防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(5月放送内容)



 

テ−マ:自衛隊の国際緊急援助活動について

 

 

パ−ソナリティ−:
 自衛隊の国際緊急援助活動について、東北防衛局の齋藤雅一局長にお話しをいただきます。齋藤局長本日はよろしくお願いいたします。

齋藤局長:

 よろしくお願いいたします。

パ−ソナリティ−: 
 自衛隊の国際活動というと現在山形県・宮城県・福島県を管轄する第6師団から南スーダンでのPKO活動に参加されていると伺っていますが、自衛隊の海外での活動には国際緊急援助活動というものもあるそうですね。本日はこの活動についてお伺いしたいと思います。

齋藤局長:
  はい、地球温暖化などの影響もあるのでしょうか、今日大規模な自然災害が世界各地で発生していますが、自衛隊はこうした国外で発生した自然災害に対し、被災国などからの要請と外務大臣からの協議を受けて国際緊急援助活動に従事します。いわば国内における災害派遣活動の国際版と言えるものです。

パ−ソナリティ−:
  3.11での自衛隊の活躍を考えれば自衛隊にはきっと世界各国から大きな期待が寄せられているのでしょうね。因みに齋藤局長は、この活動とはどのような関わりがあるのでしょうか。

齋藤局長:
  実は大ありでして、平成4年に外務省所管の国際緊急援助隊法が改正されて自衛隊が同活動に参画できるようになったのですが、部員なりたての私もその時の自衛隊の態勢整備を担当しました。室長時代にはインドネシアのジャワ島で起きた大地震に際し、先遣チームの一員として現地調査を行い、派遣決定後はそのまま援助隊に組み入れられたこともあります。私が国際協力課長に着任した平成22年にはパキスタンの大洪水に対し陸自のヘリコプター部隊が派遣されており、その撤収時期の判断が大きなテーマでした。さらに、翌年にニュージーランドで大地震が起きた際にも捜索・救助に当たる救助チームを現地にいち早く輸送するために要人輸送用の政府専用機B-747を派遣した際にもその政府としての意思決定にも携わりました。

パ−ソナリティ−:
 いろいろなご経験をされているのですね。現地にも行かれていたというのは驚きです。ではまずは態勢などから少し詳しくお話し頂けますでしょうか?

齋藤局長:
 話はもう20年以上前に遡ります。自衛隊の海外での活動は厳しく制限され、共同訓練や南極観測くらいしかなかった時代が長く続いていましたが、湾岸戦争を契機にペルシャ湾に掃海部隊が派遣され、自衛隊は海外での活動に一歩を踏み出しました。その後PKO法、即ち国際平和協力法も成立しましたが、このPKO法と同時に成立したのが自衛隊を国際緊急援助活動に参加することを可能とする改正国際緊急援助隊法です。この法律はいわゆる「公布即施行」、すなわち公布された日に直ちに効力を発すると言うことで、公布日以降に海外で災害があって外務大臣から協議が来れば防衛省としても直ちに出動できるように態勢を整えておく必要がありました。当時は統合幕僚会議に国際活動を調整する権限もない時代で、内局が統幕の協力も得ながら3自衛隊の態勢を定めた事務次官通達を作りました。ポイントは実施する活動の種類として医療活動、給水活動、輸送活動の3つを定め、この活動を実施するための各自衛隊の態勢、例えば陸で言えばヘリ何機だとか、海で言えば輸送艦何隻、空自で言えばC-130H型輸送機何機、人員は約何名といったように部隊を発災後迅速に派遣し得るような待機態勢を取るようにしました。

パ−ソナリティ−:
  はい、ではこの準備では何が大変だったのでしょうか?  

齋藤局長:
  やはり全く初めての任務ですから無い無い尽くしで、例えば自衛隊は海外派遣を前提としていませんでしたから、派遣が予測される地域の地図すら自衛隊は持っていないわけです。陸のヘリを空自の輸送機で運ぶなんてオペレーションは過去やったこともないわけで実際にローターを取り外して搭載してみたりと全てが手探りでした。当時の輸送艦は速度は遅いし、海外まで飛んでいける輸送機も少ないなどいろんな制約がありましたね。命令で派遣することになる待機要員にいかなる予防接種をどの程度実施するのかと言った問題もありました。何よりも大きな悩みとしては、法律は成立していないわけですから、成立を前提とした予算措置などをとることは難しいわけで、同時並行で進んでいたPKO法案とも大変さではどっこいではなかったかと個人的には感じています。

パ−ソナリティ−:
  はい、この緊急援助活動については、自衛隊は武器は持っていくのでしょうか?

齋藤局長:
  武器使用は認められておらず、そのような閣議決定もあります。  

パ−ソナリティ−:
  分かりました。この態勢については近年見直されたと聞きましたがそのポイントを教えて頂けますでしょうか。

齋藤局長:
  はい、24年の7月からは例えば、輸送アセットの増加に伴い、国際緊急援助活動の待機態勢に空中給油・輸送機KC-767とか政府専用機B-747を加えたり、先遣調査チームの中に医官を加えて仮に緊急援助活動を行うことが決定された場合に迅速に活動を開始できるようにするなどの改善を図りました。

パ−ソナリティ−:
  なるほど。齋藤局長は先遣調査チームでインドネシアに行かれたと言われていましたがその時の活動を教えて頂けますか。

齋藤局長:
  はい、これは20066月にインドネシアのジャワ島をおそった大規模地震を受けて医療・防疫を行う国際緊急援助隊を派遣した時でした。自衛隊の部隊を海外に送る訳ですから、何よりも派遣に当たって様々な調査事項があります。私は当時イラクから帰ってきて運用課の国民保護・災害対策室長をしていまして、本来はその所掌ではないわけですが運用課というところは一朝事あらば全員野球というのが伝統です。インドネシア政府からの派遣要請を受けて外務大臣から防衛庁長官に自衛隊部隊の派遣について協議が有り、防衛庁では派遣の決定と準備指示がなされたことを受け、直ちに現地での情報収集や受入れ調整を行う先遣チームが編成され、その一員として発災の3日後には日本を出発しました。ジャカルタまで民航で行き、そこからインドネシア空軍機で現地入りしました。現地は多数の建物が倒壊し、また多くの死傷者が出るなど大変な惨状でした。我々は被災状況を確認すると供に、既に活動を開始していた例えば米軍などから情報を集めたり、現地の自治体に活動のニーズや活動場所の候補を確認したりしました。我々が送った情報を元に東京で派遣命令が下され、待機していた名古屋の10師団から要員が速やかに派遣されてきたことを受け、我々は当初の間その援助隊の要員として活動し1週間ほどしてやってきた後任に業務を引き継ぎました。待機についていた部隊が計画通りに続々と現地入りする姿を目の当たりにした時は大変感慨深かったですね。

パ−ソナリティ−:
  一つ一つの派遣にいろんなドラマがあるんですね。局長が国際協力課長の時のご経験については如何でしょうか?

齋藤局長:
  国際協力課長の時は冒頭申し上げたようにパキスタンでの水害に対して派遣した航空援助隊がまだ活動中でしたのでその撤収にむけての調整が思い出深いですね。緊急援助隊は出す時の判断もそうですが、切り上げるタイミングの判断も難しいところです。統幕や陸幕の方々と色々頭の体操をしていました。またニュージーランドの地震の際の派遣も外務省における担当課である緊急・人道支援課と夜を徹して調整に当たり、また当時は緊急援助の待機体制についていなかった千歳の政府専用機の部隊にも迅速に対応して頂き、救助チームを迅速に現地に運ぶことができました。

パ−ソナリティ−:
  はい、ところで最近の実績としてはどのようなものがあるのでしょうか。

齋藤局長:
  最近の国際緊急援助活動を見ますといろいろと活動の幅を広げていますね。昨年の3月にはマレーシア航空370便の行方不明を受けて空自のC-130や海自のP-3Cによる捜索活動に従事しましたし、12月にはエボラ出血熱に対する国際緊急援助活動に必要な物資の輸送と言うことで空中給油・輸送機KC-767を使って個人防護具をガーナにまで輸送しています。本年1月には海賊対処行動でアデン湾に派遣されていた海自護衛艦「たかなみ」と「おおなみ」が本邦に帰投中、エアアジア8501便の消息不明事案に対処するため本邦への移動を中断して捜索・救難活動に従事しております。いずれの活動も国際機関や派遣された国などから高い評価と謝意が示されており、我が国のイメージアップに大きく貢献しております。

パ−ソナリティ−:
  東日本大震災の時にも外国からの支援は大変有り難いものでしたが、逆の意味で他の国が災害で苦しんでいる時に援助の手をさしのべることは大変意義のあることですね。

齋藤局長:
  仰るとおりで東日本大震災の時多大な援助を受けた我が国としてこうした活動を一生懸命取り組んでいくことは「恩返し」の意味でも重要だと思っております。

パ−ソナリティ−:
  はい、それでは自衛隊の皆さんのこの分野における益々の活躍を期待したいと思います。齋藤局長、本日は貴重なお話し有り難うございました。

齋藤局長:
 こちらこどうも有り難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
このペ−ジのTOPに戻る
 
   


日本の防衛Q&ATOPページ