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みつや表紙

令和5年度自衛官候補生課程

4月8日に行われた入隊式以降、自衛官候補生は、自衛官としての必要な知識及び技能の修得のために、日々訓練に励んでいます。

<第8普通科連隊>

<第8普通科連隊>

<第8普通科連隊>

<第8普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

<第17普通科連隊>

令和5年度 部隊集合訓練「レンジャー」
(第17普通科連隊)

4月上旬の開始式以降、学生はレンジャー隊員に必要な知識と技能を修得するため、日夜訓練に励んでいます。

17普連レンジャー

17普連レンジャー

爆破訓練(第46普通科連隊)

5月中旬、第46普通科連隊は東富士演習場において爆破訓練を実施しました。

46普連爆破

46普連爆破

令和5年度旅団統制原村演習場春季集中整備

5月下旬から6月上旬にかけて、第13旅団は令和5年度旅団統制原村演習場春季集中整備を実施しました。

原村演習場整備

<第46普通科連隊>

原村演習場整備

<第46普通科連隊>

原村演習場整備

<第47普通科連隊>

原村演習場整備

<第47普通科連隊>

  

原村演習場整備

<第13後方支援隊>

原村演習場整備

<第13後方支援隊>

  

原村演習場整備

<第13施設隊>

原村演習場整備

<第13通信隊>

  

原村演習場整備

<第13特殊武器防護隊>

原村演習場整備

<第13司令部付隊>

百万一心

隊長写真

「三師の訓」
第13偵察隊長
むなかた 秀  ひで2佐

 自衛隊に入隊し、早くも20年が過ぎようとしています。振り返ると、今まで多くの指揮官・上司の方にお仕えしてきましたが、幸運にも尊敬すべき方々に恵まれ、指揮官としてのあるべき姿について多くの学びがありました。(私が今、その域に達しているかどうかは置いといて)本日は、そんな学びの中から、「三矢の訓」になぞらえ、「三師の訓」として紹介したいと思います。
① 武士に二言なし
 第1戦車大隊運用訓練幹部時代にお仕えしたとある大隊長は、なかなかの威圧感をお持ちの方で、近寄り難い存在でした。しかしながら、幕僚として一番仕えやすかったのもこの方です。その理由は「決心を変えない」ことにありました。これはどの教育機関でも教わることですが、実際にやってみると、なかなか難しいものです。先見の明をもって部下に指針を明確に示し、かつ、むやみに変えない。指揮官として最も重要なことを教わったと感じています。
② 傾聴
 仰指の際、こちらの話をよく聞いてもらえなかった、緊張からうまく伝えることが出来なかった…などの経験を皆さん持っているかと思います。富士学校諸職種協同センター勤務時代にお仕えした上司の方は、温和な雰囲気でこちらの考えをよく引き出し、その上で決心していただける方でした。自分の思いまでもよく汲んでいただけるため、部下として、非常にやり甲斐を感じさせてくれたことを覚えています。指揮官として、こうありたいと感じさせてくれる方でした。
③ 仕事に臨む姿勢
 富士学校機甲科部勤務時代にお仕えしたとある機甲科部長の方が度々話されていたのが、次の3つの仕事に臨む姿勢です。(私にとっては人生訓です)
    〇 損得で判断するな。善悪で判断せよ。
    〇 仕事の糊代は外側にとれ。
    〇 家族を大切にせよ。
 特に、一つ目については、「物事は損得勘定ではなく、陸上自衛隊、組織にとって善か悪かで判断しなさい。組織にとって善ならば、困難があっても挑みなさい」という教えでした。指揮官として勤務する上で改めてこの言葉を振り返ると、非常に考えさせられるものがあります。
 以上、私が学んできた指揮官としてのあるべき姿について、少し紹介させていただきました。これからも諸先輩の数々の教えを、いつか我が物とできるよう、そして後進に少しでも伝えられるよう、日々前進していく所存です。

三矢の訓え

先任写真

「明日への創造」
第8普通科連隊
最先任上級曹長
だに 一 かず 准陸尉

 令和5年3月13日付をもって連隊最先任上級曹長の職を拝命しました小谷准尉です。上番から約三か月経過しましたが、指揮官の交代、陸曹候補生試験、G7サミット対応、連隊訓練検閲等、目まぐるしい毎日ですが充実した日々を送っています。
 今年度連隊の主要事業の中において、米海兵隊と対抗方式にて実施する富士訓練センター(以下「FTC」)での訓練は、連隊の実力が試される重要な位置付けであり、准曹士は昼夜を問わず練成に励んでいる状況です。
 今回投稿の機会を頂きましたので、私のモットーについてお話ししたいと思います。私は「明日への創造」をモットーとして掲げています。この言葉は私の座右の銘である「不易流行」を源流にしており、諸先輩方から教えていただいた中で最も印象に残る言葉です。長い歴史を経て培われた“伝統”と、古くからの方法を変えていく“革新”とのバランスの両立を示します。科学技術の進歩による戦闘様相の変化、世界の戦略環境の変化、日本の社会環境の変化に適応すべく、自衛隊の本質を踏まえながら現代の戦いを実践できるよう訓練に励んでおり、その成果が「明日への創造」に繋がると考えています。
 准曹士に対しては、将来に備えるため一人一人が日々を大切にし、一歩一歩着実に前進してほしいとの想いを込めて「明日への創造」を掲げています。明日を創るのは指揮官、幕僚、最先任上級曹長のみならず一人一人の努力の結集が必要であり、その成果が防衛力を支えていくことになります。FTCにおいては、日米同盟の深化は当然のこと、准曹士の実力(「明日への創造」)を発揮する絶好の訓練機会と言えます。
 私のモットーが些細なものであれ、准曹士の心の拠り所となり、「より良い仕事」に繋がることを実感できるよう、日々を大切にしたいと思います。

自反 第13特科隊

 今回のコラムでは、「岡山県総社市採石崖崩れに伴う災害派遣」について紹介します。
 2001年(平成13年)3月12日10時30分ごろ岡山県総社市下倉4229-5の金池産業下倉採石場において発生、幅200m、高さ230mに及ぶ崖崩れにより、工事現場事務所及び車両に閉じ込められた、人命救助活動を実施した。
 岡山県知事より災害派遣要請を受けた、第13特科隊は、人命救助のための初動対処部隊を派遣した。その後、第13高射特科中隊、第349施設中隊 (三軒屋駐屯地)、第304施設中隊(出雲駐屯地)、第13施設中隊、第13戦車中隊が派遣された。(災害派遣当日人員及び装備:人員約280名、車両約72両、ドーザ6台、架柱橋18台)

崖崩れ全体図

崖崩れ全体図

捜索活動

崖崩れ全体図

 当日派遣を受け、現地に18時00分ごろ到着し、人命捜索活動を継続的に交代で実施し、警察の救助犬も動員されて行われた。次の日には、重機と人員で捜索活動を実施した。小規模な崩壊により、その都度活動が中断され、捜索も難航したが隊員は身の危険を顧みず、捜索を継続した。派遣日数は16日間、派遣人員約2400名、車両約600両、ドーザ23機、ショベル6機、UH-1機、OH-6機で多くの人員、車両等が派遣された。応急対策もおおむね終了したため、自衛隊の撤収要請を受け災害派遣を終了した。

捜索活動

捜索活動

捜索活動

捜索活動

  

 災害派遣中の3月24日には広島県の芸予地震(広島県震度6弱)岡山県震度4が発生したが現地では崖崩れの影響はなかった。

spotlight

spotlight写真

第13高射特科中隊
あお 奈  

青木士長は令和4年3月に一般曹候補生として入隊し、新隊員前期を日本原駐屯地、後期教育を姫路駐屯地で過ごした後、第13高射特科中隊に着隊、現在は近SAM小隊捜索手として活躍しています

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?

自衛隊に入隊して、自分を成長させたいと考えたため、入隊しました。

Q2 なぜ機甲科を希望しましたか?

93式近距離地対空誘導弾に魅力を感じたためです。

Q3 学生時代の部活動は何ですか?

バスケットボール部です。

Q4 高射特科部隊に入って苦労したことは何ですか?

近SAMの操法を習得することに苦労しました。

Q5 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。

  

自衛隊に入隊することで自分の成長を感じることができるので、ぜひ入隊してみてください。

Q6 あなたの自慢を教えてください。

  

体力に自信があり、現在体力検定1級を取得しています。

Q7 自衛隊での一番の思い出は何ですか?

  

職場の先輩方に食事をご馳走になったことです。

ベテランズコーナー

ベテランズコーナー写真

鳥取県隊友会 事務局次長
はまむら 聡 さとし

 昭和51年4月海上自衛隊第22期生徒として入隊しました。
 平成12年8月家庭の事情により依願退職しました。
 在職中は航空機搭乗員、航空機搭載通信機器整備員として海上自衛隊での勤務としては陸上部隊、艦艇、航空部隊と全て勤務させて頂きました。
 退職後は自衛隊とは全く関わりのない生活を送っていましたが、縁あって『隊友会』に入会。その後『島根海上自衛隊OB会』『自衛隊家族会』(賛助会員)と入会させていただき活動に参加することにより陸海空自衛隊の垣根を越えて親交を頂いております。
 各駐屯地行事への参加、艦艇入港激励品贈呈、地区出身隊員の激励など毎月何らかの行事がありますが積極的に参加させて頂くとともに募集広報パンフレット等の配布、募集対象者の発掘など出来る限りのことに協力させて頂き感謝の毎日です。
 ここ出雲市は自衛隊との繋がりが強く、協力団体も複数あり民間からの支援も厚い部分もあります。
 毎年行われる『出雲駐屯地開設記念行事』では全国でも数少ない駅前のメインストリートで観閲行進を含む式典の開催。駐屯地開放行事では物凄い数のちびっ子たちが来場します。
 また出雲河下港での艦艇広報では小艦艇にもかかわらず1日あたり2,000人超えの見学者が訪れ、浜田市や境港市での広報以上の成果があります。
 これほど市民に愛される自衛隊は国内でも数えるほどしかないと思います。
 これからも隊友会員として。自衛隊OBとして、裏方で支援させて頂き、また募集情報提供など自衛隊に24年間勤めさせていただいた小さな恩返しをこれからも継続して参りたいと思います。