東日本大震災への災害派遣、
ゴラン高原へのPKO派遣を経験。
── 従事された災害派遣のことをお聞かせください。
私は当時、東日本大震災が発生した際は「護衛艦ひゅうが」の乗組員でした。
発災翌日には出港が命じられたので、横須賀に一時帰港して、東北沖へ向けて出港しました。
陸上からの物資輸送の中継地点として、各被災地に物品輸送を行うことを任務としていました。
また、ひゅうがには大きな真水のタンクがありますので、被災地の方の入浴支援も行いました。
皆さんが帰られる際に「とてもスッキリした」と感謝の言葉を述べていただいた時には感動しました。
被災されていて大変な中だと思いますが、その瞬間だけは本当にホッとした表情をされていたので、こちらも支援していてすごくやりがいがあるなと感じました。
ひゅうがは陸地に入港せずに沖の方に停泊して支援を続けていましたので、夜間もずっと同じ沖にいたんですが、その夜に陸地の方を見ると、家や街灯があるにもかかわらず灯りが一つもありませんでした。
本当に真っ暗闇の状態っていうのを目にしたので、被災地の皆さんのことを考えると、かなり苦しく心を締め付けられるような思いがありました。
── 海外派遣についても教えてください。
PKO(国連平和維持活動)派遣で、ゴラン高原というイスラエルとシリアの地域に派遣されました。
現地での主な任務は物資輸送と道路舗装です。
PKOはシリアとイスラエルの停戦状態を監視するのが任務で、その中で自衛隊は輸送を中心に活動しておりました。
印象に残っている出来事としては、受け入れ国であるシリアとイスラエル両国、また各派遣国の、自衛隊に対する印象が好意的だったことです。
これまで自衛隊の先輩方が現地で積み重ねてこられた活動が評価されているんだなと実感できました。
── 様々な経験を通して考える、「国防」とは?
海外派遣に参加してみて、国際平和について感じたことといえば、国同士での紛争や国内の紛争については、長い歴史でそれぞれの国が抱えている問題があり、すぐに解決できるわけでもないのだな、ということでした。
時間をじっくりかけないと国際平和を導くことはできないんだなと感じました。
とはいえ、国際社会の変化は激しいため、その時その時に適切な判断を下せないと日本の安全は守れないと考えています。
大切な家族や故郷を守るために、自衛官一人一人がその想いを積み上げることによって、「日本を守りたい」という、国を愛する気持ちが増すと考えております。