第1操縦学校(本校小月)の分校が防府飛行場に開設されました。
付属施設の不十分な悪条件下で操縦教育が開始されました。
(写真:創設時の基地正門)
当時は、格納庫がなく側壁のみの状態でした。
(写真:側壁のみの格納庫)
格納庫が完成するとともに、隊舎、食堂なども新設されました。
(写真:新設の格納庫等)
管制業務は、当初浜松から派遣された3名の要員で開始されました。
昭和32年9月、防府管制分遣隊が編成完結しました。
(写真:管制業務の様子)
防府気象分遣隊が編成完結しました。
当時、器材は簡易風向風速計1台だけで、他の気象諸元は、防府測候所へ電話で問い合わせて収集していました。
(写真:気象業務の様子)
第1操縦学校は廃止され、同年6月第12飛行教育団として編成完結しました。
(写真:編成完結式)
第12飛行教育団の航空機標識は、毛利元就「三矢の訓」からヒントを得て、郷土防長毛利藩の紋に飛翔する翼を配し、「向上」、「希望」、「団結」を象徴したものです。(防府管制隊 村井1曹考案)
(写真:航空機標識)
航空学生教育隊(当時)が福岡県芦屋基地から移駐しました。
(写真:移駐する航空学生)
昭和54年4月、T-3初号機が到着しました。
(写真:安全を祈って献酒する当時の団司令)
T-34は25年間に及ぶ操縦教育を終了しました。
(写真:T-34最後の編隊飛行)
航空学生制度は40周年を迎えました。
(写真:40周年を記念し、人文字を描く50期生)
航空学生顕彰館は、平成6年、当時空幕長であった杉山元空将の発案によりスタートし、平成13年6月29日の落成をもって実現しました。
顕彰館は、航空学生出身隊員の精神的拠り所を創造する場として整備されたものです。
(写真:航空学生顕彰館)
T-3の後継機として、T-7が導入されました。ターボプロップエンジンを搭載しているため、T-3に比べて格段の静音設計となっています。
(写真:飛行中のT-7)
防府北基地は創設60周年を迎えました。
(写真:60周年を記念し、基地隊員による集合写真)