自 衛 隊 百 科
(10月放送内容)



テ−マ:小川第6師団長へのインタビュー@



パ−ソナリティ−:

自衛隊百科のコーナーです。このコーナーでは、毎月1回、東北防衛局の中村吉利局長にご出演いただいております。今週と来週は2回にわたって、中村吉利東北防衛局長と陸上自衛隊第6師団小川清史師団長との対談をお送りします。


中村局長:

 それでは、師団長、今月と来月の2度にわたってのインタビュー、よろしくお願いいたします。


小川第6師団長:

こんにちは。よろしくお願いします。


中村局長:

今月は、まず、師団長のご経歴ですとか、プライベートな面を中心に伺いたいと思います。引き続きまして、来月については師団長の防衛に対するお考えですとか、師団長としてどのような決意を持たれているかといった点を中心に伺いたいというように思っております。もちろん、師団長、今、第6師団長ということで、南東北の陸上防衛に大きな責任を有しておられるわけですけれども、国土の防衛のみならず、自衛隊は東北地方の方々にはなじみ深い通り、災害派遣でも非常に大きな役割を果たしています。最近でも、伊豆大島への派遣など、各所で活躍をされておりますけれども、そもそも、師団長が自衛隊を志されたという理由はどういったところにあったのでしょうか。


小川第6師団長:

高校のときに、何となくですけれど、国の仕事をしてみたいというのが、まず根本にありました。自衛隊、国の仕事でもいろいろな省庁があるし、そのなかでなぜ自衛隊といったときは、小学校のときに横井庄一さんが帰還をされたり、小野田少尉が帰還をされた。そのあと、高校時代は、昭和51年9月ですけどミグ25事件があったりと、防衛に関するものが割とあるような気がするけれども、その実態がよく分からないなというところから、防衛みたいなものが携われるんだったらいいなと思って、それで、入り口は防大に行ったというところです。


中村局長:
 その後、陸上自衛隊に進まれて、今日第6師団長として山形に赴任をされたということであると聞いております。一方で、師団長、ご出身は四国・徳島県であると聞いております。その後も、東北地方の勤務はなかった。すなわち、今回の勤務が初めてというように聞いておりますけれども、東北地方、特に山形県に対して、どのような印象をお持ちでしょうか。


小川第6師団長:

 東北、まったくの初めての勤務です。出張とかでは数日間いたりして、蔵王のこととか、いろんな絵で見たり、写真で見たりして、憧れる土地ではありましたけど、来る、いざ勤務をするとなったら、もう少し観光的な観点から、今度は自分が暮らす、そして、そこの生活する人たちと共に仕事をする。そして、災害が起きた場合には対処をするという観点からみたときに、もう少し深く興味がどうしても沸いてきましたから、山形県の方々、「おしん」とかそういうのがかなり有名ではありましたけど、その前、本当上杉家の米沢藩、こちらのほうに興味がありました。それで、今の経済状況とか生活を聞いてみますと、社長さんが一番多いのが山形県と聞いていますし、それから、ベンツの売り上げが何か日本一だというような話も、これは本当か非公式な話なので分かりませんけど、そういったことから、非常に独立独歩で自分で道を切り開く、上杉鷹山のいろんなものを自分たちでちゃんとやっていくんだというふうな伝統が根付いた良い気風だなと。あと、東北といえば、私は関西系ですので、どうしてもあまりしゃべらない人が多いのかなとか、感情は最初から表に出さない人が多いんだろうかなというのはあったんですけど、それは、どんなに文献でみても何も分かりませんので、こちらに来て、いろんな方と話をしているうちに、いやいや、こちらが普通に心を開いてしゃべると非常に同じように返ってくる。つまり、相手に非常に合わせて、フレンドリーさはフレンドリーに、こっちが壁作っちゃうと、やはり同じように壁作る。非常に人間味豊かで、しゃべるときにはもう真っ正直に話してくれると。何か昔からいた、理想の日本がまだあったんだというのを非常に嬉しく、再発見したような気がします。これ、きっと、山形にいる人は、自分たちの良さはそこまで気がついていないんじゃないかなという気が逆にしました。


中村局長:

 往々無人にして、そこに暮らしていると、その土地の良さというのは、他から来た者でないと分からない側面があるというのは、おっしゃる通りなのかもしれません。私も、実は昨年の8月に初めて東北地方の勤務を命ぜられて、約1年経ったわけなんですけれども、正直なところ、人間関係でストレスを感じるということは全くいまのところありません。非常にフレンドリーで付き合いやすい方々ばかりで、そのなかで、一本、大震災のときの対応にもみられたように、芯が通っているということを強く感じております。おそらく、着任されてまだ間もない師団長もそういうことを感じておられるということは、おそらく、東北地方山形県の方というのはそういった気風をお持ちの方が多いということなんだろうというように思っております。一方で、師団長は非常に趣味も多いというように聞いております。山形県にも昔ながらの和風のものが非常に多く残っているという印象を私は持っていますけれども、師団長ご自身も書道ですとか茶道を嗜まれるというように聞いておりますけれども、これというのは何か理由といいますかどういうようなものがあるのでしょうか。


小川第6師団長:

 そうですね。書道は小学校の1年ぐらいからしてましたし、茶道は22、3のときからやっているんですが、最初は趣味ではなかった。習い事として、無理矢理やっているという感じで、40過ぎぐらいのときに、ある80ぐらいの男性の茶道の先生に会いまして、そこから変わりました。好きになりました。それは、何を教わったかといいますと、書道もそれまではどちらかといえば手本を見て書いて、人の字を真似することが多かった。ところが、その先生は「自分の字を書いて下さい。人の字を書いてもあなたが書いたことにはなりません」。茶道については無茶有茶という言葉を使われたんですけど、「無茶というのはお茶のない状態を、有茶というのはお茶を常に生活の一部に取り入れているということだ」と。「お手前を一生懸命やるのではなくて、お茶を生活に取り込みましょう」ということを言われて、「なるほど、自分でそういうふうに作り上げていけばいいんだ」と思って。書も自分の字を書き始めて、「自分を表現する世界がここにもあった」というのを非常に感じて、それまで、スポーツで自分を表現するとか、仕事で自分のやり方を追求するというのから、「こういった形に表すものもあったんだ」ということから、だんだん好きになってきて、全くの自己流で楽しんでいるというのが今の状態です。


中村局長:

 確かに、道という、書道についても、茶道についても、道という字が付いております。師団長おっしゃる通り、「人の真似をするだけではなくて、道を究めるといいますか、自らのなかに取り込んで、自らを表現する自立手段とする。そういう意味で、こういった道という漢字が付いているのではないか」とお話を伺って、改めて感じたところです。こういった、多趣味な方でございますので、いろいろな意味で、今後山形県においても、防衛の面のみならず、様々な点でご活躍をされることと思います。本日は、まず、インタビューの第1回目と致しまして、ご経歴ですとか、プライベートな面を中心に伺ってまいりました。師団長、本日はどうもありがとうございました。


小川第6師団長:

 こちらこそ、楽しい会話をありがとうございました。


パーソナリティ−:

 本日の自衛隊百科のコーナーは、陸上自衛隊第6師団小川清史師団長と東北防衛局中村吉利局長の対談をお送りしました。自衛隊百科のコーナーでした。


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