令和5年度自衛官候補生課程入隊式
この春、米子駐屯地、山口駐屯地、海田市駐屯地、日本原駐屯地に自衛官候補生が着隊し、4月8日に各駐屯地において入隊式が挙行されました。
これから約3ヶ月、自衛官候補生課程の教育を受け、仲間とともに切磋琢磨、立派な自衛官として成長していきます。
<米子駐屯地>
<米子駐屯地>
<山口駐屯地>
<山口駐屯地>
<海田市駐屯地>
<海田市駐屯地>
<日本原駐屯地>
<日本原駐屯地>
令和5年度自衛官候補生課程教育
体力検定(米子駐屯地)
体力検定(米子駐屯地)
10km行進(山口駐屯地)
10km行進(山口駐屯地)
基本教練(海田市駐屯地)
基本教練(海田市駐屯地)
射撃練成(日本原駐屯地)
射撃練成(日本原駐屯地)
令和5年度 中隊訓練(第13戦車中隊)
第13戦車中隊は、4月上旬あいば野演習場において中隊訓練を行い、練度の維持向上を図りました。
弾薬積載及び点検
射線進入
戦車砲射撃
機関銃射撃
令和5年度 部隊集合訓練「レンジャー」
4月上旬、旅団隷下部隊において部隊集合訓練「レンジャー」が開始されました。
隊旗授与式(第8普通科連隊)
隊旗授与式(第8普通科連隊)
体力調整(第17普通科連隊)
体力調整(第17普通科連隊)
日本原春季演習場整備
旅団は、4月中旬日本原春季演習場整備に参加し、訓練基盤の維持・拡充に努めました。
生活体験支援
旅団各隷下部隊は、4月に各駐屯地において生活体験支援を実施しました。
生活体験は十分な感染症対策を講じた中で行われました。訓練を通じて参加者同士の団結力が深まりました。(写真は第13通信隊)
「カレーライス」
第13後方支援隊副隊長
宮原 彰伸2佐
皆さん。カレーライスは好きですか?カレーライスは、老若男女の好きな食べ物ランキングで常に上位に入る人気メニューですが、この度は、そのカレーライス?の話をします。
若かりし頃(現在もまだまだ若いですが・・・)、当時の上司からこの例え話を教えられて以来、若い隊員(幹部)に対し、よく次の話をします。
「カレーライスを作ることできますか?」
どこまで凝るかは人それぞれだと思いますが、ほとんどの方が取り敢えず作ることができるのではないでしょうか。
「ではジンバブエ料理は?」と聞くと、「???」。
なぜ、カレーライスは作ることができて、ジンバブエ料理は作ることが出来ないのか。
答えは簡単で、「食べたことがないから」。そもそも「見たことがないから」のレベルかも知れません。
かつてNHKで放送されていた「妄想二ホン料理」という番組がありました。「日本料理を見たことがない外国の料理人が、簡単な説明だけを基に料理をすることになったら、どのような妄想をするのか」というテーマの異文化交流クッキングバラエティ番組で、調理人でさえ、再現するのは難しく、まったく違う料理になっていました。
私たちは、自分が経験したことがないことや、見たことがないものについて、「作れ」と言われても、作ることができませんよね。
「ジンバブエ料理」を作るためには、料理に関する知識を身につけた上、実際、ジンバブエ料理店に「ジンバブエ料理」を食べに行くことが必要です。フードデリバリーを頼む方法もあります。これは、仕事でも同じで、何か取り掛かる際は、まず「知識として知っていること」を前提に、「経験する(食べてみる)」ことが、とても重要だと思います。「料理を食べる(味を知るため)」には、直接店で食べる方法からデリバリーで注文する方法、食べた感想を聞く方法と幅があるように、仕事での「経験」も、直に経験する要領から、見聞きする方法まで幅がありますので、できる範囲から「経験」し、さらにより多くの「経験」を踏むことが、仕事の幅と深さを広げるためには重要なことだと思います。
また別の切り口になりますが、仕事をする際は、相手(上司)が何を求めているか、を確認した上で、取り掛かることが、効率的かつ効果的な仕事をする上で、とても重要です。「めちゃくちゃ美味しいカレーライス出来ましたって言っても、欲しいのはお寿司だったんだけど・・・」みたいなことになりかねません。自衛隊の仕事の多くは帰納法であり、アウトプットを決めて(確認して)仕事を進めることが必要です。
最後になりますが、「難しいことはわかりやすく、わかりやすいことは面白く、面白いことは深く」(日本人ロック、ギタリストの真島昌利さんの言葉)。わかりやすい話になったのか、深い話になったのか、皆様にとって有益な情報になったのなら幸いです。
「克己心」
第13通信隊
先任上級曹長
西村 健 陸曹長
みつやの読者の皆様はじめまして、令和4年8月1日付で、第13通信隊の第9代先任上級曹長に上番した西村曹長です、よろしくお願いします。
今回は私が日頃心の片隅に置いている言葉「克己心」についてお話させていただきます。
表題としました「克己心」ですが、まずは「克己(こっき)」についてその意味を説明します。「克己」とは、「自分自身(己)」の心の中にある欲望や邪念に「力を尽くして打ち勝つ〈克〉」ことであり、「克己心」とは自分に打ち勝つ心のことをいいます。
私もそうですが、とかく人とは易きに流れやすいものです。例えば連続する状況の中で勤務の交代時間が迫っている、もう少し眠っていたい、休んでいたい、温かいところにいたい、少しくらい遅れても・・・。例えば掩体・退避壕の構築で十分とはいえないまでも頑張れば隠れることはできる、でももう少し手を加えれば、もっと良いものを構築できる…。例えば身体の偽装や顔へのドーラン塗り、当初はきちんと実施していても状況終了が近づくにつれ、補備修正がおろそかになったり…。
我々陸上自衛隊は大勢の人で成り立っていると思います。部隊の中で一人・二人易きに流れるものがいても大勢に影響がないでしょう。ただし、それが1コ班・組・小隊と広がっていったとき、その部隊は任務を達成することはできないでしょう。逆に一人一人が自分の易きに流れる心に打ち勝ち、なすべきことをなす部隊はどんな困難な任務も達成できるに違いありません。
これからも多種多様な任務とそれに伴う訓練、忙しい日々が続くと思われます。心身ともに疲れた時、易きに流れそうな心に打ち勝ち、なすべきことをなす、そんな背中を後輩に見せれる陸曹になってもらいたいです。
自反 第13高射特科中隊
第13高射特科中隊は、那岐山の麓、緑あふれる岡山県北部にある日本原駐屯地に所在する歴史と伝統ある部隊です。
中隊は、昭和37年(1962年)M15とM16を装備する第13特科連 隊第6大隊として日本原駐屯地に発足しました。平成3年(1991年)には、 師団直轄となる第13高射特科大隊として、また平成11年(1999年)3 月には、師団から旅団への改編に伴い第13高射特科中隊として、現在の編成 となりました。
12.7mm連装自走砲(M-16)
37mm自走高射機関砲(M15)
35㎜二連装高射機関砲(L-90)
昭和49年(1974年)、35㎜二連装高射機関砲(通称:L-90)が導入、その後装備品の近代化に伴い、平成元年(1989年)には、81式短距離地対空誘導弾(通称:短SAM)、また平成11年(1999年)には、93式近距離地対空誘導弾(通称:近SAM)が導入され、対空戦闘能力が格段に向上しました。
81式短距離地対空誘導弾(短)の射撃
93式近距離地対空誘導弾(近)の射撃
空を監視するレーダ装備として昭和58年(1983年)から79式対空レーダ装置(通称:P9)が逐次導入され、平成27年(2015年)、P9の後継装置として低空レーダ装置(通称:P18)が導入されました。
その他のレーダ装置として、平成10年(1998年)から遠方が監視可能な対空レーダ装置(通称:P14)も装備され、旅団唯一の対空監視装置として、現在も稼働しています。
対空監視レーダ(P14)
低空監視レーダ(P18)
以上の装備で毎年、北海道にある静内対空射撃場において対空実射訓練を行っており、一撃必墜の精神を具現化するべく、日々の訓練に励んでいます。
また、災害派遣につきましても、我が部隊は、東日本大震災をはじめ、昨今発生した、高病原性鳥インフルエンザ対応に掛かる災害派遣等、すべての任務を完遂しております。
2011 東日本大震災
2015 笠岡市で発生した高病原性鳥インフルエンザ対応
2018 西日本豪雨
2022 玉島市で発生した高病
2022 真備町で発生した高病原性鳥インフルエンザ対応
第13高射特科中隊歌の紹介
昭和37年1月に第13師団が誕生し、昭和45年3月には第13師団が改編、高射部隊として昭和46年に、ここ【日本原】に移駐してから51年。これまで、数々の諸先輩方々が築き上げてこられた「道」を決して「無」にすることなく、第13高射特科中隊は、無我夢中に邁進していく事を約束する。
第13特科隊
水野 えのら
水野士長は令和4年3月に一般陸曹候補生として入隊し、新隊員前期(朝霞駐屯地)、後期(日本原駐屯地)を経て、第13特科隊第1中隊に配置、現在は通信手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?
きっかけはテレビニュースで自衛隊の活躍を見たことで、 そこから自衛隊という組織に興味を持ちました。
Q2 学生時代の部活動は?
中学から大学まで柔道部に所属していました。
Q3 特科部隊に入って苦労したことは?
男性隊員の勢いについていくのは苦労しました。女性隊員の同期がいたからこそ乗り越えられたと今では思います。
Q4 休日の過ごし方は?
休日は友人や同期と焼肉などの食事に行きます。
Q5 自衛隊での一番の思い出を教えてください。
一番強いのは新隊員前期教育です。何も知らないまま集まって一緒に頑張った同期との思い出は今後の自衛隊人生でも忘れがたい宝物です。
Q6 今後の目標は?
通信の特技を今年取得したばかりなのでこの新しい知識を中隊のために役立てていきたいです。
広島県隊友会 呉支部会員
北中 浩子
私は平成12年に自衛官としての勤務を終え、以来他の仕事をしながら予備自衛官としてお世話になっております。今まで色々な場所で色々な仕事をしてきました。営業、保険会社の事務、運送会社の運行関係事務、病院の経理や医療事務、そして今は経理事務をしています。
その礎になるものは自衛官時代の経験です。
事務の資格は持てど、実績も社会経験もなかった私でしたが、たくさんの経験をさせて頂きました。自衛官ならではということだけでなく社会人なら知ってて当然の事も分からず、一つ一つ教えてもらい支えてもらいました。泣きたくなることも、諦めて放り投げたくなる時もそばには諸先輩方や同期の支えがあり、乗り越え少しずつ『自信を持つ』ということも教えて頂きました。結婚し、出産をし、転居もあり色々な事がありましたが、常に『自信を持って』色々な事に挑戦し、今に至っています。
そんな私も今は四十路も半ば。子どもはまだ義務教育中の学生もいますが、一人を社会に出し、そろそろもう一人社会に出すところ。
親としてとだけでなく、人生の年配者として家族を支える側になりました。今まで支えてもらっていましたが、逆に支える側となり、あの時の諸先輩方の厳しさの中にあった優しさを改めて感じるこの頃です。
自衛官生活は大変な事もたくさんあると思います。でもふと足を止めて自分の周りを前だけではなく視野を拡げて角度を変えたりして見てみてください。どこかに自分を支えてくれて、自分に自信をつけさせてくれる存在があるはずです。そして自分が少しでも経験を積んだならば成功談だけでなく失敗談も含めて、アドバイスできる支える側になってあげてください。すぐに実を結ばなくても、いつかは形を変えてるかもしれませんが、いいものになると思います。