自衛隊インビテ−ション
(10月放送内容)



テ−マ:自己紹介

パ−ソナリティ−:

 今日は、7月25日に東北防衛局長に着任されました齋藤雅一局長にお話をお伺いします。齋藤局長、よろしくお願いします。
 
齋藤局長:
 よろしくお願いします。

パ−ソナリティ−:

早速ですが、はじめに、齋藤局長のご経歴をお伺いしたいと思います。防衛省ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。


齋藤局長:

 はい、私は、当時の防衛庁に昭和62年に入庁しましたので、今年で役人生活28年目になります。この間、防衛庁・防衛省の政策部門である内部部局の様々な部局に勤務いたしましたが、不思議とこれまでは地方には縁が無く今回が初めての地方勤務になります。
  これまでは結構国際畑で働くことが多く、ワシントンDCには2度、一度は大学院の学生として、もう一度はシンクタンクの客員研究員として滞在しました。自衛隊のPKOとしては2つ目になるモザンビークPKOの現地支援要員として首都マプトに滞在していたことやイラクに派遣された陸上自衛隊の政策アドバイザーとしてムサンナ州のサマワに派遣されたこと、さらには国際緊急援助隊の先遣チームとしてインドネシアのジョグジャカルタに派遣されたこともあります。こうした経験は、前々職で国際協力課長を務めていた際に、陸上自衛隊施設部隊の南スーダンへのPKO派遣を担当した時にも大変役立ちました。これも省内の関係部局と検討を重ね、政務3役のご指導を受けながら外務省や内閣府PKO事務局、そして国連PKO局と調整を重ね、さらには自分自身でも現地調査で南スーダンに赴き派遣決定にこぎ着けました。我が国の国際的な立ち位置を考えればこうした国際社会の平和と安定に目に見える形で人的貢献を行うことは大変重要なことですが、今日本が派遣しているPKOはこの南スーダン一つだけで有り、このPKOがなければということを考えればあのとき出しておいて良かったとつくづく思っています。
  その他、印象深い仕事として、もうかれこれ20年近く前になりますが、若手の班長の時に弾道ミサイル防衛システムを我が国に導入を検討する際の実務的な責任者を努めさせて頂きました。陸・海・空各幕僚監部、そして関係省庁と議論を重ね、さらには米国防総省との協議のため何度も何度もワシントンやホノルルに通いました。今北朝鮮のミサイルが我が国の大きな脅威になっていますが、日本を弾道ミサイルの脅威から守る唯一のアセットとしてミサイル防衛システムが果たしている重要な役割を考えた時、その基礎となる作業に参画できたことは貴重な経験でした。


パーソナリティー:

 はい、本当に素晴らしいご経歴をお伺いしました。重要な任務そしてお仕事、海外での勤務、本当にこれからたくさんお話を伺えるのを楽しみにしております。そして、その他の省庁のご勤務などのご経験はおありなんでしょうか。


齋藤局長:
  はい、自治省消防庁に1度、それから内閣官房に2度出向いたしております。消防庁は平成6年から2年間、危険物規制課と言っておりましたが、そこの課長補佐で規制緩和ですとかガソリンスタンドのセルフ化などの課題に取り組みました。政令改正作業などに加えまして、当時は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などもありまして、その対応で猛烈に忙しかった記憶があります。課の結束も固く、当時のメンバーとは今でも年に数度集まっています。内閣官房では1度目は国際平和協力のための一般法についての検討チームで勤務しました。様々な事態に対応して自衛隊を柔軟に海外に派遣できるようにするための仕組みを作る法律で、残念ながら法律自体は日の目を見ませんでしたが各省庁から優秀な人材が集まっていて侃々諤々の議論が行われ個人的には大変勉強になりました。2度目の内閣官房勤務が前職でありまして、通称「安危室」、正確に言いますと安全保障・危機管理担当の内閣官房副長官補付の総括担当参事官と、ちょっと長いのですが、というものを務めておりました。ちょうど局の総務課長のような役割です。総理官邸にあります内閣危機管理センターから2キロ圏内の危機管理宿舎で様々な危機に備える毎日でして、その間、北朝鮮の核実験あるいはミサイル発射、それからアルジェリアの邦人テロ事件など様々な危機管理事案、そしてちょうど政権交代で自民党政権に変わり、様々な新政策、例えば国家安全保障会議(NSC)の新設ですとか国家安全保障戦略・防衛大綱の策定、あるいは集団的自衛権行使についての検討など安全保障に関わる重要な案件に携わることができまして、本当に濃密な2年間でした。


パーソナリティー:

本当に、2年間でこれだけのお仕事をなさったということ、素晴らしいですね。そのような経験を経て、防衛局長に着任されたわけですよね。ところで、災害派遣などを通じて、東北の人たちは自衛隊の方々にはなじみがあるのですが、東北防衛局の仕事、そして防衛局とはどんなことをやっているのか、教えていただけたらと思います。


齋藤局長:
  そうですね。我々は自衛官の方のように制服を着用しているわけでもありませんし、自衛隊の災害派遣のように、地域の人たちの目に見える活動が多くはないので、防衛局の仕事がイメージしにくいというのは、おっしゃるとおりだと思います。
 
まず、防衛行政の地方における拠点の役割を担います防衛局は全国に8つありまして、東北防衛局は、そのうちの一つとして東北地方の6県を担当しています。実は、防衛局は誕生してまだ7年ほどで、前身は防衛施設局と言っていました。東北防衛局の前身は仙台防衛施設局といいます。
  
防衛局の仕事の大宗は今でもこの防衛施設関係の業務です。自衛隊そして米軍がその持てる能力を発揮するためには基地・港湾・飛行場更には演習場といった防衛施設の存在が不可欠ですが、防衛局はこうした施設の取得・管理、そして建設工事などの業務を行っています。一方、防衛施設などの周辺では様々な問題が発生します。たとえば、飛行場の近くでは航空機の離発着に伴って日常的に騒音が発生していますし、演習場でも訓練の時には騒音が発生したりします。それから、これはあってはならないことですが、万一事故が起きたりすると、地域の方々に大きな影響を及ぼす可能性があります。こういった問題の対策として、住宅の防音工事や、自衛隊の行う道路工事や護岸工事、防災無線整備への補助などを防衛局が実施しています。 防衛局になってからは、このような防衛施設局の業務に加え、地域における政策的な情報発信や装備品等の購入業務も実施することになりました。組織の名称から「施設」を外すとともに、地名も事務局の所在する場所から担当する地域に変更して、その地域での防衛問題を幅広く取り扱おうとしているのです。現在、地方自治体の方々に防衛白書の説明を始めていますが、こうした地方協力確保事務も防衛局の大きな仕事の一つです。

パーソナリティー:
  そのような防衛局のトップに着任されたわけですが、また、ご出身もお隣の山形市と聞いております。そういったことも含めて、どのような抱負をお持ちでしょうか。


齋藤局長:

 はい。まずは極めて重要な役割を担う防衛局、しかも出身である山形県を含む東北防衛局の長を拝命したことは大変光栄でありまして、全力を挙げて職責を全うしたいと考えております。沖縄の基地問題にみられますように、自衛隊や米軍の存在を防衛施設の所在する地域の方々に理解してもらうことは、防衛問題にとって非常に大きな要素です。どんなに精強な部隊、最先端の装備を持とうとも、地域との関係で訓練が十分にできなかったり、いざという時の活動に支障が生じたりすれば、十分な能力の発揮は困難です。幸いにして、東北地方の方々の、自衛隊等に対する理解は大変深いものがあると考えていますが、さらに地域の方々の理解と協力を得るべく、様々な情報発信を含め、地域のニーズに応えたきめ細かな対応を行っていきたいと思います。

パーソナリティー:

はい、ありがとうございます。今日は、本当に始めてお会いさせていただいたのですが、局長のお人柄、そしてたくさんの経験、すごく勉強になりました。今日は、7月25日に着任されました齋藤東北防衛局長に、ご自身のプロフィールなどのご紹介も含めてお話をお伺いしました。今後、齋藤局長には、ご自身の経験も含め、防衛問題について幅広くお話を伺いしたいと思います。今日は本当にありがとうございました。


齋藤局長:

 こちらこそよろしくお願いします。

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