航空学生
鳥取県 田内 様
「いつか書く時が必ず来る」と信じて幾星霜、この場を与えて頂いた事にまず感謝したい。
「父さん、母さん、いつかあれに乗って僕は必ず帰って来る。2番機当米子市出身田内育彦2尉とコールしてもらうから」
子供が将来どんな職業に就きたいか、知っておくべしと自衛隊にほとんど関心がなかった私達を航空祭に誘ったのが、彼が小学5年の時でした。冒頭の言葉は、その時のブルーインパルス2番機に鳥取東高出身・宮本2尉が搭乗していて、コールされたから。驚きながらも、この子はそんなことを考えていたのかと改めて無知を恥じました。後になって分かったことですが、小学2年の時に広島の原爆記念館を見学したことがきっかけで、空から国を守る仕事に就きたいと念じたとのことでした。まっしぐらに目標に向け邁進する姿は、親としていかにサポートできるかと、考えさせられる日々でした。小学5年から国体水泳強化選手として鍛錬の日々。語学研修の為のアメリカ留学、それに伴う交換留学生受け入れ。航空学生を終え、ウイングマークはアメリカ空軍基地で取得。コマンダーの招待を断れば日米友好に傷がつくと本気で思い、卒業式には夫婦で出掛けました。その時のセレモニーも国を守る人を誇りに思う国民性の違いをまざまざと見せ付けられ、羨ましく思ったものです。
閑話休題。美保基地とは数分の位置に立地する我が家に、ブルーインパルスのメンバーが蟹パーティーに来宅し始めたのは、息子と同期の村田さんが6番機でフライトしてきた2004年。昨年事情があり、やむなく休止するまで5回続き、メンバーが来宅することを地域の中で知る人ぞ知るところとなりました。将来パイロットを夢見る少年も含まれ、募集相談員として少しはお役に立つようになったかと思う矢先だっただけに、一時帰休したので、再開をと思った今年、気力と体力がなくなっていたことは残念至極でした。
今、県家族会の一員として、募集相談員として、自衛隊に対しての、国民的理解とは…と考えるとき、人一倍の防衛問題へ関心を払い、理解と認識を深め、隊員の健全な育成、発展を考えていくことに尽きると思っています。子を思う親の態度が時として行き過ぎ、熱くならないよう心がけています。国家機能として存在するものに対し、充分その内容を認識しなければ、協力も理解もなし得ないと思っています。現在、息子は怪我で3年の飛行停止を乗り越え、少年の日の夢はなし得ませんでしたが、三沢基地でE2Cの運用にあたっています。
日々の安全飛行を神仏に祈るのが、今の私の大切な日課です。