
第8普通科連隊
最先任上級曹長
小谷 一哉 准尉
令和5年3月より連隊最先任上級曹長の職に就き約10ヶ月が経過し、指揮官の補佐、准曹士の育成に携わっている中、種々の施策に取り組み、「より良い仕事」に繋がるよう日々の職務に精励しているところです。
10月下旬から11月中旬までの間、今年度の連隊主要事業である米国における実動訓練「ライジング・サンダー23」(以下「RT23」)に実施部隊として参加しました。米国の良好な訓練基盤を活用し、部隊の作戦遂行に必要な戦術及び戦闘行動を演練し、作戦遂行能力、戦術技量、戦技能力を向上させ、大きな事故もなく帰国した次第です。これも国内において現代戦を捉えたRT23に向けた練成訓練の成果を遺憾なく発揮できた証であると考えております。
今回はRT23の参加を通じ、配属・協同部隊を含めた准曹士に伝えた事項を3点紹介します。1点目は「プレゼンスの発揮」です。これは常日頃から厳しい訓練を通じて積み上げてきた実力を十二分に発揮してほしいとの想いからです。2点目は「日本の代表としての自覚の保持」です。今回は米国における陸上自衛隊単独の射撃訓練でしたが、米国陸軍も射撃勤務、兵站支援を実施しており、我々の一つ一つの行動が陸上自衛隊(中部方面隊、第13旅団、各部隊)の基準と見られていることを理解して欲しいとの想いからです。3点目は「同盟国との関係強化に寄与」です。共同訓練ではないにせよ、射撃訓練、各種行事を通じて日米間の親睦を深めること、それは現場で活躍する准曹士もその一翼を担っているとの想いからです。以上3つの想いを伝えることが准曹士に少なからず作用した結果として、有形・無形戦闘力の向上に寄与できたと感じています。
結びとなりますが、RT23の成功は射撃実施部隊のみの力だけではなく、駐屯地を守ってくれた残留隊員であったり、留守を預かったご家族の支えがあったからこそ成し得たものです。今回の貴重な経験・教訓を多くの関係者へ還元できるよう、日々を大切にしていきたいと思います。
第13施設隊
山田 あおい
山田2士は令和5年4月に自衛官候補生として入隊し、新隊員前期・後期教育を海田市駐屯地で過ごした後、第13施設隊に着隊、現在は施設手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?
各種免許を取得でき、人の為に働くことが出来るところに魅力を感じたからです。
Q2 なぜ第13施設隊を希望したか?
戦闘部隊の支援を主体的に行えると思ったからです。
Q3 学生時代の部活動は?
中学・高校とテニス部です。
Q4 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。
体力等に自信がなくても、教育期間でおのずと体力が付いてきます。少しでも興味がある方は入隊しましょう。
Q5 あなたの自慢を教えてください。
粘り強さが持ち味です。
Q6 自衛隊での一番の思い出は?
1夜2日の小隊訓練で指揮所用簡易掩蓋掩壕を完成させたことです。
「戦艦陸奥殉難将兵慰霊祭へ参加」
山口県隊友会 柳井支部長
岡本 道則
令和5年6月8日、大東亜戦争中の80年前に山口県周防大島町沖で事故により爆沈した戦艦陸奥の犠牲者を悼む慰霊祭が同町伊保田の油田農村環境改善センターで実施されました。
東和陸奥顕彰会が主催し、遺族や住民及び自衛隊関係者役80名が参列し、隊友会柳井支部も岡本支部長が参加しました。
この事故において乗組員1474人のうち1121人が犠牲となりました。この中には訓練のため6月8日の朝に搭乗した飛行予科練習生124人も含まれています。
亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、現代においても重大事故の発生防止について最大限の防止策を図る必要性を感じました。