防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(2月放送内容)



テ−マ:東日本大震災における教訓と課題A 岩手県の初動対応

パ−ソナリティ−:

本日は、平成23年3月11日の東日本大震災時、岩手県の災害対応において中心的役割を果たされ、また、その際の体験を元にした「東日本大震災津波−岩手県防災危機管理監の150日−」の著者でもあります越野修三さんをおむかえし、「東日本大震災における教訓と課題」をテーマとした東北防衛局中村吉利局長との対談をお送りします。それでは、越野防災危機管理監、中村局長よろしくお願いします。


中村局長:

よろしくお願いします。前回は、越野さんが岩手県庁に入って以降の態勢の整備ですとか準備の状況について伺いました。越野さんは防災危機管理監として着任して以降、5年間を経まして、2011311日、越野さんにとってはあと3週間で定年退職という日に東日本大震災が発生したわけです。この日、越野さんは青森県八戸市にいらっしゃったようなんですけれども、一般の交通が途絶する中で、自らの発案で自衛隊の基地に赴いて、車両支援を得て県庁に戻られたと聞いております。このあたり、先程おっしゃった「顔の見える付き合い」の一つの成果ではないか思います。こんなふうにして、越野さんが県庁に到達した時に、もう既に災害対策本部が設置されていたと思うんですけれども、実際、岩手県の初動の対応状況はどんなものだったのでしょうか?


越野防災危機管理監:

 そうですね。岩手県の場合はですね、「震度5強」以上になると自動的に災害対策本部と言うのが設置されるようになっております。ですから今回の場合も「震度6弱」でしたので、自動的に14時46分には災害対策本部が立ち上がっておりました。その6分後にもですね「自衛隊の災害派遣要請」はなされていましたので、初動については非常に早かったなと思います。ただですね、全県いわいる岩手県全部が停電になっていましたし、それから通信網が断絶して、各市町村と全く連絡がとれなかった。そういゆことがありまして、なかなか全容が分からなかった。ただ岩手県湯王の場合は非常用電源がありまして、テレビは見れたわけなんですね。そのテレビに中で被害が甚大だと、そう言うのは確認できたわけなんです。ただ被害は甚大なんだけれど、具体的に何処にどれだけ被災者がいるのだとか、助けを求めているのかとか、そう言う事は全く把握できなかったわけですね。さりながら確実に助けを求めている人がいるわけで、その人達をどうやって助けようか、時間が勝負と言う事でですね、いかに助けようかと言う事が課題だったわけなんです。あの日、私、発災から5時間経ってから県庁に着いたんですが、県庁では、全く具体的に何をやるのか決まってなかったんですね。そこで、どうしようかと言うのがですね、初日の最大の判断だったわけなんです。


中村局長:

有難うございます。今本当に初期段階における対応の課題と言う点に若干ふれていただきましたけれども、やはり未曾有の震災を前にすると事前にどれだけ準備していても色々の課題があったのではないかと思います。こういった点についてもう少しお話していただければと思います。


越野防災危機管理監:

 

まづ先ほど言いましたように、通信が断絶して各市町村から全然情報が上がってこない。いわいる情報がほとんど入手できないという状況ですね。これはですね、各市町村とは衛星電話のネットワークもあったんですが、衛星電話も電気が無いとつながないわけなんですね。各市町村の衛星電話の回線も電気が停電になりますと非常用電源に切り替えるわけなんですが、切り替えてなかったり、非常用電源がそもそも津波で駄目になってしまったとかですね、つないだはいいんですけれども燃料不足で数時間でダウンしてしまうと。そう言うような事で、通信が全くとれなかった。ですから教訓としては、普段から非常用電源とか予備の通信手段を持っておかなければいけないと言う事もつくずく思いましたね。それからもう一つはですね。全く状況が分からない中で、どうやって意志決定をするかと言うような問題ですね。私も5時間経ってから県庁に辿り着いた時に何も決まってなかったというのは、おそらく情報が何も入っていなかった。それで何をしていいか分からない。これが現実だったと思うんですよ。そんな中で、さっき言ったように確実に助けを求めている人がいるわけですから何かをしなきゃいけない。何か行動を起こさなければいけないと言う事で、もうそれは、想像・予測と言いますか、被害予測あるいはイメージによって動くしかなかったんですね。案の定、道路は寸断されて地上からは部隊が行けない。ヘリコプターを使って救助するしかないと言うような状況ですから、使えるヘリコプターを確認したら、各県から支援をいただいたヘリコプターが8機、それから自衛隊のヘリコプターが15機ありました。合計23機で、いかに全県、四国と同じくらいの面積の岩手県をどうやって23機で救助をしようかとこれが一番の課題でした。だから、状況不明の中で意志決定するというのは、なかなか行政を行っている職員の方にはなかなか出来ない。こういう事だと思いますね。そう言う問題が1つ。それからもう一つは、縦割り行政そう言う弊害があります。例えばですね。物の支援をする場合でも、米は農林水産部とか、それから生活用品は環境生活部だとかですね、担当するところが違うわけですよ。それが、それぞれ勝手に動き出すと統制がとれなくなると、そう言う弊害がやっぱり出てきました今回も。そうゆうことで部局横断的にやるようにして、縦割りの弊害を無くしようと組織を変えたわけです。それともう一つがですね。職員の意識と言いますか、災害というのは各市町村が、基本的には対応する事になっているわけなんですが、それが今回のように各市町村の行政機能がもう麻痺してしまった、そう言うような状況でも、職員は「これは市町村の仕事だ」「これは県庁が何でやるんだ」と言うような意識の職員が少なからずいたと言う事なんですね。そう言う意識をいかに打破するかと言うのが、今回の非常に大きな問題でありました。


中村局長:

だいたい今日はお時間となりました。最後、課題として情報収集の面ですとか、状況が不明である中での意志決定の問題、あとは行政組織の問題と多面にわたってお話を聞く事が出来ました。次回は、震災に対して住民がどのように対応したのか、その点の課題と教訓について中心に伺いたいと思います。越野さん、今日はどうも有り難うございました。


越野防災危機管理監:

有難うございました。


パ−ソナリティ−:

本日は、岩手県防災危機管理監の越野修三さんをおむかえして、「東日本大震災における教訓と課題」をテーマとした中村吉利局長との対談をお届けしました。次回も引き続き、越野防災危機管理監と中村局長の対談をお送りします。


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