旅団訓練検閲
旅団は6月下旬、あいば野演習場(滋賀県)において旅団訓練検閲を実施し、第8普通科連隊、第46普通科連隊及び第13偵察隊の訓練練度を評価しました。
敵の背後に潜入するレンジャー隊員(第8普通科連隊)
空路潜入するレンジャー隊員(第8普通科連隊)
訓練開始式(第8普通科連隊)
作戦会議(第8普通科連隊)
目標に対する攻撃(第8普通科連隊)
敵の行動を監視(第46普通科連隊)
敵接近に対処(第46普通科連隊)
訓練開始式(第46普通科連隊)
対機甲戦闘(第13戦車中隊)
陣地を死守(第13施設隊)
集結する偵察隊(第13偵察隊)
目標に対する攻撃(第13偵察隊)
訓練開始式(第13偵察隊)
潜入する斥候(第13偵察隊)
第13戦車中隊実写検閲
旅団は7月12日(火)、あいば野演習場(滋賀県)において第13戦車中隊実射検閲を実施しました。
訓練開始式
命令下達
現出する敵に対し射撃
「全国異動を楽しむ」
第13旅団司令部付隊長
奥平 賢3佐
昨年12月に初めての海田市駐屯地勤務となりました。過去にも異なる駐屯地での勤務を5度経験しており、比較的転勤には馴染みがある方だと思っています。中期実員管理が始まり、多くの隊員が全国異動を経験することとなりました。中には異動に不安を感じて臆している隊員が居ることも容易に察しがつきます。異動と聞くと、拒絶反応の如く「面倒」「不安」などを思い浮かべる方が殆どでしょう。決してそうではないことを知っていただきたいと思います。初めての地はいつも緊張感がありますし、初めての勤務地、初めての部隊、初めての職務など初めて尽くしですが、気持ちも一新され、高揚感で満ち溢れる思いになります。確かに、初めての勤務地、職場の上司・同僚、職務に戸惑いを感じることも否めませんが、全国に所在する勤務地を転々としながら、新たな地で知ることも多く楽しみ方も色々あるのだとも感じています。歴史、文化、観光地など、わざわざ旅行しなくても日本の良いところを仕事とともにより実感できるわけです。さらに、新たな地で得られる仲間は、生涯の宝ともなり得ます。
キャリアにおいても、新たな職務を知ることで自身の仕事のやり方、考え方を見直すきっかけにもなります。人は人が育てるものといいますが、同じ人、同じ環境で学ぶには限界があります。平成28年度以降、中期実員管理によって陸曹の多くが異動を経験できるようになりました。折角の機会ですから、自身の知見とスキルアップのために全国異動にチャレンジしてみては如何でしょうか。
さて、私は数年後どこで勤務しているのでしょうか。
「日々努力」
第13旅団司令部付隊
先任上級曹長
新川 幸治 准尉
令和4年3月14日付で、第13旅団司令部付隊先任上級曹長に上番した新川准尉です。
私が司令部第3部で勤務していた際、各部隊の皆様には多大な協力をしていただき感謝しております。ありがとうございました。引き続き旅団司令部付隊をよろしくお願いします。
さて、3月に上番して、早いもので5か月の月日が経ちました。自分自身付隊のリーダーシップエンジン発動のため何をしたら良いかを考えた結果、まずは、隊員の「心情把握」や「情報収集」を行いました。私はトップダウンがリーダーシップ(上級曹長)の果たす重要な役割であると感じています。
そのため、個々の隊員の特性・性格等を見極めるため、隊員とよく話し、正しい情報を収集し、個々の心情把握に努めています。まだまだ自分自身リーダーシップエンジンに乗り切れておりませんが、環境の良い、風通しの良い職場作りに邁進してまいります。最後に付隊長の要望事項「共にあれ」を胸に全力で付隊隊員のスキルアップを図りたいと思います。
百万一心
自反 第13旅団
今月は、災害派遣行動史「平成26年広島土砂災害に係る災害派遣」について紹介します。
【発災からFAST-FORCE出動】
広島県広島市安佐北区及び安佐南区は、8月19日夜半から20日明け方にかけて記録的な集中豪雨に見舞われました。午前3時半頃、三入、八木、緑井、山本地区の住宅地の裏山で表層崩壊が発生、その後、硬い堆積岩を巻き込みながら土石流が発生し、家屋などを一気に押し流しました。
旅団司令部は、大雨警報が発令された時点から情報収集を開始。8月20日6時30分、掛川旅団長は広島県知事から、捜索、救助活動の災害派遣要請を受け、7時40分、第46普通科連隊(連隊長・一宮大介1佐)のFAST-FORCE(初動派遣部隊、隊長・米田隆介2尉)約30名を被災現場に派遣するとともに、9時3分、中部方面航空隊のヘリ映伝が離陸し上空から被害状況を伝えました。
被災現場に到着したFAST-FORCEは、被災現場の情報収集にあたり、その惨状を目のあたりにし、主力の出動を要請、その後、警察、消防と連携し行方不明者の捜索を開始しました。
消防と調整する米田2尉
倒壊家屋から子供を救出
行方不明者の捜索
【旅団地区内一丸となり人命救助活動】
10時15分約60名の隊員が被災現場に向け出発、到着後、FAST-FORCEと合流し、行方不明者の捜索を開始しました。災害後72時間は生死を分ける重要な時間であり、旅団は、20日約600名、21日約650名、23日約800名の態勢で、行方不明者の捜索にあたりました。被災現場は、山から流れてきた土砂と人の何倍もある石が山積し、人員だけでは捜索が困難を極めたため、第13施設隊(隊長・伊藤康人2佐)に加え、第4施設団の隷下部隊である第304施設隊(出雲駐屯地)、第305施設隊(三軒屋駐屯地)の重機を投入しました。また、海上自衛隊呉造修補給所に所属する警備犬や海田市駐屯地に駐屯する中部方面混成団の隷下部隊である第47普通科連隊も現場に投入するなど、旅団地区内一丸となりこの非常事態に臨みました。8月23日からは旅団全部隊を交代で投入、8月27日からは、毛利元就公の教えであり、第13旅団の精神的支柱である「百万一心」と書かれたステッカーを中帽に貼り、全隊員が心を一つにして行方不明者を捜索し続けました。
重機を活用した捜索
24時間態勢で捜索
対策本部に掲げられた横断幕と中帽のステッカー
【入浴支援】
8月24日、第13後方支援隊(隊長・渡辺浩二1佐)は、三入小学校に、その後、26日から梅林小学校において仮設風呂を設置、入浴支援を開始しました。また、28日から9月1日までの間、第3後方支援連隊が梅林小学校の入浴支援を行いました。仮設風呂に入った人や避難生活を送る人から、自衛隊の活動に対して多くの感謝の言葉が寄せられました。
もみじ湯(第13後方支援隊)
六甲の湯(第3後方支援隊)
寄せられたメッセージ
【一斉捜索】
旅団は、9月10日午前7時から人員約1400名を現場に投入、開始前に全隊員は亡くなられた方々に対し黙祷を行い、行方不明者の一斉捜索を開始しました。捜索は、一度捜索した地域を再度入念に捜索、建物や岩陰、用水路、川に至る隅々まで捜索し、9月11日午前8時、広島県知事から捜索活動に係る撤収要請を受理、同活動を終了しました。また、入浴支援は、9月11日の入浴支援終了後に避難生活支援活動の撤収要請を受理し、災害派遣活動を終了しました。
なお、本災害派遣活動には人員延べ約2万1千3百名、車両延べ約5千両、航空機延べ120機が投入され、入浴人数約1180名でした。
一斉捜索前に黙とう
見送り
航空機から安倍内閣総理大臣に状況報告する掛川旅団長
自反 第13戦車中隊
〇 第13戦車大隊の歴史と変遷について
練武の地である此処日本原駐屯地に所在する第13戦車中隊は、中隊本部、偵察小隊、戦車小隊から成り、第13旅団の対機甲戦闘の骨幹として、各種訓練等に参加し、日々その練度向上に励んでいる歴史と伝統ある部隊です。今回は現在の戦車中隊の母体である「第13戦車大隊」の歴史と変遷について紹介したいと思います。
第13戦車大隊は、昭和37年1月1日、今津駐屯地において編成を完結しました。
第13戦車大隊創隊
昭和40年6月14日、戦車大隊主力は日本原駐屯地に移駐、昭和45年3月、第4中隊を新編し、本部管理中隊及び4個戦車中隊となり戦車大隊の最盛期を迎えました。
昭和56年3月、第2混成団の編成に伴い、第4中隊を第2混成団戦車隊として送り出し、平成2年3月、第3中隊が、北転事業により廃止され、戦車大隊は、本部管理中隊と2個戦車中隊になりました。
平成11年3月、第13師団の旅団化に伴い、戦車大隊は、旅団戦車中隊に改編され、第13戦車大隊は37年間の栄光と輝かしい歴史に幕を閉じ、新たな歴史の幕開けとなる第13戦車中隊が発足しました。
〇 第13戦車中隊のシンボルマークの由来
第13戦車大隊当時、昭和58年に本部管理中隊の隊員によって制作されたものです。マークの基調となる「日の丸」は我が国の国旗であり、「清らかな国民性」と「燃えるような誠の心」を表し、日の丸の中の握った3本の矢は、毛利元就の故事にちなみ、第13戦車大隊隊員の「堅い団結」を表すとともに、「矢」は各戦車中隊を、「握った手」は本部管理中隊を表しています。部隊改編により、戦車中隊になった今も「矢」を各戦車小隊、「握った手」を中隊本部と置き換え誇り高い中隊のシンボルとして伝統を継承しています。
部隊シンボルマーク「三矢」
昭和47年8月23日、日本原演習場において攻撃前進中の小隊長戦車が地隙に転落し、当時小隊長であった故中本1尉が殉職するという事故が起きました。この訓練事故は、第13戦車大隊創設から現在に至るまでの間において、唯一の死亡事故であり、この痛ましい教訓を忘れず、諸先輩方が築かれた伝統を引き継ぎ、更に発展させていくこととして、中本碑が建てられました。戦車中隊員は、訓練初めに毎年必ず安全祈願を行うとともに、定期的な中本碑周辺の清掃を行い、安全管理の重要性と部隊の伝統の継承について思いを新たにしています。
故中本1尉の部隊葬
第46普通科連隊
濵先 勇哉 士長
濵先士長は、広島県出身の現在二十歳です。
令和2に年自衛官候補生として新隊員前期・後期教育を海田市駐屯地で過ごした後、第46普通科連隊第1中隊に所属し、現在は小銃手として活躍しています。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?
西日本豪雨で被災したことがきっかけで少しでも多くの人を助け、守れる存在になりたいと思ったからです。
Q2 趣味は何ですか?
バイクに乗る事です。またヒップホップ系の曲を聴く事です。
Q3 休日の過ごし方は?
好きな服を見に行ったり買ったりしています。また地元の友達と遊ぶことが多いです。
Q4 陸曹を志そうと思ったきっかけは?
陸上自衛隊での「やりがい」を見つけることが出来たからです。やりがいに気づけたのは僕が尊敬している陸曹の方々の行動です。
Q5 今後の目標は?
陸曹になって、部隊格闘指導官とレンジャー教育を終え、水陸機動団で勤務する事です。
写真右から2人目が筆者
「退官後は?」
山口県隊友会山口支部長
重弘 基宣
現役の皆さん、日々の訓練お疲れ様です。退官後の話となると若い隊員の方にはピンとこないかもしれませんが、若いうちにしっかり考えた方が良いというお勧めです。
平成26年に退官し現在63歳、年金まであと2年。退官間近に考えたのは、年金までの10年間、どう食いつなぐか。今思えば、この低レベルな考えを持った自分に腹が立ちます。『どう食いつなぐか』ではなく『何がしたいか』を真剣に考えるべきであったと反省しています。本年4月年金制度が改正されました。これまで繰り下げ受給の上限が70歳から75歳に変更。近い将来、現行の65歳受給が70歳に逐次引き下げられることになるでしょう。この70歳を節目としたとき、約50年の労働期間を自衛隊40年プラス食いつなぎ10年で考えるか、自衛隊25年プラス第2ステージ25年と考えるか。人それぞれですが、モチベーションが上がるのは後者に間違いありません。自衛隊の定年延長も必要とは思いますが、同時に早期退職制度を再検討する時期になったとも言えます。第2ステージがメーンステージに成り得る今、これを真剣に考えない手はありません。
第2の人生、後悔しないように準備を進めて欲しいというのが私の思いです。