防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(3月放送内容)



 

テ−マ:南スーダンPKO(UNMISS)について

 

 

パ−ソナリティ−:

 

本日も東北防衛局の齋藤雅一局長からお話をお伺いしていきます。今日のテーマは、「南スーダンPKOUNMISS(アンミス))」についてお伺いしたいと思います。齋藤局長、よろしくお願いします。

齋藤局長:

  よろしくお願いします。
 
パ−ソナリティ−:
  南スーダンPKOといいますと山形県東根市神町にある第6師団からまさに現在南スーダンに派遣され施設活動に従事されていると聞いていますが、齋藤局長はそもそもこのPKOの派遣決定の時に本省の担当課長だったそうですね。今日は派遣に至る経緯を含めこの南スーダンのPKOについて教えて頂けますか?

齋藤局長:
  はい、派遣決定当時、これは平成23年になりますけれど、私はその前年から本省運用企画局の国際協力課長というポストにいまして、この南スーダンへの派遣が私の課にとって最大の政策課題でした。自衛隊の海外派遣というものは今も昔も、昔と言っても初めて出たのが1991年のペルシャ湾への掃海部隊の派遣ですからそれほど古いというわけではありませんが、自衛隊の歴史の中で、自衛隊が海外に出るなんて言うことはそれこそ考えられなかった時代が長く続いていたわけで、派遣を決定すると言うことは政府として極めて大きな判断になります。それだけに派遣決定に至るプロセスは長い道のりであったわけです。施設部隊の派遣、これが実現するまでにはホントにいろんなことがありました。

パ−ソナリティ−:
  初の海外派遣が今から約24年前の出来事だったんですね。きっとその当時大変だったと思いますが、そのときの苦労話の一端をお聞かせ願えますか?

齋藤局長:
  私が国際協力課長になった頃、南スーダンで新たなPKOを作ろうとする動きが徐々に顕在化していました。元々スーダンというのは南北合わせて一つの国で面積もアフリカ最大の国でしたが、北部のアラブ系の人たちと南部のアフリカ系の人たちの間で厳しい対立が有り内戦状態になっていました。この内戦が終結し、南スーダンが国連193番目の国として独立したわけですが、この南部の国作りを助けるために新たなPKOが設置されることになったわけです。

パ−ソナリティ−:
  でもPKOって軍隊が派遣されるんですよね。何故国作りに軍隊が必要なのでしょうか?

齋藤局長:
  普通そう思いますよね。でもPKOが派遣されるようなところは内戦などで国土が荒廃し、インフラも整っていません。先進国では当たり前の電気や水、ガスだって不十分です。そうした時、自己完結性といいますが、厳しい環境下でも独立して活動できる能力を持った軍隊なら大きな役割を果たすことができます。PKOが派遣されるところは日本と違って様々な武器もゴロゴロとしており治安も相当悪化していますから、それこそ自分で身を守らなければなりません。必ずしも重装備である必要はありませんが、やはり拳銃や小銃といった一定の武器は必要です。そしてこうした厳しい環境の下で治安維持や通信、輸送、施設整備などを行えるのは軍隊しかありません。

パ−ソナリティ−:
  なるほど。でも世界には軍隊を持っている国はたくさんありますよね。何故日本がわざわざ遠いアフリカにまで行かなければならないのでしょうか? 

齋藤局長:
  日本という国は鎖国の時代はいざ知らず、一国のみで生きていくことはできません。日本の平和と安全、そして繁栄は世界の平和と安定に大きく依存しています。国際社会の平和と安定の大きな受益者である我が国が何の貢献もしなくて良いのかということです。ではお金を出せばそれでいいかと言えば決してそういうことではありません。1990年に起きた湾岸危機、これはサダム・フセインのイラクがクエートを軍事力で併合するという暴挙でしたが、国際社会が一致してこの暴挙に立ち向かう中、当時自衛隊など人的貢献の用意のなかった我が国は結局130億ドル、これは当時のレートで一兆七、八千億円という巨額の資金援助を増税までして行いましたが国際社会のフリーライダーとして国際社会、特に同盟国の米国からごうごうたる批判を受けました。私は当時米国の首都ワシントンDCに留学中でしたが、厳しい批判は一学生の私にも押し寄せ本当に堪えましたね。国際社会が一致して汗を流している活動に背を向けることの是非、カネだけで済ませられるのかをリスナーの皆様にも考えて頂ければ幸いです。

パ−ソナリティ−:
なるほど、確かにお金だけ出して日本だけが何も行動をしないというわけにはいきませんね。でも何故アフリカ、そして南スーダンなんでしょうか?


齋藤局長:

いま国連平和協力活動、いわゆるPKOの大宗はアフリカで実施されています。そして国際社会においても資源や市場の面でアフリカの重要性が益々増大している一方で貧困や内戦など深刻な問題を抱えており、その平和と安定のための国際的な努力が求められています。南スーダンはアフリカ中央部に位置し、周りを6カ国と接していることから同国の平和と安定はアフリカ全体の安定にとっても重要です。またいま自衛隊が行っている施設活動は1992年のカンボジア以来自衛隊が得意とする活動であり、その質の高い活動に対しての国際的評価も極めて高いのです。このようなことから国連PKO局から自衛隊施設部隊の派遣について打診が有り、2011年8月には来日した潘基(パン・ギ)(ムン)国連事務総長からも総理並びに防衛大臣に対し施設部隊派遣要請があったのです。

パ−ソナリティ−:
  その要請を受けて直ちに政府は派遣を決めたのでしょうか?

齋藤局長:
事はそう簡単ではありません。無論正式要請の前から防衛省が組織を挙げて派遣の可否については内々の検討を進めていましたが、部隊の派遣となりますと数百人規模の陸上自衛隊を厳しい環境の南スーダンに送ることになりますから確認しなければならない点が山ほどあります。経緯を若干端折って申し上げれば、部隊派遣検討の意思表明は総理・防衛大臣が替わられた9月、総理がNYの国連総会で表明されました。防衛省ではその表明を受けて直ちに省の重要事項を決定する防衛会議を開催、現地調査団の派遣などを決定しました。その後内閣府PKO事務局、外務省そして制服・文官からなる防衛省・自衛隊の職員が南スーダン及び周辺国の現地調査に赴き、治安状況ですとか衛生状況、空港港湾の状況、自衛隊への具体的なニーズ、活動候補地の状況、そして何よりも重要なPKO法に基づく派遣の大原則である派遣五原則を充たすかなどなど様々な角度から調査し、帰国後直ちに各省の政務三役や官房長官に報告をしました。

パ−ソナリティ−:
  当時は齋藤局長も現地に行かれたんですよね。
 
齋藤局長:
  その通りで限られた日数の中で現地PKOの代表や南スーダン政府の要人たちとの面会をこなし、現地の各国軍からも情報を集め政府としての報告書をまとめて、帰国後直ちに政務を含む幹部へ報告するなど、本当に怒濤の出張でした。行くに当たっては今の派遣隊員もそうですが、衛生上劣悪な土地柄なので黄熱病を始めとする予防接種も何種類も受けました。3府省の課長級をヘッドとする調査団でしたが、それぞれの専門知識を持ち寄り良い調査ができましたし、ほとんど夜を徹して報告書の原案を作ってくれた若手にはいまでも感謝しています。

パ−ソナリティ−:
その現地調査の報告書を作成した後になっていくんですが、どういう形で派遣決定に至ったのでしょうか?

齋藤局長:
 
その時の報告書ではさらに兵站などの面でさらなる調査の必要があると言うことで、直ちに専門調査団を派遣しました。その報告なども踏まえ、11月初めに官房長官に閣議で派遣準備を進める旨の発言をして頂き、防衛大臣から準備指示を発出して頂きました。自衛隊の部隊を派遣するには派遣するまでに要員の選定から教育・訓練、あるいは装備品の調達など膨大な準備作業が必要となりますので、派遣決定の前に予めそのような準備指示を出して頂く必要があるのです。そうした準備が整ったのを受けて1220日に派遣の閣議決定をして頂きました。その間、派遣の実務に当たる統合幕僚監部や陸上幕僚監部が大変だったことは申し上げるまでもありませんが、一方で内閣法制局との調整や与党からの了承を得るためのプロセス、そして大量の国会質問などなど膨大な事務がありましたが、関係部局と緊密に連携しながら国際協力課が一丸となって難局を乗り切りました。国際協力課には意欲的で優秀な若手が配置されており、派遣が正式に決まった時はまさに課長冥利に尽きる思いでした。

パ−ソナリティ−:
  なるほど。UNMISS派遣にもこういった経緯があったと言うことは知りませんでした。齋藤局長、本日は貴重なお話有り難うございました。また遠い南スーダンに派遣されている隊員の皆様の無事の帰国をリスナーの皆様と一緒にお祈りしたいと思います。

齋藤局長:

どうも有り難うございました。派遣部隊の応援を是非よろしくお願いいたします。 

 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
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