防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(8月放送内容)



 

テ−マ:防衛省・自衛隊60周年

 

 

パ−ソナリティ−:

 
  防衛省東北防衛局が送る、日本の防衛Q&A。このコーナーでは、防衛省・自衛隊や日本の防衛について、詳しく分かりやすくお話しをいただきます。本日も東北防衛局の中村吉利局長にお話をお伺いします。局長、本日もよろしくお願い致します。  

中村局長:
 
  よろしくお願い致します。
 


パーソナリティー:

 
 さて、本日はどのようなお話をお伺いできるんでしょうか。


中村局長:

 
  今日はですね、実は年齢の話をしようと思っています。  

パーソナリティー:
 
 はい。年齢ですか。  


中村局長:

 
 あの、別に北本さんのお年を伺うわけではないです。実は防衛省・自衛隊が今年還暦を迎えましたので、そのあたりをお話をしたいと思っています。  


パーソナリティー:

 

 還暦と言いますと、干支が一巡して60歳になったのを、赤いちゃんちゃんこ着てお祝いをするあの行事ですよね。防衛省・自衛隊も60周年になるんですね。

 

中村局長:
 

 はい、ところが、それぞれの自衛隊に関しまして、ちょっと事情が複雑なので、順を追ってご説明をしたいと思います。
 
防衛省と自衛隊の60周年の起点となっていますのは、195471日なんですけれども、これは、防衛省の前身であります防衛「庁」と各自衛隊が発足した日になります。しかし、航空自衛隊は、まさにこの日に発足しているんですけれども、防衛庁と陸上、海上自衛隊にはその前身となる組織がそれぞれあるんです。
  まず、陸上自衛隊なんですけれども、1950年に発足をしました警察予備隊を前身としているんです。警察予備隊というのは、朝鮮戦争に対応しまして、当時日本に駐留していたアメリカ軍が日本を離れてしまったために、日本の警察力を補うべく設けられたものなんです。この警察予備隊と同時に、その管理運営を担当する警察予備隊本部が設けられているんですけれども、これが、防衛省のそもそもの起源と言って良いかと思います。
 
次に、海上自衛隊ですけれども、2年後の1952年、海上保安庁の中に設けられた海上警備隊が最初です。しかし、直後に、警備隊と名前を変えて新設された保安庁という組織の一部になっているんです。保安庁には、同時に警察予備隊も移されていますので、防衛庁の前身と言えるかと思います。なお、警察予備隊は直後に保安隊というように名前を変えているんです。
 
さらにその2年後の1954年、保安庁が防衛庁となって、保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に、そして航空自衛隊が新たに発足しているというわけなんです。

 

パーソナリティー:
 
  なるほど。そうしますと、陸上自衛隊は警察予備隊の時代から考えると64歳、そして海上自衛隊は海上警備隊の時代から数えますと62歳になるんですね。  

中村局長:
 
  そのとおりで、陸上自衛隊は4年前に、海上自衛隊は2年前に、それぞれ60周年のイベントを行っていたんです。ですが、いずれにしても、今年は、3自衛隊とそれを管理運営する防衛省という組織の形ができあがって60年という節目の年になっていることは間違いないわけです。  

パーソナリティー:
 
 ところで、防衛省の前身であるのが防衛「庁」と仰いましたが、いつ変わったんでしょうか。また、「省」と「庁」の違いって、どういったところにあるんでしょうか。  
 
中村局長:
 

 防衛庁が防衛省になったのは、2007年、今から7年前の1月のことなんです。当時も安倍総理でして、自衛隊の最高指揮官として、「庁」が「省」になる記念の式典で訓示を述べられています。
  そこで、「庁」と「省」の違いについて、技術的なことを言うといろいろあるんですけれども、非常に簡単に言ってしまえば、「庁」とは、その上位の機関が決めたことを実施をする役所であって、「省」といいますと、主任の大臣をおいて、国としての重要な政策の企画立案をそれぞれ担当する役所、という感じかと思います。従って、防衛庁の時代は、自衛隊の管理運営を担当する役所として位置づけられていたわけですけれども、現在は、防衛省は「国の防衛」に関する政策の企画立案官庁と位置づけられているわけなんです。

 

パーソナリティー:
 防衛は、やはり国の存亡に関わるものですから、きちんと位置づけておかないと良くないですね。

中村局長:

 おっしゃるとおりだと思います。特に、最近のように安全保障環境がめまぐるしく変化をして、その変化に対応して、さらには、変化を先取りするような形で防衛政策を展開していくためには、政策官庁としての防衛省の位置づけっていうのは大変重要だと思います。
  諸外国も、当然のことながら、防衛を担当する組織は、国防省ですとか国防部として、行政機関の中でも最も重要な官庁の一つとして位置づけられているんです。最近では、防衛省と各国のカウンターパートとの対話ですとか交流も進んできていて、こうした意味でも、「省」としての位置づけは重要だと思います。
 
ところで、ちょっと話は変わりますけれども、防衛施設庁という役所があったのをご存じですか。


パーソナリティー:
 仙台の防衛施設局っていうお話をお伺いしておりますので、聞いたことはあるなとは思うんですけれども。
 
中村局長:
 そうですね。防衛施設庁と言いますのは、自衛隊と在日米軍の施設に関する業務を担当する役所としまして、1962年に設置をされて、今から7年前、防衛省が発足をすると同時にほぼ時を同じくして、その一部となっているんです。実は、防衛施設庁は、終戦直後、いわゆるGHQが必要とする施設ですとか物品、役務の調達などを担当する特別調達庁という、1947年に設置された組織をそもそものルーツとしているんです。以前、北本さんもおっしゃったとおり、東北防衛局の前身が仙台防衛施設局であることをお話をしたんですけれども、さらに、特別調達庁の時代の仙台支局にまで、防衛局というのは遡ることができるわけなんです。

パーソナリティー:
 そうしますと、防衛局は、自衛隊よりも歴史のある組織ということになりますね。

中村局長:

 組織の歴史を遡りますとそのとおりなんです。防衛施設に関する業務というのは、防衛力を支える基盤として、今も昔も重要性は変わらないと思うんですけれども、これを、自衛隊が発足する以前から担ってきたということが言えるかと思います。
  一方で、このように長く国の防衛を支える業務を担ってきたというような歴史を念頭にしつつも、現在の防衛局は、政策企画立案官庁である防衛省の地方における拠点として、それにふさわしい仕事をしていく必要があります。そのためには、従来から担ってきた業務はもとより、防衛政策全般に関して、組織全体として、また、職員の個人個人が、地域の方々に対して、いつでも分かり易く語れるよう精進していかなければいけないというように思っています。
  ところで、突然ではありますけれども、私事で恐縮なんですけれども、今回、私、東北防衛局を離れることになりました。約2年間の勤務でしたけれども、公私ともに思い出深い非常に充実したものになりました。また、皆様には私のつたない話におつきあい頂き大変ありがとうございます。今後とも、防衛省・自衛隊の活動に関して、ご理解とご協力を賜りますよう、お願いを申し上げます。


パーソナリティー:
 中村局長からは普段知ることのできない日本の防衛の対策、そして国防のお仕事について等、大変いろいろと貴重なお話をお伺いできました。本当に私も普段知らないことというのがたくさんあったのですが、この番組を通して全然知らなかったことという世界が見えてきましたので、大変感謝しております。そして2年間ですね、どうも有り難うございました。
 
中村局長:
 こちらこそ、どうも長い間有り難うございました。

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