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みつや表紙

第15代旅団長 德永 勝彦 陸将補 着任

 8月30日(水)、雲ひとつない日本晴の中、第15代旅団長として德永陸将補が着任しました。
 着任式において、統率方針「和」を掲げ、地域の皆様との「和」、部隊としての「和」、そして一人一人のご家族を含めた「和」を重視して取り組み、「和」の前提となるのは「人」であり、「人を大事にすること」、「家族を大事にすること」、「自分自身を大事にすること」を着任の辞としました。

<旅団長>

〈 儀仗を受ける德永旅団長 〉

<旅団長>

〈 着任式 〉

<旅団長>

〈 記者会見 〉

令和5年度第1次旅団訓練検閲

 旅団は、令和5年度第1次旅団訓練検閲を実施し、第13特科隊、第13飛行隊、第13特殊武器防護隊及び第13高射特科中隊が受閲しました。7月に実施したこの訓練検閲は、最高気温38℃を観測した日もありましたが、各受閲部隊は、部隊の威信をかけ、縦横無尽にあいば野演習場を駆け巡り、任務完遂しました。

第13特科隊

<第13特科隊>

第13特科隊

<第13特科隊>

第13特科隊

<第13特科隊>

第13特科隊

<第13特科隊>

第13特科隊

<第13特科隊>

第13特科隊

<第13特科隊>

第13飛行隊

<第13飛行隊>

第13飛行隊

<第13飛行隊>

第13飛行隊

<第13飛行隊>

第13飛行隊

<第13飛行隊>

第13特殊武器防護隊

<第13特殊武器防護隊>

第13特殊武器防護隊

<第13特殊武器防護隊>

第13特殊武器防護隊

<第13特殊武器防護隊>

第13特殊武器防護隊

<第13特殊武器防護隊>

第13高射特科中隊

<第13高射特科中隊>

第13高射特科中隊

<第13高射特科中隊>

第13高射特科中隊

<第13高射特科中隊>

第13高射特科中隊

<第13高射特科中隊>

令和5年度第2次旅団訓練検閲

 旅団は、あいば野演習場において、第1次旅団訓練検閲に引き続き、第2次旅団訓練検閲を実施しました。この訓練検閲は、第13戦車中隊が保有する74式戦車での最後の実射検閲であり、有終の美を飾りました。

第13戦車中隊

第13戦車中隊

第13戦車中隊

第13戦車中隊

令和5年度 募集広報の日

第13旅団管内の各駐屯地において、募集対象者を対象とした募集広報の日を実施しました。

米子駐屯地

<米子駐屯地>

米子駐屯地

<米子駐屯地>

海田市駐屯地

<海田市駐屯地>

海田市駐屯地

<海田市駐屯地>

方面総監初度巡視(日本原駐屯地)

日本原駐屯地は7月上旬、方面総監による初度巡視を受けました。

日本原駐屯地

日本原駐屯地

米子がいな祭支援(第8普通科連隊、第13音楽隊)

 第8普通科連隊、第13音楽隊は、米子市で8月下旬に行われた、第50回米子がいな祭に おいて、パレード、音楽演奏、万灯等に出演し、祭に花を添えました。

第8普通科連隊

<第8普通科連隊>

第8普通科連隊

<第8普通科連隊>

第13音楽隊

<第13音楽隊>

第13音楽隊

<第13音楽隊>

陸曹候補生履修前教育総合訓練(第13後方支援隊)

 第13後方支援隊は7月下旬、原村演習場(東広島市)において陸曹候補生履修前教育総合訓練を実施し、小部隊指揮官としての指揮要領、基本基礎等を練成しました。

第13後方支援隊

第13後方支援隊

百万一心

隊長写真

「読書のススメ」
第13高射特科中隊
おおおく 誠  もと3佐

 本を読むことが良いことは、皆さんも重々承知されていると思いますが、すでに実践できている方もいれば、分かってはいるけど忙しくてそんな時間はとても確保できないという方もいると思います。私はFOCに入校するまでは、完全に後者でした。今は、「もっと若い時から読書習慣を身に付けておけば良かったな」と後悔しています。
 本を読んで、その本の中から要点を拾い概要を把握し、その中から更に自分の心・興味に留まる内容について理解を深めることで自分の腑に落ち、考え方に変化が生まれると思います。
 プロ野球の名監督であった野村克也氏の言葉に、「心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。」 の名言がありますが、人生を変える変化の発端である心(考え方)の変化に、読書は大きく影響するものであると思っています。
 しかし、これは本の内容を最初から順番に一文一句読んでいては、多くの時間を費やしてしまい、要点に到達するまえに挫折をするか又は時間をかけて読み切った割には得られる内容が少ない、いわゆる「コスパ(タイパ)が悪い」と感じてしまい、読書が続かない大きな要因になっているのではないでしょうか。
 では、コスパを上げるためにはどのようにすれば良いのでしょうか。いろんな読書法、速読法がありますが、自分に合うか合わないかはやってみないとわかりません。私の場合は、目次を眺めて話の流れ、要点や自己の興味がありそうな項目に目星を付けて、ザックリ飛ばし読みをする。飛ばし読みから、もっと詳しく知りたいこと、興味が湧いた部分を更にしっかり読んでいく。たとえ本に書かれてある内容の全部がわからなくても、その一部分だけでも知りたいと思った内容が知識として頭に入るだけでもその読書には十分価値があると思っています。
 読書力を上げるには、本を読む習慣をいかにしてつけるかがカギとなると思います。昼食後、終礼後、移動中等ちょっとした隙間の時間でも、本を開き眺めてみる。この積み重ねが習慣となり、読書に対する敷居を下げていると感じています。
また、読書の積み重ねることによって得た知識や考え方に伴い、思考・考察・興味の幅も広がると、飛ばし読みをした際に自分の中でひっかかる内容の精度、範囲も少しずつ向上して更なるコスパ向上に繋がると思います。
 現在の戦い方においては、小隊長や班長までも、正しい価値観のもと、自ら考え、状況判断及び決心して行動することが求められます。正しい価値観は優れた人の言葉や良書に触れ、感化されることで養われるものだと思います。

三矢の訓え

先任写真

「井の中の蛙 大海を知らず されど空の蒼さを知る」
第46普通科連隊
最先任上級曹長
わた 秀 ひでゆき 准陸尉

 令和5年3月13日付をもって連隊最先任上級曹長の職を拝命しました渡部准尉です。拝命から約4ヶ月間、連隊長要望事項である「実力をつけよ」を具現化すべく、戦闘戦技訓練隊、連隊バトラ競技会、陸曹候補生試験及び営内班長集合教育を担任し、目まぐるしくも充実した日々を送っています。この度、投稿の機会を頂きましたので、最先任上級曹長課程において出会ったことわざついてお話ししたいと思います。
 一般的には「井の中の蛙 大海を知らず」までがよく知られており、小さな井戸の中にいるカエルは、井戸の外にある大きな海などの世界のことを知らないという内容から、「自分の狭い知識にとらわれてしまい、物事の大局的な判断ができない」というネガティブな意味で用いられます。また、自衛隊においても、同一駐屯地に長期間勤務し、他部隊の経験がない隊員を「井の中の蛙」と揶揄する場面を見聞きしたことがあります。しかしながら、このことわざには続きがあり、それによって意味もポジティブなものに変化します。井の中の蛙 大海を知らず 「されど空の蒼さを知る」と続き、「狭い世界においても、自分の道を突き詰めたからこそ、その世界の深さや、そこから見上げる空の雄大さを知ることができる」という意味です。この意味になると、自衛隊において同一部隊で長期勤務をすることにも一理あるように感じられます。
 この話を聞いて私が感じたことは、異動の回数や同一部隊での勤務期間が重要なのではなく、その部隊や隊員の良さ(蒼さ)を見つけようとする意識が重要だということです。その意識を持って異動や部隊勤務を経験することにより、それぞれの部隊や隊員の良さを知ることができ、今後の自衛隊生活がより良いものになると考えます。また、この考えは自衛隊生活のみならず、日常生活においても活用でき、家族や友人、身の回りの物事の良いところに目を向ける意識を持つことにより、人生もより豊かになると考えます。
 私は物事の良い面よりも悪い面ばかりが目についてしまうので、意識して部隊や隊員の良さ(蒼さ)を見つけてほめちぎり、部隊の良い伝統の継承者である陸曹の長としてこれからも日々精進して参ります。

三矢の訓え

先任写真

「根」
第13後方支援隊
最先任上級曹長
とよ 憲 けんいちろう 准陸尉

 令和5年3月より第13後方支援隊第6代最先任上級曹長に上番しております豊田准尉です。今後ともよろしくお願いいたします。
 今回は、「根」という漢字について、お話しさせていただきます。
  「根」は、普段は見えない所にありますが、その花や木の成長にとても大切な働きをする部分です。根が細く弱ければ、その花は倒れます。根が太く強ければ、その茎も太く、立派な花を咲かせます。
  人で例えると「根」は、中身であり心です。心とは、人の意識・知識が詰まっており、これらの目に見えない部分を鍛え、磨き上げることで太い根になると私は思います。
  そのためには意識を高める必要があり、行動を考え、知識を深めるために学んでいくことで、個人の根は強くなり組織としての根は太くなると考えます。
  私は最先任上級曹長として、根を枯らさないように継続的に水をやり、後方支援隊の根を強く育んでいきたいと思っています。

自反 第13後方支援隊

【第13後方支援隊の歴史】
≪各職種部隊≫
 第13師団の発足にあわせ、1962年(昭和37年)1月18日にそれぞれの地で編成完結しました。また、同年1月24日に第13補給隊及び第13衛生隊は、海田市駐屯地に部隊移駐しました。
<第13武器隊>
 1961年(昭和35年)11月に伊丹駐屯地において第3武器隊、第8普通科連隊及び第306中整備中隊の要員を基幹として編成完結し、昭和37年1月に海田市駐屯地に移駐
<第13補給隊>
 1962年(昭和37年)1月に伊丹駐屯地において第3補給隊及び第8普通科連隊の要員を基幹として編成完結
<第13輸送隊>
 1962年(昭和37年)1月に海田市駐屯地において普通科連隊の要員を基幹として編成
<第13衛生隊>
 1962年(昭和37年)1月に大津駐屯地において第3衛生隊及び第8普通科連隊の要員を基幹として編成

 師団の近代化施策による改編として、1991(平成3)年3月29日、第13武器隊、第13補給隊、第13輸送隊及び第13衛生隊を廃止し、第13後方支援連隊が新編されました。

第13後方支援連隊発足

第13後方支援連隊発足(地元出身池田防衛庁長官から旭日旗を授与)1991(平成3年)年3月29日

捜索活動

創隊初の連隊検閲受閲(防御行動を支援する行動)1992(平成4年)年11月16日~19日

 ≪第13後方支援隊≫
 第13師団の旅団化にあわせ、1996年(平成11年)3月29日、第13後方支援隊に改編され、武器大隊が武器中隊、補給隊が補給中隊になり、かつ武器中隊に即応予備自衛官が充当されました。
 後方支援体制の改編に伴い、2004年(平成16年)3月29日、武器中隊の廃止、第1・第2整備中隊及び補給中隊部品補給小隊の新編、衛生隊へ看護官が新配置されました。

第13後方支援隊新編

第13後方支援隊新編(平成11年3月)

第13後方支援隊新編

第13後方支援隊改編(平成16年3月)

ハイチ国際緊急援助隊

ハイチ国際緊急援助隊(平成22年1月~2月)

  

【伝統の継承】
 資質の陶冶のため、第13後方支援隊が歴史を通じて培い伝えてきた風習、制度、技術、精神要素等を引き継ぎ、輝かしい第13後方支援隊の伝統と未来を築くことを期するものとして、下記2点を伝統として掲げ、継承しています。
≪支援魂≫
 第13後方支援隊は諸職種が混在し、機能別の中隊等により編制されていますが、共通の精神要素として存在するのが「支援魂」であり、全ての中隊等は、被支援部隊のために積極的に任務を遂行しています。
 この際、支援する側にとって効率の良い方策を選択することに陥ることなく、あくまでユーザーを主体とした支援を貫くというプロ意識を堅持することをモットーにしています。
≪協和・団結≫
 第13後方支援隊は様々な職種が混在し、職種毎、各中隊等毎の精神要素があります。
その中で各人の協力と献身がなければ烏合の衆であり、その真価を発揮することはできません。協力と献身によって結ばれる全体の絶つことのできない連帯こそが「協和・団結」であり、任務への誇りと困難に対する持久力の確信をもち、部隊がその活動を通じて風雪に耐え、さらに苦難と試練を重ねるに従いその精華を発揮するものと考えています。

【識別帽とシンボルマーク】

第13後方支援連隊新編

第13後方支援連隊新編
平成3年3月、平成9年1月

4つの職種き章

4つの職種き章(武器、需品、輸送、衛生)及び月桂樹を組み合4つの職種き章を合わせたもの

第13後方支援隊

第13後方支援隊
平11年3月

第13後方支援隊

4つの職種き章(武器、需品、輸送、衛生)及び旅団部隊章を組み合わせたもの

第13後方支援隊

第13後方支援隊
平11年3月

4つの職種き章

4つの職種き章(武器、需品、輸送、衛生)及び旅団部隊章を組み合わせたもの

平成16年3月

平成16年3月

第13後方支援隊

第13後方支援隊のアルファベット表記を基調に色の3原色で表現したもの ※

  

※ 「ⅩⅢ」と「LOG」の5文字をもって、改編後に直接支援小隊が分派される中国5県を表現するとともに、「L」を包み込むようにデザイン化して、旅団の兵站支援部隊として「旅団」を「支える」イメージを表現するとともに、「L」をもって「矢じり」を表し、矢の速度・勢い及び旅団の部隊章でもある三矢を表現。また改編後は、諸職種混合部隊(諸職種(普通科、機甲科、特科、高射特科、通信科、化学科)の整備員(一部、武器科に職種変換)を配置)であることから、職種独自のカラーを排除し、黒・白及び3原色を用いて、あらゆる職種のカラーをも包含(この5色で表現できない色はない)し、全職種に対する責任を表現

【隊 歌】
 後方支援連隊が新編された当初、隊歌がありませんでしたが、6年後の1997年(平成9年)に当時の武器大隊長の山下2佐が作曲、輸送隊自動車教習所指導員の大内曹長が作詞され、音楽隊のご尽力を得て、第13後方支援連隊歌が作成されました。後方支援隊へ改編後も、歌詞の「連隊」を「隊」に変え、現在まで受け継がれています。

第13後方支援隊 隊歌

第13後方支援隊 隊歌

【おわりに】
 2024年(令和6年)3月29日をもって、隊創設25周年の節目を迎えます。第13後方支援隊創隊当時は、武器科・需品科・輸送科・衛生科の4個職種でしたが、現在(令和5年4月)では10個職種もの隊員が集い、築き上げてきた「支援魂」「協和・団結」の伝統を継承し、旅団唯一の兵站及び衛生部隊として、引き続き任務に邁進して参ります。

自反 第13偵察隊

【飛鹿魂(ひろくだましい)について】
第13偵察隊が精神的支柱として掲げているもの
<意味>
飛鹿とは、中将棋・大将棋に存在する駒であり、前後左右と斜めまで自由に動くことができる。
<考え方>
飛➩部隊・個人の飛躍
鹿➩山陰地方の武将 山中 鹿介(やまなか しかのすけ)
『戦場を縦横無尽に駆け巡り、困難を乗り越えて任務を完遂する』
<山中 鹿介(やまなか しかのすけ)について>
山陰地方の戦国大名「尼子氏」の家老「山中家」の次男として現在の島根県安来市に出生。
新興勢力の毛利氏との戦いに敗れ、尼子氏は滅亡。
鹿介は、尼子再興の為三度にわたり毛利氏と戦い「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」(主家再興のためならいかなる困難や苦労にも打ち勝ってみせる)と語ったとされています。

【第13偵察隊隊歌について】

作詞 桐原 弘喜
作曲 師団音楽隊

第13後方支援隊 隊歌

第13後方支援隊 隊歌

【歌詞の意味】

1番 所在地  2番 国防精神  3番 行動範囲  4番 任務  5番 心意気

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第8普通科連隊
第2中隊
後藤 光政 士長(右)
湯栗 康平 士長(左)
  

後藤士長と湯栗士長はともに令和3年4月に入隊し、現在は第2中隊第1小隊で小銃手として勤務しています。入隊3年目の隊員であり、現在20歳と若く、訓練中でもその若さを活かし元気がよく、今後が期待される注目の隊員です。

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは何ですか?

後藤士長:自分の体力を活かせる仕事がしたいと思い入隊を決意しました。

湯栗士長:持続走とスキー技術を活かせると思ったからです。

Q2 特技は何ですか?

後藤士長:体力には自信があります。今年の体力検定は腕立て伏せが80回、腹筋が83回、3000mが11分50秒でした。

湯栗士長:スキーと持続走です。もともと幼い頃からクロスカントリースキーをやっていたのと、高校時代は陸上部でした。昨年の富士登山駅伝にも出場しました。陸曹になったら部隊スキー指導官に挑戦したいです。

Q3 今後の目標は?

後藤士長:日々覚えることばかりですが、先輩に負けないよう頑張ります。

湯栗士長:1日でも早く陸曹になれるよう頑張ります。

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第17普通科連隊
本部管理中隊
二反田 柚衣 士長  

二反田士長は令和2年4月に自衛官候補生として入隊し、自衛官候補生課程(大津駐屯地)、新隊員後期教育(山口駐屯地)を経て、本部管理中隊補給小隊に配置、現在は連隊本部広報室において臨時勤務として活躍しています。

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?

兄が元自衛官で迷彩服姿に憧れ入隊しました。

Q2 広報室臨時勤務に希望した理由は?

自衛官以外の方々との関係性等を学び、自身の能力を向上したくて希望しました。

Q3 今まで一番きつかった訓練は?

日出生台演習場で行ったHTCで、マイナス5度の中、訓練を行ったのがきつかったです。

Q4 ストレス発散方法は?

音楽を聴いたり、美味しいものを食べることです!あと、お酒を飲むのも大好きです!

Q5 自衛隊での思い出を教えてください。

新隊員後期教育の35km行進訓練で、同期と無事に完歩したことです。

Q6 今後の目標は?

後輩から頼られる立派な陸曹になり、部隊に貢献する事です。

ベテランズコーナー

ベテランズコーナー写真

航空自衛隊防府南・北基地と
「隊員家族の支援に対する協力に関する」
協定を締結

山口県隊友会

 山口県隊友会(会長 落合直巳)では、令和5年3月29日(水)、航空自衛隊防府南基地において、「隊員家族の支援に対する協力に関する」協定を締結した。これは、昨年7月の航空自衛隊と自衛隊家族会、つばさ会、隊友会との間での中央協定締結に伴い、昨年末から数度の調整を経て協定締結に至ったものである。
 協定締結にあたり、落合山口県隊友会長は、「隊員が安心して任務を達成できるように、できる限りの支援体制を作っていきたい」と述べた。
 その後、防府南基地司令・北基地司令、山口県自衛隊家族会会長、山口県隊友会会長、山陽つばさ会会長それぞれが協定書に記名して締結式を終了した。
 今後は、5者連携を密に実施できるよう、山口県隊友会の組織を整え、支援体制を整備してゆく所存である。    

ベテランズコーナー

「戦没者慰霊碑等の清掃活動について」

岡山県隊友会事務局長
髙畠 保朗

 隊友会の各種公益事業の一つに慰霊顕彰事業がありその一環として戦没者慰霊碑等の清掃があります。ちなみに戦没者慰霊碑がどのくらいあるのかというと、厚生労働省資料では全国では16,235基あり岡山県には厚労省資料では451基、県の調査で397基(基数は所在地の数、同一地の複数碑は1基とカウント)となっており、神社・寺院・学校・公園等に存在していますが慰霊碑及び敷地の管理状況が不良・不明なものも多数あるのが現状です。国の大事に殉じた英霊の慰霊碑等の清掃について、岡山県隊友会は県庁所在の岡山市に所在する岡山県護国神社と陸軍墓地の清掃を県隊友会事業として、各地域にある戦没者慰霊碑についてはその地域の支部事業としてできる範囲で実施しています。
護国神社清掃奉仕活動
 岡山縣護國神社は備前藩主 池田 章政公が、明治2年戊辰の役戦死者34柱の招魂祭を執行せしめられ、次いで同年6月岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者55柱を祭祀されたのを起源とし、明治2年東京招魂社(靖國神社)が創建されたのに併せ「招魂社」が建てられ、後に護国神社と改称されました。戦後、境内の大東亜戦争の英霊を祀った忠霊碑をはじめとして周辺に多数の陸海軍の各部隊等の慰霊碑・顕彰碑が建立されています。従来は支部の地域内に護国神社を持つ岡山操南支部の活動としていたものを近傍他支部からも参加し易いように平成25年から県隊友会の活動として岡山操南支部を中心として各四半期に実施しています。
陸軍墓地清掃
 岡山陸軍墓地は、明治40年開設の第十七師団が設置したもので約1万6千平方メートル(マツダスタジアムの約1/3)の敷地の上段に昭和8年に建立した満州事変忠死者の碑・歩兵第十聯隊及び工兵第十大隊戦病死合祀の碑が並びさらに昭和57年に大東亜戦争戦没者慰霊碑が建立され、中段以下に4段に整備された戦没者(満州事変107柱、シナ事変410柱)の墓碑517基が並ぶ広大な墓地です。 隊友会単独での作業は困難なことから、平成25年から三軒屋駐屯地 の修親会・曹友会が行っていた清掃活動に平成26年から参加させて 頂き現役隊員と交流しつつ清掃作業を協同して実施しています。  現役の皆様も退官後は隊友会に加入して英霊を悼みこれらの清掃活動を継続していただくよう期待してます。