防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(9月放送内容)



テ−マ:自己紹介

パ−ソナリティ−:

 さて今日は、8月1日に東北防衛局長に着任されました中村吉利さんからお話を伺いしたいと思います。中村局長、よろしくお願いいたします。


中村局長:

 はい。よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 それではまず、中村局長のご経歴を伺いたいと思います。


中村局長:

 はい、私は、当時は防衛庁と言っておりましたけれども1985年に入庁しましたので、今年で役人生活は28年目と言うことになります。この間、外務省ですとか内閣官房への出向も含めまして、一貫して防衛ですとか安全保障の問題にかかわってきました。
 印象深い仕事をいくつかご紹介しますと、まずは、1992年のカンボディアのPKOの施設部隊派遣がございます。私は、第一次部隊と一緒に6ヶ月間現地にいまして連絡調整業務に当たったのですけども、国連の活動への派遣は初めてでして、本当に手探り状態でした。その後、イラクの戦後復興のためにも自衛隊の派遣が行われるんですけれども、その時に、ロンドンにあります日本大使館に私出向しておりまして、部隊がイギリスの管轄地域に派遣されることもありまして、先方の国防省に日参して、様々な調整を行ったと言う記憶があります。こんな形で、自衛隊の能力を活用する場が広がってきたことは、大変うれしく思っているところです。
 また、北朝鮮のミサイル発射事案、東北地方にも関わりありましたけれどもこれにも様々な形でかかわってきました。98年の発射事案から、2006年、09年、12年と、それぞれ情報関係ですとか、各省庁との総合調整、広報ですとか、地方自治体との調整と、それぞれ異なる部局での関わりをしてきた訳です、その中で、我が国周辺の安全保障環境を実感するとともに、一方では反省事項はあるものの、政府としての対応がスムーズになってきたと言うことを実感しました。


パ−ソナリティ−:

 はい。ご発言の中で、ロンドンで勤務されていたとのことですが、東北出身の選手も活躍したオリンピックには懐かしい場所なんかも出てきたのではないでしょうか。

中村局長:
  そうですね、特にマラソンのコースと言うのは勤務場所であります大使館からも近っかたこともありまして、非常に良く歩いた場所でしたので、懐かしく拝見しました。実はロンドン・オリンピック。これは開催自体は2005年の夏に決定したのですけれども、当時は、パリが断然有利と言われていまして、ロンドンを含む他の都市に望みはないとされていました。これを覆したのが、当時のブレア首相なんです。まさに自ら東奔西走して勝ち得たオリンピックですので、今回のオリンピックの成功と言うのは彼にとっても感慨深いのではないかと言うように思います。実は、オリンピックこの招致の成功の直後に、イギリスがホストするサミットが開幕するんですけども、この晴れがましい時と言うのは、サミット開幕当日のロンドンの地下鉄・バス同時多発テロによって暗転すると言うことになってしまいます。これは56人が死亡するという非常に痛ましい事件だったんですけども、逆に、サミットに集まった各国の首脳の団結が強化されました。それと、大変印象的だったのは、一般の多くの人が、地下鉄とバスを以前と変わらずに使い続けたと言うことです。テロを恐れて日常を変えてしまえば、テロリストに屈したことになる、そういう思いが一般の市民に共通していたのだと思います。私自身防衛、安全保障には長くかかわってきたつもりだったんですけれども、理不尽な暴力に毅然と対応すべきことを、ロンドンの市民が教えてくれたように感じたものでした。


パ−ソナリティ−:

 そのような経験を経て、防衛局長に着任されたわけですね。ところで、災害派遣などを通じて、東北の人たちは自衛隊にはなじみがあるんですけれども、東北防衛局の仕事はよく知られていないと思います。まず、防衛局とはどのようなことをやっているのか、そのあたりからお話しいただけますでしょうか。


中村局長:

 そうですね。自衛隊の災害派遣のように、地域の人たちの目に見える活動が多くないので、防衛局の仕事がイメージしにくいというのは、おっしゃるとおりと思います。まず、防衛局は全国に8つありまして、東北防衛局は、そのうちの一つとして東北地方の6県を担当しています。実は、防衛局は誕生してまだ5年ほどの若い組織で、前身は防衛施設局と言っていました。東北防衛局の場合、前身は仙台防衛施設局と言っていました。防衛施設、これはすなわち自衛隊ですとか米軍の基地などを指すんですけれども、その周辺では様々な問題が発生します。たとえば、飛行場の近くでは航空機の離発着に伴って日常的に騒音が発生していますし、演習場でも訓練の時には騒音が発生したりですとか、戦車が走ることで地面が荒れて土砂が演習場の外に流れ出す可能性もあります。また、大型車輌の通行で一般の道路が渋滞したり、路面が荒れたりすることも考えられます。それから、これはあってはならないことなんですけれども、万一事故が起きたりすると、地域の方々に大きな影響を及ぼす可能性があります。こういった問題の対策、すなわち住宅の防音ですとか、自治体の行う道路工事や護岸工事、防災無線整備への補助、さらには基地の管理や取得などを主に実施してきたと言うのが防衛局の前身の防衛施設局なわけです。防衛局になってからは、こうした防衛施設局の業務に加えまして、地域における政策的な情報の発信ですとか装備品等の購入業務も実施するようになっています。組織の名称から「施設」を外すとともに、地名も事務所の所在する場所から担当する地域に変更して、その地域での防衛問題を幅広く取り扱おうとしていると言う訳なんです。私の前任である増田局長がお話ししたかと思いますけども、東日本大震災において、東北防衛局は自衛隊ですとか米軍とともに、様々な活動を行いました。これは、防衛施設局を防衛局に発展させた一つの成果ではないかというように思っています。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。そのような防衛局のトップに着任されたわけですが、どのような抱負をお持ちでしょうか。


中村局長:

 はい。沖縄の基地問題にみられますように、自衛隊ですとか米軍の存在を防衛施設の存在する地域の方々に理解してもらうことは、防衛問題にとって非常に大きな要素になっていると思います。どんなに精強な部隊を持っていても、どんなに最先端の装備を持とうとも、地域との関係で例えば訓練が十分に出来ないですとか、いざという時の活動に支障が生じたりと言うことがあれば、十分な能力の発揮は出来ないことになってしまいます。そう言ったような意味で、防衛局の任務には重いものあると思っています。幸いにしまして、東北地方の方々の、自衛隊等に対する理解は大変深いものがあると考えています。私としてはだからといって、それに安住することなく、さらに地域の方々の理解と協力を得るべく、様々な情報発信を含めまして、地域のニーズに応えたきめ細かな対応を行っていきたいと思います。実は、私は、先ほど申し上げましたとおり1985年に当時の防衛庁に入庁して以来、基地周辺対策に関わったのは1年だけなんです。このため、私自身にはまだまだ不十分な面が多々あると思っていますけれども、幸いにして、東方防衛局には優秀なスタッフが揃っています。彼らの意見をよく聞きながら、業務を進めていきたいと言うように思っているところです。


パ−ソナリティ−:

  有難うございました。さて今日は、81日に着任されました中村東北防衛局長に、ご自身のプロフィールのご紹介も含めてお話をお伺いました。中村局長には、ご自身の経歴も含めて、防衛問題について幅広くお話を伺っていきたいと思いますので今後もどうぞよろしくお願いします。


中村局長:

 こちらこそよろしくお願いします。

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