海上自衛隊 募集推進客員 航空学生採用担当 3等海佐 坂本 剛志

海を舞台に、空を駆ける
パイロットだから見えた世界。

プロフィール

海上自衛隊 第22航空群
ヘリコプター操縦士
3等海佐 坂本 剛志

学生時代に出会った映画の影響で、自衛官パイロットのキャリアに興味を持った坂本さん。海上自衛隊に入隊後、様々な土地や人との出会いを通じて大きく成長。これまでパイロット、そして自衛官として忘れられない多くのやりがいを感じてきたそうです。

受験前の体験入隊で、
不安は無くなりました。

── 自衛官になったきっかけは何ですか?

きっかけは学生時代の英語の課題で「愛と青春の旅立ち」という、海軍士官を目指す若者の映画に出会ったことです。
映画を鑑賞したことで、自分が自衛隊のパイロットになるためにはどうしたらいいのだろうと興味を持ち、調べてみることにしたのですが、どんどん自分はこの仕事に向いているのではないかなと惹かれていきました。
この時の課題がなければ自衛官という生き方を選んでいなかったかもしれませんね。

── 海上自衛隊を選んだ理由はありますか?

まずはパイロットになるための航空学生という制度を利用するのですが、パイロットへの道は海上自衛隊と航空自衛隊のどちらにもあります。
どちらに進むべきかで調べた際に、海上自衛隊のパイロットは主にチームで訓練や任務をすることが多く、航空自衛隊のパイロットは一人で乗ることが多いという違いを知りました。
私はチームで飛ぶことに魅力を感じたこともあり、海上自衛隊の道へと進みました。

── 航空学生になるために苦労したことはありますか?

航空学生になるためには受験する必要がありますが、試験内容は高校程度の科目でした。
そのため高校の勉強をしっかりと行っていれば、それほど難しい問題もなく、受験時で特に苦労したということはなかったですね。
ただ、当時はインターネットもあまり普及していない時代でしたので、今のように情報が溢れているわけでもなく、最初は不安に感じていました。
そんな時に地方協力本部の広報官に相談してみたのですが、実際に航空学生を教育している部隊に体験入隊させていただきました。
どのような訓練や教育を受けているのかを事前に知れたので、受験時には不安がなくなっていましたね。
現在もこういった機会は多数あると思いますので、不安に思う方は一度体験してみるのも良いかと思いますよ。

初めて空を飛んだ瞬間は、
この先も忘れられない。

── 入隊後はどのような仕事をしていましたか?

入隊後、まずは教育部隊で2年間ほど航空に関する知識や一般教養などを学び、その後はまた約2年間の操縦教育で、固定翼および回転翼の訓練を受けました。
教育部隊でウイングマーク及び国家資格の事業用操縦士を取得した後、長崎県の大村市にある部隊に配属され、10年ほど様々な体験をさせていただきましたね。
ヘリの部隊は船に乗って仕事をするのが基本となるので、護衛艦に乗って、様々な場所で訓練や任務をこなしていました。
寄港した土地を観光したり、美味しいものを食べたりと、いろんな場所を体験できたことが非常に楽しく、自分の視野を広げる良いきっかけでした。
以降は教育部隊で入隊した学生を育てる任務につき、幹部学校の指揮幕僚課程を経て、今は海上自衛隊の艦載部隊のヘリコプターパイロットをしています。

── 海上自衛隊のパイロットは具体的にはどのような業務内容ですか?

洋上で船に乗って実施する任務の場合、敵の潜水艦や艦艇を見つけるのが仕事です。
平時の際は警戒監視活動といいまして、目視や船のレーダーが届かないところまで飛んで行って、その状況を船に伝えるという任務を実施しています。
また、船で急患などが出た際には最寄りの空港まで緊急搬送をする場合もあります。

── 初めて飛んだ瞬間はいかがでしたか?

初めて自分で空を飛んだ時、重力がかかって飛び上がった瞬間のことは今でも忘れられません。
自分で操縦し、訓練をして帰って来るまでを全部自分でこなさないといけないので重責を感じますが、慣れてくると飛ぶことの楽しさや面白さが少しずつわかってきましたね。
また、飛んでいる際に各国の海軍と交流する機会があります。
グアムやジブチ、インド、シンガポール、オマーンなど、海外では海軍に類する組織というのは尊敬される職業ですので、歓迎されていることに非常に喜びを感じました。

自分の働きが、
国際貢献に繋がる喜び。

── これまでで一番やりがいに感じた任務はありますか?

一番心に残っている任務は、2011年3月11日の出来事です。
この日を聞くと、多くの方が東日本大震災のことだと思われるかもしれませんが、私はソマリア沖アデン湾に発出されている第7次海賊対処行動の水上部隊に所属しており、日本にはいませんでした。
当時、日本の商船がアデン湾で海賊に襲われ、その後にアメリカ軍が海賊を捕まえたんです。
近辺に我々の船もいましたので、捕まえた海賊をアメリカの艦艇から我々の艦艇に輸送し、乗艦している海上保安官が海賊を捕まえて日本に輸送するという任務を実施しました。
この出来事は東日本大震災の影響でほとんどニュースになっていませんが、米軍、海上保安庁、海上自衛隊で一つの任務を達成したことに国際貢献の一翼を担えた喜びを感じたことを覚えています。
その後、地震のニュースを通信で聞き、最初は我々も帰るのかなと思っていました。
ですが部隊はソマリア沖アデン湾で海上交通路確保の任務を最後まで実施してから日本に帰投しました。
日本が大変な時でしたが、海上自衛官というのは世界の各地で海上交通路の確保をはじめ、様々な任務についているということに身が引き締まる思いがしましたね。

── どんな時に成長を感じますか?

私はパイロットとして一人前になるまで非常に時間はかかりましたが、いろんな任務を実施してきました。
その中で様々な任務部隊の人、そして我々を支援している後方部隊の人、教育部隊の人、多くの方々と協力して任務を達成してきました。
こうした人との繋がりが、自分自身の成長を感じられますね。

── 今後、目標にしていることはありますか?

今、海上自衛隊の各指揮官というのはスピードのある意思決定や変化に対応する指導、勤務方針を掲げて業務に励んでおられます。
私自身も世界の情勢や経済など、いろんなことを勉強してスピード感のある意思決定や変化に対応できる隊員になることを目標にしています。

自衛官ならではの、
魅力ある休日の過ごし方。

── プライベートの時間はどう過ごしていますか?

オフの時間は基本的に自己啓発をしていることが多いですね。
平日については可能な限り早く退庁し、あえて自分の職務と関連が薄い分野の勉強をすることを心がけました。
自衛官というのはあくまでも軍事組織ですが、世界の情勢や日本の経済など様々なことを学ばないとやっていけない組織です。
そのため自分の職務やパイロット以外の事柄を勉強することを、オフの時間は心がけていました。

── 自衛官ならではの魅力はありますか?

衣食住がすべて提供されていますので、給料がほぼすべてお小遣いみたいな感じになります。
休日に何かをする際にも給料がほとんど残っていますので、遊ぶことに金銭面で苦労しなかったですね。
土日についても基本的には休みですので、家族と遊びに行くこともできますし、長期休暇は1週間以上あります。
部隊にいても、地上の配置にいてもしっかりと休めるので、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休みなどでゆっくりと休むことができました。

── 自衛官を目指す方たちへのメッセージをお願いします。

海上自衛隊という組織は非常に様々な職種があります。
私はパイロットですが、他にも整備の仕事、食事を作る仕事、経補というお金関係の仕事など、様々な仕事があります。
自分に合う様々な仕事ができると思いますので、少しでも興味をお持ちでしたら、ぜひ入隊をお考えください。
また、航空学生制度というのはパイロットへの一番の近道です。
「空を飛びたい」「パイロットになりたい」と思っている人にオススメですよ。

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